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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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111/234

第111話 大人が七人、三時間

 会議室2は、六人で埋まる。


 今日はそこに、大人が七人いた。俺を入れて八人である。


 机は六人ぶんで、椅子も六脚しかない。座れたのは、社長と、九条さんと、戸倉さんと、犬飼さんと、法務の人と、俺だった。


 有本さんと、宣伝の若い人が、壁際に立っていた。


   ◇


 立っている二人のうち、有本さんのほうは壁から十センチ離れている。若い人のほうは背中を壁につけていた。


 部屋の暖房は、入口の上についている。風が出る向きは変えられない。俺の席はその真下だった。


 時計は十二時ちょうどを指していた。


 土曜日である。事務所の他の階には、人の気配がほとんどなかった。


 来る途中の一階も静かで、受付の人はいなかった。代わりに、机の上に小さい札が置いてあった。札には土曜の連絡先が書いてある。


 ビルの向かいの白い車は、今日は無かった。無くなったことに気づいたのは、自動ドアを通ったあとだった。


   ◇


「始める」


 社長が言った。それだけで、部屋の音が全部止まった。


 九条さんが自分の前の紙を一枚めくった。めくった紙は、みんなの前にも同じものが配ってある。俺の前にも一枚あった。


 俺は上から順に読もうとした。四行目で、字が細かくなって止まった。


   ◇


「昨日から、電話が二十四本です」


 有本さんが壁のところから言った。


「内訳は」

「番組が九、雑誌が七、それ以外が八です。それ以外の中には、こちらが知らない相手が四つあります」

「知らない相手はどうした」

「折り返していません。名前と時刻だけ書いてあります」


 有本さんはタブレットを持ち直して、そのあとは何も言わなかった。


 九条さんが、うなずきもしないでページをめくった。


「番組の九件は、内容を分けてあるか」

「分けてあります。取材の申し込みが四件、出演の確認が三件、残りの二件は用件を言われていません」

「用件を言わない相手は、次に何を聞いてくる」

「そこは、わたしにはわかりません」


 有本さんはそこで一度、言葉を切った。


「本数だけお伝えしています」


 九条さんはそれ以上は聞かなかった。


 九条さんは自分の手帳を開いて、日付のところに何か書き足した。書き足して、閉じた。


   ◇


 法務の人が喋りはじめた。


 法務の人は喋るのが速い。速いのに、途中で必ず一度止まる。止まったところで手元の紙を見て、また同じ速さで続ける。


「先方に対して取れる手は三つあります。一つ目は、訂正の申し入れです。二つ目は、こちらの見解を文書で出すことです。三つ目は、何もしないことです」

「三つ目は手なのか」

「手です。向こうは来週も紙を出します。出すには材料が要ります」

「材料」

「訂正を申し入れれば、申し入れたことが材料になります。文書を出せば、文書が材料になります」

「何も出さなければ」

「こちらからは、一つも取れません」

「取れないと、どうなる」

「別の相手のところへ行きます」


 俺は、三つ目が手になるという話を、頭の中でもう一度並べ直した。


 並べ直しても、同じ三つだった。二つ目と三つ目の差が、どこにあるのかはわからなかった。


   ◇


「一つ、確認させてください」

「はい」

「高町さんは、この写真の日のことを覚えていますか」

「覚えています」

「何時に店を出た」

「わかりません」

「時計を見たか」

「見ていません」


 法務の人は、俺の答えを紙に書かなかった。書かないで、隣の人のほうを見た。


「覚えていないほうが、ここでは普通です」


   ◇


「もう一つ、確認させてください」

「はい」

「この夜、車に乗ったのは何人ですか」

「四人です」

「四人の名前を、順番に言えますか」

「俺と、澪さんと、有本さんと、運転の人です」

「運転の人の名前は」

「知りません」


 法務の人は、そこで初めて紙に何か書いた。書いたのは一行だけだった。


 書いているあいだ、部屋の誰も喋らなかった。ペン先の音だけが、机の向こうから届いた。


 書き終わると、ペンを紙の上に横に置いた。転がらないように、下敷きの縁に沿わせて置いた。


「知らないというのは、こちらにとっては良い材料です」

「良いんですか」

「良いというより、動かせない材料です。動かせないものは強い」


 俺には、動かせないものが強いという話がよくわからなかった。


 わからなかったので、はいと言った。


   ◇


 戸倉さんが手元の紙を横に寄せた。


「取材の申し込みが、今朝までで十一件来ています。うち八件は、うちが窓口を持っていない相手です」

「断れるか」

「断れます。断ると、断ったことが記事になります」

「じゃあ受けるのか」

「受けると、受けた相手だけが得をします」

「神楽坂さんの側は」

「真壁さんを通して、二度入れています。返事はまだ来ていません」

「揃えられるか」

「揃いません。同じ会社でも、出す出さないは本人が決めます」


 戸倉さんは、どちらとも言わなかった。


 言わないまま、次の紙を出した。


   ◇


 俺の前の紙は、まだ四行目のところで止まっている。


 字が細かい行の下に、太い字で一行だけ入っていた。〈今後の露出について〉。


 その下は表になっていて、左に日付、右に番組の名前が並んでいる。日付は十二月の後半までずっと続いていた。


 俺は表の右の端を見た。端のところに、細い縦の線が一本引いてある。


 線の右側には何も書いていない。書いていないところが、紙の三分の一くらいあった。


 誰かが、あとで書き足すために空けたのだと思う。


   ◇


「順番の話をします」


 戸倉さんが言った。


「先に会見をやるか、先に記事の側を潰すか。両方は同時にできません。人が足りません」

「人は増やせるか」

「増やせません。増やすと、増やしたことも記事になります」


 九条さんが、初めて口を開いた。


「映画のほうへは、うちからいつ入れる」

「入れる必要がありますか」

「向こうは今週、書類を並べている。並べている机の上で、うちの名前が別の理由で出るのは避けたい」


   ◇


「高町くん、一つ聞く」

「はい」

「君は、二月のことを気にしていたそうだな」

「気にしています」

「今日の話は、二月とは別のものだ」

「はい」

「別だが、机の上では隣に並ぶ」

「はい」


 九条さんは眼鏡を外して、レンズを見た。見ただけで、拭かなかった。


   ◇


 暖房の風が、俺の頭のてっぺんに当たり続けている。


 昼飯は来る前に食べた。犬飼さんに先に食っておけと言われたので、駅の階段を上がったところの店で、丼を一つ食べた。


 丼は熱かった。熱いものを食べたあとに、上から温い風が当たっている。


 この人たちが黙ったら帰れる。


 誰も黙らなかった。


 部屋の中で喋っていない人は、俺と、壁際の若い人と、犬飼さんの三人だけだった。


 若い人は、時々ペンの尻で自分の腕を突いている。突いてから、突いたところを見て、また突いた。


   ◇


 犬飼さんは、さっきから一度も紙をめくっていない。


 右手を机の下に置いて、左手だけを机の上に出している。机の上の手は、指を組んでいない。


 途中で一度、ポケットから薬の箱を出した。出して、蓋を開けないで、また置いた。


 置いた箱は、机の端から二センチのところにある。


   ◇


「会見をやるなら、いつです」


 宣伝の若い人が、壁際から言った。声が少しだけ裏返っていた。


「早いほうがいい」

「早すぎると、向こうが次の号を作ります」

「遅すぎると、隠していたと書かれます」

「では、間です」

「間というのは何日だ」


 俺は、間というのは何日だろうと思った。


 思っているあいだに、話は別のところへ行っていた。


   ◇


 部屋の空気が、だんだん重くなってきた。


 人が八人いて、窓は無い。空気の出入りは入口の上の一箇所だけで、そこから温い風が出続けている。


 俺は椅子に背中をつけて座っていた。


 背もたれの角度は、少しだけ後ろへ倒れている。


   ◇


 ドアの外から見れば、大人に囲まれてまっすぐ座っている新人が一人いるだけだ。


「高町くん、いま何と言われたかわかりますか」


 戸倉さんの声だった。


「わかりません」

「はい」

「はい?」

「わからないと言えるなら、それでいいです」


   ◇


 法務の人が、また紙を一枚めくった。


 紙のめくれる音は、部屋の中でいちばん規則的な音だった。


 誰かが水を注いだ。注いだ音は一回だけで、そのあとは続かなかった。


 暖房は止まらない。


 声は続いている。誰の声かは、途中から区別がつかなくなった。


 紙の音と、暖房の音と、声。三つのうち、いちばん近いのは暖房だった。


 目の前の紙の四行目を、もう一度読もうとした。


 字は同じところにある。読もうとするたびに、行の端が少しずつ下へずれていく。


   ◇


 目が覚めた。


 時計は二時三十五分を指していた。


 部屋の中の人の並びが変わっている。九条さんが立っていて、戸倉さんが座っていた。法務の人の前の紙は、束が半分になっている。


 俺の前の紙は、四行目のところで止まったままだった。


 机の上のコップの水が、来たときより減っている。減っているのは俺のではない。俺のコップは、まだ縁のところまで入っていた。


 壁際の若い人は、座っていた。誰かが席を譲ったらしい。


   ◇


「起きたか」


 社長が言った。


「起きました」

「よく寝てた」

「すみません」

「謝ることじゃない」


 社長は椅子の背にもたれたまま、俺のほうを顎で示した。


「この状況で寝るやつが、うちの新人だ。肝が据わってる」


 法務の人が、それを紙に書いた。書いてから、上に線を引いて消した。


 犬飼さんは、机の下に置いていた右手を、初めて上に出した。


 出して、何もしないで、また下ろした。


   ◇


 宣伝の若い人が、譲られていた椅子から立った。


 立って、椅子を元の人に返して、また壁際へ戻った。戻ったところは、最初に立っていた位置より、半歩ぶん入口に近い。


   ◇


「決まったことを言います」


 戸倉さんが紙を一枚、俺の前に置いた。


「訂正の申し入れはしません。文書も出しません。うちからは、紙を一枚も出しません」

「はい」

「出すのは、高町くん本人です。一回だけです」

「はい」

「来週の金曜、午後に会見をします。場所はこちらで取ります。時間は、三十分から四十分です」

「はい」

「話すのは高町くんです。わたしが横にいます」

「はい」

「内容は、事実だけです。謝りません。怒りません。何も足しません」

「はい」


 俺は紙の上の日付を見た。来週の金曜の午後である。


 午後だから、学校の途中で出る。出るときには、教室のうしろの戸を使う。前の戸を使うと、宮坂先生の前を通る。


「高町くん、いま何を考えましたか」

「教室のうしろの戸のことです」

「そうですか」

「前の戸だと、先生の前を通るので」

「そうですか」


 戸倉さんは紙をもう一枚めくった。めくった手が、途中で一度止まった。


   ◇


「もう一つあります」


 戸倉さんは俺の目のあたりを見て言った。


「今から三日、外に出ないでください」

「はい」

「……理解してます?」

「たぶん」


 戸倉さんは目を閉じなかった。閉じないで、俺の後ろの壁を見た。


 壁には何も掛かっていない。


「外に出ないというのは、コンビニもですか」

「買い物は、ご家族に頼んでください」

「三日ぶんの食い物が家にありません」

「三日ぶんは、たぶん入ります」

「頼みます」

「高町くん、いま初めて困った顔をしましたね」

「顔は動きません」


   ◇


 九条さんが、立ったまま最後の紙を配った。


 配りながら言った。


「会見までのあいだ、うちは何も出さない。何も出さないというのは、何もしないという意味ではない」

「はい」

「高町くん、君がやることは一つだけだ。金曜まで、いつも通りにしていること」

「わかりました」

「わかったと言ったな」

「言いました」


 九条さんは、それ以上は聞かなかった。


   ◇


 三時になった。


 社長がいちばん先に立った。立ったときに椅子が後ろの壁に当たって、壁際に立っていた宣伝の若い人が半歩よけた。


 社長はドアのところで一度止まって、犬飼さんのほうを見た。


「犬飼、一つだけだ」

「はい」

「金曜まで、高町を一人にするな」

「します」

「するのか」

「一人にはしません」


 社長は出ていった。


   ◇


 部屋に残ったのは、犬飼さんと、戸倉さんと、俺と、有本さんだった。


 有本さんは壁から離れて、机の上のコップを集めはじめた。集めたコップは六つあって、そのうち中身が減っていたのは二つだけだった。


 犬飼さんは薬の箱をポケットに戻した。三時間、机の上に出したまま、一度も開けていない。


 シャツの襟のところが、右だけ外に出ていた。来たときは出ていなかったと思うが、いつ出たのかは見ていない。


 犬飼さんは椅子に座ったまま、しばらく立たなかった。立たないで、机の木目のほうを向いていた。


 それから、机に手をついて立った。


 立つとき、机の角に膝が当たった。当たった音が思ったより大きくて、有本さんがこっちを見た。


 犬飼さんは膝を押さえなかった。押さえないで、そのままドアのほうへ二歩だけ歩いて、そこで止まった。


 止まって、入口の上の吹き出し口を見上げた。見上げていた時間は、そこまで歩くのに使った時間より短かった。


「犬飼さん」

「なんだ」

「駅の上の店は、夜もやってますか」

「三時間座ってただけだろ」

「座ってました」

「やってる。帰りに寄れ」


   ◇


 戸倉さんが、部屋を出る前に振り返った。


「高町くん、一つ言い忘れました」

「はい」

「金曜の朝、六時に電話をします。出てください」

「出ます」

「寝ていても出てください」

「はい」


 戸倉さんは、そこで初めて少しだけ息を吐いた。


 吐いてから、俺の前の紙を指した。


「その紙、持って帰らなくていいです。持って帰ると、置き場所で困ります」

「壁があります」

「壁?」

「部屋の壁です。もう二枚貼ってあります」

「……三枚目は、貼らないでください」


   ◇


 俺は椅子を引いた。


 引いたら、後ろの壁までの距離が、思っていたより短かった。八人が入っているあいだ、椅子は最初の位置から一度も動かせなかった。


 机の下から鞄を出した。


 鞄の底が、三時間ぶん冷えていた。


   ◇


 部屋を出るとき、いちばん最後になった。


 入口のところで一度止まって、部屋を振り返った。椅子が六脚あって、そのうち二脚は机から離れたところに置いてある。机の上には紙が何枚か残っていた。


 残っている紙のいちばん上は、俺の前にあったやつだった。四行目のところに、俺の指の跡がついている。


 廊下は暖房が入っていない。会議室2の中との差が、ドアを出た一歩目でわかった。


 犬飼さんが先に階段のほうへ歩いていって、途中で止まって、こっちを待った。待っているあいだ、手すりに手を置かなかった。


 廊下の窓は、外向きに一枚だけある。


 三時間で終わる約束の会議ではなかったが、終わったのは三時だった。窓の外は、もう昼の色をしていない。


 戸倉さんが会議室の照明のスイッチを下ろした。下ろしたあとで、また上げて、机の上の紙を取りに戻った。


 紙は三枚あった。三枚とも、持って出た。


 俺は鞄を肩に担いだ。

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