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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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43/206

第43話 人生でいちばん楽な三日間

 前の晩に、犬飼さんからトークが来た。


 〈明日から三日、何も入れていない〉

 〈連絡もしない〉

 〈行ってこい〉


 三行だった。


 俺は〈はい〉と返した。既読が付いて、それきりだった。


 スマホを机に置いた。ドアは閉まっていた。閉めたのは、妹が勝手に入ってくるからだ。


 机の右奥で、何かが倒れた。


「なにそれ」

「修学旅行だ」

「なにそれ」

「学校の行事だ。二泊三日で、京都と奈良に行く」

「奈良!」


 ミューナが台座の上で一歩前に出た。


「わたし、奈良で三日ロケしたことあるわ。あのころの奈良はねえ」

「あのころっていつだ」

「四十年前よ」

「たぶん変わってる」

「鹿は変わらないわよ」


 そこは、たしかにそうかもしれない。


   ◇


 朝、玄関で靴を履いていたら、妹が下りてきた。


 手にミューナを持っていた。


「おい」

「持ってきなよ」

「なんでだ」

「験担ぎ」

「何の験だ」


 妹は答えずに、俺のボストンバッグの外ポケットのファスナーを開けて、そこにミューナを突っ込んだ。突っ込んで、閉めた。


「潰れるだろ」

「タオル巻いた」


 巻いてあった。


 妹は玄関の段に座って、こっちを見上げた。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「おみやげ」

「わかった」

「甘いやつ」


 妹はそれだけ言って、二階へ戻っていった。


   ◇


 東京駅に集合したのが七時半で、新幹線に乗ったのが八時ちょうどだった。


 席は班ごとに決まっていた。俺の班は六人で、熊沢と、美咲と、早坂と、あと男子が一人と女子が一人である。男子のほうは同じクラスで、二年間で三回くらい喋ったことがある。女子のほうは名前しか知らない。


 三人掛けが前後で向かい合っていた。


 熊沢は乗った瞬間に弁当を開けた。


「早くないか」

「新幹線は乗ったら食うんだよ」

「八時だぞ」

「新幹線に時間は関係ない」


 言い切った。


 俺は窓際に座って、外を見ていた。ビルが減って、家が増えて、そのうち畑になった。


 二十分くらいで、熊沢が寝た。


 三十分くらいで、俺も寝た。


 目が覚めたら名古屋だった。


   ◇


 京都で降りて、そこからバスで奈良へ行った。


 バスは学年で五台出ていた。うちのクラスは三号車である。ガイドさんがマイクを持って、道の左右のことを喋ってくれた。


 俺は喋りを聞きながら、シートに背中をつけていた。


 バスのシートは、車の助手席より柔らかかった。頭を乗せるところが高い位置にあって、頭を乗せたら、首が動かなくなった。


 ――これは、寝るためのやつだ。


 俺は寝た。


 起きたら奈良公園だった。


   ◇


 大仏を見た。


 でかかった。


 感想はそれで終わりだった。


 周りの人間はもっといろいろ言っていた。「思ったより大きい」「柱の穴くぐりたい」「あれ、手の形に意味あるらしいよ」。俺は「でかい」と思った。それ以上は出てこなかった。


 美咲が横に来た。


「感想は」

「でかい」

「うん」

「以上だ」

「知ってた」


 美咲は自分のしおりを開いて、何かを書き込んでいた。班長の欄がある。


 外に出たら、鹿がいた。


 鹿は、思っていたよりも人を見ていなかった。人ではなく、人の手を見ていた。


 俺は手に何も持っていなかったので、目の前の一頭は横を向いた。


 熊沢が鹿せんべいを買って、三秒で全部持っていかれていた。


「高町! 助けて!」

「無理だ」

「囲まれてる!」

「せんべい捨てろ」

「もったいない!」


 熊沢はせんべいを持ったまま、後ろ向きに歩いていた。


 俺は少し離れたところに立って、それを見ていた。


 早坂がスマホを構えていた。構えて、熊沢を撮っていた。俺のほうには向けなかった。


   ◇


 夕方に、京都の旅館に入った。


 木の階段があって、上る途中で二回、板が鳴った。どっちも、乾いた音だった。


 部屋は六人だった。班とは別の分け方で、男子だけである。畳の部屋に、テーブルが一つ置いてあって、布団は押し入れに入っていた。


 窓を開けたら、隣の建物の壁が見えた。


 風呂は大浴場だった。


 入ったら、他のクラスの男子が十人くらいいた。湯の中で誰かが「高町だ」と言った。言ったが、それだけだった。全員が湯に浸かっていて、全員が別の話をしていた。


 俺は肩まで浸かった。すぐに顔が熱くなったので、上がった。


 熊沢はまだ入っていた。


   ◇


 夕飯は広間で食べた。


 人数分の膳が並んでいて、真ん中に鍋がある。俺の膳の鍋は、火をつけて七分待つやつだった。


 七分待った。


 待っている間に、熊沢が自分のぶんの飯を食い終わっていた。


「お前、鍋は」

「待ってる」

「鍋が来る前に飯が無くなるだろ」

「おかわりする」


 この男には計画性がない。無いが、困っていない。


 俺は鍋を食べた。うまかった。豆腐と、鶏と、白菜が入っていた。


 おかわりは二回した。


   ◇


 九時に、先生の見回りが来た。


 宮坂先生だった。廊下から顔だけ入れて、部屋を見て、それだけで行った。何も言わなかった。


 九時半に、消灯の放送が入った。


 布団を六つ敷いたら、部屋の床が全部埋まった。俺のところは窓際で、頭の上に窓がある。


 俺は布団に入った。


 入って、目を閉じた。


 周りでは、まだ全員が起きていた。


「なあ、誰か好きな子いる?」

「出た」

「出たな」

「高町は?」

「寝てる」

「早すぎだろ」


 俺は寝ていなかった。寝ていなかったが、返事をすると起きていることがばれるので、黙っていた。


 そのとき、枕元のボストンバッグの中から声がした。


「ちょっと」


 俺は目を開けなかった。


「ねえ、ちょっと」


(寝てる)


「暗いのよ、ここ」


(ファスナーが閉めてある)


「開けなさいよ」


(無理だ)


「なんでよ」


(鞄から人形を出す高校生になる)


「いつもいるじゃないの」


 いつもとは違う。いつもは机の右奥に置いてある。今は、六人が同じ部屋で寝ていて、そのうち三人はまだ喋っている。


「京都なのよ。前に来たときは、まだ市電が走ってたわ」


(見えないだろ、鞄の中じゃ)


「見えないから言ってるんじゃないの!」


 声が大きくなった。


 誰も反応しなかった。当たり前だ。


 俺は寝返りを打って、鞄のほうに背中を向けた。


「ちょっと! 背中向けたわね!」


 俺は寝た。


   ◇


 二日目は班別自由行動だった。


 朝八時に旅館を出て、夕方五時に旅館に戻る。それ以外は自由である。しおりに、行き先を書く欄があって、班長が前日に提出することになっていた。


 美咲が班長だった。


「経路は決まってる。金閣寺、それから伏見稲荷、そのあと駅前で解散まで自由」

「うす」

「昼は十二時に決めた店。予約入れてある」

「予約?」

「六人で入れる店が少ないから」


 熊沢が手を挙げた。


「うまいもん食いたい」

「昼が店」

「それとは別で」

「別で?」

「京都で一番うまいもん」


 美咲はしおりを閉じた。


「一番の定義は」

「うまいやつ」

「却下」


 その後、熊沢は一日中「京都で一番うまいもん」を探していた。


 熊沢は、駅の地下でコロッケを買った。


「これだ」

「それか」


   ◇


 拝観券は、券ではなくて紙のお札だった。最初から折り目が付いていて、そこで二つに折れる。俺は二つに折って、ポケットに入れた。


 金閣寺は、金色だった。


 池があって、その向こうに建っている。人が多かった。全員が同じ方向を向いて、同じ場所にスマホを構えていた。


 俺もそっちを向いて立っていた。


 スマホは、全部、金色のほうを向いていた。


 腹が減っていた。


 早坂が班の写真を撮ることになった。


 六人で並んで、通りかかった外国人の人に頼んで、撮ってもらった。撮ってもらったやつを早坂が確認して、少し困った顔をした。


「もう一枚いい?」

「いいけど」

「なんか、高町くんだけ別の写真みたいになってて」


 撮り直した。


 二枚目も同じだった。


 三枚目で早坂が諦めた。諦めて、笑った。声を出して笑った。


 その笑い方は、五月に教室でしていたのと同じだった。


   ◇


 昼の店は、路地を二回曲がったところにあった。


 引き戸が重くて、開けるときに音がした。中は細長くて、六人がちょうど座れるだけの席しかない。壁に品書きが貼ってあって、字が縦に並んでいる。


 美咲が予約の名前を言った。


 出てきたのは、丼だった。玉子で綴じた鶏が乗っていて、三つ葉が二本乗っている。


 俺は食べた。


 うまかった。


 うまかったので、二杯目を頼もうとした。頼もうとしたところで、美咲が俺の腕を軽く押さえた。


「予約は一人一杯」

「そういうものか」

「そういうもの」

「わかった」


 熊沢は自分のぶんを食べ終わったあとで、店の人に「京都で一番うまいものは何ですか」と聞いていた。


 店の人は、少し考えてから「うちのです」と言った。


 熊沢は「たしかに!」と言って、両手で膝を叩いた。


 店を出て五分で、熊沢がまた店を覗きはじめた。


   ◇


 参道の店先に、鈴が下がっていた。大きいのから小さいのまで、五種類くらいある。値段の札は、鈴ではなくて紐のほうに付いていた。


 伏見稲荷の登り口で、後ろから声が聞こえた。


 女子二人だった。制服が違う。うちの学校でも、この日の京都で何度もすれ違った他の学校でもない、また別の学校だ。


「ねえ、今の人」

「どの人」

「前の、背高い人」

「うん?」

「あの、緑茶の」


 俺は歩いていた。歩きながら、聞いていた。


 もう一人が、少し間を置いて言った。


「似てるだけでしょ」

「そうかな」

「テレビの人が修学旅行来ないって」


 二人は横道に逸れていった。


 俺は鳥居をくぐった。


 前を歩いていた熊沢が、そこで振り返って言った。


「高町、水持ってる?」

「持ってる」

「一口」

「一口な」


 熊沢は三口飲んだ。


   ◇


 伏見稲荷は、鳥居が並んでいた。


 赤い鳥居が、山の上までずっと続いている。全部くぐると二時間かかると書いてあった。


 美咲が「往復四十分のところまで」と言った。


 登った。


 途中で熊沢が「これ何本あるんだ」と言い出して、数え始めた。


 百二十本くらいで数えられなくなっていた。俺は数えなかった。


 登っている間、前を歩いている人の背中と、次の鳥居の柱しか見えなかった。柱には字が彫ってあって、その字に墨が入っている。左の柱と右の柱で、彫ってある年が違う鳥居があった。


 折り返しの場所で、班の全員が座った。


 石の段に六人並んで座って、汗を拭いた。


 誰も喋らなかった。


 しばらくして、美咲が言った。


「三十分休憩でいい?」

「いい」

「いい」

「いい」


 全員が同じ返事をした。


 俺は石の段に座って、鳥居の隙間から下を見ていた。


 ――このまま、あと二時間くらい座っていたい。


 二十八分後に、美咲が立った。


   ◇


 下りの道は、来たときと同じ坂だった。石段の端に、乾いた竹の葉がたまっている。踏むと音がする段と、しない段があった。


 夕方五時に旅館に戻った。


 風呂に入って、飯を食って、九時に部屋に戻った。


 二日目の夜は、一日目より人が集まった。


 他のクラスの男子が三人、うちの部屋に入ってきた。入ってきて、テーブルの周りに座った。誰かがトランプを出した。


「高町、やる?」

「やる」


 やった。


 ルールがわからなかったので、途中まで見よう見まねでやっていた。三回目で覚えた。四回目で勝った。五回目からは誰も俺のカードを読めなくなった。


「顔に出ないの、ずるくないか」

「ずるくはない」

「じゃあ何なんだ」

「顔面の故障だ」


 全員が笑った。


 俺は笑わせようとしていない。


 九時四十分に、廊下で足音がした。


 三人が一斉に立ち上がって、押し入れに入った。三人ともである。


 襖が閉まった直後に、宮坂先生が顔を入れた。


 部屋を見た。


 布団が六つ敷いてあって、俺たちが三人座っていて、押し入れの襖が半分開いていた。


 先生は押し入れのほうを見た。少し見てから、言った。


「十時には寝ろ」


 行った。


 押し入れから三人が出てきた。


「今、絶対バレてた」

「バレてたな」

「なんで何も言わなかったんだ」


 俺にもわからなかった。


   ◇


 三日目は、朝から雨だった。


 バスで清水寺へ行って、傘をさして歩いて、坂を上って、坂を下りた。


 坂の途中に土産物屋がずっと並んでいる。俺はその中の一軒に入って、甘いやつを買った。八つ入りの箱で、中身は生地に餡が入っているやつだった。


 試食があったので、一つ食べた。


 うまかった。


 二箱買った。一箱は妹のぶんで、もう一箱は家のぶんである。買ってから、母さんと父さんと自分で三人だから、八つ入りで足りるのかを考えた。


 考えているうちに、後ろに列ができていた。


 俺はもう一箱買った。


   ◇


 帰りの新幹線は、行きより静かだった。


 半分くらいが寝ていた。俺も寝た。


 途中で一度起きて、窓の外を見たら、暗くなっていた。


 逆さになった字が、窓の上を流れていった。


 そのまま寝た。


 東京駅で解散になったのが七時半だった。


 昇降口でも校門でもなく、東京駅の階段の下で、宮坂先生が「解散」と言った。それだけだった。


 早坂が「またね」と言った。熊沢が「明日学校だぞ」と言った。美咲が「明日、現代社会」と言った。


 俺は電車に乗って、桜坂駅で降りた。


 二十七段の階段を、普通に上った。上から九段目が少し欠けている。雨が上がったあとで、そこだけ濡れていた。俺は端のほうを踏んだ。


   ◇


 家に着いたのは八時二十分だった。


「ただいま」


 誰も出てこなかった。


 台所に人がいる音はする。母さんが何かを洗っている。父さんの靴があった。妹の靴もあった。


 俺は土産物の袋を台所のテーブルに置いた。


「灯真、おかえり」

「うん」

「楽しかった?」

「うん」


 母さんは袋を開けて、中身を見て、「あら、三つも」と言った。


 俺は二階へ上がった。


 部屋に入って、ドアを閉めて、ボストンバッグを床に置いた。外ポケットのファスナーを開けた。


 タオルを取った。


 ミューナは、腰に手を当てた姿勢のまま、こっちを見上げていた。


「三日」

「三日だな」

「三日、鞄の中」

「悪かった」

「謝らないでよ。腹が立つから」


 ミューナはそこで黙った。


 黙って、少ししてから、続けた。


「で、どうだったの」

「鹿がいた」

「それは知ってるわよ」

「大仏がでかかった」

「それも知ってるわよ」


 俺は机に肘をついた。


「よく寝た」

「は?」

「新幹線で二回、バスで三回、旅館で二晩」


 ミューナは口を開けた。


 開けたまま、台座の上で一度、足を踏み替えた。


「……あんた、三日ぶんの顔してるわよ」

「どういう顔だ」

「よく寝た顔」


   ◇


 下りていったら、リビングに妹がいた。


 床に座って、タブレットを開いている。いつもの位置だ。


 俺は土産の箱を一つ持っていって、妹の横に置いた。


「甘いやつだ」

「ありがと」


 妹は箱を見ずに手を伸ばして、箱の角を指で触った。


 触って、それからタブレットから顔を上げた。


 上げた。


「あたし、有名になった」


 俺は妹を見た。


「どこで」

「中学で」


 妹はタブレットをこっちに向けた。


 画面に、何かが映っていた。動画の一時停止の画面だ。制服の女子が三人、こっちを向いて手を振っている。真ん中にいるのが妹だった。


 画面の下に、字が入っていた。


 〈兄推し中3の日常〉


 俺はその字を読んだ。


 読んで、意味がわからなかったので、もう一度読んだ。二度読んでも、わからなかった。


「兄推しって」

「兄を推してる人」

「誰が」

「あたしが」

「誰を」

「兄ちゃんを」


 妹は画面をスクロールした。


「明日から、うちの中学の子が来るから」

「どこに」

「うち」


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