↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
85/197

第85話 歌番組の裏側は忙しい

 昼休みのグラウンドで、俺は玉入れの籠を担いでいた。


 籠は棒の先に付いている。その棒を、地面に埋まっている支柱の穴に差す。差すのが俺で、支えるのが熊沢で、位置を決めるのが美咲だった。


「もう少し右」

「右ですか」

「もう少し。……行きすぎ」


 二回やり直して、最初の場所に戻った。


「高町くん、あなた、今日は何時に出るの」

「一時四十分に早退します」

「じゃあ、あと二十分ね」

「はい」

「明日いないんだから、今日のぶんは働いてもらうから」

「働きました」

「まだ二十分ある」


   ◇


 熊沢が棒の下を支えたまま言った。


「高町、お前、明日いないの、ずるくね?」

「仕事だ」

「仕事なら仕方ねえけどさ。俺、明日、二百メートル走らされるんだぞ」

「頑張れ」

「他人事かよ」


 美咲が地面の白い線のほうを指した。


「熊沢くん、そっちの籠も出して。三年は二つ要るの」


 熊沢は俺を見た。


「な。こういうときにいなくなるんだよ、こいつは」


   ◇


 一時四十分に、俺は職員室に寄って、早退の紙に印をもらった。


 黒板の右端に、字が書いてあった。


 〈6/13(金) 高町 公欠〉


 書いたのは美咲ではない。宮坂先生の字だった。


 その下に、別の字で一行足してあった。


 〈明日の用具は六人で回します〉


 こっちは美咲の字である。


   ◇


 裏口の受付で、札のほうが先に出てきた。


 机の向こうの人は、名前を書く紙を出さなかった。俺の顔を見て、引き出しを開けて、札を一枚寄越しただけだった。


「高町さん、Gスタジオです」

「はい」

「楽屋、前と同じところです」


 覚えられていた。


   ◇


 十四時に入って、本番は二十時である。


 六時間ある。


 その六時間で何をするのかは、車の中で有本さんが説明してくれた。説明は三十秒で終わった。終わったあとで、俺は聞いた。


「六時間、何をするんですか」

「待ちます」

「六時間ですか」

「待つのも仕事です」


   ◇


 廊下に人が多かった。


 台車が三台、続けて通った。一台目には衣装が掛かっていて、二台目には黒い箱が積んであって、三台目は空だった。空の台車を押している人がいちばん速かった。


 壁に紙が貼ってある。〈本日 ミュージックゲート 20:00〜〉と書いてあって、その下に時刻が並んでいた。


 紙の右下の余白に、鉛筆で何か書き足してある。


 〈押し 10〉


   ◇


 書き足したところだけ、芯が紙に食い込んでいた。


 その下に、消した跡がある。消したのは数字で、消し方が雑だった。〈8〉の輪郭が薄く残っていて、その上に〈10〉が重ねて書いてある。


 通りかかった人が、紙の前で足を止めた。


 止まって、ポケットから鉛筆を出した。出して、〈10〉のところを一度なぞって、それから何も書き直さないでポケットへ戻した。


 台車を押して、行った。


   ◇


 楽屋には、弁当が先に置いてあった。


 机の上に、二つ。片方に付箋が貼ってあって、〈高町さん 先に召し上がってください〉と書いてある。


 字は、丸い字だった。書いた人の名前は、どこにも書いていなかった。


 付箋は、四角の角が一つだけ折れていた。折れているほうを上にして貼ってある。


 俺は座って、割り箸を割った。今度はまっすぐ割れた。


 蓋を開けたら、白飯の上に梅干しが一つ載っていた。おかずの側は、揚げ物が三つと、卵と、緑のものが少し。緑のものは、名前が分からなかった。


 俺は緑のものから食った。味は、ほとんどしなかった。歯ごたえだけが残った。


 梅干しは最後に食った。


   ◇


 食っていたら、ドアがノックされた。


 入ってきたのは、前に俺の背中を叩いた人だった。首の札の名前を、今日はちゃんと読んだ。


 伊佐という人だった。


「高町さん、今日の流れです」


 紙を渡された。行が上から下まで詰まっている。


「十五時からドライです」

「ドライ」

「カメラを回さないで、立つ位置だけやります」

「はい」

「十七時からカメリハです。こっちはカメラが入ります。歌はサビだけ」

「はい」

「十八時半にランスルー。これは頭から全部やります。ただし高町さんは歌いません」

「歌わないんですか」

「口だけ動かしてください。ランスルーは、歌の中身を見る時間じゃなくて、カメラとカメラのあいだが繋がるかを見る時間なので。歌が入ると、みんなそっちを聞いちゃって、繋ぎ目のところを見落とすんです」


 喉が減るらしい。


   ◇


 俺は紙を見た。


 紙には、時刻と、部屋の名前と、人の名前が並んでいる。


 いちばん下の行に、〈20:54 OA終〉と書いてあった。


 その行だけ、上の行との間隔が広い。空いたところに、細い横線が一本引いてある。定規で引いたものではなかった。真ん中のあたりで、線がわずかに下へ折れている。


 俺は紙を折らないで、鞄の上に置いた。


   ◇


 十五時にスタジオへ降りた。


 床のテープは、今日は客席寄りに貼ってあった。黄色が二本、直角に交わっている。


 伊佐さんが膝をついて、テープの角を指で押さえ直した。


「毎回、貼り直すんですか」

「毎回です」

「同じ場所ではないんですか」

「同じ場所なら、貼り直しません」


 言われてみれば、そうだ。


   ◇


 立つ位置を決めて、体の向きを決めて、それで一時間かかった。


 俺がやったのは、立つことと、向きを変えることだけである。あとの五十分は、他の人が動いていた。


 カメラの人が三回位置を変えて、そのたびに照明の人が上を向いた。上を向いて、無線で誰かと喋って、天井の枠のどこかが動いた。


 俺は同じところに立っていた。


 立っているあいだに、天井の枠が二回動いた。二回目は、動いたあとで元へ戻った。


   ◇


 途中で、上のほうから声が降ってきた。


「高町くん、あと二十センチ下がれる?」


 スタジオの奥の上のほうに、窓のある部屋があった。窓の中に人が何人か座っていて、その一人が手を上げていた。


「あれは、なんですか」

「サブです」

「サブ」

「副調整室。あそこで全部決めます」

「決めるのは、あそこなんですか」

「あそこと、あそこじゃないところです」


 わからん。


 伊佐さんは無線に何か答えて、床のテープのほうへ戻っていった。


   ◇


 十七時のカメリハで、サビだけ歌った。


 サビだけというのは、真ん中の上がるところの前後のことだ。


 俺はそこだけ歌った。歌っているあいだ、客席は空だった。空の椅子が上まで並んでいて、その列のあいだを、係の人が二人、紙を配って歩いていた。


 配っている紙は、たぶん客席に置くやつだ。


 配り終わった二人は、いちばん上の列の端で、余ったぶんを数えていた。数えてから、一人がそれを二つに分けて、片方をもう一人へ渡した。


   ◇


「はい、ありがとうございます」


 サブから声が降りてきた。


 俺は袖に戻った。


 戻る途中で、伊佐さんが早足で横を通った。通りながら、無線に向かって喋っていた。


「二番、尺で三十切ります。頭のナレ、二行落としてください」


   ◇


 楽屋に戻って、椅子に座った。


 十八時前である。本番まで二時間ある。


 俺は鞄から人形を出した。出して、机の上に置いた。


(暇だ)


「あんた、それ、贅沢よ」


(何が)


「六時間待って、四分歌うんでしょう」


(そうらしい)


「四分のために、あれだけの人が朝から動いてるのよ」


 人形は机の上で、弁当の空箱のほうを向いた。


「あんた、さっき、テープを貼り直してた人のこと、何て言った?」


(毎回貼るんですかと言った)


「そう。それでいいわ」


   ◇


 十八時半のランスルーは、歌わなかった。


 立って、口を動かさないで、曲が終わるのを待った。曲が終わったら袖に下がる。それだけをやった。


 やっているあいだ、都築さんが白いテープの上で二回言い直した。


 二回目のあとで、原稿に線を引いていた。


   ◇


 十九時十分に、客が入りはじめた。


 俺は廊下の椅子に座っていた。


 廊下には椅子が四つ並んでいる。壁に固定されているやつで、座面が硬い。座ると、少し前に滑る。


 目の前を、人が通っていく。誰も止まらない。


 ここから走れば、十九時十四分の電車に間に合う。間に合ったら、二十時前に家に着く。


 着いたところで飯は無い。


 俺は座り直した。


   ◇


 十九時四十分に呼ばれた。


「高町さん、十分早くなりました」

「早くなったんですか」

「壁の紙の数字、さっき私が消しに行ったんです。前の収録が予定より早く終わって、そのぶんがそのままこっちへ戻ってきたので」

「はい」

「戻ってきたぶんは、たいてい、始まるまでのどこかでまた無くなります」


   ◇


 袖の机に、紙コップが並べてあった。


 水の入っているのを一つ取って、一口だけ飲んだ。


 二口目は置いた。


   ◇


 袖の反対側の壁に、モニターが二つ並んでいた。


 上のモニターに、いまカメラが映しているものが出ている。下のモニターには、四つに割れた画面があって、その四つが全部、違う角度の同じ場所だった。


 俺はしばらくそれを見ていた。


 上の画面が、下の四つのうちのどれか一つに、順番に切り替わる。切り替える人が、あのサブの部屋にいる。


 どれを選んでいるのが誰なのかは、ここからは見えなかった。


   ◇


 二十時になった。


 スタジオが明るくなって、都築さんが喋りはじめた。一組目が歌って、二組目が歌って、そのあいだに一度コマーシャルが入った。


 コマーシャルのあいだに、床の上の人の数が倍になった。


 三組目が俺だった。


 伊佐さんが背中を叩いた。叩き方が軽かった。


   ◇


 テープの上に立った。


 都築さんが名前を呼んだ。今日は三行とも読んだ。


 顔を上げた。


 背筋が伸びた。


   ◇


 拍手が鳴っていた。


 都築さんが二回目に名前を呼んでいる。俺はそれを、袖へ歩きながら聞いた。


 歩いているあいだに、ケーブルを二本またいだ。


 またぎながら、弁当のことを考えた。十五時に食ったやつである。あれから六時間近い。


   ◇


 袖の暗いところで、壁に手をついた。


 ついたところで、伊佐さんが横に来た。


「大丈夫ですか」

「歩けます」

「椅子、ありますよ」

「あとで座ります」


 俺は歩いた。


 歩いて、袖を抜けて、廊下に出た。廊下には椅子が四つ並んでいる。座面が硬いやつだ。


 いちばん端に座った。


   ◇


 座ったら、立てなくなった。


 膝が抜けたわけではない。腕も上がった。ただ、立つという動作の順番が、頭の中で並ばなかった。


 廊下の天井の蛍光灯を見ていた。四本のうち、いちばん奥の一本が、ときどき暗くなる。


 誰かが通った。通って、少し先で立ち止まって、また歩いていった。


 その次に通った人は、俺の正面で止まった。


 衣装の人だった。腕に、たたんだ布を何枚も掛けている。


「高町さん、それ、脱ぎますか」

「あとで脱ぎます」

「じゃあ、置いていきますね」


 衣装の人は、俺の隣の椅子にハンガーを一本置いた。置いて、そのまま行った。


 ハンガーには何も掛かっていない。俺が脱いだぶんを掛けるための一本だった。


 俺は自分のシャツのボタンを見た。上から二番目が、少しだけ外れかけていた。


 直そうとして、手を上げた。上げたところで、そのまま膝に戻した。


   ◇


 番組は続いていた。


 壁の向こうで音が鳴っている。音が鳴るたびに、廊下の空気が少しだけ動く。


 俺は腹が減っていた。


 弁当は十五時に食った。


   ◇


 有本さんが来た。


 紙袋を持っている。中に何が入っているのかは、上から見えなかった。


「高町さん、立てますか」

「あとで立ちます」

「そうですか」


 有本さんは紙袋を俺の隣の椅子に置いた。


 置いて、自分は立ったままでいた。


「二十一時に車を回します」

「はい」

「それまで、ここにいてください」


 有本さんはタブレットを開いて、そこに何か打った。打ってから、閉じた。


「今日、電話は四本でした」

「少ないですね」

「そうですか」


   ◇


 二十時五十四分に、壁の向こうの音が止まった。


 止まって、そのあと拍手が長く続いて、それも止まった。


 ドアが開いて、人が出てきた。


 出てくる人はみんな早足で、誰も俺のほうを見なかった。見ないで、廊下を右へ左へ通り過ぎていく。


 通り過ぎるついでに、二人だけが会釈をした。


   ◇


 都築さんが通った。


 原稿を丸めて持っている。丸めた原稿で、自分の肩を一度叩いた。


「高町くん、来週も来る?」

「たぶん来ます」

「じゃあ、三行のうちの一行、来週は読むから」


 都築さんは、言い終わる前からもう歩きはじめていた。


 歩きながら、振り返らずにもう一言足した。


「私、あの一行、けっこう気に入ってるのよ」


 どの一行かは、今日も聞きそびれた。


   ◇


 伊佐さんが通った。


 台車を押している。台車の上に、黒い箱と、丸めたケーブルが載っていた。


「お疲れさまです」

「はい」

「高町さん、来週もですよね」

「たぶんです」

「じゃあ、テープ、また貼り直しますね」


 伊佐さんは台車を押していった。


 押していく音が、廊下の突き当たりで小さくなって、消えた。


   ◇


 二十時五十四分から、二十一時までのあいだに、廊下は空になった。


 人が三十人くらい通って、そのあと誰も通らなくなった。蛍光灯のいちばん奥の一本が、また暗くなって、また戻った。


 俺は膝に手を置いた。


 置いて、押した。


 立てた。


   ◇


 隣の椅子に、有本さんが置いていった紙袋がある。


 中を見たら、俺の上着が畳んで入っていた。楽屋に置きっぱなしにしていたやつだ。


 俺はそれを出して、広げた。


 右の袖に、腕を通した。


 通したところで、袖の中で手首が引っかかった。裏地が内側で丸まっている。俺は袖口から手を入れて、それを伸ばした。


 直してから、左の袖にも腕を通した。


   ◇


 鞄の中で、人形が動いた。


(うるさい)


「まだ何も言ってないわよ」


(これから言うだろ)


「言うわよ。来週も来なさいって、二人に言われたじゃないの」


(言われた)


「あんた、二回とも『たぶん』って答えたわね」


 俺は鞄を肩に掛け直した。


 掛け直して、廊下を歩いた。歩けた。


(たぶん行く)


「そういうところよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。