閑話【手に入らないものほど欲しくなる】
遅くなりましてスミマセン!久しぶりの更新ですがよろしくお願いいたします。
「随分と趣味が変わられたようですね」
くつり、と喉を鳴らしながらの狸の発言にラルゴはすっと目を細める。
商談を始めたリュールの背後に立ちながら片腕に凪を乗せた龍は口角を持ち上げ顎を逸らした。
全く持って目の前の狸は変わらない。彼と知り合ったのはラルゴがやんちゃをしていた頃、つまるところダランに足を踏み入れてしばらくの時期だったが、彼の悪癖は収まるどころかますます加速しているようだった。
王城で使われているような上等な深紅の絨毯の上には、これまた価格が予想できない革張りのソファ。そして黒檀でできた机の上にさりげなく置かれた花瓶の上には、ここらでは珍しいと言われる上質の青薔薇。
室内のいたるところにかけられた絵画は、ラルゴには興味はない一品故に価値が分からぬが、見るものが見れば目が飛び出るほどの値段がするものだろう。
先ほど捕縛された太めの狸───見た目こそ似ていないが鑑定能力の高い実弟に宝石の価値を一つ一つ見極めさせながら、彼は泰然とした空気を揺るがしもしない。
背後に控えるのは先ほどラルゴたちと襲った兎の獣人に加えてさらに数人。
パストゥールお抱えの精鋭部隊だろうが、龍の獣人であり、名の知れた冒険者でもあるラルゴからしたら脅威ですらない。
ついでに言えば腕前だけでいけば、麗しい顔に緩やかな笑みを浮かべたままの佳人どころか、ラルゴの横から宝石の鑑定を物珍しそうに見やる狼の子供にすら劣るだろう。
パストゥールは馬鹿な男じゃない。
しかし伊達や酔狂でダランの闇の一部を仕切っているわけでもない。
座りきった肝を持つ狸は、未だ物珍し気な、そして同時に物欲しげな、羨望の眼差しをラルゴの腕の中に向けたが、向けられた存在は最早狸の男に興味すらないらしく、きょろりと部屋にかかっている装飾を見渡している。
視線すら向けない無防備さはいっそ呆れるほどだが、それだけ信頼されていると思えば胸の奥から誇らしさが湧くのだから本当に仕方ない。
ラルゴにとって腕の中の存在は足手まといではなく、守るべき存在なのだから。
「以前のあなたならそんな眼差しはしなかった。まるで───腑抜けのような眼差しなど」
「くッ…そうか?」
「ふふふ、そうですねぇ。昔の鋭さは思い起こされないですねぇ」
「今のその男に嫌味を言っても通じませぬよ。馬耳東風というものです」
「色ボケというものですか」
「見た目も中身も俺にとっては極上だ。文句あるか?」
「色ボケを胸を張って言われるとは…いやはや、昔のあなたでは考えられない。ですがその気持ちもわからぬでもない。私もそのように極上の虎、見たのは初めてです」
極上の虎と褒められてもちらりとも視線を向けぬ少女は、幻でありながらも極めて本物に近い手触りを持つ耳をかすかに動かす。
最近気づいたのだがこれは意識してではなく、話を聞いているから動くというわけでもなく、神経の反射運動のようなものらしい。
つまりこれだけあからさまな会話をしても興味すら引けていないというわけだ。
もしかしたら、だが。
もしかしたら、凪はこういった会話に慣れ過ぎているのかもしれない。
陽に透かせば金色にも似た輝きを持つ細やかにウェーブした長い髪。瞬きする都度音がしそうなまつ毛すら繊細で、その下にある蒼と紅のオッドアイも宝石よりもきらめきを持つ。
目の前の狸からすれば、彼女の瞳だけでも保管対象になりえるのだろう。それくらい亜種と呼ばれる存在の中でもオッドアイは珍しい。
本人はまったく無頓着であるが、白虎というだけで珍しく、美的価値観が違っても10人中9人は確実に麗しいと称する美貌を保持しながら、おかしなくらい無頓着なのだ。
だからこそ舐めるように己を観察するパストゥールの視線すら完全に無視できるのだろう。
「麗しいものには極上のものこそが似合う。そちらの狐の佳人にも、麗しいという言葉でも足りないほどの美貌を持つ白虎のあなたにも」
「…くッ、くははははは!!」
「何がおかしいのです?」
「お前の話題にはお嬢は欠片も興味を持たないぜ?お嬢は興味がないことには一切関心を示さない。お前の存在それ自体も恐れていないし、お前自身にも興味がない。話すだけ無駄だ」
「───そのようですね。ある意味わかりやすい方です。私の見目にも一切驚きもせねば恐怖を抱いたわけでもない。普通の獣人であればそうはいかないでしょうに」
狸の男の言い分に唇が三日月形を描く。
やはりこの男の目利きはよい。物に関しても人に関しても冷静な観察力を保つすべを持っている。
狸の癖にこの鼻の良さはリュールの後ろで尻尾を振る狼よりも効いているに違いない。
凪の本分。彼女の中身はある意味『空虚』。
鈍感に見せかけ人の感情の機微には敏く、それなのに敏いことを己すら誤魔化して鈍感と見せている。
他人に興味なんて持っていない。おそらく、自分自身にすら興味も関心もないのだろう。
そうでなければこれほど獣人の視線を集めるのにもかかわらず、いくら慣れがあろうとも、すべてを空気のように無視できるはずがない。
わかってる。そんなの一月も付き合いがあれば、まして好意を持ち、見つめ続ける相手であれば、嫌でも理解する。
知った上で惚れている。それすら見抜かれて嘲笑われようが、己の感情に恥じるものなど何一つない。
馬鹿と呼ばれようと、阿呆と罵られようと、間抜けと嘲られようと、そんなものはラルゴには関係ないのだ。
貫きたいのは己の感情ただ一つ。知った上でぶれないほど惚れぬいた己を嗤えるのは、ラルゴ自身だけだ。
「そんな女だからこそ、欲しいってもんだ。その視線を己だけが手に入れた時の快感を想像すると半端じゃねえだろ?」
彼女の視線を奪う相手がいるのを知っている。
彼女の感情を唯一揺らした存在がいるのはわかってる。
彼女の心が、───神さえも無視してそちらしか向いていないのを理解している。
その上で、それでも欲しいと思ってしまったのだから。
「やっぱり、あなた変わりましたね」
「男ぶりが上がったろ?」
「───ええ、随分といい表情をされるようになった。あの粋がっていただけの小童が」
「はっ、餓鬼は成長するもんなんだぜ、オッサン」
「おっさんはやめていただきたいものです。私は常に紳士でいるのでね」
ゆるりと口角を持ち上げたいかにも狸らしい言い分に、ひょいと肩を竦めて踵を返す。
その動作だけでわかりやすくさっきを放ったパストゥールの子飼いたちを視線だけで薙ぎ払い、腕の中の少女に声をかけた。
「さて、鑑定も終わったことだしそろそろいくかお嬢?オムライス、楽しみだったんだろう?」
「オムライス・・・ふわとろもきっちり焼いたのもどっちも好きなの。楽しみ・・・」
『オムライス』の言葉だけでこちらに視線を寄越した少女は、わずかに口角を持ち上げる。
それだけで劇的に雰囲気が変わるのだが、息をのんでこちらを見つめるパストゥールの様子に、やはり欠片の興味も示さぬ凪は、そのままの表情でリュールに視線を送った。
その意図を敏感に察したリュールは換金した金をすばやく確認し、いくつか小分けして懐にしまうと、さっと立ち上がり狸に背を向けた。
きっちりと己の武器である糸を己の背後に敷いて、パストゥールの部下の動きを封じるところがいかにも過ぎて笑えて来る。
気づいたガーヴがひょいと片耳を動かし、武器を片手に握ったまま凪を守るようラルゴの後ろに立った。
一丁前の男のような態度にくつりと喉を震わす。
この狼の子供は凪の『空虚』に気づいているのだろうか。リュールの方は気づいてそうだが、それでも受け入れているように見受けられる。
大人と子供。
アドバンテージは、さてどちらにあるものか。
どう転んでも自分が手にしたい存在を腕に抱いたまま、ラルゴは狸の砦から楽しい就職に向かうべく、足を踏み出した。