↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/190

第54話 本読みができない

 朝、茶碗が空になるたびに、母さんが黙って受け取って、また返してきた。


 現場は待つ時間のほうが長いから飯を先に入れておけ、と犬飼さんに言われている。俺はそれを守っている。


 母さんは何も言わない。ただ、炊く量が増えた。


 妹が向かいで、パンを縦に持って食べていた。


「兄ちゃん、今日どこ」

「局だ」

「撮らないの」

「読むだけだ」

「読むだけで一日いるの?」


 俺も、そこはよくわかっていない。


   ◇


 黒板の右端に、白い字があった。


 〈2/3(月) 高町 公欠〉


 これを見たのは、教室に鞄を置きに寄ったからだ。八時に寄って、八時五分に出た。宮坂先生が廊下の向こうから歩いてきて、俺を見て、何も言わずに職員室のほうへ行った。


 昇降口で靴を履き替えているとき、上履きの中に紙が入っていた。


 二つ折りにしてある。開いたら、来週の時間割の変更が書いてあった。誰の字かは、見ればわかる。


 俺はそれを鞄の内側に入れた。


   ◇


 大和テレビの受付で、入館証をもらった。紐は、今日もねじれた。今日は直さなかった。


 七階の会議室は、この前の顔合わせのときより広い部屋だった。


 長机がロの字ではなく、二列に並べてある。前の列と後ろの列で、椅子の数が違う。前が十四で、後ろが八だった。全部で二十二脚ある。


 俺の名前の紙は、前の列の左から三番目に置いてあった。


 紙コップが、人数ぶん伏せてある。今日は、ポットが二つ置いてあった。中身は白湯だった。


 窓は東を向いている。ブラインドは全部上げてあって、外の光がそのまま入っていた。前の列の右のほうの席は、机の上まで日が当たっている。左から三番目は当たっていない。


 俺は椅子を引いて、座った。座ったところで、椅子の高さが合っていないことに気づいた。低い。膝が机の裏に当たる。


 座面の横に、高さを変えるレバーがついていた。俺はそれを引いて、上げた。上げすぎた。


 引き直して、下げた。今度は下がりすぎた。


 三度目で、だいたい合った。


   ◇


 第三話の台本は、金曜に届いていた。


 六十ページある。表紙をめくったら、二ページ目から人の名前が並んでいた。


 部屋に入ってきた人たちは、みんな自分の台本を持っていた。台本の小口から、付箋の色が出ているものが何冊かあった。黄色が多い。青が一冊あった。


 桐生さんの台本には、何も挟んでいなかった。


 桐生さんは、九時四十分に入ってきた。


 入ってきて、部屋の中を一周するみたいに歩いて、席についている人に順番に頭を下げた。前の列の端まで来て、俺のところで止まった。


「高町くん、おはよう」

「おはようございます」

「今日、長いよ、第三話」


 桐生さんは自分の椅子を引いた。俺の二つ隣だった。


「僕、昨日読んでて、二回止まった。あそこ、どうやって言うんだろうって」


 どこのことなのかは、聞かなかった。


 桐生さんは座って、台本を机に置いて、その上に手を置いた。それから、その手を膝に下ろした。


   ◇


 芹沢さんは、九時五十八分に入ってきた。


 入ってきて、いちばん端の椅子に座った。座って、紙コップを一つ取って、白湯を入れた。入れて、飲まなかった。


「はじめてください」


 それだけ言った。


   ◇


 最初に、脚本の人が第三話の話をした。


 三分くらいだった。俺は聞いていた。聞いていたが、途中から、机の木目の話になっていた。


 机の木目ではない。俺が机の木目を見ていた。


   ◇


 読み始めた。


 俺の台詞は、二ページ目からある。


 最初の一行を読んだ。


「別に」


 紙の上の字を、目で追った。字は追える。追った先に、次の字がある。一行ぶん追うと、一行ぶん声が出る。


 二行目を読んだ。三行目を読んだ。行の終わりに丸があって、丸のところで一度切る。切ったら、次の行を追う。


 俺の声は、部屋の中でまっすぐ前に出て、机の向こうで止まっていた。


   ◇


 部屋の中で、二十二人が自分の台本を見ていた。


 前の列の人は、指で行をなぞっていた。後ろの列の人は、片手で紙を押さえて、もう片方の手で何か書いていた。演出部の人が二人、机の上に小さい時計を置いて、それを見ていた。


 誰も、こっちを見ていなかった。


 この部屋には、同じ字が印刷してある紙が二十二冊あって、全員がそれを持っている。


   ◇


 六ページ目で、桐生さんの長い台詞があった。


 十四行ある。


 桐生さんは、その十四行を、机の上に台本を置いたまま読んだ。手は台本に触れていない。膝の上にある。


 読んでいるあいだ、前の列の何人かが顔を上げた。


 上げて、また下げた。


   ◇


 十二ページ目で、俺の長いのが来た。


 十九行ある。


 俺は台本を持ち上げて、読んだ。


 一行目。二行目。三行目。丸のところで切る。次の行を追う。字は全部読めた。読めない字は一つも無かった。漢字にはルビが振ってある。


 十九行のあいだ、俺の声の大きさは変わらなかった。速さも変わらなかった。


 最後の行を読んだ。


「……帰るよ」


   ◇


 紙をめくる音が、止まった。


 演出部の人の手が、時計の上で止まっていた。前の列の左端の人が、台本の同じページを二回めくって、戻した。後ろの列で、椅子が一つ、少し引かれた音がした。引かれたあと、また前に戻った。


 脚本の人は、俺の台本のページを見ていた。自分の台本ではなく、俺の手元のほうである。


 誰も何も言わなかった。


   ◇


 俺は、次の行が来るのを待っていた。


 次は桐生さんの台詞だ。


 桐生さんは、一拍だけ置いて、読んだ。


 読んで、それから、自分の前の紙コップを一つ手前に寄せた。寄せただけで、白湯は入れなかった。


   ◇


 俺は自分の台本の、次のページを見た。


 次のページに、俺の台詞は無い。無いので、目だけを字の上に置いておいた。


 置いておくと、字が並んでいるだけになる。ルビの振ってある字と、振っていない字がある。振ってあるほうが、少しだけ大きく見えた。


 演出部の人が、時計をもう一度見た。見て、机の上で位置を五センチくらいずらした。ずらしたあとで、指を離した。


   ◇


 そこから先は、普通に進んだ。


 俺は自分の行を読んだ。読む速さは、最初と同じだった。


 三十ページを過ぎたあたりで、腹が鳴った。


 小さかったので、たぶん聞こえていない。聞こえていたとしても、この部屋にいる人はみんな自分の台本を見ているので、どこから鳴ったのかはわからないはずだ。


 俺は左手を、膝の上から腹の前に移した。


 移したところで、前の列の右端の人が、白湯を注いだ。ポットの音だけが、部屋の中に響いた。注いで、飲んで、コップを置いた。


 その音のおかげで、腹の音のほうは終わった。


   ◇


 四十ページを過ぎたところで、脚本の人が一度だけ手を挙げた。


「すみません、そこ、直します」


 全員が同じページを開いた。俺も開いた。


「四十二ページの三行目、削ります」


 前の列で、鉛筆の音が二十くらい重なった。俺は指で三行目のところを押さえて、そのままにした。線を引く道具を持ってきていなかった。


 隣の隣で、桐生さんが台本に何かした。何をしたのかは、角度で見えなかった。あとで見たら、そのページには何も書いていなかった。


   ◇


 最後のページまで、一時間四十分かかった。


「以上です」


 プロデューサーの一人が言った。


 言ってから、少し止まった。


「……先、行きましょう」


 もう一人のプロデューサーが、紙を揃えた。揃える音が、思ったより大きかった。


 芹沢さんは、椅子から立った。


 立って、白湯の入った紙コップを持って、そのまま部屋を出ていった。飲んだ形跡は無かった。


 部屋を出るときに、こう言った。


「明日、六時半」


 それだけだった。


   ◇


 人が動き出した。


 桐生さんが、席を立つ前に、机の上の紙コップを元の位置に戻した。伏せてはいなかったが、置いてあった場所には戻した。


 戻して、こっちを向いた。


「高町くん、明日、六時半だって」

「はい」

「僕、五時に起きる」


 桐生さんは鞄の紐を肩にかけた。


「起きてから家を出るまでに、四十分かかるんだ。前は二十分だったんだけど、増えた」


 何が増えたのかは、言わなかった。


 俺は台本を閉じて、鞄に入れた。


 入れているとき、後ろの列の二人が、俺の後ろを通った。通りながら、片方がもう片方に何か言った。聞こえたのは、最後の三文字だけである。


「――かもね」


 何がかもねなのかは、わからなかった。


   ◇


 部屋を出るとき、脚本の人が入口の横に立っていた。


 立って、俺のほうを見た。見て、口を開けて、閉じた。それから、手に持っていた台本を持ち直して、廊下の反対側へ歩いていった。


 俺は頭を下げた。下げたときには、もういなかった。


   ◇


 廊下に出たら、犬飼さんが立っていた。


 壁にもたれている。もたれたまま、俺を見た。


「終わったか」

「終わりました」


 犬飼さんは壁から背中を離した。離して、上着の内側に手を入れた。入れて、箱を出した。


 出して、口に入れた。水は飲まなかった。


 それから、俺の顔を見た。


「高町」

「はい」


 犬飼さんは、そこで何も言わなかった。


 言わないで、エレベーターのボタンを押した。


   ◇


 一階で、有本さんが待っていた。


 タブレットを持っている。持ったまま、こっちへ歩いてきた。


「高町さん、明日は五時半に迎えに行きます」

「はい」

「六時半集合なので」


 有本さんは指でタブレットの端を触った。


「電話、九本でした」

「九本ですか」

「今日の午前だけで、九本です」


 犬飼さんが横で足を止めた。


「どこからだ」

「四本が局です。三本が制作です。二本は、わたしが取っていません」


 犬飼さんは、それだけ聞いて歩き出した。


   ◇


 ――昼前の局の一階で、鞄を持ったまま、腹を押さえて立っている高校生。


   ◇


 車に乗ってから、犬飼さんが言った。


「高町、飯はどうする」

「食べます」

「何が食いたい」

「あるやつでいいです」


 犬飼さんは、途中でコンビニに寄った。


 俺はおにぎりを三つと、温かい茶を買った。犬飼さんは何も買わないで、車の外で少し立っていた。立って、携帯を見ていた。見ていたが、かけなかった。


 戻ってきて、乗って、エンジンをかけた。


 俺は後ろの席でおにぎりを食べた。一つ目は鮭で、二つ目は昆布で、三つ目は何も入っていなかった。塩だけのやつだ。買うときに見ていなかった。


「高町」

「はい」

「明日は、朝から夕方までだ。そのあと、事務所に寄る」


 窓の外で、車が一台、右から入ってきた。入ってきて、すぐ左に出ていった。


「レッスンですか」

「違う。人が来る」

「誰ですか」

「まだ言えん」


 俺は三つ目を食べ終えて、袋を丸めた。


 丸めた袋を、どこに置くかで少し困った。前の座席の後ろに網がついている。そこに入れると、たぶん犬飼さんがあとで捨てることになる。俺は上着のポケットに入れた。


 入れたら、ポケットが膨らんだ。


   ◇


 事務所に着いたのは、十四時だった。


 二階のレッスン室Aが空いていた。今日は誰も使っていない。


 入口から三枚目の床板を踏んだ。ぎ、と鳴った。この部屋は、いつ来ても同じところが鳴る。


 バーの前に座って、台本を開いた。


 開いて、明日の分のページを探した。明日は第一話の続きらしいので、第三話の台本は要らない。要らないが、持っている。


 鏡が三面ある。三面とも、俺が三人いる。


 俺は台詞を、一行だけ声に出して読んでみた。


 読んでみて、やめた。


 上のほうから足音が聞こえた。足音はこっちへ近づいてきて、レッスン室の前で少しだけ遅くなった。


 足音は、三階の廊下を通って、行ってしまった。


 行ってしまったあとで、俺は立ち上がって、鏡の前まで歩いた。


 三面の鏡は、真ん中が正面で、左右が斜めについている。真ん中の前に立つと、左右にも自分がいる。左のやつと右のやつは、こっちを見ていない。角度の問題だ。


 俺は口を開けて、閉じた。


 顔は動かない。生まれたときからそうなので、今さら確かめることでもなかった。


 バーの前に戻って、座った。座って、台本を膝に置いた。


 置いたまま、二十分くらい何もしなかった。


   ◇


 三階から人が下りてきた。


 レッスン室の入口の前を、二人が通っていった。通りながら喋っていて、片方が「もう入ってんだ」と言った。もう片方が何か答えた。答えたほうの声は、聞こえなかった。


 俺は台本を鞄に入れて、部屋を出た。


 出るときに、また三枚目を踏んだ。ぎ、と鳴った。


   ◇


 家に帰ったのは、十六時前だった。


 早い。こんなに早いのは久しぶりだった。


 妹が居間でテレビを見ていた。見ながら、青いノートを膝に乗せている。開いてはいなかった。


「兄ちゃん、早くない?」

「読むだけだったからな」

「読むだけで一日かかるって言ってなかった?」

「言ってない」


 妹はテレビのほうを向いた。向いてから、こっちを見ないで言った。


「四月まで、あと二ヶ月」


 それだけ言って、また前を向いた。


   ◇


 二階に上がって、台本を机に置いた。


 置いたら、机の上の消しゴムが、また端に寄っていた。


「あんた、今日は読むだけだったんですって?」

「そうだ」

「どうだった」

「全部読んだ」

「そうじゃなくて」


 人形の腕が、机の上で少し動いた。


「点いたの」

「点いてない」

「そう」


 俺は椅子に座って、背もたれに体を預けた。


 預けても、今日は何も来ない。腹は減っているが、それはおにぎりを三つ食べてから四時間経ったからだ。


「あんた、明日は六時半でしょ」

「そうだ」

「じゃあ、早く寝なさい」


 俺は目覚ましを四時に合わせた。


   ◇


 次の日の朝、五時半に有本さんの車が来た。


 乗ったら、後ろの席に紙の束が積んであった。今日は移してくれなかった。移す時間が無かったらしい。


「昨日から、十四本になりました」


 有本さんは前を向いたまま言った。


「本数だけ、犬飼に言ってあります」


 俺は紙の束の横に座って、窓の外を見た。


 外はまだ暗かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。