12 . 無知を嗤う
「…ざいにならんか」
「…うしゃくともあろうお方が愚かな」
「女一人のために全てを投げ打つとは戯曲めいたことを。まだまだ若造ということですな」
「しかしたかが女とはいえ、あの女は…」
「それ以上、あのお方を特定の性別で蔑称するようでしたら、こちらとしても考えがございますが」
「まあまあ落ち着いて…」
夢見心地にわたくしが目を覚ますと、ベッドの脇に知らない老爺が座っていた。
聖職者の格好をして、老眼鏡をかけ、使い古された本を読んでいる。
「目が覚めましたか」
「ここは?」
人の良さそうな顔で微笑む老爺は本を閉じ、レンズ越しに慈愛に満ちた眼差しを向けてくる。
「司祭館の客間です。心配いりませんよ、アスタルト様。貴方は神の御許にあるのですから」
わたくしは心許なくて毛布を引き寄せる。
体の痛みはないのは、ユーリウス閣下が庇ってくれたから…。
わたくしは周囲を見渡す。
「…ユーリウス閣下は何処ですか?」
「公爵閣下は別室にて静養しております」
「一体どうしてここにいるのでしょうか」
「詳しい話は食事を済ませてからにしましょう。お腹が空いては頭が働きませからね。私はサミュエルと申します。サミュエルと気軽に呼んでください」
「司祭様」
サミュエルという名の司祭が朝食を運んでくる。
パンと卵に野菜スープ。
質素だが丁寧に作られた朝食だわ。
湯気が立つスープをすすりながら考える。
なぜ自分はここにいるのか。
なぜユーリウスは現れないのか。
彼は本当に無事なのか。
サミュエルという名の司祭は、わたくしが食事を終えるのを見届けると、ゆっくりと椅子を引き寄せ、再び慈愛に満ちた笑みを浮かた。
しかしその瞳の奥の感情は読めない。
「さて、アスタルト様。まずお尋ねいたしますが、昨夜の出来事について、どこまで覚えていらっしゃいますかな?」
「赤い光と、ユーリウス様、そして誰かの声がしました…ですが、急に意識が途絶えたのでそれ以上は」
サミュエル司祭は一度頷き、小さくため息をつきました。
「なるほど。しかし、どこからお話したものか。もちろん、全てお話させていただきますが、物事を理解するには、話の順番が大事ですからな」
「ユーリウス閣下は? あの後、彼はどうなったのです?」
最も気がかりなことを問い詰める。
サミュエル司祭は苦笑し、
「公爵閣下は軽い怪我の治療の後は、話し合いを重ねているため、終わり次第、顔を出されるはずです」
「無事なのですね」
「ええ、元気すぎるほどです。彼はあなたを取り戻すためなら、何でもいたしましょう。それにしても、さすがに昨日は全て投げ売って逃亡するとは考えもしませんでしたがね」
「どうして逃げる必要があったのかしら?」
権力、金、美貌まで揃っているユーリウス閣下に手に入らないものなどない。
それこそ、安全さえも。
彼には公爵家の騎士団がある。
陛下からの覚えも良く、幼いころから王家との仲もよいと聞く。
その閣下がなぜ逃げる必要があったのか。
「全てから」
「全て?」
「あなたが考えているほど、彼には自由など許されていないのですよ。彼があなたと結婚するための努力や犠牲は…いえ、それでも、あなたを選んだ」
愛ですな、と笑うサミュエル司祭の顔には慈愛が含まれていた。
「彼はあなたを、人類から守るために逃げようとした。賢い子ですから、もちろん捕まると分かっていたでしょう。それでも、彼は彼の愛を貫くために、あなたを逃がそうとした」
愛?
わたくしは冗談だと笑おうとして、顔が引きつった。
「ですが彼にはマルゴット様が」
「彼女は監視役なのです」
サミュエル司祭は笑う。
慈悲深く、何も知らない無知なわたくしを憐れむように、ただ、笑った。
「さあ、真実を知る時です。全てをお話しましょう」




