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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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117/235

第117話 澪さんが会見した日、みかんを四つ食べた

 ちゃぶ台の上のざるに、みかんが十個あった。


 数えたのは、他にすることが無かったからだ。


 学校は午前で終わった。今週は水曜だけ午後が空く。時間割の紙にそう書いてあって、空いたぶんは、そのまま俺の時間になった。


 飯は家で食った。台所の皿に、昨日の煮物が半分残っていた。そのまた半分を食って、残りは冷蔵庫に戻した。戻すときに、ラップを新しいのに替えた。替えなくてもよかったが、元のが破れていた。


 ちゃぶ台の向こうにテレビがある。その前に座布団が四枚積んであって、俺は一枚だけ引き抜いた。


 抜いたのは上から二枚目である。いちばん上のは日に焼けていて、色が違う。


 残りの三枚は積んだままにした。崩すと、あとで母さんが積み直す。


 ちゃぶ台は角が一か所欠けていた。欠けたのは俺が小学生のときで、何をして欠けたのかについて、母さんの説と俺の説がある。去年、妹の前で両方を並べたら、妹はどちらも採らなかった。


 みかんを一つ取って、皮に爪を入れた。


   ◇


 テレビは母さんが点けた。


 母さんは台所と茶の間を行ったり来たりしている。濡れた布巾を持ったまま、テレビの前で二回止まった。


「これ、今からやるやつ?」

「知らん」

「二時からって書いてある」


 画面の下に、白い帯が出ていた。字は太くて、右から左へ流れていく。一周して、また同じ字が来た。


 〈このあと2時 神楽坂澪さん 会見〉


   ◇


 一つ目のみかんは甘かった。


 筋を取るのが面倒なので、俺は取らないで食った。取らないほうが早い。取った日と取らなかった日で、味の違いを感じたことはなかった。


 膝の上に皮が一つ乗った。乗せたところで、母さんが後ろを通った。


「あんた、その皮、ざるに入れなさいよ」

「入れると混ざる」

「混ざったって食べるでしょ」

「食う」

「じゃあ同じじゃないの」


 俺は皮を膝の上に置いたままにした。


 母さんは布巾で、テレビの上の埃を一度だけ拭いた。拭いたのは右半分で、左半分はそのままだった。


   ◇


 時計は台所の柱に掛かっている。


 柱の時計は二分進んでいる。テレビの右上の数字と二分ずれていた。母さんは柱のほうを見て時間を言い、妹はテレビのほうを見て言う。今朝も、二人が別々の時刻を言っていた。


 柱のほうが二時になった。


 テレビのほうは、まだ一時五十八分だった。


 二分待った。


 待っているあいだ、母さんは洗濯物を持ってきて、ちゃぶ台の横で畳み始めた。タオルが六枚あった。


 六枚のうち、四枚は同じ色で、二枚だけ濃い。濃いほうが父さんのやつだ。母さんは濃いのを下にして、その上に薄いのを積んだ。


 積み終わる前に、画面が切り替わった。


 白い壁の部屋が映った。


 長机が一つあって、机の上にマイクが二本立っている。壁には何も貼っていない。紙も、社名も、花も無い。机には布も掛かっていなくて、脚のパイプがそのまま見えていた。


 部屋の後ろのほうで、シャッターの音が始まった。始まってから、止まらなかった。


   ◇


 先に入ってきたのは、澪さんではなかった。


 黒いスーツの人が一人、机の横まで来て、そこで頭を下げた。下げてから、まっすぐ立った。


 真壁さんだった。


 真壁さんは澪さんの担当で、同じ事務所の四階にいる。話したことはない。廊下ですれ違うのを何度か見ただけだ。すれ違うときは、いつも書類を脇に挟んでいた。


 真壁さんは、澪さんより先に頭を下げていた。


   ◇


「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」


 真壁さんはそう言った。


「はじめに本人から話をします。そのあと、質問をお受けします」


 言い終わって、机の横へ二歩下がった。


 下がった位置は、カメラの端にぎりぎり入るところだった。


   ◇


 澪さんが入ってきた。


 白いシャツで、髪は下ろしていない。机の前まで来て、椅子を引いて、座った。


 座ってから、マイクの首を自分で下げた。


 下げるときに、右手の親指の付け根が白くなった。二本目のマイクの角度も、同じ手で直した。


 誰も手伝わなかった。手を出そうとした人もいなかった。


   ◇


「神楽坂澪です」


 澪さんはそう言った。


「先日出た記事について、話します」


 俺はみかんの二つ目を取った。


 二つ目は、一つ目より皮が厚かった。厚いほうが剥きやすい。


   ◇


「写真の一枚目は、私です」


 澪さんは前を見ている。


「一緒に歩きました。それだけです」


 シャッターの音が一段大きくなった。大きくなって、また戻った。


「二枚目も、私です。同じ車に乗りました。運転していたのは、うちの社の人間です」


   ◇


 あの部屋は寒そうだった。


 白い壁の部屋で、澪さんは上着を着ていない。シャツの袖は肘まで下りていて、めくってはいない。後ろの窓には、何も掛かっていなかった。


 昼を食っているのかどうかは、画面ではわからない。


   ◇


「深夜という表現がありましたが」


 前の列の人が言った。


「時間は何時ごろでしたか」

「覚えている範囲では、九時前です」


 あれは九時前だ。


   ◇


「では、記事の内容は事実だと」

「歩いたのも、乗ったのも事実です」

「交際については」

「していません」

「否定される、ということでよろしいですか」

「はい」


 澪さんは、そのあと何も足さなかった。


 足さないので、質問した人が次の紙をめくる音が入った。めくる音のあとで、また別の人が手を挙げた。


   ◇


 母さんが茶の間の入口で止まった。


「この子、痩せたわねえ」

「そうか」

「顔ちっちゃい。あんた、こういう子と並んでたの」

「並んでない」

「並んでるって書いてあったわよ、駅の広告に」

「歩いてただけだ」

「歩いたら並ぶでしょうが」


 母さんはタオルを一枚持ったまま喋っていて、喋り終わってから畳んだ。


   ◇


「相手の男性については、いかがですか」


 誰かが言った。


「相手の方のことは、私が話すことじゃありません」

「事実関係だけでも」

「私が歩いたことは、さっき言いました。それ以上は、私の話じゃないので」

「一言もいただけないと」

「はい」


   ◇


 同じ質問が、言い方を変えてもう一度来た。


 澪さんは、前と同じ長さで同じことを言った。長さも、間も、ほとんど変わらなかった。


 三度目は来なかった。


 代わりに、部屋の後ろで椅子の脚が鳴った。誰かが座り直した音だった。


   ◇


 みかんの皮が、剥いた覚えのない形で置いてあった。


 ちゃぶ台の端である。俺の皮は膝の上に二つあって、そのどちらとも形が違う。五枚に分かれていて、五枚とも先が細い。


「あの子、瞬きが増えてるわよ」


 人形は皿の横に座っていた。


(いつからいた)


「最初から」


(俺は座布団を一枚しか出してない)


「わたし、座布団はいらないの」


   ◇


「あんたのところは、あの部屋を借りてないのね」


(借りてない)


「借りてたら、あの子の後ろに人が立つのよ。壁の前に、横に並んで立つの。誰も立ってないわ」


 画面の中で、澪さんの後ろには白い壁しか無かった。


 真壁さんは机の横に立っている。立ったまま、動かない。


   ◇


「事務所を通した会見でしょうか」


 後ろのほうの人が言った。


「今日は、私が決めました」

「事務所の了解は」

「取っていません」


 部屋の音が、一拍だけ止まった。


 止まって、そのあとシャッターだけがまた鳴った。鳴り方が、さっきまでと変わっていた。速くなって、間が無くなった。


   ◇


 真壁さんは、腹のあたりに手を当てた。


 当てて、すぐ下ろした。下ろしてから、机の上の紙を一枚ずらした。ずらした紙は、もともと真っ直ぐだった。


 ずらしたあとで、指を紙の縁に置いたままにしていた。置いたままの指が、二回だけ動いた。


「あの人、痛いわね」


(どこがだ)


「見てればわかるわよ。あの立ち方は、あとで自分が喋る番だと思ってる人の立ち方だわ」


   ◇


「押さえてるところが低いわね」


(低いとどうなる)


「知らないわよ。わたしは胃を悪くしたことがないの」


 人形は皿の横で足を組み替えた。


 組み替えて、そのまま画面のほうを向いた。


「さっきの、同じ質問に同じ答えをしたでしょう」


(した)


「あれ、疲れるのよ。同じことを二回言うのは、違うことを二回言うより力がいるの。省くところが無いから」


(省かないとどうなる)


「声が下がるわ。あの子、二回目のほうが低かった」


   ◇


 膝の上の皮は、二つになっていた。二つとも、白いほうを上にして重ねてある。


「あんた、三つ目食べる気?」


(食う)


「二つでやめておきなさい。夕飯が入らないわよ」


 俺は三つ目を取った。


   ◇


 台所へ麦茶を取りに立った。


 冷蔵庫の扉には紙が三枚貼ってある。回覧板の当番と、ガスの点検の日と、いちばん下に妹が描いた俺の似顔絵。似顔絵の口は線が一本で、目が点二つだ。


 麦茶のポットは扉の内側にある。注いだら、三分の一しか残らなかった。俺は水道の水を足して、扉に戻した。


 戻すときに、いちばん下の紙の端がまた挟まった。


   ◇


 茶の間に戻ったら、画面はまだ同じ部屋を映していた。


 シャッターの音は続いている。続いているが、さっきより間があいていた。


「あんた、麦茶うすいでしょう、それ」


 母さんはこっちを見ないで言った。


「うすい」

「足したのね」

「足した」

「足すなら粉から作りなさいよ。うすいの飲んで、うすいって言ってるだけじゃないの」


   ◇


「では、これ以上の取材はどうされますか」


 また別の人が言った。


「受けます」

「事務所を通さずに、ですか」

「今日のことは、私が事務所に言います。その先は、私が決めることじゃありません」


 真壁さんが机の横で、一度だけこちらを向いた。


 向いたのはカメラのほうで、目は下がっていた。


   ◇


「あと二問でお願いします」


 真壁さんが言った。


 言ったあとで、手のひらを下に向けて、部屋の後ろのほうへ二度動かした。動かし方が、静かにしてくださいの形ではなかった。順番に、という形だった。


   ◇


「最後に、一つだけ言います」


 澪さんは机の上で両手を組んだ。組んでから、また離した。


「私は、自分がやったことを言いに来ました。誰かのために来たんじゃありません。ここに書いてあることのうち、本当のことは本当だと、私が言わないといけないと思ったので、来ました」


   ◇


 澪さんは立ち上がった。


 立ち上がって、頭を下げた。下げている時間が、真壁さんより長かった。


 顔を上げて、椅子を机の下に入れてから、出ていった。


 椅子は、入れた位置がまっすぐだった。


 真壁さんは、そのあとも机の横に立っていた。立って、もう一度深く頭を下げた。下げたまま、しばらく上げなかった。


   ◇


 画面がスタジオに戻った。


 机の前に人が四人並んでいて、一人ずつ喋り始めた。喋っている人の後ろで、さっきの会見の映像がもう一度流れている。


 流れているのは、マイクを下げるところだった。


 同じところが、三回流れた。


 四人の一人が、事務所を通していない、と二回言った。二回目のときは、言い方をゆっくりにしていた。


 その横の人は、机の上の紙をずっと見ていた。見ながら頷いていて、頷く前に紙を見る順番になっていた。


 母さんはテレビのほうを見ないで、タオルの端をそろえていた。


「この人たち、さっきの見てないの?」

「見てただろ」

「見てたのに、また同じの見せてるじゃない」


   ◇


「二本とも、自分で直したわね」


(直してた)


「あれ、普通は誰かがやるのよ。やる人がいなかったのか、やらせなかったのか、どっちかだわ」


(どっちだ)


「知らないわよ。わたし、あの部屋にいないもの」


 人形は皿の横で膝を抱えた。


 抱えて、それきり画面のほうを見なかった。


   ◇


 俺は膝の上の皮を集めた。


 三つぶんある。三つとも形が違って、最初のが大きい。大きいのは、途中で切れなかったからだ。


 集めて、ちゃぶ台の端に置いた。置いたら、さっきからそこにあったやつと並んだ。


 並んだ四つのうち、五枚に分かれているのは一つだけだった。


 白いところを上にすると、どれも同じ色に見える。裏返すと、四つとも違う色になる。俺は全部を白いほうにそろえてから、また元に戻した。


   ◇


 母さんは洗濯物を持って立ち上がった。


「あんた、これ二階に置いてきて」

「どっちの」

「上の二枚があんたの」

「下は」

「下はお父さんの。触らないで」


 俺は上の二枚だけ取って、廊下の柱のところに置いた。二階には上がらなかった。


 置いたところは、階段の上がり口の右側だ。そこに置くと、次に二階へ行くやつが持って上がる。持って上がるのは妹だ。


「あんた、それ置いただけでしょう」

「あとで持っていく」

「その『あとで』、去年から三回聞いてるわよ」

「今年は違う」

「今年も三回目よ」


   ◇


 台所で、母さんが段ボールを開ける音がした。


 みかんの箱は台所の隅にある。上の段を取ると、下の段が見える。下の段のほうが小さい。


「あんた、こっちの小さいの、甘いわよ」

「そっちを先に出せ」

「先に出すと、大きいのが残るじゃない」

「残っても食う」

「残ったら、あんた最後に嫌な顔するでしょうが」

「しない」

「顔に出ないだけでしょ」


   ◇


 母さんは箱の蓋を閉めた。


 閉めてから、蓋の上に手を置いて、少しのあいだそのままにしていた。


「あ、そうだ。犬飼さんから電話あったわよ」

「いつ」

「お昼前。あんたが帰る前」

「なんて」

「明日、事務所に来てくれって。二時だって」

「わかった」

「怒ってなかったわよ、声は」

「そうか」

「あの人、うちに電話するとき、必ず名乗ってから咳払いするの。今日は咳払いのほうが先だった」

「順番が違うのか」

「違うわよ。十回聞いてるんだから、あたし」


 母さんは蓋の上の手を下ろした。


 下ろして、箱を壁のほうへ十センチ押した。押したぶん、通り道が広くなった。


   ◇


 俺はざるから、もう一つ取った。


 爪を入れて、上から下へむいた。皮は四枚に分かれた。四枚とも、膝の上に置いた。


 ざるに残ったのは五つだった。


 テレビは、もう別の話をしていた。

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