第4節:科学 vs 教義
全ての準備が整った時、グレイウォールの広場は、異様な熱気に包まれていた。
中央には、俺と、アリアたち科学教室の生徒が運び込んだ、様々な「ガラクタ」が並んでいる。大きな甕、樽に入った二種類の土、濁りきった泥水、砂利、木炭、紫色の花、酸っぱい果実、砂鉄、紙……。
それを取り囲むように、三つの集団が対峙していた。
不安と期待の入り混じった目で見守る、グレイウォールの領民たち。
この茶番劇を冷ややかに、あるいは侮蔑的に見つめる、アードラー辺境伯の兵士たち。
そして、神の代理人として、俺の一挙手一投足に「異端」の証拠を見出そうと目を光らせる、ヴァレリウスと神官の一団。
「……さて、審問官殿。準備は整った」
俺は、あえて観客である彼らに向かって、授業を始める教師のように、明瞭な声で語りかけた。
「第一の実験。『呪われた水』の浄化だ」
俺は、セーラお婆さんが運んできた、粘土が溶け込んだように白く濁る泥水を、甕から高々と掲げてみせた。
「これが、かつて領民たちを苦しめていた『呪われた水』だ。あなたたちは、これを神の罰だと呼んだ。だが、俺は、これをただの『ひどく汚れた泥水』と呼ぶ」
俺は、アリアに手伝わせながら、持ってきた材料を説明していく。
「これは、川原の小石。これは、砂。これは、ボルツさんが砕いた木炭。これは、使い古しの布。どこにでもある、ただの『物』だ。神聖な力も、悪魔の力も宿ってはいない」
俺は、領民たちが最初の授業で学んだのと同じ手順で、甕を重ねた濾過装置を、あえてゆっくりと、彼らの目の前で組み立てていった。
「一番下に、布。その上に、細かい砂の層。次に、小石の層。そして、一番上に、炭と粗い砂利の層……」
俺が手順を説明するたび、アリアや科学教室の生徒たちが「はい!」と元気よく頷き、作業を進める。彼らの動きには、恐怖も迷いもない。自分たちが学んだ「真実」を、今こそ示すのだという誇りに満ちていた。
「さあ、いくぞ」
俺は、あの濁りきった泥水を、装置の一番上の甕に、躊躇なく注ぎ込んだ。
ゴボゴボと音を立てて吸い込まれていく濁流。
広場は、水を打ったように静まり返った。誰もが、装置の最下段に置かれた、空の受け皿を凝視している。
やがて、一番上の甕を通過した水が、二段目の甕に滴り落ちる。まだ濁っている。
二段目の甕を通過し、三段目の甕へ。濁りが、薄くなってきた。
そして、最後の層を通過した液体が、最終段の布を抜け、受け皿へと滴り始めた。
ポタリ……、ポタリ……。
その雫は、陽の光を受けて、宝石のように輝いていた。
そこには、濁りのかけらもなかった。それは、山の湧き水のように、どこまでも澄み切った、「透明な水」だった。
「おお……!」
「水だ! あの呪われた水が……!」
領民たちから、抑えきれない歓声が上がる。
「……見事な手品だ」
その歓声を切り裂いたのは、ヴァレリウスの冷たい声だった。
「だが、審問官ヴァレリウス。それは神の御業である『浄化』を、汚れた炭や泥で模倣する、冒涜的な行為に他ならない。貴殿が『原理』と呼ぶものは、悪魔から授かった偽りの知識であろう」
やはり、そうきたか。
俺は、ヴァレリウスの言葉を待っていたかのように、ニヤリと笑った。
「ならば、神官様」
俺は、アリアたちに目配せし、用意させていたもう一組の「材料」――同じ甕、同じ砂、同じ炭、同じ布――を、ヴァレリウスの目の前に差し出した。
「あなたも、やってみてください」
「……何?」
ヴァレリウスの整った顔が、初めて明確に、困惑に歪んだ。
「これは手品ではない。『手順』だと言ったはずだ。神に祈る必要も、悪魔に魂を売る必要もない。この『手順』さえ正確に守れば、そこに神がいようがいまいが、水は必ず、綺麗になる。さあ、どうぞ。神の代理人たるあなたの手で、この『理』が間違っていると証明してくれ」
ヴァレリウスは、目の前に積まれたガラクタを、憎々しげに睨みつけたまま、動けない。彼がこれに手を出せば、神官の身で「冒涜的な行為」に手を染めることになる。拒否すれば、俺の言う「誰にでもできる」という証明を、自ら認めることになる。
彼は、完璧なジレンマに陥ったのだ。
俺は、動けない彼に構うことなく、第二の実験に移った。
「次は、土地の『治療』だ!」
ロイドが運んできた二つの樽を、広場の中心に置く。痩せた白い土と、実験区画の黒い土だ。
「こちらの土は、何も育たなくなった『痩せた土地』。長老たちは、これを神に見放された土地だと言った。だが、俺の診断は違う。これは、ただ『栄養失調』で、『体質がアルカリ性に傾いた』だけだ」
俺は、セーラが持ってきた紫色の花をすり潰し、水に溶いた『指示薬』を、その白い土に垂らしてみせた。指示薬は、じわりと、不吉な青色に変わった。
「見ろ、アルカリ性だ。これでは、作物は栄養を吸えない。だから……」
俺は、森から運んできた「腐葉土」を、その樽に混ぜ込んだ。
「酸性の腐葉土で、『中和』する。ただ、それだけだ」
再び指示薬を垂らす。すると、今度は青色に変わらず、土の色がわずかに緑がかっただけだった。
「中和された証拠だ。これに、糞尿で作った『堆肥』という栄養を与えれば、土地は必ず蘇る。こちらの、実験区画の黒い土が、それを証明している」
俺は、実験区画の黒い土にも指示薬を垂らし、それが美しい中性を示す緑色になるのを、全員に見せつけた。
俺は、ヴァレリウスに向き直った。
「審問官殿。これも、悪魔の業か? それとも、神の奇跡か? 違うだろう。これは、ただの『化学反応』だ。酸性のものとアルカリ性のものを混ぜれば、中和される。ただの『理』だ」
俺は、彼が答えに窮しているのを知りながら、あえて最後の問いを投げかけた。
「さあ、どうする、審問官殿。これでも、俺を『異端』として裁けるか? この、誰の目にも明らかな『真実』を前にして」
ヴァレリウスは、唇を噛みしめていた。彼の周囲にいた神官たちは、明らかに動揺し、目の前で起きた「再現可能な奇跡」と、自分たちの信じる「教義」との間で、激しく揺れ動いていた。
俺の科学は、神殿の権威を、その足元から、確実に切り崩し始めていた。




