↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/12

商人とその娘


 気軽にコメントくれ〜



 ジェスターとリリィが旅を始めてから、数日が経った。


 赤と黒の道化師衣装を翻し、白い髪の少女を連れて歩くジェスター。その姿は、どこへ行こうと人目を引くものだった。


 もっとも、当の本人は周囲から向けられる視線など、まるで気にしていないようだったが。


『ヨホホホホ! いやはや、実に麗らかな旅日和でございますなぁ!』


「そうね。お天気もいいし、風も気持ちいいわ」


『でしょう、でしょう! やはり旅というものは、こうでなくてはなりません! 青い空! 心地よい風! そして、いつ何が起こるとも知れぬ、この胸躍る道行き!』


 ジェスターは両腕を広げ、くるりと一回転した。


 帽子の先についた鈴が、ちりん、ちりんと軽やかに鳴る。


「……でも、そろそろお昼にしない? 私、お腹が空いてきちゃった」


『おやおや! これは大変失礼いたしました! レディーのお腹を空かせたまま歩かせるとは、紳士失格でございますなぁ!』


「ふふっ。ジェスターは紳士なの?」


『もちろん! ワタクシほど紳士的なピエロは、世界広しといえどもそうそうおりませんぞ!』


「そうなのね」


『はいな! ……ところで、リリィちゃん。あちらをご覧くださいませ!』


 ジェスターが指差した先には、石造りの城壁に囲まれた町が見えていた。


 城壁の上では旗が風にはためき、正門の前には荷馬車や旅人たちが列を作っている。門の向こうからは、人々の話し声や商人たちの呼び込みが聞こえてきた。


「町だわ!」


 リリィの表情がぱっと明るくなった。


「ねえ、ジェスター! あの町に寄っていきましょう? 食べ物も買えるし、もしかしたら宿にも泊まれるかもしれないわ!」


『ヨホホホ! いいですとも、いいですとも! 旅の楽しみは道中だけにあらず! 見知らぬ町、見知らぬ人々、見知らぬ名物料理! いやはや、想像するだけで舌が鳴りますなぁ!』


「ジェスター、まだ何も食べてないでしょう?」


『気持ちの問題でございます!』


 そんな他愛もないやり取りを交わしながら、二人は町へと歩みを進めた。


 しかし、正門が近づいてきた、そのときだった。


「誰か……誰か、助けてくれッ!」


 悲痛な叫び声が、町の入り口に響き渡った。


 二人がそちらへ目を向けると、門の脇で、一人の男が通行人に縋りつくようにして声を張り上げていた。


 身なりはよく、上質な外套をまとっている。腰には金細工の施された短剣が下がり、指にはいくつもの宝石の指輪が輝いていた。


 裕福な商人。それが、男の第一印象だった。


 しかし、その顔には疲労と憔悴が色濃く浮かんでいた。


 髪は乱れ、目の下には濃い隈が刻まれている。整えられていたはずの衣服にも皺が寄り、かつての身だしなみを保つ余裕さえ失っているようだった。


「頼む! 娘を……私の娘を助けてくれ!」


 男が声を張り上げる。


 だが、呼び止められた人々は困惑した顔を浮かべるばかりで、誰一人として足を止めようとはしなかった。


「またあの商人か……」


「気の毒だが、あれはどうにもならんだろう」


「魔術師ギルドにも頼んだらしいが、駄目だったそうだ」


 そんな囁き声が、二人の耳にも届いた。


 それでも男は、諦めなかった。


「金ならいくらでも払う! 私の財産をすべて差し出したって構わない! だから、どうか……どうか、娘を救ってくれ!」


 その声は、次第に掠れていく。


 商人としての誇りも、周囲からの評判も、今の男にとってはどうでもよかった。


 ただ一つ。


 愛する娘を失いたくない。


 その一心だけが、彼を突き動かしていた。


「……ねえ、ジェスター」


 リリィが、そっと口を開いた。


「私たち、あの人のお話を聞いてみない?」


『ヨホ?』


 ジェスターは男の姿を眺めながら、首を傾げた。


『おやおや。どうやら、ただ事ではないご様子ですなぁ』


「うん……。あんなに必死なのに、誰も助けてくれないなんて……」


 リリィは男から目を離せなかった。


 かつての自分もまた、誰かの手を必要としていた。


 けれど、誰も手を差し伸べてはくれなかった。


 だからこそ、目の前で助けを求める人を放っておくことが、どうしてもできなかったのだ。


 ジェスターは、そんなリリィの横顔をちらりと見た。


 そして、いつもの笑みを浮かべると、軽やかに歩き出した。


『ヨホホホ! なるほど、なるほど! それでは、ちょいとお邪魔するといたしましょう!』


 リリィも小走りで、その後を追いかける。


『もしもし、そこの旦那様!』


「……っ! な、何だ!?」


 突然声をかけられ、男は弾かれたように振り返った。


 目の前に立っていたのは、赤と黒の派手な衣装をまとった道化師。そして、その隣には白い髪と紅い瞳を持つ、可憐な少女がいた。


 あまりにも場違いな二人組に、男は一瞬、言葉を失った。


『いやはや、先ほどから随分とお困りのご様子! 何やら深刻なお悩みを抱えていらっしゃるようですが……さてさて、いったい何があったのでございましょう?』


「……君たちは?」


『これはこれは、失礼いたしました!』


 ジェスターは帽子を取り、芝居がかった仕草で一礼した。


『ワタクシ、しがない旅のピエロでございます。こちらは旅の連れのリリィちゃん! ヨホホホ! どうぞ、お見知りおきを!』


「リリィです。よろしくお願いします」


 リリィも丁寧に頭を下げた。


 男は二人を交互に見つめた。


 旅のピエロと、その連れの少女。


 どう見ても、医術や魔術に精通しているようには見えない。むしろ、何かの冗談ではないかと疑いたくなるほどだった。


「……すまないが、今は冗談に付き合っている余裕はないのだ」


『おやおや! もちろん、冗談を言いに来たわけではございませんとも!』


 ジェスターは、いつもの笑みを浮かべたまま続けた。


『先ほど、娘さんを助けてほしいとおっしゃっておりましたな?』


「……!」


 男の表情が変わった。


「まさか……君たちは、娘を救えるのか!?」


『さてさて、それはお話を伺ってみなければ分かりませんなぁ!』


 ジェスターは大袈裟に両手を広げた。


『何しろワタクシ、しがない旅のピエロ! 医者でもなければ、魔術師でもございませんので!』


「……そうか」


 男の肩が目に見えて落ちた。


 ほんの一瞬だけ浮かんだ希望が、再び消えていく。


 そんな彼を見て、リリィは慌てて口を開いた。


「で、でも! ジェスターは、こう見えてすごい人なの! きっと何か方法があると思うわ!」


『ヨホ? おやおや、リリィちゃん! 随分と大きく出ましたなぁ!』


「だって、本当のことだもの!」


『ヨホホホ! これは参りました!』


 いつもの調子で笑い合う二人。


 けれど、男には笑う余裕などなかった。


「……頼む」


 男は深々と頭を下げた。


「どんな方法でもいい。どれほどの金がかかっても構わない。だから……どうか、私の娘を助けてくれないか」


 声が震えていた。


「私は商人だ。金を稼ぐことなら、それなりに自信がある。だが……娘の病だけは、どうすることもできなかった」


 男は拳を握り締めた。


「初めは、ただの熱だと思っていた。けれど、日に日に身体が弱っていき……やがて、娘の周囲で不思議なことが起こるようになった」


「不思議なこと……?」


 リリィが尋ねると、男は重苦しく頷いた。


「部屋の中に置いてあった物が、誰も触れていないのに宙へ浮かんだ。窓ガラスが突然砕け散り、壁には何の理由もなく亀裂が走った。夜になると、娘の身体から光が漏れ出すこともある」


「光……?」


「ああ。それだけではない。娘が苦しむたびに、周囲の魔力が異常な反応を示すようになった。魔術師たちは口を揃えて、娘の魔力が暴走しているのだと言った」


 男は顔を歪めた。


「娘には、魔術の才能などなかった。少なくとも、私が知る限りでは……。それなのに、今では自分の意思とは関係なく、恐ろしいほどの魔力が溢れ出してしまう。娘自身にも、どうすることもできないのだ」


 その声には、娘を責める響きなど微塵もなかった。


 ただ、苦しむ娘を救えない自分への悔しさと、いつか取り返しのつかないことが起きるのではないかという恐怖が滲んでいた。


「魔術師ギルドにも、腕の立つ治癒術師にも頼んだ。遠方から高名な医師を呼び寄せもした。金に糸目はつけなかった。だが、誰も娘を治せなかった……」


 男は唇を噛んだ。


「それどころか、今では誰も娘に近づこうとしない。皆、娘を恐れている。……だが、あの子は何も悪くないんだ」


 男の声が、強くなった。


「あの子は優しい子だ。花を育てるのが好きで、傷ついた小鳥を見つければ、仕事中の私を呼びつけてでも手当てをしようとする。自分が苦しいときでさえ、周りの人間に迷惑をかけていないかと気にしている……そんな子なんだ」


 彼は震える手で顔を覆った。


「そんな娘が……今では、自分の身体から溢れる力に怯えている。眠ることさえ怖がっているんだ。いつか自分の魔力で、誰かを傷つけてしまうのではないかと……」


 しばしの沈黙が流れた。


 町の入り口では、相変わらず人々が行き交っている。


 けれど、その場だけは、まるで時間が止まったかのように静まり返っていた。


「……お父さん」


 リリィが、ぽつりと呟いた。


 男が顔を上げる。


 リリィは、まっすぐに彼を見つめていた。


「娘さんのことが、本当に大切なのね」


「……ああ」


 男は迷いなく頷いた。


「私にとって、あの子は何よりも大切な宝物だ。どんな財産よりも、どんな名誉よりも……あの子が笑っていてくれることのほうが、ずっと大切なんだ」


 彼は再び頭を下げた。


「だから、頼む。どうか……娘を助けてくれ」


 リリィは、胸の奥が締めつけられるのを感じた。


 愛する者が苦しんでいるのに、何もできない。


 助けたいと願っているのに、その方法が分からない。


 その苦しみが、痛いほど伝わってきた。


 かつての自分には、こんなふうに必死になってくれる人がいただろうか。


 分からない。


 もう、思い出せない。


 けれど――。


「……ジェスター」


 リリィは、隣の道化師を見上げた。


「この人の娘さんを、助けてあげられないかな?」


 ジェスターは、しばらく男を見つめていた。


 その口元には、いつもの笑みが浮かんでいる。


 だが、その瞳の奥で何を考えているのかは、誰にも分からなかった。


『ふぅむ……暴走する魔力、でございますか』


 ジェスターは顎に手を当て、考え込むような仕草をした。


 そして次の瞬間、ぱん、と手を打ち鳴らした。


『ヨホホホ! いやはや、これはこれは! なかなかに興味深いお話でございますなぁ!』


 男が、弾かれたように顔を上げた。


「……それでは、君たちは……!」


『はいな! まずは、そのお嬢さんに会わせていただきましょう! 話はそれからでございます!』


 ジェスターは帽子の先を指先でくるりと回した。


『何しろ、舞台の幕が上がる前から結末を決めてしまうのは、実に野暮というものでございますからなぁ!』


「……っ! ああ、もちろんだ! こちらへ来てくれ!」


 男は、今度こそ希望を取り戻したように顔を輝かせた。


 そして二人を案内しようと歩き出しかけ、ふと足を止めた。


「……ああ、申し遅れた。私は、この町で商いをしている者だ。名はエドガー・アッシュフォードという」


 その名を聞いても、ジェスターは特に驚いた様子を見せなかった。


 ただ、愉快そうに笑うばかりだった。


『おやおや! それではエドガーさん、道すがら詳しいお話を伺うといたしましょう! 今は何より、可愛いお嬢さんのもとへ急がねば!』


「はは……そうだな。あの子は昔から、少しばかり頑固なところがあってね……」


 エドガーは、ほんの一瞬だけ穏やかな笑みを浮かべた。


 それは、先ほどまでの絶望に満ちた表情とは違う。


 娘との日々を思い出した、一人の父親の顔だった。


「……頼む。あの子を、救ってやってくれ」


『ヨホホホ! さてさて、どうなりますことやら!』


 ジェスターは軽やかに笑い、リリィとともにエドガーの後を追った。


 町の喧騒を抜け、石畳の道を進んでいく。


 その先に待っているのは、暴走する魔力に苦しむ一人の少女。


 そして、その小さな命を守ろうと必死に足掻く、父親の願いだった。


 果たして、道化師ジェスターは何を見出すのか。


 そして、リリィは何を思うのか。


 新たな舞台の幕が、今、静かに上がろうとしていた。


     *


 町の中心部へ向かう道すがら、エドガーは二人に娘の病状について詳しく話し始めた。


 エドガー・アッシュフォード。


 アッシュフォード家は、代々この地で商業を営んできた名家であり、今や国内でも指折りの大財閥として知られている。商会が取り扱う品目は多岐にわたり、遠方の国々との交易にも深く関わっていた。


 かつてのエドガーは、そんな一族を率いるにふさわしい男だった。


 鋭い眼差しに、隙のない立ち居振る舞い。商談の席では一歩も引かず、時には大貴族でさえ、彼との交渉には慎重になったという。


 しかし、今の彼に往時の威厳はほとんど残されていなかった。


 娘の病状が悪化するにつれ、エドガーの心身もまた、少しずつ追い詰められていったのだ。


 満足に眠れぬ夜が続き、食事も喉を通らない。


 仕事の大半を部下に任せるようになり、かつては一分の隙もなかった身だしなみにも、気を配る余裕がなくなっていた。


 それでも、彼は諦めなかった。


 愛する娘を救うためなら、何度でも頭を下げる。


 たとえそれが、かつての自分なら決してしなかったことであろうとも。


『ヨホ! それでは、エドガーさん。改めて詳しいお話をお聞きしてもよろしいですかな?』


「ああ、もちろんだ」


 エドガーは小さく頷いた。


「娘の名前はエミリア。病に倒れたのは、今から半年前のことだ」


「半年前……」


 リリィが、心配そうに呟いた。


「あの日、エミリアはいつもどおりに過ごしていた。朝食を済ませ、妻のクララと一緒に庭の花を眺めていたそうだ。ところが、昼前になって突然倒れた」


 エドガーの声が、わずかに沈む。


「慌てて医者を呼んだところ、告げられたのは魔力の覚醒だった」


「魔力の覚醒?」


 リリィが首を傾げた。


「それって、珍しいことなの?」


「いや、そうでもない。人によって時期は異なるが、成長の過程で魔力に目覚める者は決して少なくない。魔術の才能がなかった者が、ある日突然、自分の魔力に目覚めることもあるらしい」


 エドガーは、ゆっくりと首を横に振った。


「だから、最初はそれほど心配していなかった。医者にも、しばらく安静にしていれば落ち着くだろうと言われたからな」


「それなら、どうして……」


 リリィは言いかけて、口をつぐんだ。


 町の入り口で聞いた話を思い出したのだ。


 家具が宙に浮かび、窓ガラスが砕け、エミリア自身の身体から光が漏れ出す。


 ただの魔力覚醒で、そんなことが起こるものなのだろうか。


「問題は、その後だ」


 エドガーは苦々しげに続けた。


「本来なら、時間が経つにつれて魔力は安定していくはずだった。ところが、エミリアの場合は逆だったんだ」


「逆……?」


「ああ。日を追うごとに魔力の反応は強くなり、身体への負担も増していった。初めのうちは軽い発熱程度だったものが、やがて起き上がることすら難しくなった」


 エドガーの拳が、ぎゅっと握り締められる。


「そして、周囲で物が壊れるようになった。誰も触れていない家具が宙に浮かび、突然壁に亀裂が走る。窓ガラスが粉々に砕け散ったことも、一度や二度ではない」


「……そんなに?」


「ああ。最近では、娘が苦しむたびに部屋全体が揺れることさえある」


 リリィは、思わず息を呑んだ。


 それは、単に魔力が強いというだけでは説明できない現象に思えた。


「それで、エミリアちゃん自身は……?」


「ひどく怯えている」


 エドガーは、苦しげに目を伏せた。


「自分の意思とは関係なく物が壊れ、周囲の人間が恐怖に顔を歪める。まだ幼いあの子にとって、それがどれほど恐ろしいことなのか……」


 言葉が途切れた。


 しばらくして、エドガーは絞り出すように続けた。


「エミリアは、自分が病気になったことよりも、誰かを傷つけてしまうことを恐れているんだ」


 彼の脳裏に、娘の姿が浮かんでいた。


 夜中に目を覚まし、震える声で何度も謝る娘。


 自分の身体から漏れ出す光に怯え、両手で耳を塞ぎながら、必死に魔力を抑えようとする娘。


 そして、そんな娘を見て悲しそうに笑う、妻クララの姿。


「……いつか、私や妻を傷つけてしまうんじゃないかと、あの子はずっと心配している」


 エドガーは唇を噛んだ。


「私たちがそんなことを気にするはずもないのに……。あの子は、自分のせいで私たちまで傷つくことを、何よりも恐れているんだ」


「エミリアちゃん……」


 リリィは、胸の前でそっと手を握った。


 自分の力が怖い。


 自分の存在が、誰かを傷つけてしまうかもしれない。


 その恐怖が、リリィには少しだけ分かるような気がした。


 かつての自分もまた、自らの内にある力によって、多くの命を奪ってしまったのだから。


 もちろん、エミリアが何を感じているのか、すべて理解できるわけではない。


 それでも、彼女が一人で怯え続けているのだと思うと、どうしても放っておけなかった。


『ほほぉ……』


 そのとき、ジェスターが顎に手を当てた。


 いつもの軽やかな笑みは変わらない。


 しかし、その口から漏れた声には、ほんのわずかな興味の色が滲んでいた。


『魔力の覚醒そのものは珍しくない。けれど、本来ならば安定するはずの魔力が、半年もの間、悪化の一途を辿っている……。そのうえ、ご本人の意思とは無関係に周囲へ影響を及ぼしている、と』


「ああ。何か心当たりはあるか?」


 エドガーは、縋るような眼差しをジェスターへ向けた。


 これまで何人もの医者や魔術師に相談してきた。


 それでも、誰一人として明確な答えを出すことはできなかった。


 だからこそ、今度こそはと願わずにはいられなかった。


『あることにはありますぞ!』


「本当か!?」


 エドガーが勢いよく顔を上げた。


 その声には、隠しきれない期待が込められていた。


『ヨホホホ! おやおや、そんなに驚かれましても! ワタクシ、嘘はつきませんので、はい!』


「では、娘は……エミリアは助かるのか!?」


『おやおや! そこまでは、まだ申し上げられませんなぁ!』


 ジェスターは、ひらひらと手を振った。


『何事も、実際に見てみなければ分からないものでございます。遠くから眺めただけで、舞台の仕掛けをすべて見抜けるとは限りませんからなぁ!』


「……そうか」


 エドガーの表情に、再び不安がよぎる。


 しかし、ジェスターはそんな彼の肩を、ぽん、と軽く叩いた。


『ですが、ご安心を! 少なくとも、ワタクシはこのお話に興味を持ちました!』


「興味……?」


『はいな! ですから、まずはエミリアさんのもとへ参りましょう! 話はそれからでございます!』


 ジェスターは、くるりと一回転した。


 赤と黒の衣装が翻り、帽子の鈴がちりん、と鳴る。


『さぁさぁ、エドガーさん! 舞台の主役をいつまでも袖で待たせておくわけにはまいりません! ご案内をお願いいたしますぞ!』


「あ、ああ! もちろんだ!」


 エドガーは慌てて頷き、足早に歩き始めた。


 その背中には、まだ疲労の色が濃く残っていた。


 それでも、先ほどまでとは違う。


 ほんのわずかではあるが、彼の足取りには確かな希望が戻り始めていた。


 リリィは、そんなエドガーの背中を見つめながら、そっと呟いた。


「……エミリアちゃん、待っていてね」


 その声は、誰に聞かせるためのものでもなかった。


 ただ、同じ少女として。


 そして、かつて自分も救いを必要としていた者として。


 彼女は心から願っていた。


 どうか、エミリアが救われますように、と。


 その願いを聞いていたのか、いないのか。


 ジェスターはいつものように、愉快そうな笑みを浮かべていた。


『ヨホホホホ! さてさて……今回は、いったいどんな舞台が待っているのでございましょうなぁ!』


 道化師の鈴が、石畳の街路に軽やかな音を響かせる。


 三人は、エミリアの待つ屋敷へと向かっていった。



 読んでくれてあんがとな


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。