4 . 聖女信仰
《 昔々、闇が世界を覆っていた時代。
混沌の魔物が大地を埋め尽くし、魔人が人類を蹂躙していた頃。
その混沌の中で、一人の女性が忽然と現れる。
どこから来たのか誰にもわからない。
ただ、その女性の手から溢れ出す光は、天から降る星屑のごとく眩く、手を翳せば闇は砕けた。
光が魔物を突き刺すと魔物は尽く消滅し、魔の力を持った魔人もついには打ち倒された。
奇跡の乙女はやがて聖女と崇められ、聖女を守った騎士は王となり、二人は永遠の愛を誓い、人々を守り、導いたという 》
朝の光が窓から差し込む中、わたくしは国民なら誰でも知っているだろう御伽噺の絵本を、指でそっと撫でていた。
ユーリウス閣下がわたくしを娶った目的が、こんな遠い昔の御伽噺に繋がるなんて。
聖女生誕の地であると主張するこの国の国王は今なお聖女ゆかりの血脈を標榜し、教会はこの伝説を信仰の中心としている。
没落しかけた侯爵家がなぜ公爵家と縁戚となったか。
その答えは、かつて第三十二代目の聖女が当時の侯爵へ降嫁したという史実に他ならない。
現在の五十代目の聖女様は次期王太子妃に確定していて、聖女の肩書は単なる権威付けに成り果てているけど。
それでも、聖女信仰は根深く、大陸全土に広がっている。
公爵家にも祈りの場があり、ユーリウス閣下も毎日祈りを捧げているらしい。
反してわたくしは、聖女様の血筋でありながら、信仰とは距離を置いている。
子ども時代を軟禁状態で過ごし、教会に行かせてもらえなかったせいもあるかもしれない。
母が聖女様の話をなさらなかったことも一因かもしれないわ。
絵本の中の聖女様は神々しい光に包まれ、民衆から花冠を戴いていた。
その傍らには甲冑を纏った凛々しい騎士が剣を捧げている。
まさに理想の夫婦像。
聖女様を信仰しながらも、ユーリウス閣下は、理想の夫婦からはほど遠い。
《 聖女と王の末裔が繁栄を築き、今も我が国を見守り続けている 》
昼食時、いつものように食堂に入ると、テーブルには通常どおりのメニューが揃っていた。
しかし量は明らかに少ない。
パンは硬く乾燥しており、スープは冷めている。
わたくしが席について食べ始めると、別のメイドが駆け込んできて急いで掃除道具を取り出し始めた。
足元に水が跳ね返り、服が汚れる。
抗議しようとしても無駄だった。
彼女たちは聞く耳を持たず、むしろ大声で話し出した。
「見て!奥様ったらまだご飯を食べる気みたいよ!」
「まあ!何もしてないのにお腹だけは一人前に減るのねえ」
嘲笑混じりの声が飛び交う。
檻の中の動物を物見高な視線に、ただひたすら頭を伏せて食事を続けるしかなかった。
震える手で最後のひと口を押し込むと、急いで自室へ逃げ帰った。
午前中に一度だけ書斎へ赴き、数冊の本を借り出す。
本来であれば自由に出入りできる立場のはずなのに、館内警備の騎士に鋭い視線を浴びせられるだけで十分に怖気が走った。
何も悪いことはしていないのに、自分の存在自体が咎人のような気さえしてきた。
夕刻になり、またしても小さな嫌がらせが始まった。
洗濯物が濡れたまま放置されている、大切なインク壺が割れている。
徐々に程度はエスカレートしていく。
全て偶然と言い逃れできる範囲に留めており、逆らいにくい巧妙さを感じさせるのが憎らしいところだった。
それでも我慢するしか方法はないと思っていた。




