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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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108/234

第108話 あの人も応募しているらしい

 三階のスタジオで、椅子に座らされた。


 背もたれが無い。俺は膝を揃えて、手を膝の上に置いた。手の置き場が、他に無かった。


 カメラマンの人が、レンズの前でメジャーを伸ばした。伸ばして、俺の鼻先まで持ってきて、戻した。


「高町さん、少しだけ顎を引いてください」

「引きました」

「あ、はい。引いてますね」


 その人は一度カメラから顔を離して、俺の顔を直接見た。


 見て、またカメラに戻った。


「高町さん、目、開けてますよね」

「開けてます」

「開けてますね」


 その人はファインダーを覗いたまま、右手だけで自分の眉のあたりをこすった。


   ◇


「これ、何の写真ですか」


 俺は聞いた。


「書類に貼るやつです」

「何の書類ですか」

「僕は聞いてないです」


 カメラマンの人はシャッターを三回切った。


 一枚目のあとで、照明を右に十センチ動かした。二枚目のあとで、白い布の下の端を足で伸ばした。三枚目のあとで、モニターを覗いて、そのまま少し黙った。


「もう一枚、いいですか」

「はい」

「今のが良すぎたので、比較用に普通のが要ります」


 普通のが要るらしい。


   ◇


 朝の三階は、他に誰もいなかった。


 簡易スタジオは、白い布を壁に垂らして、その前に照明を二つ立てるだけの部屋だ。布の下の端が、床でたわんでいる。たわんだところに、前の人が踏んだ跡が残っていた。


 俺の靴は、右の甲だけ擦れている。九月に付いたやつだ。


 この部屋に入ったのは、去年の宣材写真のとき以来だった。カメラマンの人は、そのときとは別の人だ。


   ◇


「高町さん」


 廊下で有本さんが待っていた。


 タブレットを両手で持って、胸の前に抱えている。抱え方が、今日は少し高い。


「四階です」

「はい」

「今日、電話が九本ありました」

「九本ですか」

「はい」

「九本です」


 有本さんが、そこで止まった。


 止まって、タブレットの角を胸のところで一度直した。


「……いま、わたしが言うところでした」

「すみません」

「いえ」

「二回目は、わたしが言います」


 有本さんはエレベーターのボタンを押した。


「四階のあと、学校へ送ります。四限に間に合います」

「間に合いますか」

「間に合わせます」


 エレベーターの扉が開いた。開いたのに、有本さんはすぐには乗らなかった。乗る前に、四階のボタンをもう一度押した。


   ◇


 四階の会議室2は、六人で埋まる。


 悪い話をするときにここを使う、と誰かが言っていた。今日は三人しかいない。


 犬飼さんと、九条さんと、俺だ。


 九条さんは机の向こうに座って、紙を一枚こちらへ滑らせた。


 滑らせた紙は、俺の手が届くところより五センチ手前で止まった。俺は椅子を引いて、腕を伸ばした。


   ◇


 紙には、大きい字で題が印刷してあった。


 〈映画『無音の海』 出演者募集〉


 その下に、監督の名前が一行あった。黒瀬巌。


 さらに下に、小さい字で条件が並んでいて、いちばん下の行だけ太くなっていた。


 〈十一月二十八日(金)必着〉


   ◇


「高町くん」


 九条さんは眼鏡を外して、机の上に置いた。


「これは、うちが出す。君が出すんじゃない」

「はい」

「書類はこちらで作る。君がやるのは、さっきの写真だけだ」

「終わりました」

「聞いてる」


 九条さんは眼鏡を持ち上げて、レンズを息で曇らせて、袖で拭いた。


 拭いてから、かけ直した。


「中身の説明はしない。台本はまだ無い。あるのはこの一枚だけだ」

「はい」

「一枚で決めるのは、向こうも同じだ。向こうも、まだ何も持ってない」


 犬飼さんが横で、机の上の湯呑みを一度回した。回して、飲まなかった。


   ◇


「うちは、この一年で君の見せ方を一度変えた」


 九条さんは紙のほうを指した。


「変えた直後にこれを出すのは、会社としては早い。早いが、出す。出さないと、次に同じ規模の話が来るのが三年後になる」

「はい」

「三年後、君は二十一だ」


 犬飼さんは背中を椅子から離したまま、三秒くらい動かなかった。


 それから、机の下で椅子を少し引いた。


 引いてから、初めて口を開いた。


「一つだけ、こっちから言っておく」

「はい」

「この紙で通らなかったときに、うちは何も変えない。冠特番も、来月の予定も、全部そのままだ。変わるのは向こうの都合で、うちの予定じゃない」

「はい」

「わかってないだろ」

「はい」


   ◇


「一つ、聞いておいてほしいことがある」


 九条さんは机の上で指を組んだ。


「同じ枠に、よその事務所からも出る」

「はい」

「桐生蓮くんのところも出す」


 犬飼さんが、そこで初めて紙のほうへ手を伸ばした。伸ばして、触らないで戻した。


「春のドラマで、君の隣に立ってた子だ」

「はい」

「あのとき二番手だった子が、同じ役を、同じ日に取りに来てる」

「はい」

「そういう商売だ」


 俺は紙を見た。


 紙には、名前は一つも書いていない。書いてあるのは、日付と、条件と、監督の名前だけである。


 俺は紙を裏返した。裏には何も刷っていない。指で押さえたところが、少しだけ透けた。


「裏には何も無いですか」

「無い」

「はい」

「向こうも、まだそこまでしか決めてないんだ」


 九条さんは机の上で両手を離した。離して、椅子の背にもたれた。


 「一つだけ、こちらの言い方を直しておく」

「はい」

「さっき、うちが出すと言った。正確には、うちが出させてもらう、だ。募集に応じる側に、選ぶ権利は無い」


   ◇


「高町」

「はい」

「この紙、持って帰るか」

「持って帰ります」


 犬飼さんは自分の手元の一枚を、俺のほうへ寄越した。


 寄越したのは、九条さんが出したやつではなく、犬飼さんが自分で折っていたほうだった。折り目が二本入っている。


「そっちは会社の控えだ。こっちを持っていけ」

「はい」

「畳んでいいぞ」


 俺は四つに畳んで、鞄に入れた。


 入れたところで、鞄の中の教科書の角が紙に当たった。当たった位置を直すのに、教科書のほうを動かした。


 九条さんはそれを見ていた。見ていたが、何も言わなかった。


   ◇


 部屋を出たところで、九条さんが後ろから言った。


「高町くん、一つだけ」

「はい」

「君は、まだ何も背負ってない。背負うのはこっちだ。そこは間違えないでくれ」


 ドアが閉まった。


   ◇


 階段の踊り場に、神保がいた。


 壁にもたれて、床を見ている。手に紙袋を提げていて、袋の口から、丸めた布のようなものが出ていた。


 俺が下りてきたので、顔を上げた。


「高町くん」

「神保」

「今日、写真だろ」

「そうだ」

「聞いた」


 神保は紙袋を持ち替えた。持ち替えて、反対の手を壁につけた。


   ◇


「俺さ、レッスン室Bの鍵、返してきた」


 神保はそう言った。


「借りっぱなしだったんだよ。去年の夏から」

「そうか」

「一年以上、鍵を持ってて、それに気づかれてなかった」


 神保は笑った。笑い方が、途中で音になっていなかった。


「返したら、受付の人が名簿から線を引いた」

「線か」

「返却の欄。当たり前だけどな」


 神保は自分の靴の先を見た。


「あの部屋さ、窓が無いだろ。窓が無い部屋で二年やってると、外が晴れてるか降ってるかも分かんねえんだよ。今日、出てきて、初めて晴れてるって知った」

「晴れてるな」

「晴れてる」


   ◇


「今月で、いったん止める」


 神保は紙袋を床に置いた。


「いったんっていうか、まあ、そういう話をしてる。犬飼さんじゃなくて、うちの担当と」


 俺は何も聞かなかった。


 聞かないで、階段の手すりに手を置いた。手すりは冷たかった。


   ◇


「なんか言えよ」

「なんて言えばいい」

「わかんね」

「わからん」


 神保は笑った。今度は音になっていた。


「高町くん、そういうとこだよ」

「何がだ」

「二年言われてるだろ、それ」

「言われてる」

「誰に」

「鴻上に」

「あいつも同じこと言うのか」

「言う」


 神保は紙袋を拾った。


 拾って、口のところを一度握り直した。握り直したら、中の丸めた布が少し外へ出た。神保はそれを押し込んだ。


「高町くん、俺、レッスン室Aの床の鳴るとこ、いまだにどこか覚えてないんだよ」

「入口から三枚目だ」

「そうなんだ」

「そうだ」


 神保は階段を下りていった。


 下りる途中で、一度だけ振り返った。振り返って、口を開けて、閉じた。


 閉じたまま、下まで行った。


   ◇


 俺は二階まで下りた。


 二階の廊下の先が、レッスン室Aである。ドアは閉まっていた。


 入口から三枚目の板は、踏むと「ぎ」と鳴る。


 俺は下りるのをやめて、その場に二秒立っていた。それから、また下りた。


   ◇


 階段のところで、携帯が震えた。


 ケイだった。


「高町。今どこ」

「事務所だ」

「俺、今から入るとこや。すれ違いやんけ」

「すれ違ってる」

「待っとけや」

「帰る」

「帰るんかい」


 「なあ、高町」

「聞いてる」

「映画の話、来た?」

「来た」

「そうか」

「鴻上は」

「来てへん」


 電話の向こうで、扉の開く音がした。開いて、そのまま閉まらなかった。


「まあ、俺、そういうやつちゃうしな」

「そうか」

「そうかて。おい」


 ケイはそこで一度、息を吸った。吸って、別の話を始めた。


「来月の特番、構成の打ち合わせ明日からやねん。お前、日曜あいてる?」

「知らん」

「有本さんが持ってるやろ」

「持ってる」

「お前、ほんまそういうとこやで」


 電話が切れた。


 今日、二回言われた。


   ◇


 黒板の右端に、字が入っていた。


 〈11/26(水) 高町 公欠〉


 その下に、小さく〈四限から〉と足してある。字は美咲のものだった。


 四限は数学だった。


   ◇


 教室は、三限が終わったあとの匂いがしていた。窓は二つ開いていて、開いているほうの席が三つ空いていた。


 俺が入っていったら、熊沢が机ごと後ろを向いた。


「おい、高町。お前、あれ受けるの」

「あれ」

「映画」

「なんの映画だ」

「知らねえのかよ」


 言われて、今朝の紙のことだと分かった。題は読んだ。映画だとは、あの紙のどこにも書いていなかった。


 熊沢は自分の携帯を出そうとして、途中でやめた。授業が始まる三分前だった。


「うちの母ちゃんが朝から言ってんだよ。外国の人と一緒に作るでかいやつがあって、日本の役者を募集してるって」

「そうか」

「監督の名前が、なんか漢字三文字のじいさんでさ、うちの母ちゃんが若いころに見に行ったんだと」

「そうか」

「お前んとこ、来てねえの」

「来てた」

「来てんのかよ」


 熊沢は机の上に肘をついた。


「じゃあ言えよ、先に」

「今、言った」

「聞かれてから言うのは、言ったって言わねえんだよ」


   ◇


 五限のあいだ、俺は日付のことを考えていた。


 二十八日は金曜である。金曜は六時間ある。


 六時間あるということは、五限まで出ても六限が残る。六限まである日は、購買へ行けるのが昼の一回だけだ。


 今日の六限のあと、購買の棚に残っていたのは、下の段の菓子パンが二つだけだった。


   ◇


 放課後に、美咲が机の横に来た。


「三限のプリント」

「わかった」

「それと、金曜、三年は午前で終わりよ」

「金曜」

「二十八日。全校集会が入って、午後が消えたの」


 美咲は俺の机の上に紙を置いた。


 紙は二枚あった。上の一枚が三限のプリントで、下の一枚は、今月の予定を書き写したものだった。


「下のは」

「今月の残り。三年は行事が二つある」

「二つか」

「一つは金曜。あとの一つは言わない」

「なぜだ」

「あなた、来ないから」


 美咲はこっちを見ないで、自分の席へ戻っていった。


 午後が消えた。


   ◇


「なんだそれ、なんかいいことあった?」


 熊沢が横から覗き込んだ。


「金曜が午前で終わる」

「それだけ?」

「それだけだ」

「お前、映画の話してたよな、さっき」

「していた」


 熊沢は自分の頭を一度掻いて、俺の机の脚を軽く蹴った。


 蹴ってから、椅子に座り直した。座り直して、机の木目のほうを向いたまま言った。


「あのさ、受かったら教えろよ」

「受かるとは言ってない」

「受かってからでいいから」

「わかった」

「落ちたときは言わなくていい」


   ◇


 家に着いたのは、七時前だった。


 裏口から入って、台所で飯を食って、風呂に入って、二階へ上がった。


 妹の部屋のドアは閉まっていた。中から、椅子を引く音がした。


 台所のテーブルには、今日は何も置いていなかった。紙も、皿も、湯呑みも無い。母さんが拭いたあとの跡だけが、まだ乾いていなかった。


   ◇


 椅子が、俺が引く前に引いてあった。


 机の前の椅子である。俺は座らないで、鞄から四つ折りの紙を出した。


「あんた、それ何」

「紙だ」

「見ればわかるわよ」


 人形は机の上に立っていた。台座ごと、こっちを見上げている。


「読んだの」

「読んだ」

「何が書いてあったの」

「日にちだ」

「他は」

「条件と、監督の名前」

「名前は覚えたの」

「読んだ」


 人形は片手を腰に当てた。当てたまま、少しのあいだ何も言わなかった。


   ◇


 机の上は、置く場所が無かった。


 左には教科書を四冊積んだ。右に、九月の一枚が広げたまま置いてある。〈高町・鴻上の おつかれ様です!〉


 紙を二枚目として置くと、机の上に何も書けなくなる。


   ◇


 紙を壁に貼った。


 画鋲は引き出しに六つ入っていた。六つとも使った。右の紙に四つ、左の紙に二つ。


 貼る場所は、九月の一枚の隣にした。九月のほうも壁へ移した。二枚は同じ高さになった。左が九月ので、右が今日のである。


 貼り終わって、一歩下がった。


 下がったら、踵が鞄に当たった。鞄は床に置いたままだった。


 俺は鞄を横へ寄せて、もう一歩下がった。


   ◇


「二枚になったわね」

「なった」

「一枚目は、あんたの名前が入ってたわ」

「入ってた」

「二枚目は、入ってない」


 俺は壁の前に立っていた。


 左の紙は、九月に折って持ち帰ったやつで、折り目が名前と名前のあいだを通っている。壁に貼ったら、折り目のところだけが少し浮いた。


 右の紙は、四つに畳んだぶん、折り目が二本ある。二本とも、字のあいだを通っていない。


 人形は壁のほうを見ていた。


「入ってないほうが、これから長いのよ」

「長いのか」

「長いわよ」


   ◇


「あんた、来月は落ち着かないわよ」

「なぜだ」

「そういう紙だからよ」


 人形は台座の上で腰を下ろした。


 下ろして、それ以上は何も言わなかった。


 俺は床に座って、壁の二枚を下から見た。


 下から見ると、右の紙のいちばん下の行だけが、字の太さで浮いて見える。左の紙は、真ん中の一行が大きいだけで、下のほうは白い。


 窓の外で、車が一台通っていった。通ったあと、しばらく何も通らなかった。


 妹の部屋の明かりが、廊下のほうへ細く漏れている。ドアの下の隙間の幅は、ここからだと指一本ぶんに見えた。


 俺は壁の紙のいちばん下の行を、もう一度読んだ。


 〈十一月二十八日(金)必着〉


 二十八日は金曜で、その金曜は午前で終わる。二限のあとの休みと、帰る前と、二回行ける。


   ◇


 俺は床から立って、壁の前に戻った。


 二枚は同じ高さに並んでいる。左の紙には俺の名前が刷ってあって、右の紙には無い。


 右の四つの画鋲は、左の二つより深く入っていた。押したときに壁の下地へ当たった感じが、まだ指に残っている。


「あんた、その紙、あんた以外にも出す人がいるの」

「いる」

「何人」

「知らん。名前を一つだけ聞いた」

「誰」

「桐生さんだ」


 人形は壁のほうを見たままだった。見たまま、少ししてから言った。


「あの子も、二十八日に同じ紙を出すのね」

「出すらしい」

「らしい、じゃないわよ」


 右の紙には、まだ誰の名前も入っていない。

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