第3節:科学の砦
物理学の授業で領民たちの士気を取り戻した俺は、休む間もなく、具体的な防衛計画の策定と、その準備に取り掛かった。時間は、わずかしかない。
俺は、仮住まいの小屋を臨時の作戦司令室とし、科学教室の生徒たちを各部門のリーダーに任命した。
「アリアは、全体の進捗管理と、食料や資材の兵站を担当してくれ。一番、村全体のことをよく見ている君が適任だ」
「は、はいっ!」
アリアは、緊張しながらも、きりりとした表情で頷いた。
「ボルツさんは、これから作る防衛設備の、全ての金属部品の製造をお願いしたい。特に、重要な仕掛けの部品は、鋼で作ってもらうことになる」
「おう、任せとけ。俺の鋼が、辺境伯の鎧とどっちが硬えか、試してやる」
ボルツは、不敵な笑みを浮かべて、拳をゴツンと合わせた。
「セーラさんは、負傷者が出た場合の、救護所の準備を。それから、敵を無力化するための、何かいい『薬』のアイデアはないか? 例えば、眠り薬とか、痺れ薬とか」
「ふむ……。いくつか、心当たりはある。試してみよう」
セーラお婆さんは、静かに、しかし力強く頷いた。
「そして、ロイド。君は、全ての防衛設備の設置と、当日の兵の配置、指揮を頼む。君の兵士としての経験が、俺の計画を現実のものにする」
「……御意。必ずや、領主様の期待に応えてみせます」
ロイドの目には、もはや迷いはなかった。
こうして、グレイウォール史上最大のプロジェクト、『科学の砦』計画が始動した。
領民たちは、男も女も、子供も老人も、全員がこの計画に参加した。それは、もはや領主の命令による強制労働ではなかった。自分たちの家を、家族を、未来を守るための、主体的な戦いだった。
まず、村の周囲に、深く、そして幅の広い『堀』を掘る作業が始まった。鋼鉄製の新しいシャベルと鍬が、その威力を遺憾なく発揮する。今までなら一ヶ月かかっても終わらないような土木作業が、驚異的なスピードで進んでいった。掘り出された土は、ただ捨てるのではない。堀の内側に積み上げ、突き固めて、高さ3メートルはあろうかという、堅固な『土塁』を築いていく。
「すごい……! 鋼のシャベルだと、土を掘るのがこんなに楽だなんて!」
「土塁も、ただ積み上げるんじゃなくて、こうやって斜めに突き固めると、全然崩れないんだな!」
若者たちは、汗と泥にまみれながらも、その顔は活気に満ちていた。
次に、ロイドの指揮の下、街道を見下ろす丘の斜面に、巨大な丸太を何十本も運び込み、巧妙な罠を仕掛けていった。一本のロープを切るだけで、数十トンの丸太が一斉に敵の側面に襲いかかる、巨大な『デッドフォール・トラップ』だ。その設置には、俺が教えたテコと滑車の原理が最大限に活用され、屈強な男たちが十人がかりでも動かせなかったような丸太が、数人の力で軽々と丘の上へと運ばれていく。
村の唯一の入り口となる門も、大改造が施された。ボルツが打ち出した、分厚い鋼鉄の板で補強され、その内側には、複数の滑車とカウンターウェイト(釣り合いおもり)を組み合わせた、独創的な『跳ね橋』が設置された。通常は、数人がかりで鎖を巻き上げなければならない跳ね橋が、この装置を使えば、たった一人の力で、わずか数秒で開閉可能になる。
「すげえ……! これなら、敵をギリギリまで引きつけて、一気に突き落とせるぞ!」
ロイドは、完成した跳ね橋の滑らかな動きに、興奮を隠せない様子だった。
だが、俺が本当の『切り札』として考えていたのは、もっと別のものだった。
俺は、ボルツと、そして手先が器用で、最近科学教室に参加し始めたエミールという気弱な少年を、鍛冶場に呼び寄せた。
「ボルツさん、エミール。二人には、極秘で、グレイウォールの最終兵器を作ってもらいたい」
俺が地面に描いたのは、一つの巨大な機械の設計図だった。
「……なんだ、こりゃあ。投石機か?」
ボルツが、眉をひそめる。
「ただの投石機じゃない。『トレビュシェット』だ」
それは、古代から中世にかけて、城攻めに使われた、最強の兵器の一つだった。通常の投石機が、ねじったロープの弾性エネルギーを利用するのに対し、トレビュシェットは、巨大な『おもり』が落下する位置エネルギーを利用する。テコの原理を応用し、より重い石を、より遠くへ、より正確に飛ばすことができた。
「この長い腕の先に、投石用のスリング(投石袋)を取り付ける。そして、反対側の短い腕には、岩を詰めた巨大な箱を吊るす。おもりの重さ、腕の長さ、支点の位置。このバランスを完璧に計算すれば……」
俺は【観察者の眼】で、最適な数値を弾き出した。
「百キロの岩を、五百メートル先まで飛ばすことが可能だ」
「ご、五百メートル!?」
ボルツとエミールは、絶句した。それは、弓矢の射程距離を遥かに超える、彼らの常識では考えられない飛距離だった。
「ボルタさんには、この回転軸や、腕の補強部分を、最高の鋼で作ってもらう。そして、エミール。君には、この機械の、最も精密さが要求される、トリガー(引き金)の部分の加工を頼みたい」
エミールは、父親がガラス細工の職人だったらしく、村で一番手先が器用だった。彼は、突然の大役に顔を真っ青にしていたが、俺の真剣な眼差しに、やがて「……や、やってみます」と、震える声で答えた。
こうして、グレイウォールの丘の上に、巨大な怪物が、静かにその姿を現し始めた。それは、来るべき戦いの帰趨を決する、俺たちの科学の知恵の結晶だった。




