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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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124/236

第124話 肉まんを二つ持ってきた男

 インターホンが二回鳴った。


 二回目は、一回目が鳴り終わる前だった。


 母さんが出て、俺を呼んだ。呼び方が、宅配便のときと違っていた。宅配便のときは、名前だけを一回言う。今日は二回言って、二回目のほうが高かった。


   ◇


 玄関に、ケイが立っていた。


 コートの前を開けたまま、片手にコンビニの袋を提げている。袋の中で、何かが二つぶつかっていた。


「よお」

「なんでいる」

「近いからや」

「近くない」

「電車で四十分は近いほうやろ」


 ケイは袋を持ち替えた。持ち替えて、玄関の三和土に片足だけ入れた。


「収録は」

「飛んだ」

「降ろされたのか」

「ちゃう。延期。局の都合や。撮る日がずれただけで、番組は無くならへん。俺、犬飼さんに三回聞いたからな。三回とも同じこと言われた」

「そうか」

「今日から打ち合わせやったんやで。十二日から三日で組んでたやつが、まるごと後ろへ行った」

「そうか」

「三学期が始まったばっかりやのに、今日は学校も休みや。朝から何も無いわけや」

「そうか」

「そうかて。お前、いま自分ちの玄関に立ってる顔で言うことちゃうで」

「玄関に立ってる」

「そういうことちゃうねん」

「じゃあ、どういうことだ」

「……まあええわ。上がるで」

「上がっていいとは言ってない」

「言うまで待っとったら日が暮れるやろ」


 ケイは靴を脱いだ。


 脱ぎながら、右足の踵で床を二回叩いた。叩いたのは、たぶん本人も気づいていない。


   ◇


「ケイくん、寒かったでしょう」

「おばさん、めっちゃ寒いです。この家、玄関だけ暖かいですね」

「そう?」

「そうです。ここ、風の通り道になってへんのやと思います」


 母さんが台所へ行った。


 行ったあとで、ケイが袋を持ち上げて、中を見せた。中は肉まんが二つだった。


「一個やる」

「もらう」

「即答やんけ」

「肉まんだ」

「知っとるわ。俺が買うてきたんやから」

「二つ買ってきたのは、二人で食う前提だろう」

「せやけど、普通そこは一回遠慮するとこやろ。遠慮して、俺が押して、そこで受け取るやんか」

「時間がかかる」

「かかるけど、そこがええねん」


 俺たちは玄関で肉まんを食った。


 上がり框に二人で腰かけて食った。ケイは半分食ったところで、中の具のほうだけ先に食おうとして、皮の底が抜けた。抜けたぶんを、手のひらで受けていた。


「これ、たまになるねん」

「なるな」

「なるやろ。作ってる側も分かってると思うねん」


 食い終わって、袋を丸めて、ケイがそれをコートのポケットに入れた。ポケットに入れてから、また出して、玄関の靴箱の上に置いた。


「上、行くか」

「行く」


 階段を上がった。


 ケイは四段目で足を止めて、もう一度踏んだ。


「この段、鳴るな」

「鳴る」

「うちは鳴らへんかった」

「そうか」

「言うほどの話ちゃうけどな」


   ◇


 二階の廊下に上がったところで、ケイが止まった。


「なんやこれ」

「鏡だ」

「見たらわかるわ。なんでこんなとこにあんねん」

「母さんのだ」

「廊下に置く?」

「置いた」


 ケイは姿見の前に立った。


 立って、自分の前髪を横から見て、指で一度直した。直したあとで、もう一度横から見た。


 それから、少し離れて、全身を見た。見て、片足を前に出して、また戻した。戻したところで、肩の位置を直した。


 鏡の前に立ってから、ここまで一言も喋っていない。喋らないケイを、俺はあまり見ない。


   ◇


「ええな、これ。全身入るやん」

「頭が切れる」

「お前がでかいだけやろ」


 ケイが横にどいた。


 俺が前に立つと、鏡の上の枠のところで頭が切れる。ケイが立つと、頭の上に壁が入る。


「な。俺、入っとるやろ」

「入ってる」

「勝ったな」

「何にだ」


   ◇


 ケイが台の下を見た。


「ここだけ埃ないで」

「そうか」

「そうかて。ここだけやで。ほれ、こっちは線みたいに溜まっとる」

「掃除した」

「お前が?」

「した」

「お前が掃除する家、俺、一回も見たことないねんけど」


   ◇


 俺は自分の部屋からクッションを二つ持ってきた。


 持ってきて、廊下に置いた。ケイは置いたほうに座らずに、もう一つのほうへ座った。同じものが二つあるだけなので、どちらでもいい。


 座ってから、ケイは足を組んだ。組んだ足の先が、床のほうで小さく上下していた。


   ◇


「なあ、なんか言うてみ」

「何をだ」

「なんでもええ。台詞とか」

「無い」

「あるやろ。前に、ドラマ出とったやん」

「あった」

「役、なんやったん」

「隣の部屋の高校生だ」

「名前は」

「広瀬」

「下は」

「無い」

「無いんかい」

「台本に、下は書いてなかった」

「ほな、その広瀬の台詞や。言うてみ」


 俺は少し考えた。


 考えて、立った。


「おかえりなさい」


   ◇


 ケイは三秒くらい黙った。


 それから、床に手をついて、前のめりになって笑った。笑いながら、片手で床を叩いた。叩く音が、下まで聞こえた気がした。


「あかん。あかんて。なんやそれ」

「台詞だ」

「台詞やのは分かんねん。なんでそんな、荷物受け取るときの声やねん」

「そうか」

「宅配の人が言うほうやんけ、それ」


   ◇


「じゃあ、やってみろ」

「俺が?」

「やれ」

「ええで。見とけ」


 ケイは立ち上がった。


 立ち上がって、肩を二回回して、首を横に倒して、それから鏡のほうを向いた。準備が長い。


「おかえりなさい」


   ◇


 ひどかった。


 どうひどいかというと、まず、声が大きい。玄関で言う音量ではない。それから、最後のところで顎が上がる。顎が上がるので、言い終わりに上を向いている。


 上を向いて挨拶をする人は、玄関にいない。いるとしたら、二階から降りてくる人に向かって言っている場合だが、それだと今度は立っている場所が違う。


「どや」

「玄関が広い」

「は?」

「たぶん、五十メートルくらいある」


   ◇


「お前な」

「本当だ」

「ええか。芝居っちゅうのは、気持ちや。気持ち入れたら伝わんねん。俺は今、帰ってきた家族に向かって、めっちゃあったかい気持ちを送ってん」

「送ってた」

「せやろ」

「送りすぎだ」


 ケイは口を開けて、そのまま閉じた。


 閉じてから、もう一度鏡を向いて、今度は小さい声で言った。小さくすると、今度は口が動いていなかった。


 口が動いていないと、鏡の中では、何も言っていない人になる。何も言っていない人が、言い終わったあとの顔をしていた。


   ◇


「お前、次」

「おかえりなさい」

「遅い」

「そうか」

「遅いねん。もっと、こう、来た! って感じで」

「来た」

「ちゃうねん。言葉やなくて」


   ◇


 俺たちは交互に言った。


 ケイが言って、俺が言って、またケイが言った。ケイのは、言うたびに音量が変わった。俺のは、言うたびにどこかが変わったが、どこが変わったかは、そのつど違っていた。


 途中で、ケイが数を数えはじめた。数えたのは自分のぶんだけで、俺のぶんは数えなかった。数えているうちに分からなくなって、やめた。


 どちらも良くならなかった。


 良くならないのに、やめる話にならなかった。やめる話が出ないと、次を言う。次を言うと、その次も言う。廊下は狭いので、二人で立つと、どちらかが半歩ずれる。ずれたほうが、鏡の端に寄る。


   ◇


「他のは」

「一つある」

「やれ」

「隣、うるさかったですか」

「待て待て。それ、相手おるやろ」

「いる」

「ほな俺が相手やるわ」

「できるのか」

「いけるいける」


   ◇


 ケイは鏡の前から一歩どいて、廊下の壁に手をついた。


 ついてから、少し腰を落とした。何の役をやるつもりなのか、俺には分からなかった。


「……いや、別に」

「今の、誰だ」

「隣の人や」

「隣の人は、腰を落とさない」

「雰囲気やん」

「雰囲気で腰は落ちない」


   ◇


「もういっぺんやるわ。今度は座る」

「隣の人は座らない」

「座ったらあかんのか」

「ドアの外だ」

「ドアの外で座っとる人、おるやろ」

「いない」

「おるって。俺、駅で見たことあるもん」

「それは隣の人じゃない」


 ケイは廊下に座った。


 座って、壁に背中をつけて、片膝を立てた。立てた膝の上に肘を乗せて、そこから上目でこっちを見た。見ている高さが、玄関のドアの取っ手より下にある。


「隣、うるさかったですか」

「……いや、別に」

「今の、誰だ」

「せやから隣の人やて」

「隣の人は、玄関の前で片膝を立てて座らない」

「立てとらん。ちょっと曲げただけや」

「曲げてもしない」

「お前、うるさいな。ほんなら立つわ」


 ケイは立った。


 立って、壁のほうを向いて、そこから半分だけこっちへ体を戻した。戻した位置で止まって、そのまま動かなくなった。


「今度はどうや」

「壁を見てる」

「隣の人は壁見るやろ」

「見るが、それは一人のときだ」

「じゃあ、そっちは何をするんだ」

「俺、審査員やるわ」

「審査するのか」

「する。十点満点な」

「基準は」

「俺が言われて嬉しいかどうかや」

「おかえりなさいを言われて、嬉しいのか」

「嬉しいで。いまのとこ二点やけどな」

「二点あるのか」

「声は出とるからな」


   ◇


「一緒に言うてみるか」

「なぜだ」

「なんとなく」


 二人で並んで、鏡の前に立った。


 並ぶと、鏡の中は肩から下が二人ぶんになって、上は俺の頭だけが切れていた。ケイのほうは、髪の先まで全部入っている。


 入っているぶん、ケイのほうが小さく見えた。


「せーの」

「おかえりなさい」


   ◇


 揃わなかった。


 俺のほうが半分遅れて、ケイのほうが最後だけ伸びた。伸びたところに俺の語尾が乗って、全体としては、人が三人いるみたいな音になった。


「今の、なんか多かったな」

「多かった」

「もう一本」

「いい」


   ◇


 廊下の外から聞けば、二階では二人の男が、同じ挨拶を何度も繰り返していた。


   ◇


「顔が動かんのやったら、声で行くしかないやろ」

「そうか」

「せや。低いのは武器やねん。低いまま、ちょっと上げる」

「上げた」

「上がってへん」

「上げてる」

「一ミリも動いてへんて」


 俺は喉のあたりに手を当てた。


 当てても、上げ方は分からなかった。喉のところは、声を出すと震える。震えているのは分かるが、震え方をどうするかは分からない。


「ええか。頭で入って、半拍待って、落とす。俺が横で数えたるから」

「数えるのか」

「数えたほうが分かりやすいやろ」

「わからん」

「わからんのかい」

「半拍が、どのくらいか分からん」

「半分や」

「何の半分だ」


 ケイは口を開けて、閉じた。


 閉じてから、床を手で二回叩いた。叩いた間隔が、たぶん一拍である。二回では、半分がどこかは分からない。三回叩けば分かるのかもしれないが、ケイは二回でやめた。


   ◇


 下から母さんの声がした。


「ケイくん、ごはん食べていく?」

「食べます!」

「ケイ、早い」

「なんでや」

「聞かれたら答えるやろ、普通」


   ◇


 時計を見たら、五時前だった。


 夕飯は七時である。ケイが食っていくなら、七時まではこの廊下だ。二時間ある。


 二時間は長い。長いが、下へ下りても、下りた先でケイが喋る。


   ◇


「なあ、もう一本」

「二時間ある」

「なんの話や」

「飯までだ」

「ほな、ちょうどええやんけ」


 ケイはクッションに座り直した。


 座り直して、また立った。座ったり立ったりするのは、たぶん考えている合図ではない。単に落ち着かないだけである。


   ◇


 階段を上がってくる音がした。


 妹が上がってきて、廊下の真ん中で止まった。止まって、鏡と、クッションと、俺たちを順に見た。


「兄ちゃん、うるさい」

「そうか」

「妹ちゃん、久しぶりやなあ」

「……こんばんは」


 妹は自分の部屋に入って、ドアを閉めた。


 閉めたあとで、中からもう一度、うるさい、と聞こえた。


「妹ちゃん、怒っとったな」

「怒ってた」

「なんでや」

「うるさいからだ」


   ◇


「なあ、これ、いつまでやるん」

「お前が始めた」

「せやけど、こんなに続くと思わへんかったやん」

「やめるか」

「やめへん」


   ◇


 その次は、途中で息が切れた。


 切れたところで止めて、頭から言い直した。言い直したら、今度は最後に息が余った。どちらが正しいのかは分からない。


 正しいほうを知っていそうな人間は、この廊下にいない。いるのはケイだけである。


 ケイは芝居ができない。できないことは、本人が一年前から言っている。言っているのに、さっきから相手役までやっている。


「今の、どうだった」

「知らん」

「知らんのか」

「俺、芝居わからへんもん」


   ◇


 窓の外が暗くなった。


 廊下の電気を点けた。点けたら、鏡の中が明るくなって、俺たちが二人とも映った。


「暗なるの早いな」

「早い」

「冬やしな」

「冬だ」

「なあ、俺、今めっちゃいい顔してへん?」

「してる」

「ほんまか」

「鏡がある」

「自分で見るのと、人に言われるのは違うねん」


 ケイは、それからしばらく何も言わなかった。


   ◇


 気がつくと、ケイの足が止まっていた。


 組んだ足の先も、床を叩く踵も、動いていない。ケイはクッションの上で膝を抱えて、鏡のほうを見ていた。


 ケイは、信号待ちでも足が動く。座れば指が机を叩く。それが、両方とも止まっていた。


   ◇


「高町。ちょっと聞いてええか」

「聞け」

「お前さ」


 ケイは言いかけて、そこで止めた。


 止めて、鏡のほうを見たまま、片手で自分の膝を一度叩いた。叩いた音が、廊下でよく響いた。


 響いたあと、ケイはもう一度口を開けて、また閉じた。閉じたところで、鏡の中の自分と目が合ったらしい。合ったので、目をそらした。


 そらした先が、俺の側だった。俺は鏡のほうを見ていたので、鏡の中で目が合った。合ったところで、ケイがまた鏡を見た。


   ◇


「灯真」


 俺は、口を開くのが遅れた。


「なんだ」

「俺、さっきから審査員やる言うてたやろ」

「言ってた」

「見ててやる、じゃなくてさ。……一緒にやろうや」


   ◇


 ケイは立ち上がった。


 立ち上がって、鏡の前に行った。行って、肩を回さなかった。首も倒さなかった。準備をしないで、そのまま言った。


 今度も下手だった。下手だったが、言ったあとに、こっちを見なかった。


 俺は返事をしなかった。


 しなかったが、鏡の前から動かなかった。


   ◇


「おかえりなさい」


 ケイが言った。


「おかえりなさい」


 俺も言った。


 どちらも、下手だった。


 そのあと、二人で三回ずつ言った。ケイのは声が大きいままで、俺のは顎が下がったままだった。三回目も同じだった。


 鏡の中には、廊下と、二人ぶんの肩が映っていた。俺の頭は切れていて、ケイの頭は入っている。


 ケイは、切れているほうを指さして笑った。笑ったが、それだけだった。


   ◇


 七時になった。


 母さんが下から呼んだ。呼ばれる前から、下では皿を並べる音がしていた。


 ケイが先に階段を下りていった。四段目のところで、また一度踏み直す音がした。


「これ、やっぱり鳴るな」


 下から、そう聞こえた。


 そのあとで、母さんが何か言って、ケイが笑った。笑い声のほうが、母さんの声より大きい。


   ◇


 二人ぶんの足音がして、俺は一人だった。


「あの子、ずっと横にいたわね」


(いた)


「横にいただけよ。あの子が見てたのは、鏡の中の自分のほうだわ。あんたのことは、一度も見てないの」


(下手だった)


「そうね。二人ともね」


   ◇


 俺はクッションを二つ拾って、部屋のほうへ放った。


 一つはドアの内側に入って、もう一つは敷居のところで止まった。止まったほうを、足で押して入れた。押したら、ドアの縁に当たって、また戻ってきた。


 拾って、今度は手で置いた。置いた場所は、机の横の、いつも積んである雑誌の隣にした。


 廊下の板の、光っているところが、横に広がっていた。

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