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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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132/236

第132話 撮影中、米は出ますか

 会議室2に、電話が三つあった。


 九条さんの携帯と、戸倉さんの携帯と、机の上に置いた事務所の子機である。俺が入ったとき、三つとも鳴っていた。


 九条さんは立ったまま出た。戸倉さんは座ったまま出た。子機は誰も出なかったので、しばらく鳴って、途中で止まった。


 止まって、五秒くらいでまた鳴った。


   ◇


 二月十六日、月曜日。


 学校が終わってから来た。制服のまま座っている。


 部屋には窓が無い。暖房は入口の上の一箇所だけで、風の向きは変えられない。俺の座っているところにだけ、まっすぐ当たる。


 六人入れば満員の部屋に、いま六人いる。九条さんと、戸倉さんと、犬飼さんと、有本さんと、俺と、あとで入ってきた社長である。


   ◇


 電話の中身は、こっちには半分しか聞こえない。


「ええ。……いえ、うちも今朝、書面を見たところです」


 九条さんが受話器に向かって言った。


「はい。……いまの段階で動かせるものは、一つもありません」

「……」

「動かせないというのは、決まっていないという意味です。決まっていないものは動かせない」


 九条さんは受話器を持ち替えた。持ち替えて、机の端まで歩いて、そこで止まった。部屋が狭いので、三歩で端に着く。


「……いえ、まだ発表の段階ではありません」

「……」

「どこでお聞きになりましたか」

「……」

「そうですか。こちらからは、まだ一行も出していません」


 九条さんは電話を切った。


 切ってから、犬飼さんのほうを向いた。


「もう外に出ている」

「早いですね」

「早い」

「何が出てるんですか」

「監督の名前と、うちの社名と、主演が一人決まったという一行だ。題も、誰かも書いていない」

「それだけですか」

「それだけで、朝から電話が止まらん」


   ◇


 戸倉さんは座ったままだった。


「向こうの製作から直接ではなく、窓口を通してと伺っています」

「……」

「日本側の窓口です。はい」

「……」

「宣伝の段取りは、いったん全部止めます。組み直しになります」


 戸倉さんは片手で紙をめくっていた。めくった紙を、めくったところで押さえて、そのまま次の電話に出た。


 押さえた紙は、押さえたままになった。


「写真も、いまは出せません。使えるのは去年の宣材だけです」

「……」

「はい。増刷の相談も、いまはお受けできません」


 戸倉さんは電話を切って、切った携帯を机に伏せて置いた。


 伏せて置いた携帯が、置いた三秒後にまた光った。戸倉さんはそれを裏返して、番号を見て、出た。


   ◇


 犬飼さんの電話は短かった。


「確認します」

「……」

「それはこちらでは分かりません」

「……」

「折り返します」


 三つとも同じ長さだった。犬飼さんは電話を切って、切ったところでもう一度鳴った。


 鳴った電話にも出た。出て、また同じことを言った。


   ◇


 俺は入口に近い椅子に座っていた。


 誰も俺に何も言わなかった。俺も何も聞かなかった。


 机の上には紙が積んである。積んだ紙の上に、また紙が置かれる。置くのは有本さんで、有本さんは十分に一度くらい入ってきて、置いて、出ていく。


 置くときに、いつも同じことを言う。


「これ、いまのぶんです」


   ◇


 犬飼さんが上着の内ポケットから箱を出した。


 出して、開けないまま机の上に置いた。


 置いた箱の角が、机の縁と平行になっていない。犬飼さんはそれを直さなかった。


 顔から色が抜けている。金曜の夕方に試写室で見たときと同じだった。


   ◇


 ドアが開いて、社長が入ってきた。


 手に皿を持っている。皿の上に、羊羹が切って並べてあった。切り方が厚い。


 社長は皿を俺の前に置いた。


「食え」

「はい」

「ほかの連中は食うな。手が止まる」


 九条さんが受話器を肩と耳ではさんだまま、社長のほうを見た。見て、また前を向いた。


   ◇


 俺は羊羹を食った。


 厚いので、一切れで口の中がいっぱいになる。飲み込むまでに時間がかかった。


 餡は甘い。甘いが、朝から何も食っていない口には、甘いというより重い。


 二切れ目を取ったところで、戸倉さんがこっちを見た。見て、何も言わないで前へ戻した。


 三切れ目のとき、九条さんも見た。九条さんは受話器を耳に当てたまま、皿のほうを二秒だけ見て、それから相手に「はい」と言った。


 社長は皿の上の残りを数えた。


「四つ残ってるぞ」

「はい」

「持って帰るか」

「持って帰ります」

「包むものがない」

「はい」


 社長は皿ごと俺の鞄の横へ置いた。置いてから、置いた場所をしばらく見て、また机の上へ戻した。


 社長は俺の隣に座った。座って、しばらく何も言わなかった。


「うちの会社は三十一年やっている」

「はい」

「三十一年やって、こういう月曜は無かった」

「はい」

「だから、誰も飯を食っていない」

「はい」

「食え」


   ◇


 羊羹は、六人のうち俺だけが食っていた。椅子に深く座っているのも、俺だけだった。


   ◇


 電話が二つ、同時に鳴った。


 九条さんと戸倉さんが同時に出て、同時に「はい」と言った。二人とも、そのあとで相手の言うことを聞いていた。


 子機だけが鳴らないでいる。


 鳴らないでいるあいだに、有本さんがまた入ってきて、紙を置いた。


「これ、いまのぶんです」


 有本さんは置いてすぐ出ていった。出ていく前に、机の上の羊羹の皿を一度見た。


 見ただけで、何も言わなかった。皿の上の羊羹は、まだ半分ある。


   ◇


 五時四十分だった。


 六時にここを出れば、七時前に家に着く。六時半なら七時半になる。七時なら八時だ。


 八時に着いた日は、去年に一度あった。あの日は鍋がもう空だった。


 俺は椅子から動かなかった。


 動かないうちに、五時五十分になった。


 五時五十分になっても、誰も俺に帰れと言わなかった。俺は座っていた。


 子機がまた鳴った。今度は九条さんが出た。出て、二言だけ言って、切った。


   ◇


「犬飼さん」

「なんだ」

「撮影中、米は出ますか」


 電話は三つとも鳴っていた。鳴っている中で、犬飼さんは受話器を耳から離した。


「なんの話だ」

「向こうで撮るんですよね」

「そうだ」

「長いんですか」

「知らん」

「米は」

「知らん」

「聞いてもらえますか」

「あとでな」


   ◇


 九条さんが受話器を置いた。


 置いて、俺のほうを見た。


「高町くん、いま何を聞いた」

「米の話をしました」

「米」

「はい」


 九条さんは眼鏡を指で押し上げた。押し上げて、そのまま指を離さないでいた。


「戸倉さん、いまのを聞いたか」

「聞きました」

「どう思う」

「向こうの食事の情報は、まだ一枚も来ていません」

「そうか」

「取り寄せます」

「頼む」


   ◇


 九条さんは椅子に座った。


 座ってから、机の上の紙の山を手前へ引き寄せた。引き寄せて、上から三枚だけ抜いて、あとは押し戻した。


「犬飼。うちの体制で受けられる話じゃない」

「はい」

「受けられないとは言っていない。いまの体制では、と言っている」

「はい」

「人を足す。今週のうちに社長と決める」

「はい」

「それまで、この部屋の外に紙を出すな」

「出しません」


 九条さんは抜いた三枚を裏返して、机の端に置いた。置いた三枚の上に、有本さんがまた紙を置いた。


   ◇


 戸倉さんは紙に何か書いた。


 書いてから、書いたところに丸をつけた。丸をつけたぶんだけ、その紙が下のほうへ滑って、机の端で止まった。


 犬飼さんは机の上の箱を見ていた。見ていたが、開けなかった。


 開けないまま、また電話に出た。


   ◇


 俺は廊下に出た。


 会議室2の前の廊下には、パイプ椅子が二脚出してある。誰かが会議のときに出して、そのままにしたやつだ。


 俺は手前に座った。


 座ると、廊下の突き当たりの窓が正面に来る。窓の外はもう暗くて、向かいのビルの窓が三つ点いていた。三つのうち二つは同じ階にある。


   ◇


 椅子の脚が、俺が動く前に鳴った。


 鞄は膝の上にある。口は開いている。


「まだ終わらないの」


(終わらない)


「あの人たち、朝からずっと電話してるじゃないの」


(してる)


「あんた、何が起きたか分かってるの」


(分からん)


「分からないのに、米の話をしたのね」


(した)


「聞く順番があるでしょう。どこへ行くのか、いつからいつまでか、それを先に聞くのよ」


(聞いた。知らんと言われた)


「あんたが聞いたのは米でしょう」


(米も聞いた)


「……いいわ、もう」


   ◇


「あんた、わたしを鞄に入れっぱなしよ」


(そうだな)


「金曜からずっとよ。土曜も日曜も入れっぱなし」


(入れると言った)


「入れる話は金曜までよ」


(そうか)


「さっきから返事が同じよ。日曜の昼なんて、あんた、鞄ごと玄関に置いたわね」


(置いた)


「玄関は寒いのよ」


(この廊下も寒い)


「ここもってこと」


(そうだ)


「わたし、鞄の中よ」


(鞄の中だな)


「鞄の中でも寒いのよ」


   ◇


 廊下の突き当たりで、戸倉さんが電話をしていた。


 窓のほうを向いて、片手で耳を押さえている。押さえていないほうの耳に受話器を当てているので、体が斜めになっていた。


 その横を有本さんが通った。通るときに、戸倉さんの背中に紙を一枚見せて、戸倉さんはうなずいた。うなずいただけで、電話は切らなかった。


 有本さんは俺の前を戻ってきて、パイプ椅子の横で立ち止まった。


「高町さん、まだ帰れないですか」

「まだです」

「わたし、四階の給湯室にいますので、寒かったら言ってください」

「はい」

「ここ、暖房が入ってないんです。廊下だけ入ってないんですよ」


 有本さんはそう言って、会議室2のほうへ戻っていった。戻る途中で、抱えた紙の上から一枚が落ちて、拾って、いちばん下に入れた。


   ◇


 会議室2のドアが開いて、戸倉さんが出てきた。


 出てきて、廊下の突き当たりまで歩いて、戻ってきた。戻る途中で、俺の座っているパイプ椅子の前で止まった。


「高町さん、宣伝の段取りは、いったん全部こちらで止めます。あなたが取材で何か言う予定は、当分ありません」

「はい」

「取材が来ても、答えないでください」

「答えません」

「答えないというのは、黙るという意味ではなく、うちに回すという意味です」

「回します」


 戸倉さんは会議室2へ戻っていった。ドアを閉める前に、もう一度こっちを見た。


   ◇


 会議室2のドアが開いて、犬飼さんが出てきた。


「今日は帰れ」

「はい」

「明日も学校だ」

「はい」

「明日、学校で誰かに何か言われても、何も知らないと言え」

「言います」

「知らないんだから、言えるだろう」

「言えます」


 犬飼さんはそこで一度、鼻から息を出した。


「弁当の話も、まだ答えが出ていない」

「覚えてたんですか」

「忘れられるか」


   ◇


 ビルを出たら、外は暗かった。


 向かいの花屋はまだ開いていて、店の前の桶の水が動いていた。今日は凍っていない。


 駅までのあいだに、電話をしている人が三人いた。三人とも事務所とは関係のない人である。


 乗った車両は、端の席まで空いていた。座って、鞄を膝に置いて、その上に両手を置いた。


 二つ目の駅で、隣に人が座った。座った人は、座ってすぐ立って、一つ向こうの席へ移った。移った理由は分からない。


 乗り換えの駅で、階段を上がって、下りた。上がるほうは長い。下りるほうは短い。


 桜坂の階段は二十七段ある。上から九段目が少し欠けていて、今日は乾いていた。


   ◇


 家に着いたのは七時半だった。


 台所に母さんがいた。鍋はもう火から下りていて、蓋の上に布巾がかけてある。


 父さんは茶の間にいて、テレビの前で座っていた。テレビはついているが、音は小さい。


「遅かったね」

「遅くなりました」

「何かあったの」

「ありません」


 母さんはそれ以上聞かなかった。聞かないで、皿を出した。


 父さんはテレビのほうを向いたままだった。向いたまま、俺が台所に入ったところで一度だけ「おう」と言った。


 テレビの音は小さい。小さいので、台所からは何を言っているのか分からない。


 鍋の蓋を取ったら、まだ湯気が出た。布巾をかけてあったぶん、下りてからの時間のわりに温かい。


 中身は肉と大根だった。大根のほうが多い。


「大根、安かったの」

「そうですか」

「一本まるごと買ったから、明日も出るわよ」

「はい」

「文句言わないでよ」

「言いません」


 母さんは布巾をたたんで、流しの縁にかけた。かけてから、こっちを見ないで言った。


「今日、電話が二回あったよ」

「うちにですか」

「ケイくん。二回とも、あんたいるかって」

「いませんでした」

「いないって言ったよ」

「はい」

「二回目のときに、じゃあ晩飯だけ食べに来ますって言われた」

「来たんですか」

「来てないよ」


   ◇


 妹が二階から下りてきた。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「風呂、先入っていい」

「入れ」


 妹は行った。行ってから、階段の途中で止まって、また下りてきた。


「金曜、化学だったんだけど」

「聞いた」

「先生が、休んだ人は来週やるって」

「そうか」

「兄ちゃんの話じゃないから。うちのクラスの話」

「そうか」


 妹は今度こそ行った。


 父さんが茶の間から台所を覗いた。


 覗いて、俺の茶碗を見て、何も言わないで戻った。戻ってから、テレビの音を少しだけ大きくした。


 母さんは向かいの椅子に座った。座って、自分のぶんの茶は入れなかった。


「風呂は」

「あとで入ります」

「妹が入ってるよ」

「知ってます」

「長いよ」

「知ってます」

「知ってて後にしたの」

「後にしました」


 母さんは立って、鍋の下の火を一度つけて、すぐ消した。つけたのは一秒くらいだった。


   ◇


 俺は飯をよそった。


 茶碗は自分のを出した。しゃもじは母さんが鍋の縁に立てたままにしてあって、立てたところが少し焦げている。


 一杯目を食って、二杯目をよそったところで、台所の電話が鳴った。


 母さんが出た。


「はい。……はい、おります」


 母さんは受話器を持ったまま、俺のほうを見た。


 俺は箸を置かなかった。


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