19 . 巡る愛
長くもあり、短くもあった。
思惑と権力と懐柔と脅しと、様々な欲望が絡み合い、教会と王家と公爵家の、三竦みの話し合いは半年に渡って行われた。
そしてその結果、わたくしはユーリウスとの結婚生活を続けることとなった。
もちろん、続けるかどうかはわたくしの意見が最重要視された。
ただ、その半年の間、わたくしは一時的に教会預かりとなった。
力との折り合いの付け方や浄化対象者の選別、リスト作りと、目まぐるしい日々の中でわたくしは聖女としての責務を少しずつ日常に落とし込んでいった。
教会の人々とも関わり始め、大半の人間は、わたくしを公爵夫人とも、本来の使命のことも知らない。
親しくする友は作れないが、今までにない他者との交流で、得られたモノも多くあった。
久しぶりに公爵邸に戻ったのは木々が色づき始めた秋の午後だった。
玄関をくぐると、ユーリウスが立っていた。
約束通り彼はわたくしを待っていてくれたのだ。
微かな安堵の表情に、わたくしは胸がいっぱいになった。
「…ただいま帰りました」
「お帰り」
互いにぎこちなく笑顔を作り合う。
わたくしたちには、積み重なった誤解と傷を癒やし、新しい関係を築いていくための時間が必要だけれど、急ぐ必要はないのだ。
ユーリウスがそっとわたくしに手を差し伸べる。
その手を取ると彼の指がわたくしの指に絡まった。
冷たかった手は今、確かな温もりを持っている。
「君に渡したいものがある」
手を引かれながら屋敷の中に入る。
かつては陰湿な視線に満ちていた屋敷内が、今は静かで清々しい空気に包まれている。
使用人たちの顔触れは一新していた。
浄化しなかった人もいたのだけれど、皆姿を消していた。
その代わりにここにいるのはユーリウスが自ら選び抜いた者たちだけだという。
敵意ある表情を浮かべたり悪意のある陰口を叩くものもいない。
彼らはただ黙々と自分の仕事を熟している。
「折を見て紹介しよう」
わたくしは頷きながら彼の横顔を見上げた。
彼もまた変わったのだろうか。
それともずっとこういう人だったのだろうか。
どちらでも構わなかった。
どちらもユーリウスなのだから。
わたくしたちの歪んでしまった時間を埋めることはできないけれど、これからの時間を大切にしたいと強く願う。
ユーリウスはわたくしを自室へと案内した。
かつては決して入ることを許されなかったその部屋は思っていたよりも簡素で、けれど彼の匂いに満ちていた。
壁際に並ぶ本棚には無数の書物が所狭しと並び、机の上には読みかけの羊皮紙やインク壺が置いてある。
「これを」
ユーリウスは机の前に立つと、一番下の引き出しに手をかけた。
古びた取っ手を引くと木の擦れる微かな音がして、引き出しが開く。
中から現れたのは小さな木箱だった。
手のひらに収まるほどの大きさで、表面には繊細な彫刻が施されている。
蔦と花が絡み合う模様は教会の庭に咲いていた花にどこか似ていた。
彼はその木箱をそっと取り出すと、わたくしの前に差し出した。
「開けてみてくれ」
蓋を持ち上げる。
中から現れたのは、銀の指輪だった。
中心には小さな青い宝石が嵌め込まれ、その周りを細かな細工が取り巻いている。
決して豪華ではないけれど一目で心を奪われるような美しさがあった。
「髪飾り、気に入っていただろう?その代わりと言ってはおかしいだろうか。結婚指輪はつけてもらえないようだから、普段使いしやすいものにしたつもりだ」
ユーリウスは少しだけ気まずそうにわたくしの指先を見つめている。
そこには、彼がかつて贈った豪奢な婚約指輪も結婚指輪もなかった。
わたくしはあの冷え切った式の後すぐに外してしまい、以来ずっと宝石箱の奥にしまい込んだままだったからだ。
彼はわたくしが指輪をしていないことに、ずっと気づいていたのだろう。
わたくしはそっと指輪を薬指に通してみた。
サイズはぴったりで、青い宝石が控えめに輝く。
ユーリウスはわざとらしく咳込み、ほんのりと頬を染めた。
「その…私がつけても?」
わたくしは目を瞬かせ、指輪を外した。
彼は戸惑いながらも、恭しく、まるでガラス細工に触れているように、わたくしの左手を取る。
ユーリウスは慎重な手つきで、そっと薬指に銀の指輪を通した。
青い宝石が陽射しを受けて星のように煌めく。
「ありがとう、ユーリウス」
わたくしが微笑むと、彼はほっとしたように息を吐き、それから照れくさそうに視線をそらした。
わたくしはそのまま右手の手のひらを差し出す。
不思議そうにするユーリウスに言い返す。
「もう一つあるのではなくて?次はわたくしがあなたに指輪をつけてもいいかしら」
ユーリウスの目が大きく見開かれる。
彼はしばらく固まっていたが、やがておずおずともう一つの指輪を取り出した。
それはわたくしのものと同じ青い宝石が嵌められた銀の指輪だった。
「気づいていたのか」
「あなたが箱から何かを取り出す時、見えたから」
わたくしは彼の左手を取り、薬指に指輪を通した。
その指輪はまるでずっとそこにあったかのようにしっくりと馴染んだ。
二人の指輪が並ぶのを見ているとまるで寄り添っているように思えた。
「美しい空の色ね」
窓から差し込む太陽の光を浴びて、青い宝石は煌めき輝く。
わたくしは、世界の美しさを知ってしまった自分に気づく。
かつて孤独だった頃には見えなかった色が、今ははっきりと見える。
人々の擦り切れた魂を浄化する日々の中で、彼らの魂にも地上の色とりどりな美しさや記憶が少しでも刻まれればいいと思い始めている。
わたくしはユーリウスを見つめながら静かに微笑んだ。
彼がくれたこの青は空と海をつなぐ色だ。
そして【母】の御元で休み、魂を修復したら今度は自分の意思で人類は地上に戻ってくればいいのだ。
子どもの自立を喜ばない親などいないのだから。
これからは、海と地上でわたくしたちの命は巡り続ける。
指輪を通して、わたくしたち二人の運命もまたこの美しい循環の中に溶け込んでいる。
過去の歪みも苦しみもすべては今この瞬間につながっている。
これから先何度挫折してもわたくしたちはきっとまた立ち上がるだろう。
「ありがとう、ユーリウス」




