第89話 役割
魔王城、作戦室。
石壁に囲まれた空間は、外界と切り離されている。
音はない。
ただ、机の上に広げられた地図だけが、戦場を映していた。
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四つの影。
そして、その前に――
リアナが立っている。
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バルグが口を開いた。
低く、腹の底に響く声。
「始める」
無駄はない。
それだけで空気が締まる。
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指が地図の上をなぞる。
「ガルド」
「陽動だ」
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ガルドがニヤリと笑う。
「おう」
「派手に暴れりゃいいんだろ?」
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バルグは短く頷く。
「そうだ」
「目立て」
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次に指が動く。
「セレナ」
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セレナは腕を組んだまま、静かに頷いた。
「分断ね」
「了解したわ」
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「ヴァルツ」
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「はい」
柔らかな声。
だがその奥に、冷たい知性がある。
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「攪乱と誘導を担当いたします」
「敵の認識を歪め、意図した配置へ導きましょう」
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バルグは頷く。
そして。
止まる。
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視線が、リアナへと向けられる。
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「……リアナ」
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一瞬だけ、空気が変わった。
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リアナは背筋を伸ばす。
「はいッス!」
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バルグは、ゆっくりと言葉を置いた。
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「お前の相手は」
「勇者と聖女」
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リアナの目が、わずかに細くなる。
だが、すぐに笑みを浮かべた。
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「……やりがいあるッスね」
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バルグは続ける。
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「役割は一つだ」
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一拍。
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「合流させるな」
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静寂。
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その一言は、あまりにも簡潔で。
あまりにも重かった。
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「――それだけでいい」
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リアナは、すぐに頷いた。
迷いはない。
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「了解ッス!」
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即答。
その速さに。
セレナがわずかに目を細めた。
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「リアナ」
静かに呼ぶ。
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「決して無理をしてはいけないわ」
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その声は冷静だが、柔らかい。
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「貴方の役割は“勝つこと”ではない」
「時間を稼ぐことよ」
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リアナは笑った。
軽く肩を回す。
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「分かってるッスよ」
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拳を握る。
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「自分の役割くらい、ちゃんと理解してるッス!」
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その明るさに。
ガルドが大きく笑う。
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「ガハハ!」
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「お師匠様たちはよォ!」
「お前が心配で仕方ねぇんだよ!」
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リアナがむっとする。
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「子供扱いしないでほしいッス!」
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そのやり取りを見て、ヴァルツが口を開いた。
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「ガルド」
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穏やかな声。
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「からかうのはその辺りに」
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一拍。
わずかに目を細める。
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「……とはいえ」
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視線をリアナへ。
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「貴方も同じ気持ちでしょう?」
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ガルドが鼻を鳴らす。
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「……チッ」
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否定しない。
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ヴァルツは、ゆっくりとリアナに向き直る。
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「リアナ」
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丁寧に。
だが、逃がさない声。
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「貴方が倒れれば、この作戦は崩れます」
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空気が、わずかに重くなる。
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「ですから――」
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「決して、無理はなさらないように」
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リアナの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた。
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だが、すぐに。
いつもの笑顔に戻る。
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「大丈夫ッス!」
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胸を叩く。
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「ちゃんと帰ってくるッスよ!」
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その言葉に。
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誰も、すぐには答えなかった。
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沈黙。
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セレナは目を伏せる。
ガルドは腕を組む。
ヴァルツは微笑みを崩さない。
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そして。
バルグだけが。
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短く言った。
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「……生きろ」
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それは命令ではない。
願いでもない。
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ただの事実だった。
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リアナは、少しだけ目を見開き。
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力強く頷いた。
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「はいッス!」
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その声は明るい。
迷いはない。
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だが――
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この場にいる全員が理解していた。
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その役目が。
決して軽くないことを。
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やがて、リアナは踵を返す。
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扉へ向かう。
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開く。
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一瞬だけ振り返り。
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「任せてくださいッス!」
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笑う。
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そして――
消えた。
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扉が閉まる。
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静寂。
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しばらく、誰も口を開かなかった。
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やがて。
ヴァルツが、静かに言う。
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「……あの子は」
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「止まりませんね」
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セレナが小さく息を吐く。
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「ええ」
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「分かっていても、前に出る子よ」
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ガルドがぼそりと呟く。
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「だから任せたんだろ」
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バルグは、何も言わない。
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ただ。
地図を見つめる。
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長い沈黙の後。
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低く、言った。
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「……問題はない」
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一拍。
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「――今のところはな」
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その言葉は。
誰にも聞かせるためのものではなかった。
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だが。
その場の全員が理解していた。
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この戦いが。
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簡単に終わるものではないことを。
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風は届かない。
だが、確かに。
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