↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
70/194

第70話 全国に顔が出た日

 日曜の朝に何もない、というのは久しぶりだった。


 起きたのが九時で、下りたら妹がテレビの前にいた。母さんは洗濯物を干していて、父さんは新聞を持ったまま寝ていた。


 俺は台所で、昨日の残りのカレーを温めた。


 温めているあいだに、妹が来た。


「兄ちゃん、それ、あたしのぶんもある?」

「鍋にある」

「じゃあ半分」

「半分は多い」

「三分の一」

「それも多い」


 結局、妹は自分でよそって、俺のより多くなった。


 カレーは二日目のほうがうまい。ただし今日の鍋は、底から三センチのところまでしか残っていなかった。うまいほうを食べながら、俺は鍋の底を見ていた。


   ◇


「兄ちゃん、あたし、明日から自転車で行く」

「そうか」

「学校の人が測ったんだって。うちの前から正門まで十二分。信号で止まらなければ十分だって言ってた」

「誰が測った」

「学校の人」


 妹は四月から高校生である。同じ学校の、同じ校舎の、一番下の階にいる。


「兄ちゃんは何分?」

「歩いて二十五分だ」

「自転車は」

「持ってない」

「持ってないの?」

「壊れた」

「いつ」

「去年の五月だ」


 妹はスプーンを止めた。


「一年、放置してるの」

「使ってないからな」


 妹は何か言おうとして、やめて、カレーを食べた。


 食べながら、鞄から紙を出した。


「入学式のとき配られたやつ。委員決めるんだって」

「やるのか」

「やらない」

「やらないのか」

「一年は、じゃんけんで決まるって聞いた」


 妹は紙を裏返して、裏に何も書いていないことを確かめて、また表に戻した。


「兄ちゃん、去年なんの委員だった」

「やってない」

「ずるい」

「押し付けられる前に、公欠が入った」


 妹は俺を見た。見て、しばらく何も言わなかった。


「それ、ずるいって言うんだよ」

「そうか」


   ◇


 昼のあいだ、俺は居間で寝ていた。


 テレビは点いていた。妹が見ていて、途中で母さんも見ていた。何をやっていたのかは知らない。目が覚めたら、画面の中で人が二人、大きい鍋の前に立っていた。


 起きたのは、腹が減ったからではない。妹が俺の足を踏んだからである。


「兄ちゃん、邪魔」

「どこがだ」

「そこ、通り道」


 俺は三十センチだけ横にずれた。


   ◇


 昼過ぎに、電話が震えた。


 美咲だった。


 〈今日、何時から〉

 〈二十二時だ〉

 〈知ってる〉


 知っているなら聞かなくていい。そう返すのは、やめておいた。


 〈録画は〉

 〈してない〉

 〈は?〉

 〈テレビでやるだろ〉

 〈そういう問題じゃない〉


 既読が付いたまま、三分止まった。


 〈私が録る〉

 〈二重で録る〉

 〈二台あるから〉


 二台あるらしい。


 俺は〈ありがとう〉と返した。返したら、しばらくして、また来た。


 〈お母さんに、二十二時はテレビ使うって言っておいて〉

 〈言った〉

 〈本当に?〉

 〈言った〉


 実際には、まだ言っていなかった。俺は台所へ行って、母さんに言った。


 これで嘘ではなくなった。


   ◇


 午後は、部屋にいた。


 やることが無い。台本はもう要らない。学校の課題は、金曜のうちに終わっている。終わっているというのは美咲の言い方で、正確には、美咲が終わらせた分が二つある。


 俺は床に寝転んだ。


 寝転ぶと、机の下が見える。机の下に、去年の夏に落とした消しゴムがまだあった。手を伸ばしたら届く距離だったが、腕を伸ばすには一度起き上がる必要があった。


「あんた、床は冷たいでしょう」

「冷たくない」

「四月よ」

「四月だから冷たくない」

「あんた、去年の夏にもそこで寝てたわね。あのときは扇風機の下で、今日は窓を閉めきってるのに、同じ格好をしてるのよ」

「同じ床だからだ」


 俺は天井を見た。天井のいちばん端に、丸い染みが一つある。前に一度、あれが何の形に見えるかを十分くらい考えた。決まらなかった。


「今日でしょう」

「今日だ」

「見るの」

「見る」

「自分が出てるものを見るの、わたしは苦手だったの。動いてるのはわたしなのに、こっちの都合を一つも聞かずに勝手に終わっていくんだもの」

「なんでだ」


 人形は、少しのあいだ何も言わなかった。


「わたしは、一度も最後まで見られなかったの」

「一度もか」

「一度も」


 俺は寝転んだまま、腕を上げて、下ろした。


「今日は最後まで見る」

「そう」

「飯を食いながら見る」

「あんた、それは行儀が悪いわ」


 俺は起き上がって、机の引き出しを開けた。


 中に缶が四本ある。三月に入れた一本は、いちばん奥にあった。


 俺は一本取って、閉めた。


「今日、飲むの」

「飲む」

「非常のときじゃないでしょう」

「今日だ」


 人形は何も言わなかった。


 言わないで、台座の上で少し向きを変えた。窓のほうだった。窓の外は、まだ明るかった。


   ◇


 夕方から、家の中が少しおかしくなった。


 母さんが十七時に台所に立って、そこから二十一時まで立ちっぱなしだった。出てきたのは、唐揚げと、ちらし寿司と、茶碗蒸しだった。三つが同じ日に並んだのを、俺は正月とひなたの誕生日でしか見たことがない。


 父さんは十九時に帰ってきた。


 いつもより二時間早い。帰ってきて、風呂に入って、出てきて、居間の座布団に座った。座って、そこから動かなかった。


「父さん」


 妹が言った。


「なに」

「正座してる」

「そうか」


 父さんは足を崩した。崩して、五分後にまた正座していた。


   ◇


 二十一時四十分に、母さんがテレビを点けた。


 まだ前の番組をやっている。誰かが料理を作っていた。


 母さんはお茶を四つ入れた。入れて、少ししてから、全部下げて、入れ直した。ぬるくなったからだと言っていた。二十一時五十分に、もう一度入れ直した。


 妹は俺の隣に座っていた。膝の上に、青いノートを置いている。


「なんで持ってきた」

「書くから」

「なにを」

「秒数。あと放送日と、放送の時間と、台詞の行数。この四つだけって決めてるから、ほかのことは書かない」


 妹はペンの後ろで自分の顎を触った。


「あと、台詞の行数」

「多いぞ」

「知ってる」


 このノートに入るのは四つだけである。放送日と、放送の時間と、出た秒数と、台詞の行数。出ていない日は書かない。


「何行あるの」

「知らん」

「台本、持ってるでしょ」

「返した」

「返したの?」

「終わったら返すらしい」


 妹はペンを持ち直した。


「じゃあ、数えるしかないじゃん」

「そうだな」


   ◇


 傍から見ると、居間で家族四人が同じ画面を見ている、日曜の夜だった。


   ◇


 二十二時になった。


 番組が始まった。


 最初に映ったのは、空だった。まだ暗くて、下のほうだけが少し青い。その青いところが、画面の下から三分の一くらいにある。


 次に、駅のホームが映った。


 ベンチがあって、そこに二人座っている。


 片方が桐生さんで、もう片方が俺だった。


   ◇


 俺は自分の顔を見た。


 テレビに映っている顔は、動かない。動かないことは知っていたが、大きい画面で見ると、動かない面積が広い。


「兄ちゃん、声、こんなだっけ」


 妹が言った。


 俺は自分の声を聞いた。


 テレビから出てくる声は、低かった。低くて、居間の壁のほうから返ってこなかった。


「こんなだ」

「もっと高いと思ってた」

「低い」


 母さんが「顔が大きいわね」と言った。


 父さんが「ほう」と言った。


   ◇


 画面の中で、桐生さんが喋っていた。


 喋りながら、指が先に動く。ベンチの縁を、人差し指で二回叩いた。叩いてから、言葉が出た。


 その横で、俺は何もしていなかった。


 何もしていない人間が、画面の右半分にずっといる。


「兄ちゃん、これ、いつ喋るの」

「もう少しあとだ」

「もう十分たったよ」

「あと三分だ」


 三分後に、俺は喋った。


「別に」


 二文字だった。


 妹はペンを持った。持って、書かなかった。


「二文字?」

「二文字だ」

「十三分待って、二文字?」

「あとで増える」


   ◇


 最初のコマーシャルが入った。


 母さんが立ち上がって、台所へ行って、何も持たずに戻ってきた。戻ってきて、座って、湯呑みを持って、飲まなかった。


「母さん、茶、飲んだらどうだ」

「あとで飲む」


 母さんは、番組が終わるまで飲まなかった。


   ◇


 画面の中に、券売機が出てきた。


 二台並んでいて、その横に自動販売機が一台ある。販売機の中に、飲み物の見本が並んでいた。


 いちばん下の段の、右から二番目の缶。


 あそこに値札のシールが一枚だけ貼ってあることは、俺は知っている。


 テレビでは、そこまでは映らなかった。


   ◇


 妹は、途中から書かなくなった。


 二十二時十五分に一度ペンを持って、そのまま持っていて、二十二時二十分に置いた。


「書かないのか」

「書けない」

「なんでだ」

「ずっと出てるじゃん」


   ◇


 中盤に、桐生さんと二人でホームのベンチに座る場面があった。


 あの日は二月で、スタジオの中は寒かった。俺は厚い靴下を履いていて、桐生さんは二枚履いていた。撮っているあいだ、俺の足の指は最初から最後まで冷たかった。


 画面の中の二人は、寒そうではなかった。


 朝の光が横から入っていて、ベンチの木目まで見えている。梁も、照明も、黒い布も、どこにも映っていない。


「兄ちゃん、これ、外?」

「中だ」

「嘘」

「中だ」

「これ、朝じゃないの」

「昼だ」


 妹は画面を指さして、指さしたまま、少し黙った。


   ◇


 二十二時三十分を過ぎたあたりで、母さんが茶碗蒸しを持ってきた。


 誰も食べなかった。


 俺は食べた。二つ食べた。母さんは何も言わずに、三つ目を持ってきた。


   ◇


 最後の場面は、駅の改札だった。


 俺が改札を通って、まっすぐ歩いていく。止まらない。振り返らない。


 照明が四つ並んでいたところは、画面では朝の光になっていた。


 歩いている足元に、白いテープは映っていなかった。


   ◇


 画面が暗くなった。


 暗くなって、そこから字が出てきた。人の名前が下から上へ流れていく。字の後ろは、静止画だった。始発前のホームの写真が、三枚、順番に変わっていく。


 音楽が鳴っていた。台詞は無い。


 妹が言った。


「歌、ないんだ」


 俺は茶碗蒸しを食べていた。


「そうか」


 字が最後まで流れて、画面が変わった。


 変わったところで、父さんが足を崩した。


 崩して、湯呑みを持って、飲んだ。母さんが十七時から三度も入れ直したお茶に、最初に口をつけたのは父さんだった。飲んで、「ぬるい」と言った。


 妹は膝の上のノートを見ていた。ページはまだ白かった。


   ◇


 変わった三秒後に、家の電話が鳴った。


 母さんが出た。


「はい、高町です。……はい。……いえ、こちらこそ。……はい」


 母さんは受話器を持ったまま、こっちを見た。見て、首を横に振った。誰からかは言わなかった。


 母さんが受話器を置いた七秒後に、また鳴った。


 今度は妹が出た。


「はい。……あ、はい。……います」


 妹が受話器を俺に渡した。


 叔母さんだった。俺は「はい」と「そうです」と「ありがとうございます」を順番に言って、切った。


   ◇


 俺の電話も、震え続けていた。


 最初は熊沢だった。


 〈お前じゃん〉

 〈そうだ〉

 〈お前じゃん〉

 〈そうだ〉


 同じことを二回言われたので、同じことを二回返した。


 三度目が来た。


 〈お前じゃん〉

 〈そうだ〉


 熊沢は、そこで満足したらしい。


 そのあとに、早坂と、クラスの何人かと、去年同じ班だった二人から来た。妹の同級生からも三件来ていた。俺の番号を持っている理由を、俺は聞いていない。


 美咲からも来た。


 〈録れた〉

 〈二台とも録れた〉

 〈明日、学校で〉


 何を学校でするのかは、書いていなかった。


 書いていないので、俺は〈わかった〉と返した。返したら、すぐに〈わかってない〉と来た。


   ◇


 二十二時五十分ごろから、隣の家の電気が点いた。


 居間の窓から、隣の家の台所の窓が見える。点いて、人影が二つ動いて、しばらくして消えた。


 その少しあとに、玄関のチャイムが鳴った。


 母さんが出た。


 向かいの家の人だった。母さんと五分くらい玄関で話して、帰っていった。何を話したのかは聞こえなかったが、母さんが戻ってきたとき、手に大根を一本持っていた。


「大根、もらったの」

「もらった」

「なんで」

「わからない」


 母さんは大根を台所に置いた。置いて、また居間に戻ってきた。


   ◇


 二十三時十分に、有本さんから電話が来た。


「高町さん、お疲れさまです」

「はい」

「明日の朝、局から人が来ます」

「はい」

「事務所にです。高町さんは学校です」


 有本さんの後ろで、人の声がしていた。何人かいる。誰かが電話をしていて、その横で別の誰かも電話をしていた。


「有本さん、まだ事務所ですか」

「います」

「何時までですか」

「わかりません」


 有本さんは、そこで少し黙った。


「電話、二十二時から今までで、十九本です」

「十九本ですか」

「はい。明日の朝いちばんで折り返す順番を、犬飼がいま紙に書いています」


 有本さんの後ろで、誰かが「三階、まだ電気点いてます」と言った。


「有本さん、三階には誰がいるんですか」

「わかりません」

「そうですか」

「わたしは、この階から出ていません」


 有本さんは電話を切る前に、もう一度「お疲れさまです」と言った。


 言ってから、切るまでに、少し間があった。その間に、後ろの電話が二回鳴った。


   ◇


 二十三時四十分に、犬飼さんから電話が来た。


 その一分前まで、母さんが台所で皿を洗っていた。洗い終わって、電気を消して、階段を上がっていった。


 居間には、俺と妹だけが残った。


   ◇


 俺はテレビを切った。


 切ったら、部屋が静かになった。切る前は、次の番組をやっていた。誰も見ていなかった。


 電話に出た。


「高町」

「はい」

「見たか」

「見ました」

「そうか」


 犬飼さんの後ろは、静かだった。事務所ではないらしい。


「明日から、しばらく学校だ」

「はい」

「今週は現場が無い。来週もだ。二週間まるごと空くのは一月からで初めてだから、寝られるだけ寝ておけ」

「はい」

「二十一日に事務所へ来い。月曜だ」

「なにかあるんですか」

「ある」

「はい」

「それまで、電話は俺が取る」


 電話が切れた。


   ◇


 妹は、まだ膝の上に青いノートを置いていた。


 開いてはいたが、四月十三日の欄には、日付と、放送の時間だけが書いてあった。秒数の欄と、行数の欄は、両方とも空いている。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「秒数って、どうやって数えるの」

「知らん」


 妹はページのあいだにペンを挟んだ。


 挟んで、しばらく持っていた。持ったまま、こう言った。


「明日から、数えるのやめよっかな」


 俺はカレーの鍋のことを考えていた。


 二日目のぶんは、昼に全部無くなっている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。