第6節:生産性の壁
最初の収穫の日は、村を挙げての祭りとなった。
実験区画で育った豆は、これまでのグレイウォールでは見たこともないほど、ぷっくりと太り、さやの中には大粒の実がぎっしりと詰まっていた。収穫量は、従来の畑の三倍以上に達した。
茹でたての豆を頬張った領民たちは、「甘い!」「こんなに美味い豆は初めてだ!」と、涙ながらにその恵みを味わった。痩せた土地でも育つという理由だけで、味もそっけもなかった豆が、本来の豊かな風味を取り戻したのだ。
科学の勝利。誰もがそう確信し、来年への希望に胸を膨らませた。
だが、俺だけは、その熱狂の中心で、冷静に次の課題を見据えていた。
祭りの夜、村の広場で焚火を囲みながら、俺は長老と、科学教室の生徒たちに切り出した。
「今回の成功は素晴らしい。だが、これはまだ第一歩だ。本当の戦いはこれからだぞ」
俺の言葉に、浮かれていた若者たちが顔を引き締める。
「領主様、どういうことです?」
アリアが尋ねる。
「考えてもみろ。今回、俺たちが改良できたのは、畑全体のほんの一角だけだ。この村の全員が腹いっぱい食べるには、領内の畑すべてを、あの実験区画と同じ状態に改良しなきゃならない」
そのために必要な堆肥の量、腐葉土の量、そして労働力を考えると、気の遠くなるような作業だ。
「それだけじゃありません」と、アリアが続けた。「改良した畑を耕すにしても、今のままじゃ……」
彼女の視線の先には、壁に立てかけられた農具――鍬があった。金属の刃先は欠け、歪み、木製の柄にはひびが入っている。
「そうだ。最大の問題は、そこだ」
俺は、そのボロボロの鍬を手に取った。
「この土地は、長年の放置で固く締まっている。土壌改良で多少はマシになったが、それでも開墾するには、あまりにも道具が貧弱すぎる。これじゃあ、一本耕すだけで刃こぼれし、一時間も使えば柄が折れてしまう。これでは生産性が上がらない」
生産性、という言葉に、皆がピンとこない顔をした。
「つまり、一人の人間が、一日に耕せる畑の広さには限界がある、ということだ。もっと頑丈で、もっと長持ちする、質の良い農具が大量に必要になる」
その時だった。
「……言うのは簡単だがな」
輪の外から、低く、不機嫌そうな声が響いた。
声の主は、昼間も俺たちの様子を窺っていた、鍛冶師のボルツだった。彼は、大ぶりのジョッキを片手に、苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけていた。
「領主様が、そこらの石ころで綺麗な水を作ったり、肥溜めで畑を蘇らせたりする、不思議な術の使い手だってことは認めてやる。だがな、鉄はそんなまやかしじゃどうにもならねえんだ」
ボルツは、俺が持つ鍬を顎でしゃくった。
「あの鍬が、今の俺と、この村の鉄で打ち出せる、最高のモンだ。うちの鉱山から採れる鉄鉱石は不純物が多くてな。いくら腕利きの俺が鍛えたところで、脆くて使い物にならねえ農具しかできねえ。それが現実だ」
彼の言葉には、職人としてのプライドと、どうにもならない現実への諦念が滲んでいた。
「材料が悪けりゃ、どんな名人でも傑作は作れねえ。あんたの言う『頑丈な農具』なんてのは、王都にいるような金持ち貴族が、遠い国の高品質な鉄で特注させるような代物だ。こんな辺境じゃ、夢物語なんだよ」
ボルツはそう吐き捨てると、ジョッキの酒をぐいと煽った。
広場は、水を打ったように静まり返る。さっきまでの楽観的な空気は消え失せ、重苦しい沈黙が支配していた。
ボルツの言うことは、おそらくこの世界の「常識」なのだろう。素材の質が、製品の質を決める。それは、科学を知らない世界では、絶対の真理に違いなかった。
だが。
(……違うな)
俺は、内心で静かに反論した。
素材が悪い? 不純物が多い?
それは「終わり」じゃない。「始まり」だ。
なぜ脆いのか? その不純物の正体は何なのか? どうすれば、それを取り除けるのか? あるいは、その不純物を逆用して、より強い金属を生み出すことはできないのか?
俺の【観察者の眼】が、疼きだすのを感じた。
俺は、ボルツに向き直った。
「ボルツさん、だったか」
「……なんだ」
「あんたは、自分の腕に誇りを持っている。それは素晴らしいことだ。だが、あんたはまだ、あんたが扱っている『鉄』そのもののことを、本当の意味で理解してはいないんじゃないか?」
「なんだと……?」
ボルツの眉が、険しく吊り上がった。
俺は、不敵に笑って見せた。
「明日、あんたの仕事場――鍛冶場を見せてもらう。俺の『理科』の力と、あんたの職人の技を合わせれば、この村の『鉄』は、もっと強くなる。王都のどんな高級品にも負けない、『鋼』に生まれ変わるはずだ」
俺の宣戦布告にも似た言葉に、ボルツは呆気にとられたような顔をした後、鼻で笑った。
「……面白い。言ったな、若造。そこまで言うなら、見せてみやがれ。あんたの『理科』とやらが、この俺の槌と炉に勝てるもんならな」
こうして、俺の次の授業のテーマが決まった。
土と生命の次は、『鉄と炎の化学』だ。




