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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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94/224

第94話 スタジオが静まり返った

「上の段の、端の子」


 番場さんが机を指で二回叩いた。


 カメラが一台、こっちへ寄ってきた。台の下に車輪が付いていて、床の上を滑ってくる。滑る音は、思ったより大きい。


 俺の椅子の背の紙が、また端からめくれていた。押さえに行きたかったが、両手は膝の上に置いたままにした。


 カメラの上に赤い光がついた。ついたところで、筒井さんが背筋を伸ばした。


「高町。今日、ここ来るまで何しとった」

「車に乗ってました」

「何時間」

「一時間半です」

「寝たやろ」

「寝てないです」

「なんで」


 俺は答えた。


「有本さんが、道を間違えたので」


 どこかで笑いが起きた。番場さんが「有本さん誰やねん」と言って、笑いがもう一段大きくなった。


 俺は正面を見ていた。


   ◇


 番場さんの目が、少し細くなった。


 細くなったが、声の大きさは変わらなかった。


「高町、ええな。素材や」


 筒井さんが横で手を叩いた。下の段の烏丸さんが「先輩、いま素材って言いましたよ」と言って、また笑いが起きた。


 俺は、素材というのが何のことなのかがわからなかった。


 スーパーで肉を買うときの札に書いてある字だと思ったが、たぶん違う。


 わからないまま、次の振りが来た。


   ◇


「ほな高町、ちょっと立って」


 俺は立った。


「そのまま、こっち向いて」


 俺は向いた。


「ほんで、俺のことめっちゃ好きな顔して」


 俺は番場さんを見た。


 番場さんを見て、そのまま立っていた。


   ◇


 スタジオが静まり返った。


   ◇


 音が無いわけではなかった。


 空調が回っている。カメラの台が床でわずかに軋む。上のほうのどこかで、金属が一度だけ鳴った。


 人の声だけが無い。


 番場さんの口が、少し開いたまま止まっている。


 筒井さんの手が、叩こうとした形のまま、膝の上で止まっている。


 下の段の烏丸さんが、口を開けて、何も言わないで閉じた。


 秋月さんが、鏡を握ったまま俺を見上げていた。


   ◇


 俺は段の上に立っていた。


 立ったまま、番場さんを見ていた。言われたとおりにしているつもりだった。


   ◇


「怖い怖い怖い」


 番場さんが両手を上げた。


「今、俺のこと嫌い?」

「いえ」

「嫌いじゃないんかい」


 笑いが戻ってきた。


 戻ってきた笑いは、さっきまでのものより大きかった。烏丸さんが下の段で床を叩いている。筒井さんは椅子の背にもたれて、天井を向いていた。


 番場さんは、笑いが引くのを待ってから、もう一度こっちを見た。


「座って」


 俺は座った。


   ◇


 一本目の企画は、途中で二回止まった。


 一回目は、下の段の人が名前を言い間違えたからだった。フロアの人が手を上げて、番場さんが「今の、無しな」と言って、同じところからやり直した。


 二回目は、上のほうで何かが落ちた音がしたからだった。落ちたものは見つからなかった。


 止まるたびに、ひな壇の全員が姿勢を崩して、また戻す。崩して戻すのが、二回とも同じ速さだった。


 俺は崩さなかった。崩す前に、戻す合図が来ると思ったからだ。


   ◇


 三十分ほど、俺のところに振りは来なかった。


 来ないので、俺は正面を見ていた。


 番場さんは下の段を回して、そこから真ん中へ上げて、真ん中で二つ話を作って、また下へ降ろした。烏丸さんが二回立ち上がって、二回とも走って戻ってきた。


 上の段の四人のうち、三人は同じ拍で笑っていた。


 俺は膝の上の手を見ていた。


 左手の人差し指の爪の横が、少し欠けている。いつ欠けたのかは思い出せなかった。


   ◇


 二本目の企画に入った。


 フリップが変わって、机の上に箱が置かれた。中身は見えない。番場さんが箱に手を入れて、何かを取り出すたびに、ひな壇が声を上げる。


 一つ目は、赤くて長いものだった。二つ目は、丸くて黒いものだった。どちらも、烏丸さんが名前を当てた。


 三つ目を取り出したところで、番場さんの目がこっちへ来た。


「高町。これ、なんやと思う」

「わからんです」

「当てるとこやで」

「見えてないです」

「見えてへんのかい」


 笑いが起きた。


 番場さんは箱を持ち上げて、こっちへ見せた。


「ほな見せたる。……はい、どうぞ」


 俺は箱の中を見た。


 中に、白い塊が入っていた。何かの食べ物だと思ったが、名前がわからなかった。


 俺は、それを見た。


   ◇


 二度目の沈黙は、一度目より長かった。


   ◇


 番場さんは、箱を持ち上げたまま動かなかった。


 持ち上げた腕が、そのまま二秒、空中にあった。


「……高町。なんか言うて」

「白いです」


   ◇


 烏丸さんが何か言おうとした。言おうとして、言葉が出る前に、番場さんが手で止めた。


 止めて、番場さんはカメラのほうを向いた。


「今の間、俺が悪いんちゃうぞ」


   ◇


 スタジオに二十人以上いて、顔が動いていないのは俺だけである。


   ◇


「はい、止めます」


 フロアの人が手を上げた。


 照明が半分落ちて、音楽が切れた。ひな壇の全員が、同時に姿勢を崩した。


 崩したが、誰も喋らなかった。


   ◇


 スタジオの奥から、白いシャツの人が出てきた。


 髪が短くて、首からヘッドホンを提げている。歩くのが速い。机の横まで来て、番場さんに何か言って、それから上の段のほうへ顔を上げた。


「高町くん、ちょっといい?」

「はい」

「溝口です。今日の演出です」

「高町です」


 溝口さんは、上の段の下まで来て、俺を見上げた。


「さっきのところ、頭から録り直します。カメラの位置も、さっきと同じに戻します」

「はい」

「同じことを聞くので、同じように答えてください」

「はい」

「あと、ちょっとだけ、笑ってもらっていいですか」


 俺は口の端を上げた。


 溝口さんは俺の顔を三秒見て、それから、ヘッドホンを首から外して、手に持ち替えた。


「……今のは、無しで」


   ◇


 録り直した。


 番場さんが同じことを聞いて、俺が同じように答えて、番場さんが箱を持ち上げた。


 中身は、さっきと同じ白い塊だった。


 俺は、それを見た。


   ◇


 三度目の沈黙のあと、溝口さんが自分の手元の台本で、自分の額を一回叩いた。


 叩いてから、フロアの人に何か言った。フロアの人がうなずいて、ひな壇に向かって手を回した。


「次、いきます」


   ◇


 袖のほうで、人が動いた。


 犬飼さんが、機材の箱の陰から一歩、明るいところへ出てきていた。


 出てきて、そこで止まっている。腕は組んでいない。両手が体の横に垂れていた。


 スタッフの人が「そこ、映ります」と言った。犬飼さんは黙って一歩下がって、また箱の陰に戻った。


   ◇


 筒井さんが、俺の膝を叩いた。


「なあ、今の、なんやったん」

「白かったです」

「そうやなくてな」


 筒井さんは、しばらく俺の横顔を見ていた。


 見てから、正面に向き直って、両手で自分の顔を一度こすった。


「……天才か、事故か、どっちかやわ」


 事故と言われたので、俺は袖のほうを見た。


 誰も倒れていなかった。


 袖の壁際に、機材の箱が積んである。積んである箱の横に立っているのが、俺のマネージャーである。


 立ち方は、さっきと同じだった。


   ◇


 三本目の企画は、下の段が中心だった。


 俺のところに振りは来なかった。来ないあいだ、ひな壇の空気は元に戻っていた。烏丸さんが立ち上がって走って、筒井さんがそれにツッコみ、秋月さんが手を叩く。


 その順番が、二回とも同じだった。


 二回目の途中で、俺の左隣の人が、椅子を五センチだけ左へずらした。


 ずらしてから、そのまま戻さなかった。


   ◇


 烏丸さんが、下の段から振り返った。


 振り返って、上の段の俺を見上げて、それから番場さんのほうへ手を上げた。


「番場さん、俺、上の段の高町くんに一個だけ聞いてええですか」

「聞き」

「高町くん、好きな食べ物なに?」

「カレーです」

「あー、はい、カレー。カレーな。……カレーか」


 烏丸さんは前を向いた。


 向いて、そのまま何も続けなかった。続けようとした形の手が、途中で止まって、膝に落ちた。


 番場さんが、その手を指した。


「おい、置いていくなや」

「置いていってないですよ」

「置いていっとるわ。カレー拾えや」


 烏丸さんは、両手で顔を覆った。


   ◇


 四本目に入る前に、番場さんが手を上げて止めた。


 止めて、机の向こうから、上の段のほうへ体を向けた。


「高町。ちょっと、こっち来て座り」

「どこですか」

「ここ。俺の横」


 スタッフが動いて、机の横に椅子を一脚置いた。


 俺は上の段から降りた。後ろ向きに降りた。降りるのに、思ったより時間がかかった。


   ◇


 番場さんの横に座ると、ひな壇が正面に見えた。


 十六人が三段に並んでいる。並んでいる全員が、こっちを見ていた。


 番場さんは俺のほうへ椅子を寄せた。寄せてから、肘で俺の腕を突いた。


「あんな、俺はこの椅子に座って、目の前の人間が喋りだすのを待つのが仕事やねん。待っても喋らんかったんは、今日で二回目や」

「一回目はいつですか」

「俺がまだこの席やなかった頃や。そいつは次の日、事務所辞めたわ」


 上の段で、筒井さんが足を踏み鳴らした。


 俺は笑わなかった。番場さんは、笑わない俺の顔をしばらく見てから、カメラのほうを向いた。


「な? こういうことやねん」


   ◇


 番場さんは、それから五分ほど、俺の隣で喋り続けた。


 喋りながら、俺のほうを何度も向いた。向かれるたびに、俺は番場さんを見た。見るだけで、何も言わなかった。


 番場さんは、俺が何も言わないところで一度笑いを取り、俺が「はい」と言ったところでもう一度取った。


 取り方は、見ていても掴めなかった。


   ◇


「はい、休憩五分でーす」


 照明が落ちた。


 番場さんは椅子から立って、机の上の水を飲んだ。飲んで、コップを置いて、俺の肩を一回叩いた。


 叩いて、そのままスタジオを出ていった。


 俺は上の段へ戻ろうとして、途中で止められた。


「高町さん、そこ、そのままで」


   ◇


 そのままで、と言われたので、俺は机の横の椅子に座っていた。


 座っていると、ひな壇の十六人が正面に見える。


 休憩のあいだ、十六人のうち、こっちを見た人は四人だった。四人とも、目が合うとすぐに逸らした。


 筒井さんだけが、上の段から手を上げた。


 上げただけで、何も言わなかった。


   ◇


 昼になっても弁当は来なかった。


 来なかったが、休憩のときにおにぎりが配られた。俺は二つもらった。筒井さんが上から一つ投げてよこしたので、三つになった。


 三つ目を食っているときに、秋月さんが机の横まで来た。


「あの、高町さん」

「はい」

「わたし、さっき、途中で息を止めてました」

「そうですか」

「はい」


 秋月さんは、そこで話を切って、ひな壇へ戻っていった。


 戻るときに、上の段を後ろ向きに登っていた。


   ◇


 収録は、そのあと二時間続いた。


 俺は途中で上の段へ帰された。帰されたのは、番場さんが「近すぎて笑えん」と言ったからだ。


 俺のところに振りは、二回来た。二回とも、俺は聞かれたことに答えた。二回とも、答えたあとに間ができた。


 その間を、番場さんが毎回拾った。


 拾い方は毎回違った。一度は自分でツッコみ、一度は烏丸さんに振り直し、一度はカメラに向かって手を合わせた。


 拾われるたびに、ひな壇が笑った。


   ◇


 終わったのは、二十時を過ぎていた。


 三時間の予定が、押していた。押した理由は、誰も言わなかった。


 ひな壇の十六人が、順番に降りていく。降りる順番は決まっているらしく、上の段が最後だった。


 俺が最後に降りた。


 降りたところで、床の黒いテープを一本、靴の裏で剥がしてしまった。スタッフの人が来て、貼り直した。


   ◇


 最後の企画は、全員で一枚の紙に字を書くやつだった。


 ひな壇の十六人が順番に立って、机の上の大きい紙に一文字ずつ書いていく。書いた字は、全部つながって一つの文になるらしい。


 俺の番が来た。


 前の人が書いた字の隣に、言われた字を書いた。書いてから、席に戻った。


 戻ったあと、番場さんが紙を持ち上げて、読み上げた。


 読み上げた途中で止まって、俺のほうを見た。


「高町の字だけ、めっちゃ小さいねん」

「そうですか」

「見えへんて。ここだけ、紙の上に虫が一匹止まってるみたいになっとるやんけ」


 筒井さんが上の段から身を乗り出して、紙を見た。


「ほんまや。丁寧やけど小さい」

「丁寧やから小さいんちゃう」


   ◇


 番場さんが、机の向こうで水を飲んでいた。


 飲んで、コップを置いて、こっちを見た。


「高町。今日、しゃべった時間、全部で四十秒ぐらいちゃうか」

「そうですか」

「三時間おって四十秒や。俺、三時間しゃべりっぱなしやぞ」


 番場さんは笑った。


 笑って、台本を丸めて、それで自分の肩を叩いた。


「まあ、ええわ。今日のぶんを繋ぐ人間が、あとで一人で泣くだけの話や」


   ◇


 衣装を返しに行くのに、廊下を三つ曲がった。


 曲がるたびに、壁の色が変わった。白から、灰色から、また白になった。案内の紙が壁に貼ってあるが、矢印の向きが二枚で食い違っている。


 衣装の部屋の前で、上着を脱いだ。


 脱いだら、シャツの背中が濡れていた。三時間、と言われたとおりの暑さだった。


 衣装の人は上着を受け取って、袖口の折り返しを元に戻した。


「お疲れさまでした」

「はい」

「来週の火曜も、同じ上着でお願いすることになると思います」

「来週ですか」

「そう聞いてます」


 俺は聞いていなかった。


   ◇


 袖に戻ったところで、有本さんが息を呑んだ。


 呑んだ音が、はっきり聞こえた。有本さんは口を押さえて、それから、慌ててタブレットを両手で持ち直した。


「すみません」

「なんですか」

「なんでもないです」


 有本さんの後ろに、犬飼さんが立っていた。


 立って、俺の顔を上から下まで見た。それから、俺の後ろのスタジオのほうを見た。


「歩けるか」

「歩けます」

「そうか」


 犬飼さんは先に歩き出した。


 歩き出して、三歩でこっちを向いた。


「腹は」

「減ってます」

「そうか」


   ◇


 廊下の突き当たりで、溝口さんが誰かと立ち話をしていた。


 若い人が、紙の束を胸に抱いて、溝口さんに何か言っている。声が高い。


「三時間撮って、あの人のところだけ、どこも切れないんですけど」

「切らなくていい」

「尺、入らないですよ」

「入れる」


 俺が通りかかったので、若い人は口を閉じた。


 溝口さんはこっちに気づいて、片手を上げた。


「高町くん、オンエア、来週の水曜です」

「はい」

「編集、しっかりやりますので」


 溝口さんはそう言って、ヘッドホンを首に掛け直した。


 掛け直してから、もう一言だけ足した。


「……たぶん、いい形で出ます」


 犬飼さんが、その言葉を聞いて足を止めた。


 止めて、溝口さんの顔を見た。溝口さんは目を合わせなかった。

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