↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
145/236

第145話 言葉はわからないが、拍手だった

 最後に撮るのは、扉に鍵を掛けるカットだった。


 鍵は大きい。手のひらに載せると、指の付け根から第二関節まで届く。頭のところが輪になっていて、輪の内側に細かい傷が入っていた。


 持たされたときに、思っていたより重かったので、持ち替えた。


 鍵は小道具ではなかった。灯台のもので、撮影のあいだは島の人が毎朝ここまで持ってきて、終わると持って帰っていた。


   ◇


 ヨナスさんが扉の横に立って、手を上げた。


 上げた手を、そのまま下へ動かして、扉の下の隙間を指した。隙間に光が入る。入る角度が変わると、鍵を差す穴の位置が見えなくなる。


 俺は半歩右へずれた。ヨナスさんは頷いて、手を下ろした。


 時計は三時を回っていた。回っていたが、光の量は朝と同じだった。


 風は弱い。海の上に白いところが無くて、水の面が全部同じ色に見えた。


 崖の下のほうで鳥が鳴いていて、鳴くたびに、灯台の壁のどこかで反射して二重になる。二重になった側は、少し遅れて聞こえた。


   ◇


 六月二十六日、金曜日。


 撮影は今日で終わる。


 終わることは十日前から紙に書いてあって、その紙は食堂の壁に貼ってある。貼った紙の右下に、誰かが小さい絵を描き足していた。灯台の絵で、上のところに丸が一つ載っている。


 その丸が何なのかは、まだ聞いていなかった。


   ◇


「高町さん、このカットのあとに、監督が全員を集めます」


 三隅さんが、後ろから追いついてきて言った。


「集めますか」

「はい。撮影の最後の日は、監督が一言だけ言って、それで終わりです。長い挨拶はしない人なので、すぐ終わります」

「はい」

「そのあと、下の道に車が二台来ます。宿まで乗って帰って、六時から食堂です」


 三隅さんは言い終わって、上着の袖口を直した。袖口の縫い目が一箇所ほつれていて、糸が二センチくらい出ている。出た糸を指で巻いて、また放した。


   ◇


 犬飼さんは道の下のほうに立っていた。


 立ったまま、携帯を耳に当てている。当てているが、喋っていない。喋らないで、こっちの現場のほうを見ていた。


 電波は、道の下の、石を積んだ塀の前で入る。塀の前には、ほかにも二人立っていた。二人とも、犬飼さんと同じ向きを向いて、同じように携帯を耳に当てている。


 犬飼さんは携帯を下ろして、道を上がってきた。上がってきて、俺の横で止まった。


「高町、こっちで撮った写真が外に出た。島の人が撮ったやつだ」

「はい」

「誰が出したかは分からん。向こうの新聞が先に載せて、そこから日本へ回った」

「はい」

「君は何もしなくていい。こっちで止める」


 犬飼さんはまた道を下りていって、塀の前でもう一度携帯を耳に当てた。


   ◇


 記録の人が、板を出した。


 板に書いてある番号は三桁になっている。数字の下に、今日の日付が入っていた。日付の下は空欄だった。


 板を鳴らす人が、鳴らす前に一度、手を止めた。止めて、それから鳴らした。鳴った音は高かった。


 そこでカメラが回った。


 俺は鍵を穴に入れて、半分回して、そこで一度止めた。止めてから、止まるところまで回した。


 鍵の中で金具が動く音がした。音は扉の板を通って、手のひらまで来た。


 回しきったところで、鍵を抜いた。抜いた鍵を上着の内側に入れた。入れる動作は昨日決めた。


 振り返らないで、三歩歩いた。三歩目で止まる。止まったところに白いテープが貼ってある。


 止まった。


   ◇


「オーケー」


 黒瀬さんの声が下から来た。


「これで、全部終わりです」


 黒瀬さんはそう続けた。声の大きさは、朝の段取りのときと同じだった。


   ◇


 鍵は上着の内側で、胸のところに当たっていた。歩くと、当たる位置が少しずつ下へずれた。


 考えていたのは、この鍵は日本の鍵と形が違うということだけだった。


   ◇


 三隅さんが黒瀬さんの言葉を現地の言葉に直した。


 直している途中で、声が一度、途切れた。途切れたところから言い直して、そのまま続けた。言い直したぶん、最初の音と終わりの音の高さが違っていた。


 人が動かなかった。


 無線機が一つ、腰のところで短く鳴って、その人が慌てて切った。


   ◇


 いちばん後ろにいた人が、手を叩いた。


   ◇


 一人ぶんの音だった。


 その音が二回鳴って、三回目の前に、横にいた人が入った。二人になって、そこから四人になった。四人になったところで、下の砂利にいた人たちが全部入った。


 音が揃わない。揃わないまま大きくなって、灯台の壁に当たって戻ってきた。戻ってきたぶんが遅れて重なるので、途中から、どれが誰の手か分からなくなった。


   ◇


 誰かが何か言った。


 言った言葉は分からない。分からないが、そのあとでもう一度、音が大きくなった。


 背の高い人が反射板を足元に置いて、両手を上に上げて叩いていた。照明の人は片手にケーブルを持ったままで、持っていないほうの手を、自分の腿に打ちつけていた。


 カメラの人はカメラの横で叩いていて、途中でカメラのほうへ体を戻して、また叩いた。


 美術の人が二人、道の上のほうから走って下りてきた。下りてきたときには音は始まっていて、二人とも走りながら叩いた。走りながらだと手が合わないらしく、下まで来て止まったところで、合わせ直していた。


 止まないので、いつまで立っていればいいのかが分からない。俺は白いテープの上に立ったままでいた。


   ◇


 拍手の音の中に、拍手でない音が一つあった。


   ◇


 鞄は扉の横の石の上に置いてある。


 口が少し開いていて、中の人形が縁のところに手をかけていた。かけた手を、こっちに見えるところまで出して、二回、細かく打ち合わせている。


 音は小さい。小さいので、俺以外には届かない。


(届いてないぞ)


 人形は手を止めないで、そのまま続けていた。


(うるさい)


 人形は続けた。


   ◇


 ヨナスさんが前に来た。


 手を出したので、握った。握ったら、そのまま握って離さなかった。


 離さないまま、もう片方の手を俺の肘のところに置いた。置いて、二回、上下に動かした。


 それから離した。離してから、俺の顔は見ないで、機材のほうへ歩いていった。


 歩く途中で一度立ち止まって、また歩きだした。


 立ち止まった場所には何も無い。何も無いところで止まって、機材の袋の口を一度開けて、開けたまま、そこにしゃがんでいた。


   ◇


 エリーは、拍手のあいだ、自分の椅子の上に立っていた。


 立って、両手を頭より上で叩いている。叩きながら、俺のほうを見ていた。


 目のところだけを見る見方で、瞬きの回数が少なかった。


 黒瀬さんは、モニターの前で椅子に座ったままだった。


 座ったまま、両手を膝の上で合わせて、そこで叩いていた。


 叩き終わってから、立ち上がって、白い髭のところを一度触った。


   ◇


 宿までの車は、荷台に人が乗る形の車だった。


 二台とも、来たときには誰も座っていなかったのに、乗るときには床に毛布が敷いてあった。敷いたのは誰なのか分からない。


 俺は端に座った。隣に照明の人が座って、俺の膝を一度叩いて、それから前を向いた。


 道は下りで、荷台は跳ねる。跳ねるたびに、全員が同じ方向へ寄った。寄って、戻って、また寄る。三度目からは、誰も体を起こさなくなった。


   ◇


 食堂の窓は、島の内側を向いている。


 外は明るいままだが、雲が低いところに厚く出ていて、窓の下半分だけが暗く映った。


 食堂の台の脚は、床の石の目地の上に立っている。四本のうち一本だけ、下に木の板が噛ませてあった。


 俺は台のほうへ行った。


   ◇


 台の真ん中に、鍋が一つ置いてある。


 蓋を取ったら、湯気が上がった。上がった湯気の下は白かった。


   ◇


 米だった。


   ◇


 三隅さんが、皿を持ったまま横に来た。


「ヘルマルの店から取り寄せたそうです。炊いたのは宿の人で、水の量を三回聞かれました」

「答えられましたか」

「一回目だけです。わたしは日本の米の炊き方を知らないので、二回目からは電話で人に聞きました」

「うまいです」

「まだ食べてないですよね」

「食べます」


 俺は皿に取って、食った。粒は日本のより細くて、噛むと先に潰れる。潰れたあとで、少し甘くなった。


 二度もらった。二度目のときに、宿の人が鍋の底のほうから取ってくれた。底のほうは少し固かった。


 皿の縁に、魚の骨を寄せる場所が無くなった。無くなったので、隣の空いた皿へ移した。移した皿は、あとで宿の人が下げていった。


   ◇


 黒瀬さんは、入口に近いところの椅子に座っていた。


 皿は膝の上に置いてある。膝の上だと安定しないので、片手で押さえたままだった。


「高町くん、次は、夏の話を撮りたいと思っています。海のない場所です」

「はい」

「まだ何も決まっていません。決まっていないので、これは言っただけです」

「はい」

「食べてください。冷めます」


 黒瀬さんは、それから皿の上の魚の骨を、皿の縁のほうへ寄せた。寄せた骨は三本で、三本とも同じ向きに並べてあった。


   ◇


 パンも魚も、いつもどおり出ていた。


 いつもと違うのは、鍋と、それから台の端に紙のコップが並んでいることだった。並んだコップは数が足りなくて、途中から瓶のまま回っていた。


   ◇


 壁の紙の前に、宿の人が立っていた。


 立って、右下の絵の丸のところを指で押さえて、俺のほうを見た。見て、指を上へ動かして、天井を指した。


 灯台の上に載っている丸は、灯りだった。


   ◇


 犬飼さんは壁際で立ったまま食っていた。


「高町、荷物は今日のうちに出した。あれは俺たちより先に行く」

「はい」

「明日の土曜が船だ。時間が早いから、今夜のうちに手荷物だけまとめておけ」

「はい」

「便はその次の日曜だ。乗り継ぎで一回降りて、降りたところで四時間ある。四時間は座って待つ。先に言っておくぞ」

「座ってますか」

「座っている。前に来たときと同じ空港だが、今度は待合が反対側になる」

「はい」

「日本に着くのは月曜だ。日付が一つ増える。増えても、寝た時間は増えん」


 犬飼さんは皿を片手で持ったまま、もう片方の手で上着の内側を押さえた。押さえたところに、切符の入った袋がある。袋の角が、上着の外から見ても分かる形に出ていた。


   ◇


 上着の内側の紙は、二つ折りにすると内ポケットの口が閉まらなくなっていた。


 閉まらないので、片側だけ入れて、上を出したままにした。出したところが、歩くと上着の裏に当たって鳴る。鳴るので、片手で押さえて歩いた。


   ◇


 現地の人が入れ替わりで来た。


 来て、手を出して、握って、何か言って、行く。何を言われたのかは聞き取れない。聞き取れないが、握る力の強さは全部違った。


 三人目の人は、握ったあとで自分の胸のポケットから鉛筆を出して、俺の手に握らせた。何かの意味があるらしい。三隅さんは離れたところにいて、訳す人がいなかった。


 俺は鉛筆を上着に入れた。入れたところで、その人が両手で俺の手を挟んで、二回振った。振って、自分の目のあたりを袖でこすって、笑って、行った。


 録音の人が壁のところで座っていた。


 座って、膝の上に自分の棒を寝かせている。棒は今日で終わりなので、袋にも入れないままだった。


 俺が前を通ったら、顔を上げて、片手を上げた。上げた手を下ろすときに、目のところを一度こすった。


 こすってから、また棒を膝に載せ直した。


   ◇


 エリーが来た。


 両手を後ろに回して、俺の前に立った。立ってから、そのまま動かなかった。


「おなかすいた」

「食えばいい」

「オナカスイタ」

「もう食っただろう」


 エリーは後ろに回していた手を前に出した。


 紙が一枚あった。両手で持っていて、指の跡が四つ、紙の裏側についていた。


   ◇


 絵だった。


 灯台が描いてある。灯台の下に人が二人いて、片方は背が高くて、もう片方は低い。背の高いほうの顔には、線が二本だけ引いてあった。目のところだけである。


 紙の下の端に、鳥が三羽描き足してある。三羽とも同じ向きを向いていた。


 紙は食堂の壁に貼ってあるものと同じ厚さで、右上に穴が一つ開いている。穴の縁が破れかけていて、そこだけ毛羽立っていた。


   ◇


 俺は絵を受け取った。受け取る前に、両手の指を一度ズボンで拭いた。魚の脂がついていたからだ。


 受け取ってから、上着の内側に入れようとして、紙が折れそうになったので、やめた。


 やめて、両手で持ったまま立っていた。


 エリーは俺の手のほうを見て、それから自分の椅子に戻っていった。戻る途中で一度こっちを向いて、また前を向いた。


「高町さん」


 三隅さんが戻ってきた。


「はい」

「これ、預かってきました」


 三隅さんは折った紙を一枚出した。


「なんですか」

「住所です」

「はい」

「エリーのお母さんが書いたものです。書き方が日本と違うので、上から順に読まないでください。下の行が国です」

「上の行は」

「通りの名前です」

「わからん」

「わたしも、書き方は今日おぼえました」


 俺は紙を受け取った。


 受け取って、絵と一緒に持った。二枚重ねると、絵のほうが少し大きい。


 三隅さんは、それ以上は何も言わないで、台のほうへ戻っていった。


 戻る途中で、床に落ちていたコップを一つ拾って、台の端に置いた。置いた手を、そのまましばらく台の上に置いたままにしていた。


 置いたままの手の横で、現地の人が三隅さんに何か言った。三隅さんは頷いて、こっちを指した。指されたので、俺は頷いた。頷いたら、その人は両手を広げて、それから自分の胸を叩いた。


 三隅さんは、その言葉を訳さなかった。訳さないで、台の上の皿を二枚重ねて、厨房のほうへ持っていった。


 窓の外で、雲が動いた。動いて、暗く映っていた窓の下半分が、途中から明るくなった。明るくなったので、映っていたものが消えた。


   ◇


 台のところで、宿の人が立ち上がった。


 立って、鍋の蓋を持って、それを一度、木の匙で叩いた。


 叩いた音で、全員がそっちを向いた。


 宿の人が何か言った。


 何を言ったのかは分からなかった。途中で鍋を指して、それから全員のほうを指した。


 言い終わったところで、また音が始まった。始まる前に、宿の人が持っていた木の匙を台の上に置いた。置いた匙が転がって、台の縁で止まった。


 今度は最初から揃っていた。揃っているぶん、さっきより短く終わった。


 終わったあとで、誰かが鍋の蓋をもう一度叩いた。叩いた人は宿の人ではなく、荷台で隣に座っていた照明の人だった。


   ◇


 俺は絵と紙を左手に持ち替えた。


 持ち替えて、空いた右手を、絵と紙を持ったほうの手のひらに合わせた。


 叩いているあいだに、隣の人が俺の袖を引いて、指を六本立てた。


 明日の船の時間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。