13 . 御伽噺
《 全ては、紅い海から始まる。
世界は、紅海であった。
母なる紅海は、様々なものを作り出し、生み出し、生物は海に揺蕩っていた。
しかし、あまりにも多くの生物が生まれたため、いくつかの生物は海から押し出されてしまった。
押し出された生き物たちは、海に還ろうとしたが、地上の匂いのついた生き物を、母は子だと認識できず、拒絶されてしまう。
母なる海に還ること、母の愛を得ること、それが地上の生き物の永年の夢である。
地上に母の加護はなく、いるのは母の子供ではない。
母を持たない生き物、それが魔物である。
魔物が地上を覆い、生物たちを蹂躙する。
魔人はその時に現れた。
一説によると、それは魔物と蹂躙された生き物との間に生まれてしまった不幸だという。
魔人は魔物にはない知能を持った。
そして、魔物たちを統率しながら、生き物を根絶やしにしようとした。
地上は魔物たちの王国だったから、彼らにとってみれば、我々が侵略者であった。
だけれど、知能を持った魔人の中に、愛を解す者が現れた。
彼女は母の愛を知り、夫への愛を知り、子を愛した。
家族を守るため、魔物を退け、同族の魔人すら打ち倒した彼女を、我々はこう呼んだ。
【聖女】と 》
「まあ、聖女様が魔人だったなんて知りませんでしたわ」
「これは我々の間でも限られた人間のみが知り得る情報でして…失礼ですが、アスタルト様は聖女信仰について、ひいては聖女様についてどれほどの知識をお持ちですかな?」
「わたくし、子どもの頃は母と、侯爵家の教会裏の小屋で過ごしておりましたが、教会には一度も足を踏み入れたことはございません。それに母は聖女様の話を厭っておりました」
そう告げれば、本来であればそんな人間がいるのかと驚かれ、不信心を説教されるだろうが、サミュエル司祭は訳知り顔で頷くだけだった。
そして同情と、何の感情だろうか、憐れみと、贖罪?
サミュエル司祭は苦虫をかみつぶしたような顔で告げる。
「…貴方がたの事情は同じ教会の人間として、本当に申し訳ないと思っています。貴方の血族に対する仕打ちは我々教会の汚点であると私は考えております。だからこそ、貴方を救いたいというユーリウス閣下に賛同しました」
「わたくしの血族とは、聖女様に連なる血のことですか?」
聖女の血を引く者なら、自称も含めずとも、膨大な人数になるだろう。
特にこの国は聖女様が生涯を家族と共に過ごし、その子孫が王族となっている。
なので、わたくしの母方の血も父方の血も、どちらにも少量でも聖女様の血筋と言えるのだ。
「ええ、貴方がたの血族が受け継いだ【聖女様の祝福】の血です」
「なるほど、貴方がたはこれを祝福と仰るのね。わたくしたちは【呪い】と呼んだわ」
知識などなくても力は使えた。
わたくしに流れる血が、力の使い方を教えてくれたから。
そして、母はいずれ目覚めるだろうわたくしの血の力を喜んでいたのだ。
母は言った。
『呪いは愛の力で目覚め、強くなる』
「貴方がたが本当の聖女様なのです。それを知っていながら、教会の上層部と王家の者たちは、貴方がたを搾取し続けた。聖女様の肩書きすら奪い、自由も愛も全てを奪った」
人類にとって聖女は希望であり、愛を知り得た聖女は守るために力を使った。
しかし、何代目の聖女だったろう。
愛を知った聖女が愛を失った。
その怒りが、国を滅ぼし、大陸を割り、多くの悲劇を生み出した。
そして何人かの聖女が歴史の流れで、災厄を生み出す。
人類はいつしか、それを【魔女】と呼んだ。
「聖女様の血を根絶やしにすることはできません。聖女様の血が魔物を退けるからです。実際、聖女様が存在するだけで魔物が一定の範囲から近づいてこなくなります。ですから国の、ひいては世界のためにも、聖女様を排除することはできない。ですが、教会は魔女を作り出さないために研究を重ねました。そして、聖女様の力の発現の共通項を見つけ出したのです」
血の祝福がなくても、魔物を退けることができるのであれば、目覚めない聖女が人類にとって都合が良かった。
教会はとりわけ聖女様の祝福が発現する血族を、生かさず殺さず閉じ込めた。
愛が発現しないように、俗人との関わりを絶たせた。
ではなぜわたくしは生まれてきたのか。
母と侯爵家の父との間に愛はなかったのか。
母は聖女の血を発現しなかった。
憎しみでは、祝福が発現しない。
わたくしは思い出していた。
母が侯爵家ではなく、教会に呼び出された後はいつも、わたくしを泣きながら打った。
そして、絶対にわたくしを教会に連れて行かなかった。
そのことで侯爵家の方から苦言を呈されても頑なに連れていかない母をわたくしは不思議に思っていた。
本来であれば、わたくしも母のようになるはずだった。
「今期もそうなるはずだったのです。それをお止めしたのがユーリウス閣下でした。ユーリウス閣下は公爵家に戻されるまでは、教会で過ごしておりましたから、私やユーリウス閣下に賛同する司祭たちの協力を仰ぐために説得を重ねました。本人は大司教を目指せるほどの優秀な人材で、上層部の体制を変えるつもりでしたが、その前に公爵家に引き取られてしまいました。ご長男が亡くなられたために」
ユーリウス閣下の過去の話など聞いたことがなかった。
わたくしはその事実に動揺し、動揺したことに戸惑った。
この白い結婚には愛などなかったはずだった。
どうして、と先程から頭の中で騒ぐわたくしがいる。
「それからユーリウス閣下がどういう行動を取られたのかは詳しくは聞いておりません。ですが彼は全ての根回しを済ませ、あなたと結婚した」
「マルゴット様は監視役だったと仰ってましたね」
「彼女だけではありません。貴方がたの生活は常に権力者たちから見張られていたと言わざるを得ません。聖女様に愛を発現させないように、何人もの監視役が屋敷に常駐していました」
「別の鳥籠に移し替えたの間違えではありませんか」
「いいえ、ユーリウス閣下は貴方様を確かに守りたかったのだと愚考します。ユーリウス閣下のお気持ちは、閣下にしか分かりませんが」
愛を告げることができなくても。
その身を抱きしめることができなくても。
誰かの悪意で汚されることから、貴方様を守りたかったのでしょう。
感傷じみた司祭の台詞に空笑いが出る。
わたくしは、知りたくなかった。
わたくし一人が被害者で、泣いて暮らしている可哀想な主人公であって欲しかった。
ユーリウス閣下は誰にも苦しめられず、自身の心の赴くままに過ごしている勝手な人でよかったのに。
「ですがあなたは力を覚醒させてしまった。…それがユーリウス閣下によるものではないと聞いております」
なるほど、彼も勘違いしている。
今度はユーリウス閣下へ同情している忙しい司祭を横目に、わたくしはユーリウス閣下の発言を思い出していた。
異様にテセウス様を気にされ、終いにはテセウス様がわたくしの血を目覚めさせたのだとも言っていたわ。
笑ってしまう。
聖女の血を引く者の愛は一途なのだ。
愛を見つけると、その人だけと血が定めてしまうから。
母は何度も繰り返し、休みなく毎日わたくしに暗示をかけた。
認識を変えるように。
母への愛へと形を変えるように、親愛を形作るペンダントを必ず身につけるようにと忠告した。
対抗手段を持たない、幼いわたくしが血に目覚めたと知られたら、どうなるかわからなかったから。
「お聞かせください。あなた様を目覚めさせたのは誰ですかな」




