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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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44/211

第44話 妹が学校で有名になった

 玄関に、知らない靴が三足あった。


 全部ローファーで、全部同じ形で、全部小さい。うちの中学の指定のやつだ。妹のもその横に並んでいた。四足が、きれいに揃えて置いてある。


 うちの家で靴を揃えるのは母さんだけである。母さんは今、パートで六時まで帰らない。


 俺は自分の靴を脱いで、揃えずに上がった。


 廊下を三歩歩いたところで、リビングから声がした。


「あ」

「え」

「うそ」

「うそでしょ」


 四人ぶんの声だった。


 俺はリビングの入口で止まった。


 床に、女子が三人座っていた。三人ともタブレットを覗き込んでいて、その真ん中に妹がいた。妹は振り返りもせずに言った。


「兄ちゃん、五時半って言ったじゃん」

「四時五十分だ」

「早い」

「学校が終わったんだ」


 三人が同時に立ち上がった。


 立ち上がって、そのまま動かなかった。


 俺は台所へ行って、冷蔵庫を開けた。麦茶を出して、コップに注いだ。


 背中に、六個の目があるのがわかった。


   ◇


 三人は結局、一時間半いた。


 その間、俺は二階にいた。二階にいたのだが、話し声は全部聞こえた。うちの家は床が薄い。


「これが五月」

「うそ、この動画から?」

「そう。四十万」

「四十万!?」

「で、これが九月のCM」

「二秒のやつでしょ、知ってる」

「二秒。ちょうど二秒」


 正確でなくていい。


「で、十月がドラマ」

「見た見た。あの、隣の部屋の子」

「あれ、切り抜きのほうが伸びてるから」

「なんで?」

「短いから」


 妹は即答した。


 しばらく、下で三人が別の動画の話をしている音がした。


   ◇


 六時に母さんが帰ってきて、三人は帰っていった。


 帰り際に、三人が階段の下から俺のほうを見上げた。俺は廊下に出ていた。


「あの、」


 真ん中の子が言った。


「サインとか、」

「持ってない」

「持ってない?」

「書き方を知らない」


 三人は顔を見合わせて、それから「かっこいい」と言った。


 書き方を知らないと言っただけである。


   ◇


 三人が帰ったあと、妹はリビングの床に戻って、タブレットを開いた。


 俺は麦茶のコップを持って、その前に立った。


「おい」

「なに」

「学校で何を言った」

「兄が高町灯真ですって言った」

「誰に」

「全校集会のあと、体育館で」


 俺はコップを持ったまま、少し黙った。


「なんで体育館で」

「聞かれたから」

「誰に」

「三人くらいに。そのあと十人くらいに。そのあとは、もう全員」


 妹は画面を触りながら答えた。指は止まらなかった。


「否定する選択肢は無かったのか」

「無いよ」

「なんで」

「本当だから」


 言い切った。


 妹は画面から目を上げなかった。


「兄ちゃん、困ってる?」

「困ってない」

「顔、動いてないもんね」

「動かん」

「じゃあ困ってない」


 結論の出し方が雑である。


 だが、結論そのものは合っていた。


   ◇


 夕飯のときに、母さんが言った。


「ひなた、面談だったんでしょ」

「うん」

「先生、なんて」


 妹は箸を持ったまま答えた。


「志望校、そのままでいいって」

「それだけ?」

「あと、最近有名ですねって言われた」

「有名?」


 母さんが俺を見た。俺は味噌汁を飲んでいた。


「あたしが」


 妹が言った。


「うちの学年で、あたしのこと知らない子いないよ」

「なんで」

「兄推しだから」


 父さんが顔を上げた。


 上げて、こう言った。


「なんだそれは」


「兄を推してるの」

「推す」

「応援すること」

「ああ」


 父さんは頷いて、それで終わりだった。


 そのまま魚に戻った。


   ◇


 次の週の火曜に、妹の中学から家に電話が来た。


 母さんが取った。俺は台所で麦茶を飲んでいた。


「――はい。はい。……ええ、はい」


 母さんの声が、途中で少し高くなった。


「ええ。ええ、そうなんです。ええ」


 三分くらい話して、電話が切れた。


 母さんは受話器を戻して、しばらくそこに立っていた。


「なんて」

「ひなたの先生」

「怒られたのか」

「ううん」


 母さんはエプロンで手を拭いた。


「受験には影響していません、って」

「それだけか」

「それだけ。……のはずだったんだけど」


 母さんは台所に戻ってきて、鍋の蓋を開けた。


「最後に、先生が」

「うん」

「『第六話、見ました』って」


 俺は麦茶を飲んだ。


「学校の先生が言うことか、それ」

「言うことじゃないと思う」


 母さんは鍋をかき回した。かき回してから、こう続けた。


「でも、あの先生、ひなたのこと三年間見てるのよ。それが、あんたのドラマの話を三十秒したの」


 母さんはそこで、少しだけ笑った。


「ひなた、面談のときも先生に、あんたの話を十分したらしいよ」


 十分。


 三者面談は十五分である。


   ◇


 翌日、学校で熊沢が俺の机に来た。


 来て、スマホをこっちに向けた。


「これ、お前の妹?」

「そうだ」

「俺、フォローした」

「なんでだ」

「なんかもう、してた」


 してた、では説明になっていない。


 昼休みに、早坂も来た。早坂はスマホを出さずに、机の横に立って、言いにくそうに切り出した。


「あのさ、高町くんの妹の」

「見たのか」

「うちのクラス、たぶん半分見てる」

「半分」

「ていうか、あたしも見た」


 早坂は自分の指先を見ていた。


「五月のやつ、あの動画」

「うん」

「あの動画が、いちばん最初のとこに置いてあった」


 俺は早坂の顔を見た。


 早坂は顔を上げなかった。


「あれ、あたしが撮ったやつ」

「そうだな」

「あの子、知ってるのかな」

「知らないと思う」


 早坂は少し黙って、それから「そっか」と言った。


 言って、自分の席に戻った。


 戻る途中で、後ろの席の子に何か言われて、笑っていた。声が教室の端まで届いた。


   ◇


 放課後、校門の外に中学生が四人立っていた。


 うちの中学の制服だった。四人とも鞄を前に抱えて、校門の柱の陰に固まっていた。


 俺は自転車を押して出た。


 四人は俺を見て、一斉に鞄で顔を隠した。隠したまま、指の隙間からこっちを見ていた。


 美咲が横から出てきた。


「何年生?」

「二年です!」

「ここ、高校」

「知ってます!」

「じゃあ、次からは駅の改札で待って」

「はい!」

「そこなら、うちの生徒が固まらないから」

「はい!」

「じゃあ帰って」

「はい!」


 四人は走っていった。


 美咲は四人の背中を見送ってから、俺のほうを向いた。


「当番表、中学まで伸ばすことになる」

「やめてくれ」

「冗談」

「冗談か」

「半分」


   ◇


 その日の帰りに、美咲が横に並んだ。


 昇降口から校門まで、百メートルもない。


「妹さんの、見た」

「そっちも見たのか」

「クラスで見てないの、たぶんあなただけ」

「見る必要がない」

「なんで」

「あの動画に映ってるのは俺だ」


 美咲は少し笑った。笑って、すぐ戻した。


「よくできてたよ」

「そうか」

「日付が全部入ってる。放送日と、時間と、あなたが映ってた秒数」

「秒数」

「秒数」


 俺は自転車の鍵を出した。


「あの子、ちゃんと数えてる」


 美咲はそう言って、先に校門を出ていった。


   ◇


 家に帰ったら、妹がリビングにいた。


 床に座って、タブレットではなく、紙のノートを開いていた。


 帰った時間を書くやつではない。表紙が青い。


 珍しい。


 俺はその後ろを通ろうとした。妹が足を伸ばして、通路を塞いだ。


「第六話、見た?」

「見てない」


 放送は金曜の深夜で、俺はその時間、寝ていた。


 妹はノートを持ち上げて、こっちに向けた。


 線が引いてあって、その上に数字が並んでいた。日付と、放送時間と、秒数。字が細かい。


「第一話、七行」


 妹は言った。


「第六話、二行」


 俺は数字を見た。


「台本は三行あった」

「そう書いてある」

「そうか」


 妹はノートを膝に戻した。


「それ、あたし、数えたから」

「そうか」

「兄ちゃんは数えなくていいよ」

「数えてない」

「うん」


 妹はノートを閉じて、その上に手を置いた。


 俺は立ったままそれを見ていた。


 ――足が、どいてくれない。


   ◇


 その夜、俺は一度だけ、妹のやつを見た。


 見たのは、たまたまである。母さんがリビングのテレビにタブレットをつないで、父さんと二人で見ていた。俺は麦茶を取りに下りて、そこで足を止めた。


 画面に、俺がいた。


 うちの台所だった。俺はジャージを着ていて、カレーを食べていた。角度が低い。床のあたりから撮っている。


 画面の下に、字が出た。


 〈二日目のカレーを食べる兄〉


 俺は麦茶を注ぐのをやめて、画面を見た。


 画面の中の俺は、無言でカレーを食べていた。一口食べて、皿を少し回して、また一口食べた。


 字が出た。


 〈皿を回すのは、じゃがいもの位置を調整しているからです〉


 合っている。


 だが、それを説明されるのは、初めてだった。


 母さんが「あら、ほんとだ」と言った。父さんは腕を組んで、画面を見ていた。


 次の場面になった。俺が皿を洗っていた。撮られた記憶がない。


 〈洗い物は必ず兄がやります。この家のルールではなく、兄が勝手にやっています〉


 勝手にやっている。


 やっているが、それを日本中に言わなくていい。


 俺は麦茶を注いで、二階に上がった。


 上がりながら、後ろで母さんが「はじめから見る?」と言うのが聞こえた。


 父さんが「おう」と言った。


   ◇


 十二月の最初の週に、犬飼さんがうちに来ることになった。


 仕事の話を、親に直接するためである。前にもらった契約書のときは事務所でやった。今回は家でやるらしい。


 母さんは前の日から準備をしていた。


「灯真、この座布団と、こっちの座布団、どっちがいい」

「わからん」

「お客さん用の湯呑み、どこにしまったっけ」

「わからん」

「あんた、少しは手伝いなさい」


 俺は座布団を運んだ。


 座布団は四枚あって、そのうち二枚だけ色が違った。違うほうが客用らしい。


 当日、犬飼さんは十九時ちょうどに来た。


 インターホンが鳴って、母さんが出て、玄関で挨拶があって、リビングに通された。犬飼さんはスーツで、鞄を一つ持っていた。座布団に座って、鞄から書類を出した。


 母さんが出した湯呑みには蓋が付いていた。犬飼さんは蓋を取って、湯呑みの横に伏せて置いた。


 テーブルの向こうに、父さんと母さんが並んで座った。


 俺は横に座った。


 妹は、部屋の隅に座っていた。呼ばれていないのに、いた。


   ◇


 話は三十分くらいで終わった。


 撮影の日程と、学校を休む日が何日あるか、休む日はどうやって埋めるか、という話だった。犬飼さんは全部を一つずつ説明して、そのたびに「学業が優先です」と言った。三回言った。


 母さんは頷きながら聞いていた。父さんは腕を組んで、一度も口を挟まなかった。


 母さんは途中で二回、台所へ立った。一回目はお茶を持ってきて、二回目は何も持たずに戻ってきた。


「学校のほうへは、こちらから連絡したほうがいいんでしょうか」

「うちからします」

「あ、そうですか」

「担任の先生のお名前だけ、あとで教えてください」

「宮坂先生です」


 母さんが即答した。父さんが少しだけ母さんのほうを見た。


 最後に、犬飼さんが書類を鞄にしまった。


 しまって、それから、部屋の隅のほうを見た。


「妹さん」


 妹が顔を上げた。


「さっきから、ずっと何か書いていますね」


 妹は膝の上のノートを見て、それから犬飼さんを見た。


「書いてます」

「見せてもらっても?」


 妹はノートを持って立ち上がって、テーブルまで来た。


 来て、犬飼さんの前に置いた。置いてから、こう言った。


「妹さんじゃなくて、ひなたです」


 犬飼さんは、少し間を置いた。


 息を吸う音が、電話のときと同じだった。


「ひなたちゃん」


 妹は頷いた。


 頷いて、ノートを一ページめくった。


   ◇


 犬飼さんは、そのノートを二分くらい見ていた。


 途中で、指で一行を押さえて、こう言った。


「これは、何の数字ですか」

「放送日と、放送時間と、兄ちゃんが映ってる秒数と、台詞の行数です」

「全部?」

「五月から全部」


 犬飼さんはページを戻した。戻して、また進めた。


「五月というと」

「教室の動画からです」

「あれは仕事じゃない」

「仕事じゃないけど、始まりなので」


 犬飼さんはページを見たまま、少し黙った。


 それから、ノートを閉じて、妹のほうへ両手で戻した。


「うちにも、こういう表があります」

「へえ」

「作っているのは、大人が三人がかりです」


 妹はノートを受け取って、胸に抱えた。


 抱えて、それから、こう言った。


「三人もいらないと思います」


 母さんが「ひなた」と言った。


 犬飼さんは何も言わなかった。


 言わずに、少しだけ顎を引いた。頷いたのだと思う。角度が浅かった。


   ◇


 玄関まで見送りに出た。


 俺と、妹の二人である。母さんは湯呑みを片付けに台所へ行っていた。


 犬飼さんは靴を履いて、それから振り返った。


「高町」

「はい」

「次の現場は、今までと違う」

「はい」

「役が違う」


 犬飼さんは鞄を持ち直した。


「今までは、隣の部屋にいる高校生だった。今度は、二時間のドラマの、犯人だ」


 犯人。


「台詞は二十行ある」


 二十行。


「一話の七行の、三倍近い。覚えられるか」

「覚えられます」

「そうか」


 犬飼さんはドアに手をかけて、そこで一度止まった。


 止まって、妹のほうを見た。


 見て、何も言わずに出ていった。


 妹は何も言わなかった。


 言わずに、ノートを抱え直した。抱え直した手が、少し強くなっていた。


 ドアが閉まった。


 妹は玄関に立ったまま、ドアを見ていた。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「あの人、名前で呼んだ」

「呼んだな」

「一回」

「一回だな」


 妹はノートを抱えたまま、廊下を歩いていった。


 歩き方が、いつもより速かった。


 母さんが台所から顔を出した。


「ひなた、お風呂」

「あとで」

「先に入りなさい」

「あとで!」


 妹は二階へ上がっていった。


 母さんは俺のほうを見て、湯呑みを持ったまま言った。


「あの子、機嫌いいわね」

「そうか」

「わからないの?」

「わからん」


 母さんは台所へ戻っていった。


   ◇


 部屋に上がって、ドアを閉めた。


 返事をする前から、もう喋っていた。


「あの子、いいわね」

「どの子だ」

「妹よ」

「そうか」

「数える子は、伸びるわ」


 ミューナは台座の縁から足を出して、そう言った。


 俺は椅子に座った。


「あんたは数えないの」

「数えない」

「なんで」

「面倒だ」


 ミューナは黙った。


 黙ったまま、台座の上で一度、足を踏み替えた。


「……まあ、いいわ」


   ◇


 夜、階段の下から音がした。


 降りていったら、リビングの電気がついていた。


 妹が床に座って、ノートを開いていた。


 妹は定規を当てて、線を引いていた。


 横の線を、上から順に引いていく。一本、二本、三本。


 俺は階段の途中で立ち止まって、それを見ていた。


 妹は線を引き終わって、鉛筆を置いた。


 置いてから、下敷きを入れ直して、ページを一枚めくった。


 俺は二階に戻った。


 戻って、布団に入って、目を閉じた。


 目を閉じたところで、思い出したことがあった。


 ――あのノート、二十行ぶん引くには、ページが足りないんじゃないか。


 俺が見たページには、線が十本しか入らなかった。


 俺は寝た。


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