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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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122/235

第122話 妹に録画を全部消された

 録画の一覧が、上から下まで、全部丸になった。


 丸は、一度見たものに付く。番組の名前が縦に並んでいて、その全部の左端に、同じ大きさの丸が並んでいる。


 いちばん下まで送ると、カチッと止まる。止まったところにも丸が付いていた。上まで戻して、もう一度下まで送った。丸の数は変わらなかった。


 上から三本目のやつは、途中まで二度見ている。二度目は、一度目にどこまで見たか分からなくなったからだ。分からなくなった原因は、一度目の途中で寝たことにある。寝たところから先を見ようとして、頭から見直した。


 それでも丸は一つだった。何度見ても、丸は一つしか付かない。


   ◇


 残りの容量が、画面の右上に出ている。


 棒が横に一本あって、その棒が、いまはほとんど色で埋まっている。空きは右の端に少しだけ残っていた。


 俺は棒を見た。


 見ても、増えなかった。


 増やす方法は知っている。消せばいい。消すには、どれを消すかを決めないといけない。決めるには、もう一度見るかどうかを一本ずつ考えることになって、それをやると午後が終わる。


 俺はリモコンを座布団の上に置いた。置いたところが沈んで、リモコンが少し傾いた。


   ◇


 妹が茶の間に入ってきた。


 入ってきて、ちゃぶ台の向こうに立って、画面を見た。見てから、座布団の上のリモコンを見た。


「兄ちゃん、それ、まだ空いてる?」

「何が」

「容量。録るとこ」

「無い」

「無いって、どのくらい」

「棒の右の端くらいだ」


 妹はちゃぶ台を回ってきて、リモコンを取った。


 取って、一覧を上から下まで送った。送りきってから、また上まで戻した。戻す速さが、俺の三倍くらいあった。


「これ、全部見たの」

「見た」

「全部?」

「全部だ」

「じゃあ要らないじゃん」

「要らないとは言ってない」

「見たのに要るの?」

「見たやつは、要るか要らないかを決めてない」

「決めてよ」

「決めると、あとから要ると言えなくなる」

「言わないよ、兄ちゃんは。要るって言ったの、いま初めて聞いたもん」


   ◇


 妹は画面の下のほうを見ていた。


 下に小さい字が出ている。字が小さいので、俺のところからは読めない。妹は読めているらしくて、そこを見たままボタンを二回押した。


「三十一日の夜と、一日の朝。二本録りたいの」

「録れ」

「だから、空いてないんだって」

「一本ずつ消していい?」

「いい」

「じゃあ、どれから」

「そこは決めてない」

「兄ちゃん、さっきから同じこと言ってるよ。決めてないって言ってるだけじゃん」


 妹はリモコンを持ち直した。


 持ち直して、指の位置を変えた。変えた先は、いちばん下のボタンだった。


「これ、押していい?」

「なんのボタンだ」

「全部消えるやつ」

「押すな」

「押していいって言ったじゃん」

「一本ずつ、と言った」


   ◇


 押した。


 画面が一度切り替わって、確認の字が出て、その下に二つ並んだ。妹は右のほうへ動かして、また押した。


 消えるのに、十秒かからなかった。


 一覧の画面に戻ったら、番組の名前が一つも無くなっていた。縦に並んでいたものが全部消えて、真ん中に一行だけ字が出ている。


 〈録画された番組はありません〉


 右上の棒は、端から端まで空いていた。


   ◇


「空いた」

「空いた」

「怒った?」

「怒ってない」

「ほんとに?」

「見たやつだ」

「それ、二回言った」


 妹はリモコンをちゃぶ台の端に置いた。


 置いた場所は、俺の手が届かないほうだった。置いてから、指二本でこっちへ十センチだけ滑らせた。滑らせて、そこで手を離した。


「三十一日、家にいる?」

「いる」

「ふうん」


 妹は茶の間を出ていった。出ていくときに、鴨居のところで一度、手をぶら下げるみたいに上へ伸ばした。届いていなかった。


   ◇


 ちゃぶ台の上に、ざるが置いてある。


 みかんが十個ほど入っていた。段ボールから移してあるやつで、箱のほうは台所にある。ざるの底のみかんは、上に乗っているぶんの重みで、下の面が少し平らになっている。


 俺は上から一つ取った。


 取ったところが空いたので、下から一つ上がってきた。上がってきたやつの底は平らだった。


 平らなほうが、置いたときに転がらない。転がらないほうが良いのかというと、そういう話でもない。ざるは丸いので、どのみち真ん中へ寄る。


   ◇


 皮は、いちばん上から剥くとうまく剥ける。


 へたのところに親指を入れて、そこから四方へ広げる。広げると、皮が四つに割れる。四つのうち一つが途中で切れると、残りの三つも切れる。切れると、あとが面倒になる。


 今日のは、四つとも切れなかった。


 白い筋は、取る人と取らない人がいる。母さんは取る。妹は取らない。俺は、取りかけて途中でやめる。途中でやめると、半分だけ筋の付いたみかんになる。今日もそうなった。


 剥いた皮は、ちゃぶ台の端に置いた。置いた皮は、しばらくすると自分で少し丸まる。丸まると、置いたときより小さく見える。小さく見えるだけで、大きさは変わっていない。


   ◇


 俺はテレビを消した。


 消すと、画面が黒くなる。黒くなった画面には、この部屋が映る。ちゃぶ台と、ざると、座布団が四枚。座布団は、一枚だけ向きが違っていた。


 俺は座布団の向きを直した。


 直してから、黒い画面をもう一度見た。直ったのが、そこにも映っていた。


 黒い画面は、明るいところだけを映す。窓と、電気の傘と、みかんの色が映って、それ以外は暗いままだった。ざるの縁のところだけ、細い線になって光っている。


 俺は少し首を動かした。動かすと、線の位置が変わった。


   ◇


 台所の床に、みかんの段ボールが置いてある。


 二箱目である。一箱目の空き箱は、まだ潰していない。潰していないので、二箱目は一箱目の隣に置いてあって、二つ並ぶと、通り道が狭くなる。


 俺は横向きになって通った。


 母さんが流しの前にいた。


「あんた、そこ通るなら、上の箱だけ持っていって」

「どこへ」

「勝手口。潰すのはお父さんがやるから」

「持ってく」

「あんたが潰すって言い出さないでよ。前にあんたが潰したやつ、テープごと折ってあったから、あとで勝手に開いたんだから」


 俺は上の箱を持って、勝手口の内側に置いた。


 置いたら、下の箱の側面が見えた。側面に、みかんの絵が刷ってある。刷ってある絵のみかんには、葉が二枚付いている。ざるのほうのみかんに、葉は一枚も付いていない。


   ◇


 冷蔵庫を開けた。


 中の段は、上から順に、卵と、牛乳と、昨日の煮物と、名前の分からない容器が二つ。容器は二つとも蓋が半分だけ透明で、片方の中は白く、もう片方は何も見えない。


 開けて、何も取らずに閉めた。


 閉めてから、もう一度開けた。中身は同じだった。


「あんた、さっきから開けたり閉めたりしてるでしょう」

「してる」

「何を探してるの」

「探してない」

「探してないのに開けるの?」

「開けると明かりが点く」

「電気を点けなさいよ」


 母さんが台所の電気を点けた。


 点けたら、冷蔵庫を開けても床が明るくならなくなった。俺は三度目を開けなかった。


   ◇


 やかんに水を入れて、火にかけた。


 火をつけたあと、湯が沸くまでは何もすることが無い。やかんの底で、細かい音が先に鳴りはじめる。音が大きくなって、それから急に静かになって、そのあとで沸く。


 沸くまでのあいだ、俺は棚の下の段を見ていた。


 餅の袋が二つ、置いたままになっている。袋の口は、外側へ二回折って、洗濯ばさみで留めてある。洗濯ばさみは青いやつで、洗濯用のを一つ持ってきたものである。


「それ、まだ出さないでよ」

「出さない」

「二十八日に出したら、三十一日には端が硬くなってるんだから」

「今日は二十八日か」

「二十八日よ。あんた、それも分かってなかったの」

「日曜だとは思ってた」

「日曜と二十八日は、同じ日のことなの」


 やかんの音が、いちばん大きくなったところで急に静かになった。静かになってから沸くまでが、毎回長い。


   ◇


 湯が沸いた。


 茶を淹れて、台所の椅子に座って、飲んだ。飲み終わって、湯呑みを流しに置いた。


 置いたところで、やることが無くなった。


 流しの中には、朝の皿が二枚ある。洗うと、やることが一つ減る。減らすと、そのあとがもっと無くなる。


 俺は皿を洗わなかった。洗わずに、水だけ張った。水を張ると、洗うのは明日でよくなる。


「あんた、水だけ張ったでしょう」

「張った」

「あれ、明日のあたしが洗うのよ」

「明日の俺が洗う」

「その人、あたし、まだ一度も会ったことがないわ」


   ◇


 時計を見た。


 まだ昼を少し過ぎたところだった。夕飯まで、だいぶある。だいぶあるのだが、そのあいだに何をするかは決まっていない。


 俺は二階へ上がった。


 上がる理由は特に無かった。下にいると、洗濯物を畳む列に入れられる。入れられると、振る回数のことで必ず一度言われる。


 階段は、下から四段目だけ音が違う。四段目を踏むときだけ、少し高い音がする。踏まずに上がろうとすると、歩幅がおかしくなって、五段目でつまずく。


 今日は普通に踏んだ。


   ◇


 二階の廊下に、姿見が立っている。


 母さんのもので、夏に寝室から出てきた。なぜ出てきたのかは、聞いていない。


 枠は木で、下に低い台が付いている。台のぶんだけ鏡が持ち上がっているので、俺が前に立つと、頭のてっぺんが少し切れる。切れるのは、髪の上のほうだけだ。


 母さんが立つと、頭の上に壁が映る。妹が立つと、もっと映る。切れるのは俺だけだ。


 台の下に、埃が細く溜まっている。廊下の板の色が明るいので、そこだけ線になって見える。線は、端から端まで切れていない。


   ◇


 俺は廊下の端まで歩いた。


 端には物入れの扉がある。開けたことは何度もあるが、中に何が入っているかは覚えていない。今日は開けなかった。


 扉の取っ手は下向きに付いていて、引くときに指が一本しか入らない。指を入れて引くと、扉が枠に当たって、一度止まる。止まったところからもう一度引くと開く。


 端で向きを変えて、戻ってきた。


 戻ってくる途中に、姿見がある。


   ◇


 鏡には、廊下が映っていた。


 廊下と、その奥の窓と、窓の下の壁が映っている。俺が正面に立つと、廊下は見えなくなる。


 少し横へどくと、また廊下が見えた。


 鏡の中の廊下は、こっちの廊下と左右が逆になっている。逆になっているのだが、廊下には目印になるものが無いので、逆かどうかは見ても分からない。分かるのは、窓の桟の位置だけだ。


   ◇


 台詞なら、覚えているものがある。


 去年の秋にやったやつだ。隣の部屋の高校生の役で、台詞は七行あった。七行のうち、いま出てくるのは四つだ。


「隣、うるさかったですか」


 これが一つ目。


「その人、たぶんもう帰ってこないです」


 これが二つ目。


「知らないです」


 これが三つ目。


 三つとも、隣の部屋の人について聞かれて答えるやつだった。答える役なので、聞くほうがいないと始まらない。


   ◇


 どれを言うかを考えた。


 一つ目は、短い。短いと、言い終わるのが早い。早く終わると、そのあとに何もすることが無くなる。


 二つ目は、長い。長いぶん、途中で分からなくなる。途中で分からなくなると、頭からやり直すことになって、それはそれで面倒だ。


 三つ目は、いちばん短い。短いが、これは相手がいないと成立しない。ここには相手がいない。


 残るのは四つ目である。


 四つ目は、玄関で言う台詞だった。撮ったときは、ドアの内側に立って、外から入ってくる人に向かって言った。入ってくる人のほうは、こっちを見ていなかった。


 見ていなくても成立する。だから、一人でも言える。


   ◇


 俺は姿見の前に立った。


 鏡の中の男は、廊下に立っている。手は体の横に下りている。頭のてっぺんは、鏡の上の枠のところで切れていた。


 肩の線は、鏡の枠の横棒とほぼ平行だった。平行かどうかは、枠があるから分かる。


「おかえりなさい」


 言った。


   ◇


 声が、廊下で止まった。


 二階の廊下は短い。短いので、声が伸びない。伸びないまま、突き当たりの壁のところで落ちる。


 落ちた。落ちたところに、何も残らなかった。


   ◇


 下手だった。


 言い方が遅い。頭の「お」のところで一度たまって、そこから先が全部その速さになる。最後の「い」で声が下がって、下がったところで息が足りなくなる。腕は体の横に下りたまま、指の先まで一つも動いていない。


 どのくらい下手かというと、聞いていて途中で止めたくなる程度に下手だった。止めたくなったが、言っているのは自分なので、止めるのも自分だ。


   ◇


 俺は笑った。


 息だけが二回、短く出た。肩が一度上がって、下りた。


 鏡の中の男は、笑っていなかった。肩だけが動いて、そこから上では何も起きていない。


   ◇


「おかえりなさい」


 もう一度、言った。


 二度目は、最初のところで声が引っかかった。引っかかったので、途中で止めた。止めて、また言った。


 三度目は、引っかからなかった。引っかからなかったが、今度は速すぎた。速すぎたので、玄関で言う言葉に聞こえなくなった。何に聞こえたかというと、番号を読み上げているのに近い。


 四度目は、言い終わる前に自分で吹き出した。息だけが出て、音にならなかった。出た息のぶんだけ、最後の音が抜けた。


 鏡の中の男は、真顔のままそこにいた。真顔のまま、肩だけが二回動いた。肩が動いているのに顔が動いていないので、鏡の中は、しゃっくりをしている人みたいになっていた。


   ◇


 下から、洗濯機の音がした。


 脱水のところで、床ごと少し揺れる。揺れると、姿見の下の台が、廊下の板の上でわずかに鳴る。


 鳴ったので、俺は少し横へどいた。どいたら、鏡にまた廊下が映った。


 脱水は、途中で一度止まって、また回りはじめる。止まっているあいだは、家の中がいちばん静かになる。


 静かなときのほうが、下手なのがよく分かった。


   ◇


 夕飯まではまだある。まだあるのだが、そのあいだにやることは、さっきから一つも増えていない。


 増えていないので、ここにいる。


   ◇


 階段を上がってくる音がした。


 妹が廊下の途中まで来て、止まった。


「兄ちゃん、そこで何してんの」

「立ってる」

「立ってるのは見えてる」

「じゃあ聞くな」

「聞いたのは、何のために立ってるかのほう」

「決めてない」


 妹は、鏡と、俺と、台の下を順に見た。


 見てから、何か言いかけて、やめた。やめたときに、口の形だけが残った。


「洗濯機、止まったら教えて」

「わかった」

「兄ちゃん、それまでずっとそこにいるの」

「たぶん」


 妹は下りていった。四段目が鳴って、そのあと、下で洗濯機がもう一度回りはじめた。


   ◇


 台の下の埃の線が、切れていた。


 切れているのは、鏡の正面のところだけだ。切れた幅は、靴下二つぶんくらいだった。板の色が、そこだけ周りより明るい。


 俺は、その明るいところの上に立った。

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