5 . 頭が弱くて危機感がない
ところが二日目の朝、事件が起きた。
わたくしの母の形見のペンダントがなくなったのだ。
寝る前に入れておいたアクセサリーボックスの中を探しても見つからない。
部屋を出て探し回ろうとしたものの、廊下で待ち構えていた若いメイドたちによって阻まれてしまう。
「何かお探しですか?ガラクタならつい先ほど捨てましたけど」
「本当は売っ払うつもりでしたけど、古くて使い物にならなかったんですよ」
ショックで言葉も出ないわたくしを見て、彼女たちは哄笑を上げた。
周囲に集まってきたほかの使用人も一緒になって囃し立て始める。
「そうよねえ、奥様の持ち物なんて全部ボロいし!」
「公爵様も可哀想に。あんな冴えない奥さん貰っちゃって」
「しかも正妻じゃないんでしょ?」
「あら、あれでも正妻よ。名目上の妻ですけど」
嘲笑が終わる気配はない。
廊下に響く笑い声が耳の中で反響する。
わたくしの心臓は激しく打ち、喉は乾いていた。
この場から逃げ出したい一心で後退ったとき、メイドの一人がクスクスと笑いながら言った。
「あら、でも今ならまだ間に合うかもしれませんわ。ゴミを回収している下賤な輩が、裏庭の使用人出口にいるかもしれないわね」
それを聞いて、わたくしはみっともなくも、貴婦人とはありえないほど、取り乱したように駆け出す。
酷くなる嘲笑も罵倒も構っている暇はなかった。
裏庭は陰鬱な雰囲気に包まれていた。
湿った土の匂いが鼻をつき、埃っぽい風が吹き込んでくる。
そこには一人、ゴミ袋を積み上げている下働きの男がいた。
泥にまみれたズボンのポケットに手を突っ込んだまま、こちらを睨んでいる。
「何の用だ」
低い声に身体が震える。
怒っているのかしら。
わたくしは唾を飲み込み、喉がカラカラになるのを感じた。
「この…これくらいの大きさのロケットペンダントを見ませんでしたか?銀色で、母の形見なんです」
「金目のモンがあったら、俺が黙ってるわけねえだろ」
にやつきながら、ポケットから何かを取り出す。
間違いなく母のペンダントだ。
思わず手を伸ばすものの、その手は空をつかむ。
「返してください!お願いします」
「条件次第だなぁ」
薄汚れた無精髭の男はペンダントを掌の上で転がす。
「今夜、そこの裏庭の物置に来てくれたら、返してやってもいいぜ」
「返してくれるんですね、よかった…。ありがとうございます」
涙を流し、喜ぶわたくしに男はなぜか一歩後退る。
「…夜中の0時に待ち合わせだ。もちろん、誰にもバレずに一人で来い」
「わかりました。それで母の形見を返していただけるのであれば」
「…頭が弱くて、危機感がねえお貴族様だ」
男は皮肉げに口角を吊り上げ、
「こっちとしては都合がいいがな」
「都合がちょうど合ってよかったです。ところで、あなたのお名前は?」
わたくしは静かに心の中に好奇心が湧き上がってくるの感じた。
こんなに長く話したことも知り合ったこともない階級の人間を前に、心臓はドキドキしていた。
そんなわたくしを睨みつけながら、彼は地面に唾を吐き、ペンダントを軽く放り投げながら言う。
「おいおい、旦那様に告げ口して取り戻すつもりか?」
わたくしの問いに対する彼の返答は思いのほか厳しいものだった。
わたくしが人と話す時はいつもこうだ。
皆を苛立たせ、不快にさせてしまう。
「違います。わたくしはただお礼をと思いまして…。あ、あの、わたくしはアスタルトと言います。エルンスト公爵家の妻で」
「下っ端の俺でも、奥様の顔くらいは知ってますよ。奥様の方はそうでもないようだが」
わたくしは懸命に言葉を探す。
「人の顔を覚えるのが苦手で、どうお呼びすれば良いのか分からなくて…。本来であれば、そのまま捨てられていただろう物を、救い上げて頂いたのですから、本当に感謝しかありません」
彼は不機嫌そうに舌打ちする。
反射的に体がビクッと震えてしまう。
彼が目を細め、何かを考えるように沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「…じゃあ、テセウスだ。テセウスと呼べばいい」
「テセウス様」
彼は肩をすくめ、
「"様"はいらねえよ。なんだか調子でねえな。貴族の奥様でなくても、貴族様が俺のような下男に敬語で話すのもおかしいだろ。
それより、忘れるなよ。夜中の0時、物置小屋だ。誰にも見つかるな」
「はい、必ず参ります」




