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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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45/197

第45話 今度は二十行

 台本が届いたのは、月曜の夜だった。


 有本さんが車で持ってきて、玄関で渡して、五分で帰っていった。門を出るときには、もう電話をかけていた。「はい、着きました。はい、お渡ししました」と言っていた。誰に何を報告しているのかは、わからない。


 俺は部屋に上がって、封筒を開けた。


 白い表紙に、題が印刷してあった。


 〈捜査一課・沢渡班〉


 厚かった。指で挟んだら、指が開いた。


 いちばん最初のページに、名前が縦に二列並んでいた。左が役の名前で、右が人の名前らしい。上から順に見ていった。


 下のほうに、俺のがあった。


 柏木ユウ(十九)  高町灯真


 括弧の中は年齢だと思う。俺より二つ上だった。


 俺はページを繰って、自分の台詞を探した。


 探すのに時間がかかった。ページの端を折りながら進んで、折り終わったところで、頭から数えた。


 二十行あった。


 犬飼さんが言った数と、同じだった。


   ◇


 俺は椅子に座って、頭から読んだ。


 最初の三十ページくらいは、刑事たちの話だった。誰かが死んで、沢渡という人が出てきて、部屋で紙を配って、みんなが出ていく。名前がたくさん出てくる。誰が誰なのかは、五ページで諦めた。


 柏木ユウが出てくるのは、五十二ページからだった。


 配達のアルバイトをしている男で、途中で刑事に呼び止められる。最初は歩きながら喋る。そのあと、部屋で座って喋る。最後がいちばん長い。


 いちばん長いところは、十四行あった。


 俺は台本を閉じて、机に置いた。


 置いてから、ペン立ての向こうで赤いドレスが動いた。


「あんた、今の顔」

「顔は動いてない」

「動いてないわよ。動いてないけど、置き方が乱暴だったわ」

「厚いからだ」

「役はなんなの」

「犯人だ」


 ミューナは台座ごと、こっちへ一度だけ向き直った。台座が机を、かたん、と鳴らした。


「殺したの?」

「わからん」

「わからないって、あんた、書いてあるでしょう」

「書いてあるけど、俺のところには書いてない」


 俺の二十行の中に、俺が何をしたのかは書いていなかった。それは、他の人の台詞のほうに書いてあった。


「じゃあ読みなさいよ、全部」

「読んだ」

「頭から読みなさい」

「明日読む」


 俺は電気を消した。


   ◇


 夜中に一度、水を飲みに下りた。


 階段を下りて、廊下を歩いたところで、妹の部屋のドアが半分開いていた。中で電気がついていた。妹は机に向かっていて、こっちに背中を向けていて、タブレットではなく、本を開いていた。


 俺はそのまま台所へ行った。


   ◇


 翌日、学校で熊沢が俺の机に来た。


「高町、明日休みだろ」

「休みだ」

「なんで知ってるかっていうとな」

「聞いてない」

「委員長が黒板に書いてた」


 振り返ったら、黒板の端に小さく書いてあった。


 〈12/11(水)〜13(金) 高町 公欠〉


 字が小さい。小さいのに、教室のいちばん後ろからでも読める場所に書いてある。


「で、今度は何やんの」

「刑事ドラマだ」

「刑事!?」

「刑事じゃない」

「じゃあ何」

「犯人だ」


 熊沢は三秒くらい黙って、それから両手で自分の口を押さえた。


「うわ、似合う」


 似合うと言われた。


 顔の話をしている。


 昼休みに、早坂が机の横に来た。


「犯人って、悪い人だよね」

「たぶん」

「大丈夫なの?」

「何がだ」

「なんか、その、イメージとか」


 俺には守るイメージがない。


「大丈夫だ」

「そっか。ならいい」


 早坂は自分の席に戻って、後ろの席の子に何か言って、笑っていた。


   ◇


 その日の夕飯は、ちらし寿司だった。


 妹が十五歳になった日だった。母さんが朝から機嫌がよくて、父さんが箱を一つ渡して、妹が中を見て「これじゃない」と言って、それから普通に受け取った。


 俺は皿を二回おかわりした。


 妹は自分の皿を持ったまま、俺の向かいに座って、こう言った。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「明日から三日、休むんでしょ」

「休む」

「何時に帰ってくる?」

「知らん」


 妹は箸を置いて、スマホを触った。触ってから、また箸を持った。


「じゃあ、待たない」

「寝ろ」

「寝る」


   ◇


 水曜の朝、六時に犬飼さんの車が来た。


 助手席に乗ったら、ドアポケットに胃薬が二つ入っていた。三つ入っていた日もある。減っているのか、まだ買っていないのかは、俺にはわからない。


 車は空いていた。犬飼さんは前だけを見ていた。


 高速に乗ったところで、犬飼さんが口を開いた。


「高町」

「はい」

「今日から三日だ」

「はい」

「初日と最終日がスタジオ。二日目が外だ」

「はい」

「木曜の八時からの枠に乗る。二時間ある」

「二時間」

「途中で切れない。一回で終わる」


 俺は前を見ていた。


 二時間のドラマというものを、俺は最後まで見たことがない。母さんが見ているのを、途中まで見て、そのまま風呂に入ったことなら何度かある。犯人が誰なのかは、翌朝、母さんが教えてくれる。


「犬飼さん」

「なんだ」

「二時間、途中で寝る人がいると思います」

「いる」

「はい」

「だから、頭の三十分で捕まえるように作ってある」


 俺の出るところは、五十二ページからだった。


 ――昼飯は、何時になるんだろう。


 赤坂で降りた。


 建物が大きかった。ガラスが上まで続いていて、上のほうがどこで終わっているのかが、下から見てもわからない。入口で犬飼さんが受付に何か言って、俺は首から下げる札をもらった。


 エレベーターで下りた。上ではなく、下だった。


 廊下が長かった。壁が灰色で、床にケーブルが何本も這っていて、それを踏まないように歩く。突き当たりに、重い扉があった。扉の横に数字が書いてあった。


 4


 犬飼さんが扉を押した。


 中は、思ったより暗かった。


   ◇


 スタジオの床は、黒かった。


 天井が高い。高いところに鉄の棚が組んであって、そこから照明が何十個も下を向いている。数えようとして、二十で諦めた。


 床の真ん中に、部屋が建っていた。


 建物の中に、部屋が建っている。壁が三面あって、四面目がない。四面目がないほうに、カメラが置いてある。中に机が一つと、椅子が二つ。壁は白くて、上のほうに小さい窓が一つある。窓の外は、壁だった。


「取調室だ」


 犬飼さんが言った。


「はい」

「二日目と三日目は、ほとんどここだ」

「はい」


 俺は部屋の中を見た。


 机の脚に、養生テープが貼ってあった。床にも貼ってあった。テープの色が二種類ある。


   ◇


 顔合わせは、スタジオの隅の長机でやった。


 人が二十人くらい立っていた。俺は名前を呼ばれて、頭を下げた。


 列の向こうに、背の低い人が立っていた。


 立ったまま、右手に丸めた紙を持っていた。左手には銀色のマグを持っている。


 俺は列を離れて、そっちへ行って、頭を下げた。


「室井さん、おはようございます」


 その人は俺のほうを見た。


「ああ」


 それだけだった。


 俺が列を離れたのは、どこに立てばいいのかがわからなくて、知っている顔のほうへ寄っただけだった。


 それだけだったが、俺は台本の一ページ目を思い出した。二列に並んだ名前の、上のほうにこの人の名前があった。役のところに、ちゃんと名前が付いていた。


 前の現場では、この人の役は「男」だった。


   ◇


「高町くん」


 声がした。


 振り向いたら、若い人が立っていた。若いと言っても、犬飼さんくらいだと思う。眼鏡をかけていて、上着を着ていない。手に何も持っていない。この現場で、何も持っていない人を初めて見た。


「三上です。演出やります」

「よろしくお願いします」

「座って」


 長机の端に台本が広げてあった。俺は座った。


 本読みは一時間半かかった。


 みんな座ったまま、順番に読んでいく。読むだけである。誰も立たないし、誰も動かない。ページをめくる音が、二十人ぶん、少しずつずれて鳴る。


 俺の番が来て、俺は自分の行を読んだ。読み終わったら、次の人が読んだ。


 誰も俺を見ていなかった。全員が自分の台本を見ていた。


 終わったあとで、三上さんが立ち上がって、二か所だけ直した。


 一か所は言葉の順番で、もう一か所は、ある人の台詞をまるごと消した。消された人が「はい」と言って、線を引いた。


 どちらも俺のところではなかった。


   ◇


 休憩のあいだに、制作の人が俺のところへ来た。


 名札を首から下げていて、その名札が裏返っていた。この現場に来て、俺はまだ誰の名前も読めていない。


「高町くん、控え室こっちです」

「ありがとうございます」

「あと、二日目の外なんですけど」

「はい」

「朝、寒いです」

「はい」

「本当に寒いです。上、着てきてください」

「はい」


 その人は同じことを二回言った。二回目のほうが、大きかった。


   ◇


 有本さんが、タブレットを持って寄ってきた。


「高町さん、今日の予定、上から読みますね」


 有本さんは画面を指でなぞりながら、時刻と項目を読み上げた。八つあった。八つ目は〈終了〉だった。


「終了のところ、時間が書いてないです」

「そこは、書けないんです」

「はい」

「書くと、その時間に終わらないといけなくなるので」

「はい」


 有本さんは画面を消して、走っていった。


 走りながら、もう電話をかけていた。


   ◇


 昼の弁当は、白い箱だった。


 白い箱と、別の箱がある。俺は白いほうを渡された。


 開けたら、鮭が入っていた。


 食べていたら、隣に助監督の人が座った。


「高町くん、それ白いやつ?」

「はい」

「うちのは真ん中に梅が入ってんの」

「はい」

「見せて」

「どうぞ」


 その人は俺の箱を覗いて、それから「同じだ」と言って、自分の箱に戻った。


 同じだった。


 俺は食べながら、少し離れたところを見ていた。制作の人たちが箱を積んだり配ったりしていて、その端で、室井さんが立ったまま何かを飲んでいた。座らない。椅子は、そこにある。


 俺の椅子には、紙が貼ってあった。


 〈高町灯真様〉


 紙の横幅がぎりぎりで、最後の一画がテープの上に乗っている。


   ◇


 午後から撮った。


 最初は、廊下を歩くところだった。柏木ユウが荷物を抱えて歩いてきて、刑事に呼び止められて、止まる。台詞は二行。


 段取りをやった。


 助監督の人が床にテープを貼って、俺はそこまで歩いた。三上さんが端から見ていて、一度だけ止めた。


「高町くん、荷物」

「はい」

「重いです、それ」

「はい」

「中、空っぽですけど、重いです」

「はい」


 俺は持ち直した。


「そう。そのまま」


 三上さんはモニターのほうへ戻った。


 何が変わったのかは、わからなかった。


 鞄はスタジオの隅に置いてある。置いた場所から声がした。


「あんた」

(うん)

「あの若いの、いい目してるわ」

(そうか)

「四十年前はね」

(あとにしろ)


「回します」


 スタジオの音が、消えた。


「ヨーイ、スタート」


 俺は歩いた。


 現場の音が、遠のいた。


 空調の音も、天井の鉄の棚が軋む音も、外の廊下を誰かが台車で通る音も、全部が薄い膜の向こうに行った。


 代わりに、輪郭がはっきりした。


 床の黒い塗料が、歩く場所だけ薄くなっているのが見えた。抱えている段ボールの、角が一つだけ潰れているのが見えた。呼び止めた人の靴の紐が、右だけ結び方が違うのが見えた。


 背筋が、伸びた。


 俺は止まった。


「……はい」


 言った。


「配達です」


 言った。


「カット」


   ◇


 カメラの後ろの人が下を向いていた。モニターの前の人が三人、誰も顔を上げなかった。記録の人が、ペンを持った手を止めていた。


 俺は段ボールを抱えたまま立っていた。


 ――角が、思ったより柔らかい。


 中身が入っていないのだと思う。


「今の、無しで」


 三上さんの声だった。


   ◇


 現場が、動いた。


 動いたが、動き方が変だった。何人かが顔を上げて、モニターのほうを見て、それから三上さんのほうを見た。誰も何も言わなかった。


「もう一本」


 三上さんが言った。


 俺は元の位置に戻った。


 二本目を撮った。三本目も撮った。三本目のあとで、三上さんが手を上げた。


「ちょっといいですか」


 三上さんは、俺のところへ歩いてきた。


 歩いてきて、俺の正面に立った。俺のほうが背が高い。この人は、それを直そうとしなかった。見上げたままで喋った。


「三つ、聞きます」


 三上さんは指を一本立てた。


「この人、今日の朝ごはん、何を食べた?」


 俺は考えた。


 書いていない。五十二ページから最後まで、朝ごはんのことは一行も書いていない。


「……わかりません」


 二本目。


「この人、何時に起きた?」


 これも書いていない。


「わかりません」


 三本目。


「この人、ここに来る前に、誰かに会った?」


 俺は台本のページを頭の中でめくった。会っていない。会ったとも、会っていないとも、書いていない。


「わかりません」


 三上さんは指を下ろした。


   ◇


 スタジオが静かだった。


 少し離れたところで、犬飼さんがこっちを見ていた。有本さんはタブレットを胸に抱えたまま止まっていた。


 三上さんは、怒っていなかった。


 声も大きくしなかった。眼鏡の位置を一度直して、それから言った。


「わからないなら、決めていいです」

「はい」

「決めれば芝居になります。合ってなくてもいい」

「はい」

「合ってるかどうかは、僕が決めるので」

「はい」


 三上さんは腕時計を見た。


「今日はここまでにします。明日、外です」

「はい」

「明日、もう一度、同じ三つを聞きます」


 三上さんはそう言って、モニターのほうへ戻っていった。


 戻りながら、助監督の人に何か言った。助監督の人が紙にペンで線を引いた。


   ◇


 犬飼さんが、こっちへ歩いてきた。


 歩いてくる途中で、有本さんが横から追いついて、何か言った。犬飼さんは足を止めずに、短く二言だけ返した。有本さんはそこで止まって、タブレットを持ち直した。


 犬飼さんは俺の前まで来て、立った。


「わかったか」

「わかりません」

「そうか」


 犬飼さんはそれ以上聞かなかった。


 聞かずに、ポケットから箱を出した。出して、振って、中の数を確かめてから、一つだけ口に入れた。


 少し離れたところで、有本さんがタブレットを開いて、指で画面を叩いていた。叩いて、消して、また叩いていた。


 叩くのをやめて、電話をかけた。


 俺のところまでは、内容は聞こえなかった。声の高さだけが、途中から変わった。変わってから、二回、頭を下げていた。電話の相手には見えない。


   ◇


 室井さんが、通路を通った。


 通るときに、俺のほうを見た。見て、そのまま行った。何も言わなかった。


 行った先で、壁に寄って立った。丸めた台本を、伸ばして、また丸めた。


 俺はそれを見ていた。


 見ていて、腹が減っているのに気づいた。昼の鮭は、そろそろ切れかけている。


   ◇


 俺は椅子に戻って、座った。


 座ったら、立てなくなった。


 膝から下が、自分のものではなくなっていた。手すりのない椅子だった。俺は背もたれに背中を預けて、そのままでいた。


 通りかかった記録の人が、足を止めた。


「さっきの、廊下」

「はい」

「三本とも、止まる場所が同じでした」

「はい」

「同じって、けっこう難しいんですよ」


 その人は台本を指で押さえて、行った。


   ◇


 スタジオを出るとき、扉のところで三上さんとすれ違った。


 三上さんは俺を見なかった。助監督の人と喋りながら歩いていて、その手には、やっぱり何も持っていなかった。


「明日、朝いちで柏木の前を撮ります」

「前、ですか」

「呼び止められる前です。歩いてるだけのところ」

「台詞、無いですよね」

「無いです。だから撮ります」


 二人は行ってしまった。


 台詞の無いところを撮る理由は、わからなかった。


 俺は廊下に出た。


 廊下が長かった。床のケーブルを、一本またいだ。


 壁に手をついて、少し立ち止まった。


 手のひらが、ざらついた。


 傍から見れば、廊下の途中で壁を触っている高校生である。


 実際には、明日の朝が何時なのかを思い出そうとしていた。思い出せなかったので、あとで有本さんに聞くことにした。


   ◇


 エレベーターの前で、犬飼さんが待っていた。


 鞄を提げて、壁のほうを向いて立っていた。上着の肩に、埃が一つ付いていた。


 扉が開いた。


 乗って、扉が閉まって、数字が上がっていくあいだ、犬飼さんは何も言わなかった。


 地上に着いた。


 外に出たら、風が冷たかった。制作の人が二回言ったのは、こういうことかもしれない。


 鞄の中で、台本が重かった。


 明日は、朝ごはんの話から始まるらしい。


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