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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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42/194

第42話 全校生徒は多すぎる

 台詞は、三日で全部覚えた。


 台本の王様は、意味のわからないことばかり喋っていた。「余の耳は、余のものである」とか、「風は口を持たぬゆえ、余は安心である」とか、そういうやつだ。俺は昔から、そういうやつを覚えるのだけは速い。


 覚えたので、教室の後ろで、それを最初から最後まで喋った。


 喋り終わったら、誰も何も言わなかった。


 実行委員の子が、台本を持ったまま固まっていた。熊沢が腕を組んでいた。ほかの出演者が床に座って俺を見上げていた。


「……今の、全部合ってました」

「うん」

「一字も間違えてなかったです」

「うん」

「なのに、なんで、こう、」


 その子は両手で空気を掴むような動きをした。二回した。


「なんにも、聞こえてこないんですか?」


 俺は自分の喉を触った。


 声は出ている。


   ◇


 その日から、稽古が始まった。


 放課後、教室の机を全部後ろに寄せて、床に養生テープで線を引く。線が舞台の端で、黒板が城の壁ということになった。


 俺は言われた場所に立って、言われたとおりに喋った。


 実行委員の子は、いろいろなことを言った。


「もっと偉そうに」

「はい」

「胸を張って」

「はい」

「今、張りました?」

「張りました」

「見えないです!」


 俺は張っていた。張っているのだが、外から見て変化がないらしい。


 三日目に、その子は「王様は怒ってるんです」と言った。


 俺は怒った。


「今、怒ってます?」

「怒ってる」

「……」


 その子は台本を胸に抱えて、しばらく黙ってから、小さい声で言った。


「あたしの書き方が悪いんだと思います」


 悪くない。俺の顔が動かないだけだ。


 説明すると長い。俺は「そうかもな」と言った。


 言ってから、隣で美咲が息を吐いたのが聞こえた。


   ◇


 美咲は稽古の全部に立ち会っていた。


 委員長としてではなく、照明の係として来ていた。教室の稽古に照明はない。無いのに、毎日いた。


 四日目の帰り道に、美咲が言った。


「高町くん、あの子、昨日泣いてたよ」

「なんで」

「台本が悪いんだと思ってる」

「悪くない」

「知ってる」

「じゃあ言ってやってくれ」

「私が言っても意味ないの」

「じゃあどうする」

「私が毎日ここにいる」

「照明、無いのに」

「無いね」


 美咲は自転車を押していた。前の籠に、養生テープが二巻き入っていた。


「やってる」

「やってるね」

「やってる」

「うん」


 美咲はそれ以上言わなかった。


 言わずに、横断歩道の手前で止まって、青になってから渡った。


   ◇


 十月の終わりに、演劇部の人が稽古を見に来た。


 三年生で、背が低くて、腕にストップウォッチを提げていた。教室の後ろで、うちの十五分を最初から最後まで見た。


 見終わって、その人は何も言わずに出ていった。


 実行委員の子が追いかけていって、廊下で何か聞いていた。戻ってきたときの顔が、行くときと違っていた。


「なんて言われた」

「……段取りは、覚えてる、って」

「それだけか」

「それだけです」


 教室の中が、少し静かになった。


 うちのクラスの三十六人のうち、劇に出るのは六人で、あとは大道具と衣装と照明と受付に分かれている。その全員が、そのとき同じ方向を見ていた。俺のほうである。


 熊沢が立ち上がった。


「大丈夫だって」

「なにが」

「あいつ、台本ぜんぶ入ってる」

「それだけか」

「それだけで充分だろ」


 充分ではないと思う。


 だが、その一言で教室の空気が戻った。何人かが「たしかに」と言って、何人かが笑って、大道具の係が金紙を切る音を再開した。


 俺は自分の席で台本を開いた。開いて、閉じた。中身は全部頭に入っていた。


   ◇


 前日は、体育館でリハーサルをやった。


 十一月一日の放課後だった。舞台の上に立つのは初めてで、床が思ったより硬かった。上履きの底が鳴る。


 客席には誰もいなかった。


 いや、正確には七人いた。実行委員が二人、うちのクラスの照明係が二人、演劇部の人が一人、宮坂先生が一人、あとは体育館の鍵を持っている用務員の人だ。


 その七人は、全員が別のことをしていた。実行委員は進行表を見ていて、照明係は脚立の上にいて、演劇部の人は自分の劇の道具を運んでいて、先生は腕時計を見ていた。


 俺は十五分ぶんを喋った。


 終わったら、演劇部の人が「はい、次のクラス入って」と言った。


 それだけだった。


   ◇


 帰りに、実行委員の子が校門のところで待っていた。


 俺の顔を見て、深呼吸を一回してから、言った。


「明日、あたし、袖で見てます」

「はい」

「もし、その、失敗しても」

「はい」

「あたしのせいなので」


 その子は頭を下げて、走っていった。


 俺は自転車を押しながら家へ帰った。


 ――誰のせいでもないんだが。


   ◇


 十一月二日、土曜日。


 朝の八時に家を出た。玄関で、妹が靴を履いていた。


「なんでお前が制服なんだ」

「他校の文化祭、制服じゃないと入れないの」

「そうなのか」

「一般公開でしょ」

「そうだけど」

「行くよ。当たり前じゃん」


 妹は鞄からタブレットを出して、確認するみたいに一度見て、また入れた。


「兄ちゃん、何時から」

「一時十分」

「わかった」


 妹は先に出ていった。


 母さんが廊下から顔を出した。エプロンをつけたままだ。


「お母さんも行っていい?」

「やめてくれ」

「そう」


 母さんは引き下がった。


 引き下がったはずだった。


   ◇


 午前中は、うちのクラスの模擬店の番だった。


 劇をやるクラスは、劇のほかに何もやらなくていい決まりになっていた。なっていたのだが、うちのクラスは劇と模擬店の両方をやることになっていた。誰かがどこかで手を挙げたらしい。


 俺は焼きそばの列の整理をやった。


 俺はコーンを二つ置いて、その間に立っていた。


 立っていたら、列がだんだん長くなった。焼きそばの評判が良いのかと思ったが、途中で気づいた。列の後ろのほうの人が、焼きそばを受け取らずに帰っていく。


「高町くん、交代して」


 美咲が来た。


「まだ十分しか経ってない」

「あなたが立ってると列が回らないの」

「立ってるだけだ」

「それが問題」


 俺は交代した。


 交代して、教室の中に入って、割り箸を袋に詰める係になった。


 こっちのほうが向いている。


   ◇


 十二時四十分に、体育館の裏で衣装を着た。


 王様の衣装は、演劇部から借りたやつだった。赤いマントで、裏地が黄色い。肩のところに金色の紐が付いていて、その紐が首の後ろで結んである。


 王冠は段ボールに金紙を貼ったものだった。実行委員の子が作った。


 被ったら、内側の留め具が右の耳の上に当たった。


「痛いです?」

「少し」

「ごめんなさい、あたし、頭の大きさ、目分量で」


 その子はガムテープを持ってきて、留め具のところに貼った。貼ったら、当たらなくなった。


 俺はマントの裾を引きずらないように持ち上げて、袖のほうへ歩いた。


   ◇


 舞台の袖から、客席が見えた。


 埋まっていた。


 パイプ椅子が並んでいて、その後ろに立っている人がいて、その後ろの壁際にも人がいた。二階のギャラリーにも人がいた。入口のドアが開けっぱなしで、そこにも人が立っていた。


 昨日は七人だった。その七人が座っていた列も、今日は端まで埋まっていた。


 熊沢が横に来た。床屋の役である。頭に白い布を巻いていて、手にハサミの模型を持っていた。


「やべえな」

「なにが」

「人」

「多いな」

「三年も来てる」


 俺は袖の暗いところに立って、幕が開くのを待った。


 ――昼、焼きそば食っておけばよかった。


 列の整理をしていて、自分のぶんを取り忘れた。


   ◇


 幕が開いた。


 最初は床屋の場面だ。俺は出ない。熊沢がハサミの模型を持って舞台の真ん中に立って、客席に向かって「困った、困った」と言う。


 笑いが起きた。


 熊沢は声がでかい。体育館でも一番後ろまで届いた。届いたぶん、笑いも大きかった。


 俺の出番は、その次だった。


   ◇


 舞台に出た。


 右の袖から出て、五歩歩いて、真ん中に立つ。決めてあったとおりに立った。


 立った瞬間に、体育館の音が遠のいた。


 体育館は音が散る。咳と、椅子の軋みと、外の風と、遠くの模擬店の音が、同時に鳴っていた。それが一斉に薄い膜の向こうへ行った。


 代わりに、輪郭がはっきりした。


 舞台の床の、養生テープが二重に貼ってあるのが見えた。前から三列目の右端に座っている一年生の、上履きの片方だけ紐が緩んでいるのが見えた。二階のギャラリーの手すりに、去年の垂れ幕の金具が一つだけ残っているのが見えた。


 背筋が、伸びた。


 俺は台詞を言った。


「余の耳は、余のものである」


 声が、体育館の一番後ろまで行った。


   ◇


 そこから先は、覚えている。


 覚えているのだが、順番がうまく並ばない。


 熊沢が二つ目の台詞を飛ばした。飛ばしたので、俺が先に喋った。熊沢は少し遅れて追いついた。追いついたところで、客席の誰かが息を吸う音がした。体育館の後ろのほうで、吸った。


 照明が変わった。美咲の係だ。予定より一拍早かった。


 風の場面になった。


 葦が生えて、秘密が広がる。実行委員の子が書いた台本では、そこで王様が全部知る。知って、何もしない。


 俺は舞台の真ん中で、帽子に手をかけた。


 台本には、こう書いてある。


 〈王、帽子を取る。何も言わない〉


 俺は取った。


 段ボールの王冠が、手の中で少し曲がった。


   ◇


 誰も、何も言わなかった。


 舞台の上でも、客席でも、誰も何も言わなかった。


 二秒。三秒。四秒。


 どこかで、椅子が一度だけ鳴った。


 俺はそこに立っていた。立って、客席を見ていた。台本には「客席を見る」とは書いていない。書いていないが、帽子を取ったら、そっちしか見るところがなかった。


 ――この王冠、直したところ、また当たってる。


 ガムテープが剥がれかけていた。


 幕が下りた。


 幕は、下りるのが遅かった。


   ◇


 幕の内側で、熊沢が俺の肩を叩いた。


 叩いた手が、震えていた。


「今の、なんだった」

「劇だ」

「いや、そうだけど」


 熊沢は自分の頭の布を取って、それで顔を拭いた。


 幕の向こうで、音がした。


 拍手だった。


 始まるのが遅かった。三秒くらい、何も鳴らなかった。それから、後ろのほうで一人が始めて、そこから前まで来た。


 鳴りやまなかった。


 次のクラスの人が舞台の袖で待っていて、実行委員の一人が「一回、幕上げますか」と言った。実行委員の子は、幕の紐を握ったまま、動かなかった。


 握ったまま、袖でしゃがみ込んだ。


「立ってください」

「立てないです」


 その子は台本を抱えて、顔を伏せていた。


「あたしの、書いたやつです」

「そうだな」

「あたしの書いたやつ、なんですけど」


 そこから先は聞き取れなかった。


   ◇


 舞台の裏の廊下で、俺は壁に寄りかかった。


 寄りかかって、そのままずるずると下まで行った。床に座った。


 マントは着たままだった。首の後ろの結び目に指が届かなかったので、そのままにした。


 俺は壁に頭をつけて、天井を見た。


 体育館の裏の廊下の天井は、配管がむき出しになっている。灰色の管が二本と、細いのが一本。細いほうに、埃が乗っていた。


 足音がした。


 美咲だった。


 脚立を運んでいる途中らしく、腕に軍手をはめていた。俺の前で止まって、脚立を壁に立てかけた。


「立てる?」

「あとで」

「わかった」


 美咲は隣に座った。


 座って、軍手を外して、膝の上に置いた。


「片付けの当番、三時から。あなたは名簿から外しといた」

「いいのか」

「照明係の権限」

「そんな権限あるのか」

「ない」


 美咲は前を向いたままだった。


「月曜、現代社会のプリント。それと、来週の火曜が古典の小テスト」

「わかった」

「範囲、教科書の八十二から九十五」

「わかった」


 美咲は立ち上がって、脚立を持った。


「三時に、また来る」


 俺は座ったまま頷いた。


 美咲は行った。


 行く途中で一度も振り返らなかった。


 二時前に、一度立った。


 水飲み場まで歩いて、戻って、また座った。座ったほうが楽だった。


   ◇


 二時ごろ、妹が来た。


 紙皿を二つ持っていた。片方に焼きそば、片方にフランクフルトが乗っている。


「兄ちゃん、なんで床にいるの」

「疲れた」

「ふうん」


 妹は俺の隣にしゃがんで、紙皿を床に置いた。割り箸を割って、焼きそばを一口食べた。


「これ、兄ちゃんのクラスの」

「そうだ」

「まずい」

「そうか」


 妹はもう一口食べた。


「兄ちゃん、食べる?」

「食う」

「自分で取ってよ」

「お前が持ってろ」


 妹は紙皿を俺の膝の上に置いた。置いて、自分は割り箸だけ持っていた。


 俺は食べた。


「まずいでしょ」

「まずい」


 妹はまた一口食べた。まずいと言いながら、二人で全部食べた。


 紙皿が空になったところで、妹が言った。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「あたし、いちばん後ろにいた」

「そうか」

「後ろから三列目の、右のほう」


 妹はフランクフルトを食べた。


   ◇


 三時に、美咲が来た。


 一人ではなかった。片付けの当番が四人と、実行委員の子と、熊沢がいた。全員が段ボールを抱えていて、抱えたまま、俺の座っている前で立ち止まった。


 そこから、順番に喋りだした。


「二場面目の明かり、私、一拍早く入れちゃったの」


 美咲が言った。


「あれ、逆に良かったって言われた」


 照明係の一人が言った。


「俺が台詞飛ばしたじゃん。あれで間が空いたのがよかったんだと思う」


 熊沢が言った。


「マント、うちの部の中でいちばん重いやつを貸したんです。重いと動きが遅くなるので」


 いつのまにか演劇部の人が混ざっていた。


「あたし、あの場面、三回書き直したんです」


 実行委員の子が言った。言ってから、段ボールを抱え直して、続けた。


「四回でした」


 俺は床に座ったまま、六人を下から見上げていた。


 全員が、自分の話をしていた。


   ◇


 六人が行ったあと、一人だけ残った。


 早坂だった。


 両手に何も持っていなかった。当番表では、片付けの列に入っていた。


 早坂は俺の三歩手前で止まって、ポケットからスマホを出した。


 出して、持ったまま、下ろした。


「撮ってない」

「うん」

「一枚も」

「うん」


 早坂はスマホをポケットに戻した。


 それから、体育館のほうを一度見て、こっちを見ないまま言った。


「みんな撮ってた」

「そうか」

「あたしだけ、撮ってない」


 その声は、いつもの早坂の声より低かった。


 早坂は歩いていった。歩いていって、途中で足を止めて、振り返らずにもう一言だけ言った。


「よかったよ、すごく」


 行ってしまってから、俺は自分の腹が鳴ったのに気づいた。


 焼きそばとフランクフルトでは、足りなかったらしい。


   ◇


 五時前に、俺は立った。


 立ったら、普通に立てた。マントの紐も解けた。指が結び目まで届いた。


 衣装を演劇部に返して、王冠を実行委員の子に返した。その子は王冠を両手で受け取って、それを見て、ガムテープのところを指で押さえた。


「直します」

「もう終わりだぞ」

「来年も使うので」


 その子は王冠を抱えて行った。


   ◇


 家に着いたのは六時半だった。


 飯を食って、風呂に入って、部屋に上がった。ドアを閉めた。


 台座が、机の板を鳴らした。


「今日、いくつ見てたの」

「知らん」

「知らないの」

「数えなかった」


 ミューナは台座の上で、少し黙った。


「わたし、昔、あれくらいの箱でやったことがあるわ」

「箱?」

「劇場よ。二階まである箱」

「多いな」

「多くないわよ。あんたのほうが多いわ」


 俺は椅子に座って、机に肘をついた。


 肘をついたところで、スマホが鳴った。


 着信だった。犬飼さんだ。


   ◇


「高町」

「はい」

「今日、学校で何かやったか」

「劇をやりました」

「劇か」


 犬飼さんは、そこで少し間を置いた。


 電話の向こうで、紙をめくる音がした。


「学校に電話が入ってる。うちにも入った」

「はい」

「動画が上がってる。誰かが客席から撮ったやつだ」

「はい」

「学校側は、週明けに消す方向で動く。うちも一緒に動く。君は何もしなくていい」

「はい」


 俺は机の上を見た。台本があった。


「それと」


 犬飼さんは続けた。


「今日の夕方から、うちに話が来ている」

「話」

「仕事の話だ」

「はい」

「ほとんどは断る」


 俺はスマホを持ち直した。


「ほとんど、ということは」

「一つだけ、明日、事務所で話す」


 犬飼さんは、そこで一度、電話の向こうで椅子を引いた。


「高校の文化祭の動画で仕事が来るのは、初めて見た」


 電話が切れた。


 俺は机の上の台本を閉じて、引き出しに入れた。


 入れてから、思い出した。


 ――割り箸、まだ袋に詰めてる途中だった。


 三十袋くらい残っていたはずだ。


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