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『召喚された俺のスキルは【理科】でした~辺境で始める科学文明再生記~』  作者: とびぃ


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第6章:真理の探求 第1節:審問官ヴァレリウス

地平線を埋め尽くすほどの威圧感を持って迫っていた、アードラー辺境伯の軍勢。その黒い鉄の波が、まるで舞台装置のように左右に割れた。重装歩兵の壁が開き、騎馬隊が恭しく道を開ける。その中央から現れたのは、戦場の殺伐とした空気とはあまりにも不釣り合いな、純白の一団だった。

彼らが掲げるのは、赤地に黒鷲の紋章ではない。金糸で緻密に刺繍された、「剣と天秤」の紋章。このシルヴァーナ王国、いや、おそらくはこの大陸全土において、王権すらも上回る絶対的な権威の象徴――中央神殿の旗印だった。

「神殿……だと?」

俺の隣で、トレビュシェットの射角を計算していたボルツが、唸るような声を漏らした。土塁の上にいた領民たちの間にも、辺境伯の軍勢を前にした時とは質の違う、もっと根源的で、冷たい恐怖が走ったのがわかった。辺境伯の「暴力」は、俺たちが作り上げた『科学の砦』で、物理的に対抗できるかもしれない。だが、神殿の「権威」は、俺たちの心の最も深い部分に根ざした「常識」そのものを武器にする。

アードラー辺境伯による剥き出しの恫喝が、神殿という絶対者の登場によって、強制的に中断させられた。だが、それは決して、俺たちにとっての救いの手などではなかった。むしろ、物理的な力よりも厄介で、より根源的な「敵」が、ついにその姿を現したことを意味していた。

やがて、荘厳な装飾が施された馬車が、俺たちの堀の手前で静かに停止した。護衛の神官たちが、一糸乱れぬ動きで馬車の扉を開ける。

そこから、一人の人物が、静かに降り立った。

その瞬間、俺は息を呑んだ。戦場の喧騒も、領民たちの不安げな囁きも、全てが遠のくような、圧倒的な存在感だった。

年の頃は、俺と同じ二十代半ばか、少し上か。戦場の埃などとは無縁そうな、完璧な純白のローブを身に纏っている。長く伸ばされた髪は、銀に近い、美しい白金色。まるで月光をそのまま紡いだかのようだ。中性的なまでに整った顔立ちは、この世のどんな感情も映さない、磨き上げられた氷の彫像のようだった。

だが、その瞳。

その氷のような双眸だけが、鋭い知性の光を宿し、俺たち――いや、俺がこのグレイウォールで作り上げてきたもの全てを、値踏みするように、冷徹に見据えていた。

その視線が、まず堀の深さを測り、土塁の高さをなぞり、そして、丘の上にそびえ立つ俺たちの切り札、トレビュシェットの異様な姿を捉えた時、まるで肌を針で刺されるような、鋭いプレッシャーを感じた。

(……こいつ、ヤバいな)

辺境伯のような、感情的な脅威ではない。冷徹な知性。論理と、そして何よりも「神の権威」という最強の盾と矛で武装した、思想の戦士だ。

白金の髪の人物は、俺たちの前にゆっくりと進み出ると、鈴が鳴るような、しかし一切の体温を感じさせない声で、広場全体に響き渡るように言った。

「――私が、中央神殿より派遣された、審問官のヴァレリウスだ」

審問官。

その言葉の持つ、不吉な響き。異端者を裁き、神罰を与える、神殿の最も恐れられる役職。その言葉が、アリアやロイドたち、この世界の常識に生きる者たちに、どれほどの重圧を与えるか。俺の隣で、アリアが息を呑み、小刻みに震えだしたのがわかった。

ヴァレリウスは、俺の返事を待つでもなく、淡々と続けた。

「貴殿が、この地の領主、サガラ・サトシ殿ですかな? 辺境の地に、にわかには信じがたい『奇跡』を起こしていると、噂はかねがね」

その声は美しいが、俺のスキル【観察者の眼】が、音波の振動以上の情報を何も読み取れないかのように、無機質だった。

「アードラー辺境伯は、貴殿のその力を『異端の業』だと断じ、神殿に討伐の許可を求めてこられた。だが、我ら神殿は、一方的な断罪は行わない。まずは、自らの目で、その奇跡の真偽を確かめる。そのために、私はここへ来た」

ヴァレリウスは、俺の後方に控える辺境伯の軍勢を一瞥した。辺境伯本人こそ姿を見せないものの、騎士団長らしき男が、忌々しげに顔を歪めているのが見える。彼らにとっても、神殿の介入は計算外だったのかもしれない。あるいは、自分たちの略奪行為を正当化するために、神殿を呼び寄せたのか。どちらにせよ、事態は最悪の方向へ複雑化していた。

ヴァレリウスは、再び俺に視線を戻した。その氷の瞳が、俺の心の奥底を、まるで解剖でもするかのように、探ってくる。

「領主殿。貴殿の起こしたという奇跡……水の浄化、土地の再生、鋼の製法、病の克服。それらが、本当に神の御心に適うものなのか、それとも、人の心を惑わす、悪魔の囁きによるものなのか」

彼の言葉一つ一つが、明確な「問い」だった。俺の答え次第で、この場で「異端」の烙印を押されかねない、危険な綱渡りだ。

「それを、これから、このヴァレリウスが、神の名において、審問させてもらう」

張り詰めた沈黙が、戦場になるはずだった広場を支配する。辺境伯の兵士たちも、この神聖な儀式を前にしては、ただ黙って成り行きを見守るしかなかった。彼らとて、神殿の権威には逆らえないのだ。

俺は、震えるアリアの手を気取られないようにそっと握り、彼女を自分の背後にかばうように半身ずらしながら、この美しき審問官と対峙した。ここで俺が怯めば、村の士気は一気に崩壊する。

「……ようこそ、審問官殿。グレイウォールへ」

できるだけ平静を装い、教師が生徒に語り掛けるような、落ち着いた声で俺は口火を切った。

「お望みとあらば、何でもお見せしよう。だが、一つ訂正させていただきたい。俺が行ったのは『奇跡』ではない。ただの『ことわり』に基づいた結果だ」

ことわり、ですか」

ヴァレリウスは、その整った眉を、ほんのわずかに動かした。初めて、彼の無表情に、興味という名の亀裂が入った。

「興味深い言葉だ。この世界における全ての『理』は、神が定め、神殿が説き明かすもの。それ以外の『理』が存在するとでも?」

「神が定めたかどうかは知らないが、この世界には、誰が祈ろうが祈るまいが、必ずそうなるという『法則』が存在する」と俺は返した。「水が高い所から低い所へ流れるように。火が物を燃やすように。俺は、その法則を見つけ出し、利用したに過ぎない」

「ほう。貴殿は、神の領域とされるその『法則』を、いかにして『見つけ出した』のですかな?」

ヴァレリウスの最初の質問が、鋭く突き刺さってきた。

「その知識は、どこで手に入れた? 神の啓示か? それとも、それ以外の……例えば、人ならざる者からの『囁き』か?」

きたか。核心を突く質問だ。俺が日本の高校教師だったなどと、この世界の常識で説明できるはずもない。

「知識は、学ぶものだ」と俺は答えた。「俺が元いた世界で、多くの先人たちが積み重ねてきた『学び』の結果だ。俺はそれを、ここで実践しているだけだ」

「『元いた世界』……」

ヴァレリウスの目が、すうっと細められた。

「やはり、貴殿は『勇者』として召喚された異分子。この世界の理の外側にいる存在、ということですか。ならば、なおさら、貴殿が持ち込んだその『学び』とやらが、神の秩序と相容れるものか、厳しく判断せねばなりますまい」

彼は、俺の答えを、即座に「異端」の枠組みへと押し込めてきた。論理のすり替えが恐ろしく早い。

「では、最初の審問だ、サガラ・サトシ。貴殿は、神の許しもなく、呪われた水を『浄化』したという。なぜ、神が罰として与えたもうた濁り水を、人の浅知恵で清めるという、傲慢な行いに出たのか?」

「それは呪いではない、ただの汚染だ」

「誰がそれを判断する? 神か? 貴殿か?」

「水が飲めずに苦しんでいた領民たちだ」

「彼らは、神の試練を受け入れていた。貴殿は、その敬虔な信仰を妨害したのではないか?」

問答が、まるで噛み合わない。俺が「科学」の土俵で話そうとしても、彼は即座に「神学」の土俵へ引きずり戻す。これが、権威との戦いか。

「次に、土地の『再生』。貴殿は、神が見放した不毛の地に、人の手で、強引に生命を芽吹かせたと聞く。それは、神の領域である『創造』への、明確な挑戦ではないか?」

「土地は死んでいたんじゃない、病気だったんだ。必要な栄養を与え、治療しただけだ」

「『治療』もまた、神官にのみ許された神聖な儀式。貴殿のような異邦人が、神の名も唱えず、土くれや糞尿をまぶす行為……それは、我々の目には、禁忌とされる『呪術』と何ら変わらないように映るが?」

ヴァレリウスの言葉が、周囲で見守る神官たちや辺境伯の兵士たちに、じわじわと浸透していく。「呪術」という言葉に、何人かが顔を青くして、俺から距離を取った。

俺は、この思想戦が、物理的な防衛戦よりも、遥かに困難で、厄介なものであることを、全身で痛感していた。この冷徹な審問官は、俺の「科学」という武器を、その最も根本的な部分から、腐らせようとしているのだ。

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