第6節:神殿の使者
辺境伯の軍勢が、ゆっくりと、しかし確実に、グレイウォールへと距離を詰めてくる。先頭の騎馬隊が、弓の射程圏内に入ろうかという、その時だった。
「――待て!」
敵軍の中から、一人の騎士が馬を走らせ、陣頭に立った。そして、高らかに声を張り上げた。
「我らは、アードラー辺境伯が軍! だが、我らに先立ち、この地の『奇跡』の真偽を確かめるべく、中央神殿より、尊き使者様がご到着なされた! 全軍、武器を収め、使者様をお通しせよ!」
その宣言に、俺たちは度肝を抜かれた。
「神殿……だと?」
ボルツが、訝しげに呟く。
やがて、辺境伯の軍勢が、モーゼの海割りように左右に分かれ、その後ろから、一つの荘厳な一団が姿を現した。
それは、軍隊ではなかった。純白のローブに身を包んだ、十数名の神官たち。彼らが警護するのは、きらびやかな装飾が施された、屋根付きの馬車だった。馬車の側面には、剣と天秤を組み合わせた、中央神殿の紋章が、金色に輝いている。
なぜ、このタイミングで、神殿が? 辺境伯は、俺たちを攻める口実として、神殿の権威を利用しようとしているのか?
様々な憶測が、俺の頭を駆け巡る。
やがて、馬車は俺たちの堀の手前で止まった。そして、馬車の扉がゆっくりと開かれ、中から一人の人物が、静かに降り立った。
その人物を見て、俺は息を呑んだ。
年の頃は、俺と同じくらいか、少し上か。銀に近い、美しい白金の髪を長く伸ばし、中性的な、彫刻のように整った顔立ちをしている。だが、その瞳は、氷のように冷たく、全てを見透かすような、鋭い知性の光を宿していた。彼が纏う純白のローブは、他の神官たちのものよりも、さらに上質で、金の刺繍が施されている。間違いなく、高位の神官だ。
彼は、俺たちが作り上げた土塁や堀、そして丘の上にそびえ立つトレビュシェットを、まるで品定めでもするかのように、ゆっくりと、しかし鋭い視線で一瞥した。そして、まっすぐに俺を見据えると、鈴が鳴るような、しかし感情のこもらない声で、こう言った。
「私が、中央神殿より派遣された、審問官のヴァレリウスだ」
審問官。その言葉の持つ、不吉な響き。異端者を裁き、神罰を与える、神殿の最も恐れられる役職だ。
「貴殿が、この地の領主、サガラ・サトシ殿ですかな? 辺境の地に、にわかには信じがたい『奇跡』を起こしていると、噂はかねがね」
彼の言葉は丁寧だった。だが、その声には、一切の温かみが感じられない。
「アードラー辺境伯は、貴殿のその力を『異端の業』だと断じ、神殿に討伐の許可を求めてこられた。だが、我ら神殿は、一方的な断罪は行わない。まずは、自らの目で、その奇跡の真偽を確かめる。そのために、私はここへ来た」
ヴァレリウスは、俺の後ろに立つ、不安げな領民たち、そして俺の隣に立つアリアに、一瞬だけ視線を向けた。
「領主殿。貴殿の起こしたという奇跡……水の浄化、土地の再生、鋼の製法、病の克服。それらが、本当に神の御心に適うものなのか、それとも、人の心を惑わす、悪魔の囁きによるものなのか。それを、これから、このヴァレリウスが、神の名において、審問させてもらう」
彼の冷徹な瞳が、俺の心の奥底を、探るように見つめていた。
俺たちの敵は、アードラー辺境伯の、目に見える『暴力』だけではなかった。
それは、この世界の秩序と常識を司る、中央神殿という、目に見えない、しかし何よりも強固な『権威』そのものだったのだ。
俺は、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、この美しき審問官と、静かに対峙した。科学と宗教。二つの相容れない真理




