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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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86/197

第86話 看板が二枚

 朝、教室に入ったら、机の上に賞状が置いてあった。


 俺の机である。


 開いて見たら、三年一組の名前が書いてあって、その下に〈第二位〉と印刷してあった。体育祭の総合の順位らしい。


「なんで、俺の机にあるんだ」


 俺は熊沢に聞いた。


「いちばん働いてない奴に持たせようって話になった」

「俺はいなかった」

「だから、いちばん働いてない」


 理屈は通っている。


   ◇


「で、聞けよ」


 熊沢が椅子を回してこっちを向いた。


「土曜の二百メートル。俺、三位だったんだよ」

「そうか」

「三位ってのは、まあ、悪くない。悪くないんだけどな」

「なんだ」

「四人で走った」


 熊沢は机に肘を載せた。載せて、体重をかけた。


「一人こけたんだよ、途中で。だから実質、三人中の三位」

「四人中の三位だ」

「そこは実質って言えよ」


 言い方の問題らしい。


   ◇


 賞状は、そのあと美咲が持っていった。


 持っていって、教室の後ろの壁の、上のほうに貼った。貼るときに、椅子の上に立った。椅子を押さえたのは熊沢である。


「高町くん、あなたのぶんの得点、二点入ってる」

「出ていません」

「用具は、当日の得点じゃないの。準備の分が入るのよ」


 美咲は椅子から降りた。


「二点って、玉入れの籠一本ぶんよ」


   ◇


 二時間目のあと、廊下に人が出ていた。


 出ていたのは、うちのクラスの前だった。えんじ色ではない上履きが、ドアの両側に並んでいる。そのうちの何人かは、両手に何も持っていなかった。


「なあ高町、あれ、いつまで続くと思う?」

「わからん」

「俺、下の階の女子に、お前の時間割を聞かれたぞ」

「教えたのか」

「教えるかよ。教えたけど」

「教えたのか」

「一時間目だけな」


   ◇


 昼休みに、早坂が俺の机の前で止まった。


 止まって、そこに立ったまま、言った。


「日曜の、最後の」

「見たのか」

「見た。うち、母と二人で見た」

「そうか」

「終わったあと、二人とも十分くらい黙ってた」


 早坂は自分の手のひらを見た。見て、また上げた。


「それだけ。じゃあ」


 早坂は行った。


 その十分のあいだのことを、俺は聞かなかった。


   ◇


 一時四十分に早退した。


 黒板の右端に、〈6/20(金) 高町 公欠〉と書いてある。


 書いたのは宮坂先生である。


   ◇


 局に着いたのは十四時半だった。


 裏口の受付の人が、俺の顔を見て札を出した。


「Gスタジオです」

「はい」

「今日、楽屋が二つ上の階です」

「上がったんですか」

「今日は人が多いので」


 人が多いらしい。


   ◇


 二つ上の階の廊下は、下の階より狭かった。


 狭いところに台車が二台停まっていて、そのあいだを人が横向きで通っていく。俺も横向きで通った。


 途中で、壁に貼ってある紙を見た。〈本日 ミュージックゲート 20:00〜〉と書いてある。右下の余白に、今日も鉛筆で書き足しがあった。


 〈押し 5〉


 鉛筆の字は、前に見たのと同じ人の字だった。数字のところだけ、二重に濃く書いてある。書き直したらしい。


   ◇


 楽屋は広かった。


 机が二つあって、椅子が四つあって、奥に小さい流しが付いている。鏡の縁の電球は、十二あった。全部点いていた。


 有本さんが紙を持って入ってきた。


「高町さん、今日の流れです」


 紙を受け取った。


 いちばん下のほうに、見たことのない行があった。


 〈20:40〜 発表コーナー(出演者全員 板付き)〉


「これは、なんですか」

「発表です」

「何を発表するんですか」

「私も聞いていません」

「板付きというのは」

「カメラが回りはじめた時点で、もうそこに立っている形です。歩いて出てこないで、最初から並んでいます」


 有本さんはタブレットを見た。


「今日、事務所から四人来ています」

「四人ですか」

「いつもは私だけです」


   ◇


 俺は椅子に座った。


 座って、机の上を見た。机の上には、ペットボトルが二本と、紙コップが四つ置いてある。四つとも空だった。


 鞄を開けて、人形を出した。


(今日は歌わないらしい)


「歌わないの?」


(並ぶだけだと書いてある)


「並ぶだけで四時間待つの?」


(そうなる)


「あんた、それでいいの」


(弁当は出る)


「……あんたのそれ、才能よ」


 才能らしい。


   ◇


 十五時から十七時まで、何も無かった。


 楽屋の椅子は四つある。俺は入口に近いほうに座っていて、あとの三つは空いていた。空いている椅子を見ていても仕方がないので、壁を見た。


 壁に、四角いテープの跡が二つあった。一つは大きくて、一つは小さい。大きいほうは、剥がしたあとを誰かが指でこすった跡が残っている。


 弁当は出なかった。出るのは終わってからだと、今日も言われた。


 俺は自動販売機を探しに廊下へ出た。出て、突き当たりまで歩いて、そこに自動販売機が無いことを確かめて、戻ってきた。


 戻ってきたら、椅子の一つに有本さんが座っていた。


「高町さん、どこへ行きました」

「自販機です」

「この階には無いです」

「無かったです」


 有本さんは鞄から、缶コーヒーを一本出して、机に置いた。微糖だった。


「これは、有本さんのですか」

「私のです」

「では」

「差し上げます。わたし、いつも二本持ってるので」


 有本さんは、もう一本を自分で開けて、それを飲んだ。


 二本持っている人だったらしい。


   ◇


 十七時から、リハーサルがあった。


 立つ位置を決めるだけのやつだ。今日は出演者が七組いて、七組が横一列に並ぶ。並ぶ順番は、床のテープの色で決まっていた。


 俺は右から三番目だった。


 伊佐さんが膝をついて、俺のテープの角を押さえ直した。


「高町さん、今日は歌わないんですけど」

「はい」

「立ってるだけです」

「はい」

「立ってるだけなんですけど、四十秒あります」

「四十秒というのは、どのくらいですか」

「立ってると長いです」

「はい」

「見てるほうは、あっという間です」


 伊佐さんは膝の埃を払って、立ち上がった。


   ◇


 十九時に、廊下が急に混んだ。


 事務所の人が四人、廊下の端に固まっていた。四人とも上着を着ていて、一人が紙を持っている。持っている紙を、四人で覗き込んでいた。


 俺が通ったら、四人が同時に顔を上げた。


「高町くん、今日、いい日になるから」


 誰の言葉だったのかは、四人が同じ向きに立っていたので分からなかった。


   ◇


 二十時ちょうどに、番組が始まった。


 一組目が歌った。二組目が歌った。俺は袖に立って、それを見ていた。


 袖は暗い。暗いところから明るいところを見ていると、床のテープの色がよく見える。赤、青、緑、白。今日は色が三つ増えていて、全部で七つあった。


 袖のモニターに、いま映っているものが出ている。


 三組目のあとで、モニターの中身が変わった。歌ではなく、短い映像が流れはじめた。


 映っていたのは、知らない子だった。


   ◇


 髪が長い。制服ではない服を着て、白い部屋の真ん中に立って、歌っていた。


 十秒くらいで切れた。


 切れたあと、モニターは客席を映した。


「あの子、うちですよ」


 横で、事務所の人の一人が言った。


「うちというのは」

「ソレイユです。高町くんの二つ下。立花っていいます」

「知りませんでした」

「まだ出てないので。今日が最初です」


 その人は、モニターのほうを見たままだった。


「あの子、来年は真ん中に立ちます」


   ◇


 二十時四十分になった。


 俺は右から三番目のテープの上に立った。


 両隣に人がいた。左は二組目の人で、右は一組目の人だった。七人が横に並ぶと、端の人の顔は、ここからは見えなかった。


 都築さんが白いテープの上に立った。


 立って、原稿を持たずに喋りはじめた。


   ◇


「七月二十五日、金曜日。ミュージックゲート、サマースペシャル」


 客席から声が上がった。


「三時間、生放送でお届けします。会場は、この局を出ます」


 また声が上がった。


 都築さんは、そこで一度、袖のほうを見た。見て、こっちに戻した。


「本日ご出演のみなさんに、そのままご出演いただきます」


 俺の左で、二組目の人が小さく息を吸った。


   ◇


「そして」


 都築さんはそこで切った。


 スタジオの上のほうから、光が下りてきた。俺のところではない。俺の三つ左のあたりが、明るくなった。


 明るくなったところには、誰も立っていなかった。


   ◇


「サマースペシャルの中で、一曲だけ、特別なものをやります」


 都築さんは言った。


「『ノーフェイス』。今夜も何度も名前が出ました、あの曲です。これを、サマースペシャルでは二人で歌っていただきます」


 客席が、少し静かになった。


「歌うのは、高町灯真さんと」


 俺の名前が呼ばれた。


 呼ばれたので、俺は少しだけ顎を引いた。それ以外にやることが分からなかった。


「神楽坂澪さんです」


   ◇


 客席の音が、いちばん大きくなった。


 上の列から順に来て、下まで来て、それから全部が一緒になった。両隣の二人が同時にこっちを向いた。右の人が何か言ったが、聞こえなかった。


 俺は前を向いていた。


 前を向いたまま、四十秒が終わるのを待った。


   ◇


 そのとき画面に映っていたのは、七人のうち右から三番目で、顔を一度も動かさなかった男だった。


   ◇


 袖に下がった。


 下がったところで、事務所の人の一人が携帯を耳に当てていた。歩きながら喋っている。声が大きい。


「――ええ。出ます。うちの看板が二枚、同じ画に並びます」


 その人は、俺の横を通った。


 通るときに、こっちを見て、片手を上げた。上げた手は、携帯を持っていないほうだった。


「――いや、こっちが頼んだんじゃないです。向こうから来ました。向こうから」


 声は廊下の突き当たりまで行って、そこで曲がった。


   ◇


 袖の暗いところに、出演者が七組ぶん下がってきた。


 下がってきた順に、それぞれの担当の人が近寄って、何か言って、離れていく。俺の左にいた人のところには、三人来た。


 俺のところには、まだ誰も来なかった。


 一組目の人が、俺の前で足を止めた。


 止まって、口を開けて、何も言わずに閉じた。閉じてから、手を出した。


 俺はその手を握った。


 握ったら、二回振られた。振ってから、袖の奥へ歩いていった。


   ◇


 携帯が震えた。


 犬飼さんからだった。


 〈聞いた〉


 それから、二十秒くらいあって、もう一通来た。


 〈飯は食え〉


 俺は〈まだです〉と返した。


 既読は、すぐに付いた。返事は来なかった。


   ◇


 残りの二組が歌って、番組の終わりが近づいた。


 最後に、全員がもう一度スタジオの床に出た。今度は並ばなかった。散らばって立って、音楽が鳴っているあいだ、それぞれが好きなほうを向いていた。


 俺は前を向いていた。


 カメラの長い腕が、上から下りてきて、俺の前を通って、また上がっていった。上がっていく途中で、腕の先の赤いランプが消えた。


 消えたところで、客席の上の列の人が立ち上がりはじめた。


   ◇


 番組は二十時五十四分に終わった。


 終わってから、楽屋に戻るまでのあいだに、何人かに声をかけられた。知らない人ばかりだった。


 楽屋に戻ったら、有本さんがタブレットを持って立っていた。


「高町さん、電話が十二本きました」

「今日ですか」

「番組が終わってからです」


 有本さんは、タブレットを胸のところで伏せた。


「今日はもう出ません」


   ◇


 廊下で都築さんとすれ違った。


 今日は原稿を丸めていなかった。両手が空いている。


「高町くん、読んだわよ、あの一行」

「はい」

「気がついた?」

「気がつきませんでした」


 都築さんは、そこで一度立ち止まった。


「わたしね、いい紹介文を読むと、そのあと本人が出てきたときに、お客さんの顔が変わるのが分かるの。今日は、変わる前に発表のほうが来ちゃったから、そこだけは残念だったわね」

「はい」

「来月、あらためて読むから」


 都築さんは歩いていった。


 その一行がどれだったのか、俺には見当がつかなかった。


   ◇


 鞄を開けたら、中で人形が動いた。


(うるさい)


「あんた、いま、名前を呼ばれたわね」


(呼ばれた)


「二つ呼ばれたわよ」


(そうだな)


「一つ目のあと、あんた、顎を引いたでしょう」


(引いた)


「二つ目のあとは、何もしなかったわね」


 俺は声を出さなかった。


 出さないで、鞄の口を閉めた。


   ◇


 俺は上着を着た。


 着ながら、机の上のペットボトルを見た。二本のうち一本は、誰かが開けて、半分飲んで置いていったやつだった。


 弁当は、まだ来ていなかった。


   ◇


 裏口に降りたら、車が三台並んでいた。


 一台目に事務所の人が二人乗った。二台目に、あとの二人が乗った。二台目のドアが閉まる前に、中から声が漏れてきた。声は喋っている声ではなく、笑っている声だった。


   ◇


 俺は、出ていく車を見送った。


 テールランプが二つずつ、四つ。四つとも、道路の先で右へ曲がって、見えなくなった。


 残ったのは俺と、警備の人と、壁の非常灯だけだった。


 三台目は、まだ来ていない。


   ◇


 後ろで、自動ドアが開いた。


「高町さん、お待たせしました」


 有本さんだった。


 紙袋を持っている。中に、弁当が二つ入っていた。


「三台目、遅れています」

「はい」

「あと十分だそうです」

「はい」


 有本さんは紙袋を俺に渡した。


 渡してから、こう言った。


「七月一日、火曜日。二階のレッスン室Aです」

「何がですか」

「合わせです」


 合わせらしい。


 俺は紙袋を開けて、蓋を取った。


 立ったまま、白飯を口に入れた。


 梅干しは入っていなかった。今日の弁当には、白飯の真ん中に黒い粒がまいてある。粒は塩の味がした。


 二口目を入れたところで、有本さんが横で言った。


「高町さん、立ったままだと、こぼれます」


 俺は蓋を閉めた。


 閉めてから、紙袋の底を見た。底に、割り箸が二膳と、おしぼりが二つ入っていた。


 二つとも、袋の底に平らに寝ていた。


 閉めたところで、道路の先に、三台目のライトが見えた。

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