0 . 前世・4
結婚式は、教会の大聖堂で行われた。
白い衣装に身を包み、祭壇の前でテセウスと向かい合う。
見知らぬ参列者たちが祝福の拍手を送る。
すべてが夢のようにぼんやりとしていた。
「綺麗だ、アスタルト」
テセウスが小声で言った。
テセウスがわたくしに気を遣ってくれているのはわかっていたから、せめて、わたくしは微笑みを返そうとしたけれど、うまく笑えない。
ぎこちないわたくしに、テセウスは苦笑する。
彼に会わなければよかった、と何度も想像するわたくしが、偽装とはいえ、テセウスと結婚する。
愛する人は死に、偽りの愛を別の男性に向けるのだ。
愛への裏切りに薄汚れたわたくしが、生まれ変わったユーリウスと出会う価値などあるのだろうか。
あの日、森を抜け出して人間の街へ向かわなければ。
テセウスに出会わなければ。
ユーリウスの制止を振り切らなければ。
幾度となく繰り返した後悔は、それでも現実を何一つ変えてはくれない。
「アスタルトの気持ちは分かっている。誰を愛しているかも。ただ、俺がお前に愛を捧げることだけは許してほしい」
彼の声は静かで優しかった。
わたくしを責める色はどこにもない。
それでもわたくしは彼の目をまっすぐに見ることができなかった。
言葉が喉に張り付いて出てこない。
俯くわたくしの手をテセウスが握りしめる
「…それなら、わたくしもお願いがあるの」
テセウスは黙ってわたくしの次の言葉を待った。
「わたくしと共に生きてほしいの。そのために、摩耗する前にあなたの魂を浄化し海へと帰ってほしい。
そうすれば、住む場所は異なってもわたくしたちの命は永遠だから。地上にいたら、人間の魂はいずれ消失してしまう。でも海に帰ればあなたはあなたのままでいられる。記憶も、想いも何も失わずに」
わたくしの声は必死だった。
もう誰も失いたくなかった。
ユーリウスを失い、魔物たちを失い、これ以上大切な人が消えていくのは耐えられなかった。
テセウスはしばらく何も言わなかった。
彼の手はまだわたくしの手を握ったままだった。
「そしてお前は地上に残る」
テセウスの声は静かだった。
問いかけですらなかった。
すでに答えを知っている者の確認だった。
「…ええ。肉体は海に繋がっているけれど、魔の魂は地上のものだから」
彼はゆっくりと瞬きをした。
それから、まるで壊れ物を扱うかのようにそっとわたくしの頬に手を当てた。
そして、ゆっくりと首を振った。
「それだけはできない」
「なんで…?!そうすればあなたは消えずに済む!」
「アスタルト、お前は俺に永遠を生きろと言う。だがそれはお前が永遠に喪失を抱えて生きることじゃないのか」
テセウスは悲しげに微笑んだ。
「俺はお前を愛している。だからこそ俺のせいでお前が苦しむのは見たくない」
「でももうずっと苦しいの!どうしてわたくしのお願いは聞いてくれないの!?愛してるって言ったのに!」
「だからこそ、俺がお前を愛している気持ちを、誰にも渡したくない。母なる海で、海と一体になってしまったら、俺の愛も、他人も愛も、全て同等に分かち合わなきゃいけなくなるんじゃないか?俺は、魂に刻みつけたこの想いを、他の誰とも分かち合いたくない」
「何を言って…」
「だから浄化は断る」
「ひどい」
わたくしの唇から震える声が漏れた。
「ひどすぎるわ、テセウス」
初めて彼を恨んだ。
わたくしの願いはただ、あなたを失いたくないだけなのに、その願いさえも拒むのか。
わたくしは彼の胸を拳で叩いた。
何度も、何度も。
「あなたはわたくしが永遠に独りでいろと言うの? ユーリウスもいなくなって、あなたまでも消えて、それでも生きろと?」
テセウスはされるがままになって、やがてそっとわたくしを抱きしめた。
「ユーリウスも俺もそしてお前も、何度でも地上にいる限り、出会うことができる」
結局、わたくしはテセウスを説得できないままだった。
彼の意志は最後まで揺るがずわたくしの願いは届かなかった。
そして幾年かが過ぎ、テセウスが暗殺され、わたくしの命の灯火も急速に細っていった。
テセウスが死ねば、もう誰の言うことも聞くことなく、今世を終わることができる。
だから、わたくしが死んだ後の話は、海に繋がった時に見た記憶。
わたくしの遺体は教会によって、聖遺物として祀られることになった。
人々はわたくしの死を悼むどころか、歓喜に沸いた。
聖女の血肉には浄化の力が宿っていると信じたのだ。
わたくしの体は切り分けられ、王族や聖職者や貴族たちの口へと運ばれた。
永遠の命を得られるだの、あらゆる罪が浄化されるだのと囁きながら。
そうして、聖女の血の呪いは、子孫に受け継がれていく。
彼らは語り継いだ。
これは美しい御伽噺だと。
聖女と、彼女を守った騎士の感動的な物語だと。
教会と王国はその虚構を利用し、自らの正当性を声高にアピールした。
わたくしの苦しみもテセウスの悲劇も、ユーリウスの犠牲もすべてはなかったことにされて。
もしも、ユーリウスがこの真実を知ったら。
生まれ変わり記憶を取り戻した彼が、わたくしの成れの果てを知ったら。
彼はきっと自分を責めるだろう。
守れなかったと、救えなかったと、もっと早く見つけるべきだったと傷付いてしまうだろう。
そして何より、人間という種族に対する底知れぬ憎悪を今度こそ決定的に燃え上がらせるに違いない。
だから、どうか。
ユーリウスは知らないままでいい。
知らなくていい。
わたくしがどんなに無様で愚かで、汚れた末路を辿ったのか。
例え、わたくしがあなた以外の誰かを愛し、結婚して、子どもを産んだと誤解したとしても。
彼が守ってくれたおかげで、わたくしは御伽噺のようなハッピーエンドを生きたのだと、そう思ってほしいのだ。
わたくしは確かに幸福だったのだから。




