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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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110/234

第110話 写り、いいですね

 金曜の夜に二階へ上がったら、机の上に雑誌が一冊置いてあった。


 俺は買っていない。表紙を上にして、机のちょうど真ん中に置いてある。教科書の山の上でもなく、端でもなく、真ん中だ。


 置いた人は、俺がここに座ることを知っている。


 雑誌の端は少し波打っていた。鞄か何かに一度入れて、また出したやつの形だった。


   ◇


 風呂に入る前だったので、髪がまだ濡れていない。


 俺は椅子に座って、雑誌を手前へ引いた。引いたら、表紙の下のほうに折り込みの見本が挟まっていて、それが床に落ちた。


 拾って、机の上に置いた。


 折り込みには、家の間取りの絵が三つ並んでいた。三つとも、部屋の数のところに丸い数字がついている。


 窓の外は暗い。家の前の道には街灯が二本ある。手前の一本が、さっきから点いたり消えたりしていた。


   ◇


 表紙にある雑誌の名前は、週刊真相である。


 コンビニの棚だと、いつも右の上のほうにある。俺は買ったことがない。表紙より先を開いたのも、今日が最初だった。


 表紙には、政治家の名前と、野球の選手の名前と、値段が並んでいた。


 俺の名前は、表紙には無かった。


   ◇


 目次のページは開かなかった。


 開かなくても、そのページに指が挟まっていた。誰かが先に開いて、そこで閉じたのだと思う。


 俺は指の位置のところを開いた。


 開いたページには、料理の写真が三つ並んでいた。ここではないらしい。


 俺は指の挟まっていたところを、もう一度見た。ページの角が内側へ小さく折ってある。折ってあるのは一箇所だけだった。


 その番号のページをめくった。


   ◇


 見開きの上に、大きい字で題が入っていた。


 〈人気俳優、共演者と深夜デート〉


 字の下に、写真があった。写真は二点である。


 左が、並んで歩いているやつ。右が、車に乗り込むやつ。二点とも夜で、二点とも横からの角度だった。


 題の字は太くて、下に細い線が一本引いてある。線は左の写真の上でいったん切れて、右の写真の上でまた続いていた。


 字と写真のあいだに、小さい字が何行か入っている。俺はそこを飛ばした。


   ◇


 右の写真は、澪さんが車のドアに手をかけているところだった。


 手が写っている。指の関節のところに、影が一つずつ入っている。


 左の写真は、二人とも顔がはっきり出ていた。俺のほうは、いつもの顔だ。動いていない。


 澪さんのほうは、少しだけ顎を引いていた。


「写り、いいな」


 俺は声に出して言った。


 言ってから、もう一度左の写真を見た。何回見ても、澪さんの写りはいい。俺の写りは、良いも悪いも無い。


   ◇


 呼吸の音が、部屋にもう一つあった。


 人形は机の右の奥に立っていた。台座ごと、雑誌のほうへ体を向けている。


「あんた、いま何て言ったの」

「写りがいいと言った」

「それだけ?」

「それだけだ」

「上の字は読んだの」

「読んだ」

「声に出して読んでみなさい」


 俺は上の字を読んだ。


「人気俳優、共演者と深夜デート」

「深夜って書いてあるわね」

「書いてある」

「あんた、深夜に何かしたの」


   ◇


「してない」

「してないのに書いてあるのよ」

「書いてあるな」


 人形は台座の上で腕を下ろした。下ろして、しばらく何も言わなかった。


 俺は写真をもう一度見た。


 右の写真の車は、後ろのドアが開いている。開いたドアの内側に、シートの縫い目が写っていた。縫い目は二本で、そのあいだが少し盛り上がっている。


「あんた、この車に乗ったことある?」

「ある」

「いつ」

「夏だ」

「夏ね」

「打ち上げの日だ。犬飼さんが呼んだ車で、俺と澪さんと有本さんが乗った。店が二軒あって、二軒目のあとだ」


 人形は雑誌のほうを向いたままだった。


「有本さんは、写ってないわね」

「写ってない」

「犬飼さんも?」

「写ってない」

「二人で乗ったみたいに見えるのよ、これ」

「四人で乗った」

「四人だとは書いてないでしょう」


 人形は台座の上で足の位置を変えた。変えて、雑誌の左の端まで歩いた。歩くと言っても、台座ごと十センチも動かない。


「あんた、この写真に写ってる自分を見て、何も思わないの」

「思った」

「何を」

「靴が汚れてる」

「靴」

「右の甲のところだ。夏に付いたやつじゃない」


 人形は左の写真の上に立って、俺の足元のほうを見下ろした。見下ろすと言っても、机の上からだと俺の肩より下は見えない。


「あんた、腹が立たないの」

「立たないな」

「わたしは立ってるわよ」

「立ってるのか」

「立ってるわよ。台座で立ってるって意味じゃないの」


 俺は小さい字のところへ戻って、頭の三行だけ読んだ。読んだが、そこに書いてある店の名前も、時刻も、俺の記憶のどこにも引っかからなかった。


 二軒目の店を出たとき、外はまだ人が歩いていた。深夜と呼ぶには早い時間だったと思うが、何時だったかは覚えていない。


「深夜って、何時からだ」

「知らないわよ、そんなの」

「時間が書いてある」

「その時間が本当かどうかを、わたしが知るわけないでしょう」


   ◇


 左の写真では、俺と澪さんの間が一人ぶんくらい空いている。


 空いているところに、道の白い線が入っていた。


 その線に見覚えがあった。あの道は片側が工事中で、白い線が一度切れて、二メートル先からまた始まる。


 右の写真の道には、白い線が無い。


 俺はそこで写真を見るのをやめた。線の話をしても、腹は減ったままだからだ。


 台所には、飯の茶碗を伏せて置いてきた。汁は残っていた。上がってくる前に飲めばよかったと思った。


 もう一度下りるなら、階段を二度使う。使うだけの価値があるかどうかで、少しのあいだ迷った。


 迷っているあいだに、廊下の板が鳴った。鳴り方が速い。


   ◇


 ドアが開いた。


 開いたというより、内側へ倒れてきた。取っ手のところに、妹の手が残っていた。


 妹は携帯を両手で持って、画面をこっちへ向けている。向けているのに、画面は俺のほうを向いていない。角度が九十度ずれていた。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「見た?」


   ◇


 妹の顔は、上のほうだけが赤かった。目のふちと、鼻の上と、そこから額まで。口のあたりは白い。


 髪は片方だけ耳にかけてあって、もう片方が落ちていた。


「見た」

「どこまで」

「写真まで」

「本文は」

「読んでない」

「読まないでよ、もう」


 妹は携帯を持ち直して、今度こそ画面をこっちへ向けた。


 向けたが、指が画面の上を滑って、別のものが開いた。


「ちがう。これじゃない」


   ◇


「兄ちゃん、上がってきたの何時」

「七時過ぎだ」

「じゃあ知らないんだ」

「何をだ」

「朝からずっと出てるの。昼にまた出て、夕方にまた出て、いま三回目が出てる」


 妹は自分の部屋のほうへ半分体を向けて、また戻った。


「切り抜きが回ってる。夏のやつ。あたしが上げたやつじゃなくて、他所が作ったやつ」

「他所か」

「他所だよ。あたしのより伸びてる。そこが腹立つ」


   ◇


「兄ちゃん、この雑誌どこにあった」

「机の上だ」

「置いたのあたし。買ったのもあたし。駅前で三軒回って、三軒目にあった」

「三軒か」

「三軒目のおばさんが、あたしの顔を見てから袋に入れた」


 妹は敷居のところで足を止めていた。部屋に入ってきてはいない。片足だけが中で、もう片足は廊下にある。


「学校、どうだったの」

「普通だった」

「普通なわけないでしょ」

「六限まであった」

「そういうことじゃないんだって」


 妹は敷居のところで足を踏み替えた。踏み替えて、また元に戻した。


「誰か何か言ってきた?」

「熊沢が、購買の袋の話をしてきた」

「袋」

「来週から色が変わるんだと」

「あたし、いま兄ちゃんの話を聞いてるんじゃないのよ」


 それは俺の話だと思うが、言わなかった。


「先に見せたくなかった。でも、あたしが見せなきゃ、兄ちゃんは明日まで知らないでしょ」

「知らないな」

「知らないままでいられると思ってるでしょ、兄ちゃんは」


 思っていた。


 妹は雑誌のほうへ手を伸ばして、途中でやめた。やめた手を、パーカーの袖の中に引っ込めた。


「一軒目と二軒目は売り切れてた」

「そうか」

「売り切れるんだよ、こういう日は」

「はい」

「兄ちゃん、いま『はい』って言った」

「言った」

「家では言わないでよ、それ」


   ◇


 俺は雑誌を持って立った。


 立ったら、妹は先に廊下へ出て、自分の部屋のほうへ歩いていった。歩きながら、こっちを一度振り返って、また前を向いた。


 俺はついていった。


   ◇


 妹の部屋のドアは、内側へ開いたままになっていた。


 妹の部屋は、机が壁の二面ぶんある部屋である。


 机の上に画面が二つ並んでいる。一つは大きくて、一つは小さい。小さいほうに、動画を切る細い線が何本も立っていた。


 妹は椅子に座って、大きいほうを俺のほうへ回した。


「これ、朝の」

「見えない」

「見えるって」

「字が小さい」

「ちょっと待って」


 妹は文字の大きさを二回変えた。二回目で、行が画面からはみ出した。


 妹は舌打ちをして、元の大きさに戻した。戻したら、今度は前より小さくなっていた。


「なんでだよ」

「小さくなった」

「見ればわかるって」


   ◇


 小さいほうの画面の下に、四角い箱が積んである。箱の面に緑の点が並んでいて、点は同じ速さで点滅していない。


 部屋の隅に、三脚が畳んで立てかけてあった。脚のゴムのところが片方だけ潰れている。


「兄ちゃん、そこ立ってないで座って」

「座るところが無い」

「床でいいよ」

「床か」

「床がいちばん散らかってないから」


 俺は床に座った。座ったら、机の下の配線が目の高さに来た。線は六本あって、そのうち二本は何にも繋がっていなかった。


 繋がっていない二本は、先が上を向いている。上を向いたまま、何かを待っているようにも見えるし、そうでないようにも見える。


 机の右手に、もう一脚椅子が置いてあった。座面には上着が掛かっていて、背もたれには何も掛かっていない。


   ◇


「もういい。あたしが言う」


 妹は椅子ごとこっちを向いた。


「朝から、兄ちゃんの名前と澪さんの名前が、上のほうにずっと並んでる。片方だけの日は今までもあったけど、二つ並んでるのは初めて」

「並んでるのか」

「並んでる。あと、事務所のことも書かれてる」

「事務所か」

「兄ちゃんとこ、朝からずっと電話が鳴ってるらしいよ」


   ◇


「あと、澪さんのとこ」


 妹は膝を椅子の上に上げて、そこに顎を載せた。


「澪さんのファンの人たちが、二つに割れてる。片方は怒ってて、片方は怒ってる人に怒ってる」

「両方怒ってるじゃないか」

「そうだよ。だから最悪なんだよ」

「そうか」


 妹は顎を載せたまま、俺のほうを見た。目のふちの赤いところは、さっきより広がっていた。


「兄ちゃん、澪さんに連絡した?」

「してない」

「しなくていいと思う。今はやめて」

「わかった」

「今の『わかった』、意味わかって言ってる?」

「言ってない」


   ◇


 鞄の中で携帯が震えた。


 俺は廊下で鞄を下ろして、中から携帯を出した。妹は椅子から動かずに、こっちを見ていた。


 有本さんだった。


「高町さん、今日、電話が十九本ありました」

「十九本ですか」

「十九本です」

「はい」

「本数だけお伝えします。中身は犬飼さんが言います」


 有本さんの声の後ろで、紙が動く音がしていた。何枚かがいっぺんに動く音だった。


「有本さん、まだ会社ですか」

「会社です」

「何時までですか」

「そこは、わたしが決めていません」


 音が一度止まって、また続いた。


   ◇


「犬飼さんに代わります」

「はい」

「高町」

「はい」

「明日、十二時に四階だ。土曜だが来い」

「行きます」

「会議室2だ。飯は先に食っておけ」

「食べます」

「妹さんは家にいるか」

「います」

「明日は、家にいるように言っておけ」

「言います」

「それから、今日はもう画面を見るな。君じゃない、妹さんのほうだ」


 電話が切れた。


 妹は椅子の背もたれに顎を載せて、俺の手元を見ていた。


   ◇


「なんて」

「明日、事務所に行く」

「何時」

「十二時だ」

「昼ごはんは」

「先に食っていけと言われた」


 妹は口を開けて、閉じた。


 閉じた口の端が、一度だけ下へ引っぱられた。引っぱられて、すぐ元へ戻った。


「そこは、そこは説明されるところじゃないでしょ」

「言われた通り言った」

「もういい」


   ◇


 妹は机の小さいほうの画面を消した。消してから、大きいほうも消した。


 部屋が急に暗くなって、廊下の電球の色だけが残った。


「あたし、今日は寝ない」

「寝ろ」

「寝ない」

「明日、学校は休みだ」

「そういう問題じゃないんだよ」


 妹は膝を下ろして、床に足を戻した。戻した足の片方が、床の配線を踏みかけて止まった。


「兄ちゃん、明日、何言われるかわかってる?」

「わかってない」

「怒られるんだよ、たぶん」

「そうか」

「そうかって言うと、もっと怒られるからね」

「わかった」


 妹は机の端を指で二回叩いた。叩いてから、その指を握った。


「あたし、明日、ついて行こうか」

「来なくていい」

「なんで」

「十二時からだ。昼になる」

「昼ごはんの話しかしてないじゃん、兄ちゃん」


 妹は椅子の上で膝を抱え直した。


「兄ちゃんさ、明日、向こうの人に何か聞かれたら、わかんないことはわかんないって言いなよ。適当に『はい』って言うのが、いちばん厄介なんだから」

「わかった」

「いま『わかった』って言ったけど、それも適当でしょ」

「適当じゃない」

「適当だよ」


   ◇


 妹は椅子を回して、机のほうへ戻った。背中がこっちを向いた。


 背中の真ん中で、パーカーの縫い目が一本、まっすぐ下りていた。


 妹の肩は、上がったままだった。下がるのを待っていたが、俺が見ているあいだは下がらなかった。


   ◇


 俺は廊下に立っていた。


 廊下の電球は、去年替えたやつだ。前のより白い。白いせいで、壁の紙の継ぎ目がよく見える。


 妹の部屋の中からは、何の音もしなかった。椅子の音も、机の音もしない。


 右手に雑誌を持ったままだった。表紙が上を向いていて、題の字がこっちからも読める。


 妹の部屋の明かりが、ドアの下から廊下へ細く出ていた。出ている幅は、さっきより広い。ドアが少しだけ開いたのだと思う。


 俺は雑誌を裏返した。

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