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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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52/197

第52話 騒いでいるのは人形だけ

 人形が、一昨日からずっと喋っている。


 火曜の昼に犬飼さんから電話が来て、その日の夜からである。飯を食っているあいだも、風呂から上がってからも、朝、鞄に台本を入れているときも喋っていた。俺が寝ているあいだは、たぶん喋っていない。たぶんというのは、寝ているから知らないという意味だ。


「あんた、三ヶ月よ」

「らしいな」

「三ヶ月、毎日あの子と会うのよ。毎日。同じ現場で。同じ控室で」

「そうなるな」

「わかってるの?」


 俺は靴下を履いた。左から履いた。


「あの子は、目がいいのよ。指から動く子は、だいたい目がいいの」

「そうか」

「三ヶ月あったら、見つかるわよ」


 俺は鞄を持って、階段を下りた。


 下りるときに、後ろで人形が何か言った。ドアが閉まっていたので、聞こえなかった。


   ◇


 朝飯は普通に入った。


 母さんが「今日は食べるじゃない」と言った。何日も前のことをよく覚えている。


 妹が向かいで牛乳を飲んでいた。飲みながら、青い表紙のノートを机の端に置いていた。開いていない。


「兄ちゃん、四月」

「四月がどうした」

「日曜の十時」


 妹はそれだけ言って、パンを取った。


 放送の話らしい。四月の日曜の十時に何があるのかは、聞かなかった。


   ◇


 学校は普通にあった。


 一時間目が数学で、小テストが返ってきた。俺の紙には、赤いペンで数字が書いてある。四十四だった。前の席の熊沢が、返ってきた紙を二つに折って、そのまま筆箱に入れた。


「高町、お前、テレビ出るんだって?」

「まだだ」

「まだって、いつ」

「四月らしい」

「四月かよ。遠いな」


 熊沢は椅子の背を持って、体ごとこっちを向いた。


「今度さ、うちの母親がサイン欲しいって言ってんだけど」

「書けない」

「書けよ」

「字が下手だ」

「そこじゃねえだろ」


 俺は紙を鞄に入れた。四十四点の紙は、鞄の底のほうに入れた。


 二時間目は世界史だった。先生が黒板に年号を三つ書いて、そのうち二つを消した。消した理由は聞き逃した。


 三時間目のあいだ、俺は窓の外を見ていた。校庭の隅で、体育の授業がハードルを並べていた。並べ終わったところで、先生が一台だけ位置を直した。直したあと、生徒が走った。最初の三人は全部倒した。四人目が倒さなかったので、そこで拍手が起きた。


 拍手は、こっちの教室まで届いた。


   ◇


 昼休みに、廊下で美咲に会った。


 プリントの束を持っている。持ったまま、俺の前で止まった。


「いつから」

「何がだ」

「撮るんでしょ。いつからいつまで」

「知らない」

「知らないの」

「今日、聞く」


 美咲はプリントを持ち直した。持ち直して、俺の顔を見て、それから廊下の先を見た。


「決まったら言って」

「わかった」

「言わないと、私が学校に聞くことになるから」


 美咲は行った。行ってから、途中で一度、階段の手前で止まった。止まって、プリントの一番上の一枚を裏返して、また歩いていった。


   ◇


 放課後、校門の外に有本さんの車が停まっていた。


 小型の白い車である。助手席に紙の束とタブレットが積んであって、俺が乗るあいだに、有本さんはそれを後ろに移した。


「犬飼は、局で先に入っています」

「はい」

「わたしが送ります」


 車が動き出した。


「高町さん、今日は顔合わせです」

「はい」

「監督は、来ません」


 俺は窓の外を見た。


「まだ、一度も会っていません」

「はい」

「わたしもです」


 有本さんはそう言って、それきり喋らなかった。


 信号で止まったとき、俺は後部座席で目を閉じた。閉じたつもりはなかったが、次に見たときには、車は麹町の坂を上っていた。


   ◇


 顔合わせは、七階の会議室だった。


 長机が四つ、口の字に並べてある。壁際に椅子が余っていて、そこに鞄を置いた。天井の蛍光灯は、この部屋のは全部同じ色だった。


 人は十人くらいいた。


 プロデューサーが二人。脚本の人。キャスティングの人。編成の人。それから、俺の知らない人が三人か四人いて、その人たちは最初から手元の紙を見ていた。


 犬飼さんは、俺の後ろの壁際に立っていた。座らなかった。


 部屋の隅に、紙の箱が四つ積んである。上の二つは封が切ってあって、下の二つは切っていない。箱の横に、丸めたコードが置いてあった。


 机の上には、紙のコップが人数ぶん伏せてある。伏せたままで、水は無い。ここも水が無い。


 窓のブラインドは、半分だけ下りていた。下りている側と上がっている側で、外の暗さが違って見えた。


 桐生さんは、もう座っていた。


 入ってきた俺を見て、片手を上げた。上げて、下ろした。


   ◇


「では、始めます」


 プロデューサーの一人が言った。


 紙が配られた。表紙に、四月期・日曜二十二時、と印刷してある。中を開いたら、名前がずらっと並んでいた。上から二番目に俺の名前があって、その下に桐生さんの名前があった。


 最初に、脚本の人が話をした。


「今回は、廉とシンの三か月を、ほぼ順撮りで追います。二人の距離が縮まるのではなく、離れていく話なので、撮る順番を入れ替えると、俳優の側に嘘が出ます」


 順撮り、というのがわからなかった。


 わからないまま、俺は「はい」と言った。言ってから、これは俺に言われたことではないと気づいた。部屋の全員に向かって言っていた。


「そういうわけで、スケジュールが硬いです。動かせません」


 プロデューサーの一人が、机の上の紙を指で二回叩いた。


「動かせないので、押したら、押したぶんだけ夜が来ます」


 夜が来る、というのもわからなかった。


 あとで犬飼さんに聞いたら、「終わる時間が遅くなるということだ」と言われた。それなら、そう言えばいいと思った。


   ◇


 自己紹介が始まった。


 右から順に回っていく。みんな短い。長い人で三十秒、短い人は十秒で終わる。名前と、担当と、よろしくお願いします、で終わりだった。


 俺の番が来た。


「高町灯真です。よろしくお願いします」


 言った。


 言ったあと、口の字の向こうで誰かが紙をめくった。俺の紙にも同じ字が印刷してある。みんな、その紙を見ていた。


   ◇


 顔合わせは、二十分で終わった。


 終わったあと、俺は自分の声が思ったより小さかったことに気づいた。会議室は広くて、天井が高い。上のほうに音が逃げる部屋だった。


 まあいい、と思った。


 二十分のあいだ、部屋の中の全員が、手元の紙を見ていた。紙には、その日の予定と名前が印刷してある。そちらを見るのが正しい。


 俺も見た。


 俺の紙には、上から二番目に俺の名前が印刷してあった。四月期のドラマの主演というのは、そういう並びのことらしい。


   ◇


「高町くん」


 人が動き出したところで、桐生さんが横に来た。


 立つと、やっぱり俺より低い。頭一つぶんまではいかないが、六センチくらい低い。


「決まったって聞いたよ」

「はい」

「よかった」


 桐生さんは、そこで笑った。目が細くなった。


「一緒にやれるの、嬉しいよ」


 俺は「ありがとうございます」と言った。


 言いながら、悪いことをした気がした。


 三秒くらいした。


 それから、腹が減った。


   ◇


「君、台本もう来た?」

「まだです」

「来週かな。僕も来てない」


 桐生さんは会議室の窓のほうを見た。外はもう暗い。


「第一話と第二話が一緒に来るって。分厚いよ、たぶん」

「はい」

「僕は、届いた日に全部読むことにしてる」


 俺は「はい」と言った。


 桐生さんは、それ以上その話をしなかった。しないで、机の上の紙を集めて、端を揃えて、鞄に入れた。入れるときに、灰色のノートが一瞬だけ見えた。表紙は白いままだった。


「高町くん、砧って行ったことある?」

「ないです」

「遠いよ。麹町からだと、車で四十分」


 桐生さんは鞄の紐を肩にかけた。


「僕は前に一回だけ入った。天井が高くて、寒いんだ。上のほうに暖房があるんだけど、上のほうにあるから、上のほうが暖かい」


 俺は「はい」と言った。


 立っている場所は、上ではない。


「靴下、厚いのを履いたほうがいいよ」


 これは、たしかに役に立つ話だった。


 俺は家に厚い靴下があるかどうかを考えた。あるとしたら、それは去年の冬に妹が買ってきて、色が合わないと言って一度も履かなかったやつだ。あれは、まだ引き出しにあるはずだった。


「じゃあ、また」

「お疲れさまでした」


 桐生さんはマネージャーの人と一緒に出ていった。出ていくときに、部屋の人全員に頭を下げた。


   ◇


 犬飼さんが壁際から離れた。


「高町」

「はい」

「クランクインは二十七日だ」

「二十七日」

「月曜だ。砧のスタジオに入る」


 俺は紙を持ったままだった。


「学校は」

「公欠だ。書類は明日出す」


 犬飼さんは廊下のほうへ歩き出した。歩きながら言った。


「香盤は来週来る。三ヶ月ぶんだ」


 三ヶ月ぶんの紙というのが、どれくらいの厚さなのか、俺は知らなかった。


   ◇


 エレベーターの前で、有本さんが待っていた。


 タブレットを両手で持って、廊下の壁を見ている。壁には何も貼っていない。


「高町さん、三ヶ月です」

「はい」

「一月二十七日から、四月八日までです」


 有本さんはタブレットを持ち替えた。


「土日も入っています」

「はい」

「入っていない日も、あります」


 どっちなのかは、聞かなかった。


 エレベーターが来た。乗ったのは、俺と犬飼さんと有本さんの三人だった。三人とも黙って一階まで下りた。


 一階の受付の横に、透明の箱がある。


 俺は入館証を外して、口に落とした。今日は、一回で落ちた。


   ◇


 帰りの車は、犬飼さんだった。有本さんは局に残った。


 高速に乗ってから、犬飼さんが一度だけ左のポケットに手をやった。やって、そのまま何も出さずに戻した。


「三ヶ月は長い」


 俺は「はい」と言った。


「途中で、学校の試験もある」

「あります」

「試験は、俺にはどうにもならん」


 窓の外を、高速道路の壁がずっと流れていた。壁の上に等間隔で細い柱が立っていて、その柱の上に線が渡してある。線は、たまに一本増えたり、減ったりした。


 俺は数えようとして、二十三でやめた。


 やめてから、もう一度、上から数え直した。今度は十九までいって、トンネルに入った。トンネルの中には柱が無かった。


 高速を降りて、下の道に入った。コンビニの前を通ったとき、駐車場に車が三台停まっていて、そのうち二台がドアを開けたままだった。開けたまま、誰も乗っていない。


「高町、明日から、飯を先に食え」


 俺は前の座席の背を見た。


「現場は、待つ時間のほうが長い。腹が減ってから探しても、何も無い」


 それは、たしかにそうだった。


   ◇


 家に着いたのは、二十時前だった。


 母さんが「ごはん、食べる?」と言った。


 俺は食べると言って、座った。


 豚汁だった。具が多い。大根と、にんじんと、ごぼうと、こんにゃくと、豚が入っていた。俺は椀を持ったまま、具だけ先に食べた。


 父さんが向かいで新聞を折っていた。折って、置いて、椀を持った。


「四月だってな」

「四月だ」

「そうか」


 それで終わりだった。


 妹が二階から下りてきて、冷蔵庫を開けて、何も取らずに閉めた。閉めてから、俺の椀を見た。


「兄ちゃん、それ二杯目」

「一杯目だ」

「じゃあいい」


 妹は二階に上がっていった。


 俺は椀を置いて、ごはんをよそいに立った。よそって、戻って、座った。


 父さんが新聞を持ち上げた。持ち上げて、下ろした。


「三ヶ月か」

「三ヶ月だ」

「体は」

「大丈夫だ」


 父さんは新聞を畳んだ。畳んだあと、それを自分の椅子の横に置いて、湯呑みを持った。


 母さんが台所から「ごぼう、あと入れる?」と言った。俺は「入れる」と言った。


   ◇


 部屋に上がって、鞄を床に置いた。


 机の上で、消しゴムが端から落ちた。落ちた先に、白い手があった。押したらしい。


「あんた、今日どうだったの」

「顔合わせだ」

「あの子は」

「いた」


 人形の手が、机の縁から離れた。


「何か言われた?」

「一緒にやれるのが嬉しいと言われた」

「……それ、いちばん厄介なやつよ」


 俺は椅子に座った。


「嫌われてたら、向こうは見ないの。好かれてたら、ずっと見るのよ。三ヶ月ずっと見られるのよ、あんた」

「そうか」

「そうかじゃないでしょ」


 人形は台座の上で位置を変えた。変えて、こっちを向いた。


「クランクインは」

「二十七日だ」

「あと十一日ね」

「そうなるな」

「十一日で、何か考えなさい」


 俺は台本を出そうとして、まだ台本が無いことを思い出した。


   ◇


「あの子は、何を見てると思う」


 人形が言った。


「手よ。あの子は、人の手を見るの。今日、あんたの手はどこにあった」

「机の下だ」

「なら、いいわ」


 人形は台座の上で少し動いた。動いて、また止まった。


「三ヶ月って、長いのよ。長いから、みんな油断するの。三日目までは誰でも持つわ。持たなくなるのは、二十日目くらいから」

「二十日目に何があるんだ」

「疲れるのよ」


 それは、俺にもわかった。


   ◇


 考えることは、特になかった。


 俺は制服をハンガーにかけて、机の上の紙を揃えた。四十四点の紙が出てきたので、それは引き出しに入れた。


 人形は、まだ何か言っていた。


 俺は人形を持ち上げて、机の右奥に置き直した。置き直したあと、向きを窓のほうへ変えた。


「ちょっと」

「明日、朝練の時間に起きる」

「あんた、部活してないでしょ」

「そうだった」


 俺は人形の向きを、もう一度こっちに戻した。


 戻したら、それきり何も言わなくなった。


   ◇


 次の週の水曜日に、台本が届いた。


 玄関で受け取ったのは母さんで、母さんは「重いわね」と言って、そのまま台所の椅子の上に置いた。俺が学校から帰ったとき、封筒はまだそこにあった。妹が横を通るたびに、椅子ごと少しずつ動いていた。


 封筒は厚かった。


 俺は二階に持って上がって、机の上に置いた。置いたら、机が少し鳴った。


 中に、二冊入っていた。


 一冊目の表紙に『ブルーアワー』第一話、と書いてある。二冊目には第二話と書いてある。厚さは同じくらいだった。


 俺は一冊目を開いた。


 最初のページに、人の名前が並んでいた。上から二番目が水無瀬廉で、その下が伊吹シンだった。オーディションの紙と同じ順番である。


 二ページ目に、場所と時刻が書いてあった。


 その次のページから、台詞が始まっていた。


「あんた」


 人形が言った。


「何ページあるの」


 俺は最後のページをめくった。


 六十二ページあった。二冊で百二十四ページになる。オーディションの紙は、両面で一枚だった。


 俺は一ページ目に戻った。


 戻ったところで、階段を上がってくる音がした。二段飛ばしの音だった。


 妹がドアを開けた。


「兄ちゃん、それ何ページ」

「六十二だ」


 妹はドアの枠に手をかけたまま、そこに立っていた。


「それ、全部覚えるの?」


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