第7節:土地の診断
濾過装置の周りは、さながら祭りのような騒ぎになった。
領民たちは交代で装置の前に立ち、滴り落ちる清らかな水を、何年も忘れていた宝物のように、手のひらに受けては、少しずつ、味わうように飲んでいた。
「うめえ……ただの水が、こんなにうめえなんて……」
「母ちゃん、やったよ……もうあの濁った水を飲まなくていいんだ……」
涙を流す者、笑い転げる者、そして、すぐに二台目、三台目の濾過装置を作ろうと、意気揚々と材料集めに走り出す者たち。集落は、俺が来てからわずか一日で、信じられないほどの活気を取り戻していた。
アリアも、友人たちと一緒にはしゃぎながら、濾過したての水を飲んでいる。その笑顔は、この荒涼とした土地には不釣り合いなほど、明るく輝いていた。
(よし、第一段階はクリアだ)
教師として、これ以上の手応えはない。知は力だ。そして、それは誰かに与えられるだけでなく、誰もが自ら学び、実践できる力なのだ。それを証明できた。
俺が安堵の息をつき、次の計画について考え始めた、その時だった。
歓喜の輪から少し離れた場所で、あの長老が、俺のそばにやってきた。
「領主様……ありがとうございます。これで、水は……」
「ああ。だが、問題はまだ残っている」
俺は、長老の視線の先――広大な、しかし不毛な畑地へと目を向けた。
「長老は言ったな。『かつては豊かな土地だった』と。そして、『土地が病気になった』と」
俺の言葉に、領民たちは、歓喜の表情を収め、真剣な顔で俺を見た。そうだ、水だけでは生きられない。
「領主様、その……土地の病も、治せるのですか?」
アリアが、不安と期待が入り混じった声で尋ねる。
俺は、集まった領民たちに向き直った。
「水は解決できた。次は、この土地が、なぜ『病気』になったのか……その診断を始めよう」
俺は、畑の真ん中までゆっくりと歩いていく。領民たちも、固唾を呑んで俺の後に続いた。
俺は、枯れた作物の残骸が転がる、白く乾いた土の前にしゃがみ込んだ。そして、その土をひと掴み、手に取る。
(見た目は、ただの土だ。だが、何かが決定的に違う……)
俺は、再び意識を集中させた。
「【観察者の眼】」
視界が、青白い情報で満たされる。土の粒子が、化学式と数値の羅列へと分解されていく。
《対象:グレイウォール耕作地(区画A-3)》
《土壌組成:砂質75%、粘土10%、腐植土15%》
《pH:8.9(強アルカリ性)》
《栄養素(欠乏):
S・窒素(N):検出限界以下
S・リン酸(P):検出限界以下
S・カリウム(K):微量
》
《問題点:強度の塩類集積。長年の連作による特定の栄養素の枯渇。土壌のアルカリ化が進行し、残存する微量な栄養素すら植物が吸収できない状態(養分ロック)。》
「……なるほどな」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
水問題が「汚染」なら、こっちは「栄養失調」と「体質異常」だ。
しかも、ただの栄養失調じゃない。育て続けた作物が、土の中の特定の栄養素――特に窒素とリン酸――を、文字通り「食い尽くして」しまったんだ。そして、残った土はバランスを崩し、アルカリ性に傾いて、カチカチに固まってしまった。
俺は、絶望的なデータを睨みつけながら、不敵に笑った。
領民たちが、俺の次の言葉を待っている。
「診断結果が出た」
俺は、手の中の土をパン、と払った。
「この土地は、病気だ。病名は……『極度の栄養失調』と、それに伴う『消化不良』だ」
「えいようしっちょう……?」
「そうだ。俺たちも、同じものばかり食べていたら病気になるだろ? この土地も同じだ。同じ作物ばかりに『ごはん』をあげ続けたせいで、土の中の栄養がスッカラカンになって、体質まで変わっちまった」
俺は、集まった領民たちの顔を、一人一人、ゆっくりと見回した。
「だが、朗報だ。病名がわかったということは……必ず、治せるということだ」
俺は、最初の生徒――アリアに向かって言った。
「アリア。明日から、新しい授業を始めるぞ。次の科目は、『生物』と『化学』だ。この病気の土地に、最高の『処方箋』と、世界で一番うまい『ごはん』を作ってやる授業だ」
俺の異世界での「理科」は、まだ始まったばかりだった。




