冒険者と模擬戦
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街の大通りに面したその建物は、想像していた以上に大きかった。
石造りの重厚な外壁に、掲げられた大きな看板。出入り口にはひっきりなしに人が行き交い、建物の中からは賑やかな声が漏れ聞こえてくる。
『ヨホホホ! これが冒険者ギルドでございますか! いやはや、エドガーさんのお屋敷にも負けず劣らずの大きさですなぁ!』
「本当ね! とっても大きいわ!」
リリィは建物を見上げ、感心したように目を輝かせた。
『おまけに、宿屋と酒場も一緒になっているとか! これはなかなか、賑やかな場所のようですぞ!』
「宿屋に酒場……。なんだか、色んな人が集まってきそうな場所ね!」
『ええ! 冒険者というのは、実に興味深い方々が多そうですからなぁ!』
ジェスターは帽子の鈴をちりんと鳴らし、楽しげに両手を広げた。
『それではリリィちゃん! 早速、中へ入ってみましょうぞ!』
「うん!」
二人は大きな扉をくぐり、冒険者ギルドの中へと足を踏み入れた。
途端、賑やかな喧騒が二人を包み込む。
そこは、まさに人種の坩堝だった。
屈強な大男に、身軽そうな装いの青年。耳の長い者や、獣のような耳や尻尾を持つ者。人間とは異なる姿をした者たちも、当たり前のように同じ空間で酒を飲み、食事を楽しみ、仲間と談笑していた。
「おーい! こっちに酒をもう一杯!」
「こっちはステーキを頼まぁ!」
「はいよ! 少し待ってな!」
「お前、あの依頼を受けるつもりなのか?」
「お前より上手くやってやるよ!」
「あんだとぉ!?」
「やんのかぁ、コラァ!」
「喧嘩するなら外でおやり! 店の中で暴れるんじゃないよ!」
あちらこちらで飛び交う怒声と笑い声。
食器のぶつかる音に、酒場の主人の威勢のいい声。
落ち着いて会話をするには、少々騒がしすぎるほどだった。
『ヨホ! これはこれは! なんとも面白い場所ですこと!』
「そうね! 色んな人たちがいるわ!」
リリィも興味津々といった様子で、辺りを見回している。
見たことのない種族。聞いたことのない言葉。見慣れない武器を携えた冒険者たち。
その一つひとつが、彼女にとって新鮮だった。
『それでは、リリィちゃん! まずは受付へ参りましょうか!』
「うん!」
二人は人混みを縫うようにして、奥にある受付カウンターへと向かった。
酔っぱらった冒険者たちの大きな笑い声が響いたり、依頼書を手にした一団が慌ただしく駆け抜けたりと、なかなか前へ進めなかったものの、どうにか受付までたどり着く。
そこには、若い女性職員が座っていた。
ジェスターはカウンターの前に立つと、軽く身を乗り出した。
『コンコン、ノックしてもしも〜し!』
「は〜い! 何かご用でしょうか? それとも、依頼を受けにいらしたんですか?」
女性職員は顔を上げ、にこやかに応対した。
『ノンノン! 今回は、ちょいとばかり違うのでございます! 実はワタクシたち──』
「冒険者になりに来たの!」
リリィが元気よく言葉を引き継いだ。
その瞬間だった。
先ほどまで響いていた喧騒が、ぴたりと止まった。
「…………は?」
誰かが間の抜けた声を漏らす。
冒険者たちの視線が、一斉に受付へと集まった。
そこにいたのは、奇抜な赤と黒の衣装を身にまとった道化師と、白いワンピースを着た小柄な少女。
片や、どこか胡散臭い笑みを浮かべたピエロ。
片や、武器らしい武器も持たない幼い少女。
その二人が、堂々と冒険者になりに来たと宣言したのだ。
数秒の沈黙。
そして──。
「「「ぎゃはははははははっ!!」」」
ギルド中が爆笑に包まれた。
「おいおい、冗談だろ!? ピエロとガキが冒険者だってよ!」
「お前ら、ここをどこだと思ってんだ! サーカス会場じゃねぇぞ!」
「大人しく街でショーでもしてろ!」
「その嬢ちゃん、魔物に睨まれただけで泣いちまうんじゃねぇか!?」
「ぎゃはははははっ!!」
あちこちから嘲笑が飛んでくる。
受付の女性職員も困ったような表情を浮かべ、どう対応したものかと二人を見つめていた。
「ッ〜〜〜!!」
リリィの頬が、みるみるうちに赤く染まった。
悔しかった。
自分たちが何も知らないからといって、何もできないと決めつけられるのは。
言い返してやろうと、リリィが口を開きかけた、そのとき。
『──お静かに』
ジェスターが、静かに告げた。
たった、それだけだった。
大声を張り上げたわけでもない。
威圧的な言葉を並べたわけでもない。
ただ、いつもの軽薄な声音で、ひと言。
それだけで──。
酒場の主人が手にしていたグラスを止めた。
笑っていた冒険者の口が閉じる。
誰かが椅子を引こうとしていた音さえ、途中で途切れた。
そして、次の瞬間。
「「「…………ッ!?」」」
ギルドの空気が凍りついた。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ、そこにいた全員が感じ取った。
死。
抗うことも、逃げることも許されない、圧倒的な死の気配。
まるで、巨大な何かに喉元を押さえつけられたかのような感覚。
呼吸が止まり、心臓が跳ね上がる。
先ほどまで笑っていた者たちの顔から、血の気が引いていく。
そして、数々の死線を潜り抜けてきた上位冒険者たちは、誰よりも強くその異常さを感じ取っていた。
目の前にいるのは、ただの道化師などではない。
自分たちがこれまで対峙してきた魔物とは、根本から何かが違う。
「ハッ……ハッ……!」
「な、何だ今の……!?」
「ドラゴンと対峙した時だって、こんな感覚は……!」
「冗談だろ……あいつ、いったいなんなんだ……!」
ギルドの片隅では、とある冒険者の一団が武器を抜き、臨戦態勢を取っていた。
彼らの額には、冷たい汗が浮かんでいる。
だが、ジェスターはそんな周囲の反応など気にも留めず、いつものように楽しげな声を上げた。
『ヨホ! いやぁ、静かになりましたなぁ! 実に結構、実に結構!』
そして、何事もなかったかのように受付へ向き直る。
『それでは、改めて本題に入りましょうか!』
ジェスターは腰巾着から一通の茶色い封筒を取り出し、カウンターの上へと差し出した。
『こちらを、どうぞ!』
「こ、こちらは……?」
女性職員は恐る恐る封筒を受け取った。
そして、封蝋に刻まれた紋章を確認した瞬間、その表情が一変した。
「ア、アッシュフォード家の蝋印……!?」
彼女は慌てて姿勢を正し、先ほどまでの困惑した態度を改めた。
「アッシュフォード家のお客様でしたか! これは、とんだご無礼を……!」
『本当でございますよ』
ジェスターは、わざとらしく肩をすくめた。
『ピエロのワタクシが笑われるのは、別に構いませんとも! 道化師とは、笑いをお届けするのがお仕事でございますからなぁ!』
そこで、ジェスターは隣に立つリリィへと視線を向けた。
『ですが──リリィちゃんが笑われるのは、いただけませんな』
「ジェスター……」
リリィは、驚いたように彼を見上げた。
ジェスターはいつもの笑みを浮かべている。
けれど、その深紅の瞳は、先ほどまでとは違う静かな光を宿していた。
『さてさて! それでは受付のお嬢様、冒険者登録をお願いできますかな?』
まるで、何事もなかったかのように。
ジェスターは再び、陽気な道化師へと戻っていた。
しかし、ギルドにいた者たちは、もう誰一人として二人を笑おうとはしなかった。
◇
ジェスターとリリィは、ギルドの職員に案内され、応接間へと通されていた。
室内には来客用のソファーとテーブルが置かれている。二人が腰を下ろしてしばらく待っていると、扉の向こうから低く渋い声が響いた。
「入るぞ」
返事を待って扉が開き、現れたのは、いかにも歴戦の戦士といった風貌の男だった。
「ワシはギルド長のモルドだ。よろしく頼む」
『ヨホ! 貴方がモルドさんですな? これはこれは、ご丁寧に! ワタクシ、しがない旅のピエロ、ジェスターと申します。それで、こちらは……』
「リリィって言います! よろしくお願いします!」
ジェスターに続いて、リリィも元気よく頭を下げた。
「さん付けなんぞ堅苦しい。モルドと呼び捨てで構わんぞ。代わりに、ワシもお前たちを呼び捨てにさせてもらうからな」
『ヨホホ! それではモルド、よろしくお願い致します』
「よろしくな、ジェスター、リリィ」
ひと通り挨拶を交わすと、モルドは向かいのソファーに腰を下ろした。そうして、いよいよ本題へと話を進める。
「まず、冒険者カードの発行についてだが……これは問題なく認められる。それに伴って、正式な冒険者登録をしてもらう必要がある。登録には簡単な実力確認を兼ねた模擬戦を行う決まりでな。まあ、そう身構える必要はない」
『なるほど、なるほど。実力を見極めるための腕試しというわけですな』
「そういうことだ」
モルドは頷き、それからふと思い出したようにリリィへ視線を向けた。
「そういえば、お前らは戦えるのか? 冒険者として活動する以上、まったく戦えないとなると、カードの発行も考えねばならんのだが……」
「問題ないよ! 私、魔法が使えるもん!」
「ほう、魔法か。例えば、どんなものが使えるんだ?」
「氷でしょ、炎でしょ、それに雷も! あとはね、ほかにもいろいろ!」
リリィは指を折りながら、楽しそうに答えた。
「……はぁ。見た目に似合わず、なかなか多彩なんだな」
モルドは感心したように息を吐く。目の前にいるのは、どう見ても幼い少女だ。その少女がいくつもの属性魔法を使えるというのだから、驚くのも無理はない。
「ジェスターはどうなんだ?」
『ワタクシですか?ワタクシはそうですねぇ近接戦闘と魔法…そして一握りの奇跡を少々』
「なんだよ、一握りの奇跡って」
『ヨホホホ!それを聞くのは野暮ですぜ』
「まあ、戦えそうだし問題ないだろう。では、早速模擬戦といこうか」
◇
モルドに連れられ、ジェスターたちがやって来たのはギルド併設の修練場だった。
広々とした敷地には、武器を振るう者、魔法の制御を練習する者、仲間と連携を確かめる者など、数多くの冒険者たちが集まっていた。
金属がぶつかり合う音や、威勢のいい掛け声があちこちから響き、冒険者たちの熱気が肌に伝わってくる。
「よし。それじゃあ、模擬戦の相手を決めるとするか……」
「私たちにやらせてください」
モルドの言葉を遮るように、凛とした声が響いた。
声の主は、先ほどギルドの受付でた武器を抜いた冒険者たちだった。
その先頭に立つのは、大剣を背負った女性。彼女はモルドの前まで歩み出ると、真っ直ぐにギルド長を見据えた。
「リーザ、お前たちは……」
モルドは困ったように眉をひそめた。
「ランクが高いお前たちを相手にするのは、少々やりすぎじゃないか?」
「ギルド長も感じたでしょう? あの殺気を」
「ああ……」
モルドの表情から、わずかに笑みが消えた。
先ほど、ジェスターが一言『お静かに』と告げた瞬間。
その場にいた者たちは、まるで死そのものに触れたかのような感覚を味わった。今でも、あの得体の知れない圧迫感を忘れられない者は少なくない。
「アレは並の相手じゃありません。素行の悪い連中を当てて、万が一のことがあれば困るでしょう?」
「……確かにな」
モルドは顎に手を当て、少し考え込んだ。
「分かった。ただし、怪我をさせない程度に留めておけよ」
「相手が、そうさせてくれるならね」
リーザは意味ありげに笑うと、ジェスターたちへと視線を向けた。
モルドは小さくため息をつき、それから二人を振り返る。
「そういうわけだ。ジェスター、リリィ。模擬戦の相手は、このリーザたちのパーティーに頼むことになった」
『ヨホホホ! これはこれは、頼もしい方々ですな! リーザさん、それに皆々様、どうぞよろしくお願い致します!』
「よろしくお願いします!」
ジェスターはいつもの調子で陽気に頭を下げ、リリィもそれに倣った。
対するリーザたちは、まだ警戒を解いていない。特にリーザは、ジェスターの飄々とした態度を見極めるように、その姿をじっと観察していた。
「さて、模擬戦を始める前にルールを説明する」
モルドは腰に下げていた袋から、古びた木札の付いたネックレスを取り出した。
「まずはこれを首に掛けろ」
二人に手渡されたのは、簡素な作りの木札だった。
「そいつは『身代わりの札』だ。結界の中で致命傷を負うような攻撃を受けた場合、即座に結界の外へ転移させる仕組みになっている。これがある限り、模擬戦で命を落とすことはない」
「ねえ、ジェスター。これ、すごく便利だね!」
『ヨホ! まことに! これなら安心して、思い切り遊べるというものです!』
ジェスターは木札を指先でつまみ、興味深そうにくるりと回した。
「それから、武器や弓矢の使用に特別な制限はない。自分が扱えるものなら、好きに使って構わん。準備ができた者から結界の中へ入れ!」
モルドの説明を聞き終えると、ジェスターは弾むように両手を広げた。
『ヨホホホ! これはこれは、実に面白そうですなぁ! こうして誰かと競い合うなど、いったいいつ以来のことでしょう!』
その声には、心の底から楽しんでいる様子が滲んでいた。
「ジェスター、楽しみ?」
『それはもう! 相手がいればこそ、遊戯は愉快になるというもの!』
「えへへ、私も楽しみ!」
リリィも嬉しそうに笑う。
二人はこれから始まる模擬戦に、すっかり胸を躍らせているようだった。
「よし! それでは──全員、構え!」
モルドの号令が修練場に響き渡った。
リーザたちは一斉に武器を抜き、それぞれの得物を構える。
大剣を携えたリーザを先頭に、弓を構えるマゼンタ、短剣を手にしたカール、そして後方で魔力を練り上げるミカ。
それぞれが互いの動きを把握し、いつでも連携できるように位置を取っていた。
対するジェスターはというと──。
武器を構えるどころか、両手を後ろで組み、楽しげに身体を左右へ揺らしていた。
まるで、これから始まるのが命懸けの模擬戦ではなく、観客を沸かせる愉快な見世物であるかのように。
『さぁて、皆々様! いったいどんな舞台を見せてくださるのでしょうなぁ!』
鈴の音が、ちりん、と軽やかに鳴った。
◇
模擬戦開始の合図が響いた、その瞬間だった。
真っ先に動いたのは、弓兵のマゼンタ。
彼女は即座に弓を引き絞り、狙いを定める。鍛え上げられた腕が弦を限界まで引き伸ばし、矢尻が真っ直ぐにジェスターを捉えた。
そして──。
ヒュンッ!
鋭い風切り音とともに、矢が放たれた。
『ヨホ?』
ジェスターが首を傾げた、その直後。
矢は彼の身体を射抜く──はずだった。
「重力よ」
リリィの声が静かに響く。
次の瞬間、矢は見えない何かに押さえつけられたかのように軌道を変え、地面へと叩き落とされた。
ズドンッ!
「くっ! やっぱり、あっちの子が魔法使いか!」
「しかも詠唱破棄ですって!?」
マゼンタと仲間たちが驚きの声を上げる。
しかし、彼らが体勢を立て直すよりも早く、次の一手が繰り出された。
地を蹴り、風のように駆け出したのは盗賊のカールだ。
彼女は低い姿勢で修練場を駆け抜け、ジェスターの隙を突くようにリリィへと肉薄する。
「取った!」
ジェスターに意識を向けさせ、その隙に魔法使いを狙う。
それは、冒険者として経験を積んだ者ならではの判断だった。
「雷鳴よ」
リリィが微笑んだ。
刹那、空気を切り裂く閃光が走る。
轟音とともに落ちた雷が、カールの身体を撃ち抜いた。
「ぐあぁぁぁっ!」
カールの身体が大きく跳ね、煙を上げながら地面に倒れ込む。
その光景を目にしても、リリィの笑みは消えなかった。
「うふふ! 楽しいわ! もっともっと、足掻いてちょうだい!」
『ヨホ! アチラは何やら白熱しておりますなぁ!』
ジェスターは、まるで舞台の観客にでもなったかのように、楽しげな声を上げた。
だが、その余裕たっぷりの態度に、リーザは不満げに口元を歪める。
「そうね。だけど今は──アタシのことを見てほしいかしらッ!」
振り下ろされる大剣。
リーザの剣筋は、豪快な見た目に反して洗練されていた。
踏み込みに無駄がなく、刃の軌道にも淀みがない。長年の鍛錬を積み重ね、幾度となく実戦を潜り抜けてきたことが窺える一撃だった。
しかし、ジェスターはその斬撃を、ひらり、ひらりと軽やかにかわしていく。
まるで、舞台の上で踊るように。
『ヨホホホ! すんばらしい大剣さばきでございます! いやはや、積み重ねてきた努力がヒシヒシと伝わってまいりますなぁ!』
「だったら、少しくらい当たってくれてもいいんじゃない!?」
リーザが大剣を振り抜きながら叫ぶ。
ジェスターは答える代わりに、ひょいと身体を傾けた。大剣が鼻先を掠め、空を切る。
「リーダー! どいて!」
ミカの声が飛んだ。
リーザは即座に身を引く。その判断に一切の迷いはなかった。
彼女が退いた直後、後方から魔力が膨れ上がる。
リーザのパーティー最後の一人、魔法使いのミカが、渾身の魔法を放った。
「灯火よ、我が眼前に至る敵を焼き払え──【ファイヤーボール】!」
轟ッ!
燃え盛る火球が唸りを上げ、ジェスターの顔面へと直撃した。
『アチャチャチャチャッ!? こりゃ熱い! 熱いでございますよぉ!』
「ちょっと! ジェスター、大丈夫!?」
リリィが思わず声を上げる。
火球の炎に包まれたジェスターの姿を見て、リーザたちも一瞬だけ動きを止めた。
だが──。
『…………なーんて、嘘〜』
次の瞬間。
ジェスターは、燃え盛る炎をまるで着ぐるみでも脱ぐかのように、するりと脱ぎ捨てた。
炎が地面へと落ち、ぱっと消える。
その下から現れたのは、火傷ひとつ負っていない、いつもどおりのジェスターだった。
「……は?」
「ど、どうなってんの!?」
リーザたちの顔に、困惑が広がる。
今の攻撃は、決して手加減したものではなかった。魔法使いとしての技量を注ぎ込んだ、ミカ渾身の一撃だったはずだ。
それを、まるで何事もなかったかのように受け流した。
いや、そもそも──炎を脱ぎ捨てるとは、いったいどういうことなのか。
『さぁさぁ! お次はコチラの番でさぁ!』
ジェスターは、どこからともなく一本の風船を取り出した。
それを口元に運び、ぷぅっと息を吹き込む。
膨らんだ風船を器用に捻り、結び、あっという間に剣の形へと変えてしまった。
どこからどう見ても、子供向けの大道芸で使うような風船の剣だった。
『武器はこれでよござんしょ!』
「……アタシのことを舐めてんのか!」
リーザの額に青筋が浮かぶ。
次の瞬間、彼女は大剣を両手で握り締め、力の限り振り下ろした。
ガキィィンッ!
金属同士がぶつかり合ったかのような、甲高い音が響き渡る。
リーザの大剣と、ジェスターの風船の剣。
二つの剣が、真正面から拮抗していた。
「はぁ!? なんでアタシの大剣と、アンタのその風船が互角なのよ!?」
『何故って……何故でしょうなぁ?』
「ッ! バカにして……!」
リーザは歯を食いしばり、さらに力を込めた。
しかし、風船の剣はびくともしない。
ジェスターは相変わらず、楽しそうに笑っているだけだった。
「マゼンタ!」
「分かってる!」
リーザの声に応じ、マゼンタが再び弓を引き絞る。
今度はジェスターではない。狙いは、彼の背後にいるリリィだった。
矢が放たれる。
しかし、その軌道はリリィへ届く直前で大きく逸れ、地面へと突き刺さった。
「やっぱり、簡単には通してくれないわね……!」
マゼンタは悔しげに唇を噛む。
その間にも、カールが体勢を立て直そうと地面に手をついた。
「まだ……やれる!」
「無理はしないで! ミカ、援護を!」
「分かってる!」
ミカが魔力を練り上げる。
リーザはジェスターの剣を受け止めながら、仲間たちの動きを見ていた。
連携は崩れていない。
それぞれが自分の役割を理解し、互いの隙を補い合っている。
上位冒険者のパーティーとして、十分に洗練された戦い方だった。
だが──。
ジェスターは、そのすべてを楽しんでいた。
風船の剣で大剣を受け止め、身体を傾けて矢を避け、足取りひとつでカールの不意打ちをかわす。
魔法が迫れば、まるでその軌道を知っているかのようにひらりと身を翻した。
そして、リリィもまた、魔法による支援を続けていた。
敵の動きを妨げ、攻撃を防ぎ、時には雷を落として反撃する。
それだけの魔法を使い続けているというのに、彼女の表情から疲労の色はほとんど見られなかった。
どれほどの時間が経ったのだろう。
やがて、先に限界を迎えたのはリーザたちだった。
「はぁ……はぁ……っ!」
荒い呼吸を繰り返しながら、リーザは大剣を構え直す。
額から汗が滴り落ち、腕は鉛のように重い。仲間たちも同様だった。マゼンタは弓を引く腕を震わせ、カールは息を整えるのに精いっぱいで、ミカの額にも大粒の汗が浮かんでいる。
「どうなってんのよ……。ピエロの方は、風船なんかでアタシと渡り合ってるし……。少女の方は、魔力切れの兆しすらない……」
対照的に、ジェスターは相変わらず涼しい顔をしていた。
風船の剣を肩に担ぎ、まるで散歩でも楽しんでいるかのように、のんびりと立っている。
『ヨホホホ! いやはや、実に愉快な舞台でございました!』
ジェスターは満足げに笑うと、リリィへと顔を向けた。
『ですが、そろそろ閉幕のお時間ですなぁ。リリィちゃん、終わりの呪文は覚えておりますね?』
「!!! うん!」
リリィは一瞬目を見開き、それから元気よく頷いた。
「な、何をする気……?」
リーザが警戒を強める。
しかし、ジェスターは答えない。
ただ、リリィと顔を見合わせ、二人そろって楽しそうに笑った。
そして──。
『ピリカラ・ポリカラ・ポンパッパ!!!』
「ピリカラ・ポリカラ・ポンパッパ!!!」
二人の声が重なった、その瞬間だった。
ジェスターとリリィの足元に、奇妙な紋様が浮かび上がった。
それは一瞬のうちに修練場の地面を走り、結界の内側を覆い尽くす。
「なっ……!?」
リーザが目を見開いた。
次の瞬間、景色がぐにゃりと歪む。
上下も左右も曖昧になり、まるで世界そのものが裏返るかのような感覚が襲った。
そして──。
「……は?」
気がつけば、リーザたちは結界の外に立っていた。
「な、何が起きたの!? なんで私たち、結界の外にいるの!?」
「まさか……死んだ、のか?」
「ありえない……! あの一瞬で、何をされたの!?」
誰もが状況を理解できず、呆然と立ち尽くしていた。
致命傷を負った覚えはない。身代わりの札が発動した感覚もなかった。
それなのに、彼らは結界の外にいる。
まるで、戦いそのものを強制的に終わらされたかのように。
『ヨホホホホ! それでは皆々様、これにて閉幕!』
ジェスターは風船の剣をくるりと回し、観客に挨拶するように大きく一礼した。
『よろしいですかな、モルド?』
呼びかけられたモルドは、しばらくの間、言葉を失っていた。
やがて、深々と息を吐く。
「……ああ。文句なしの決着だ」
そして、修練場に響き渡る声で宣言した。
「勝負あり! 勝者、ジェスターチーム!」
その宣言を聞いてもなお、リーザたちはすぐには動けなかった。
彼らは今、身をもって理解したのだ。
目の前のピエロと少女は、自分たちが想像していたような相手ではないのだと。
読んでくれてあんがとな




