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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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106/233

第106話 文化祭、二度目

 教室の入口に、俺の机が横向きに置いてあった。


 置いたのは熊沢である。廊下から見て、いちばん最初に当たる場所だ。


「高町、ここ座ってろ」

「なぜだ」

「係決めのとき、お前いなかったろ」

「いた」

「じゃあ手ぇ挙げなかったろ」

「挙げてない」

「同じことだ」


 熊沢は俺の肩を押して、椅子に座らせた。


 座らせてから、机の角に紙を一枚貼った。


 〈三年三組・喫茶〉


 紅茶とクッキー。それだけが書いてある。


   ◇


 十一月一日、土曜日。


 九時十五分に、校門が開いた。


 最初の十分は、誰も来なかった。


 俺は釣り銭の箱を開けて、中を数えた。百円玉が四十枚、五十円玉が二十枚、十円玉が三十枚あった。数え終わって、蓋を閉めた。


 閉めたところで、廊下の向こうから足音がした。


 十時を過ぎたころから、廊下に人が入ってきた。


 最初は下級生が三人だった。次に、別の学校の上着を着た四人が来た。その次に来たのは、制服ではない人たちだった。買い物袋を提げた人が二人と、小さい子を連れた人が一人いた。


 十時半に、廊下の右側に列ができた。


 列は、隣のクラスの前まで伸びた。


   ◇


 俺は列の先頭を見た。


 入口に〈撮影はご遠慮ください〉と貼ってある。貼ったのは熊沢である。


 先頭から五人目まで、全員がこっちを見ていた。手に携帯を持っている人は、一人もいない。


 六人目から後ろは、ただ並んでいる。


 いま裏口から出れば、体育館の裏を回って、駅まで十二分で着く。


 着いたところで、家には誰もいない。


   ◇


 ――紅茶の杯数を数える係でありながら、朝から一杯も飲んでいない受付。


   ◇


「高町くん、四番の卓、空いたわ」


 美咲が教室の中から出てきて、紙を一枚置いていった。


 紙には、卓の番号が六つ書いてある。三と五に丸が付いていた。丸を付けたのは俺ではない。


「丸は」

「使ってるほう」

「わかった」

「ばつじゃなくて丸にしたのは、消すときに楽だから」


 美咲は中へ戻った。


 俺は四番の卓へ二人を通した。


   ◇


 教室の中は、机を四つ合わせた席が六つある。


 窓には暗幕を張ってあった。演劇部から借りたやつで、上の端を突っ張り棒に通してある。


 暗いので、卓の真ん中に紙コップを立てて、その中に電池の明かりを入れてある。


 紅茶はやかんで沸かしている。クッキーは昨日、家庭科室で焼いた。焼いたのはクラスの五人で、五人のうち三人が初めてだった。


   ◇


 クッキーは、二種類あった。


 同じ生地で、同じ型で抜いてあるのに、色が二種類ある。焦げているほうと、焦げていないほうだ。


 熊沢は焦げているほうを右の皿に集めていた。


「なんで分けた」

「客に選ばせるんだよ」

「選ぶのか」

「選ばせると、どっちを取っても客のせいになる」


 熊沢は右の皿を持ち上げて、こっちに見せた。


 焦げているほうが、二十枚以上ある。


   ◇


 最初の客は、四人組だった。


 制服が違う。襟がこっちより高い。四人とも、教室に入ってから卓に着くまでのあいだに、一度ずつこっちを見た。


 紅茶を運んだのは、同じクラスの女子だった。


 運んで、戻ってきて、俺の机の横で立ち止まって、小さい声で言った。


「高町、あの人たち、何も喋ってない」

「そうか」

「注文のときだけ喋って、あとは一言も喋らないで、クッキー食べてる」

「うまいのか」

「焦げてないほうを四枚取ってった」


 うまいらしい。


   ◇


 十一時半に、紅茶が足りなくなった。


 俺は空のやかんを持って、廊下へ出た。


 北校舎の給湯室まで行って、水を入れて、戻ってくる。やかんは満杯にすると重い。


 渡り廊下の途中で、下級生の二人組とすれ違った。


 すれ違ってから、後ろで足音が止まった。止まって、しばらく動かなかった。俺はそのまま歩いた。


   ◇


 給湯室の前に、宮坂先生がいた。


 紙コップを持って、壁にもたれている。今日は名簿を持っていない。


「高町、それ何杯目だ」

「三杯目です」

「重いだろう」

「重いです」

「持ってやらんぞ」

「はい」


 先生は紙コップの中を一度覗いて、飲まないで、壁から背中を離した。


「今年は、三年の廊下だけ人が詰まって動かん。去年も文化祭はあったが、去年のこの時間は、体育館のほうに人が全部行ってたからな」

「はい」

「事務所に苦情を言っといてくれ」

「何をですか」

「冗談だ」


 冗談は分かりにくい。


「担任として一つだけ言っておくと、今日は誰が何人来ていようが、この学校の生徒の行事だ。金を取ってるわけでもない」


 先生は紙コップを潰して、給湯室のごみ箱に入れた。


 入れてから、名簿を持っていない手を、上着のポケットに突っ込んだ。


「やかん、こぼすなよ」

「はい」


   ◇


 教室へ戻る途中の廊下で、美咲が立っていた。


 壁際に、パイプ椅子を一脚出して、その横に立っている。椅子は畳んでいない。


「それ」

「北校舎の階段の下に置いとくから」

「何のだ」

「使わなかったら片付ける」


 美咲は椅子を持って、階段のほうへ歩いていった。


 持ち方が、片手だった。


   ◇


 十二時四十分に、熊沢が教室に飛び込んできた。


 飛び込んできて、俺の机の前で止まって、両手を膝についた。息が上がっている。


「高町、中庭」

「中庭がどうした」

「一時十分から、お前」

「俺が何をする」

「歌う」


 俺は釣り銭の箱の蓋を閉じた。


「聞いてない」

「今、言った」


   ◇


「軽音の枠が一個空いたんだよ。ドラムの奴が朝から腹壊して、二時間トイレから出てこなくて、さっき親が迎えに来て帰った」

「それで」

「実行委員が中庭で頭抱えてたから、埋められるやつ心当たりあるかって聞かれた」

「それで」

「うちのクラスに一人いますって言った」

「言ったのか」

「言った」

「相談は」

「相談したら断るだろ。断られたら俺が困る。だから先に紙に名前を書いてきた」

「去年もそうだった」

「去年は劇だろ。あれは実行委員が決めた」

「名前を書いたのは」

「俺だよ」

「一年のときは」

「一年んときは受付だけだったろ。お前を前に出したのは、去年が最初だ」


 熊沢は紙を持った手を、一度下ろした。


「去年が劇で、今年が歌。二回目だよ。来年は無いからな。卒業だから」


 熊沢は上着のポケットから、四つ折りの紙を出した。


 広げたら、俺の名前と、曲の名前が書いてあった。字が太い。曲の名前のところだけ、二回書き直した跡がある。


 熊沢は俺の顔を見た。見て、二回まばたきした。


「怒ってる?」

「怒ってない」

「顔が怒ってる」

「顔はいつもこれだ」


   ◇


 中庭の仮設ステージは、体育館の舞台より低い。


 高さは、机の上に乗るくらいだった。板を並べて、その上に黒い布を敷いてある。布の端が風で持ち上がるので、四隅にブロックが置いてあった。


 前に椅子は無い。


 立っている人が、ステージの前に集まっている。後ろのほうには、模擬店の列に並んだままこっちを向いている人がいた。制服ではない人のほうが多い。犬を連れた人が一人、校門の内側で止まっていた。


   ◇


 実行委員の子がマイクを持って、熊沢の紙を読んだ。


 読むときに、二回つかえた。二回目のところで、後ろの人が笑った。


 マイクは一本しかない。スタンドの高さが合っていなくて、俺は膝を少し曲げた。曲げたまま、一番だけ歌った。


 息を継いだところで、口の中が乾いていた。朝から紅茶を運んでいて、自分では一杯も飲んでいない。


   ◇


 中庭では、朝からずっと音が重なっていた。


 右で焼きそばの鉄板が鳴り、左で二年生が呼び込みをやり、渡り廊下では放送部が自分たちの放送を流していて、そのどれもが誰かの持ち場から出ている音だった。


 それが順番に減った。


 鉄板が先に止まり、呼び込みの声が語尾のところで切れて、放送部のスピーカーは音量だけが下がった。下がっても消えないので、そこだけが遠くに残った。


 二階の窓が、端から一つずつ開いた。窓の内側で、教室の出し物の看板を持ったままの生徒が、看板を持ったまま乗り出していた。


 模擬店の列に並んでいた人たちは、列を崩さないで、体だけをこっちへ向けた。並んでいる位置は動かさない。焼きそばは、まだ順番が来ていない。


 校門の内側にいた犬が、飼い主の足に座り直した。


   ◇


 歌い終わって、ステージを降りた。


 降りるときに、板が一枚たわんだ。


 中庭の音が遠のいて、輪郭がはっきりして、背筋が伸びていた。


   ◇


 教室のクッキーは、焦げてないほうが先に減る。戻るまでに一枚も残っていないと思った。


   ◇


 拍手は、渡り廊下の上から先に鳴った。


 実行委員の子がマイクに何か言おうとして、言えないで、いったん下ろした。下ろしてから、もう一度上げて、次のクラスの名前を読んだ。


 読んだ声が、途中で裏返った。


 鉄板の音が戻ってきたのは、そのあとだった。戻ってきた音は、止まる前より大きかった。


   ◇


 ステージの横で、熊沢が立っていた。


 両手をポケットに突っ込んで、地面のほうを見ている。俺が近づいたら、顔を上げた。


「なあ、高町」

「なんだ」

「俺さ、お前のこと三年見てるけどさ」

「見てるな」


 熊沢は右手をポケットから出して、自分の顎のあたりを一度こすった。


「高町、俺の顔で笑えるようになったら教えて」


 俺は返事をしなかった。


 熊沢は返事を待たなかった。待たないで、俺の背中を一回叩いて、模擬店のほうへ走っていった。


   ◇


 教室に戻ったら、列がさっきの倍になっていた。


 美咲が受付に座っていた。座って、卓の番号の紙に丸を付けていた。六つ全部に丸が付いている。


「戻った」

「四番と六番、もうすぐ空くわ」

「わかった」

「あなたは中で運んで」


 俺は中へ入った。


 中は暑い。暗幕を張ってあるので、窓が開かない。


   ◇


 三時に、クッキーが無くなった。


 焦げているほうが先に無くなって、焦げていないほうが六枚残った。


 熊沢はそれを見て、しばらく皿の前に立っていた。


 立ったあとで、六枚のうち一枚を自分で食べた。


   ◇


 四時に、片付けが始まった。


 暗幕を下ろした。


 上の端の突っ張り棒を外して、布の重さを両手で受ける。演劇部のやつは重い。重いので、下ろすときに一度膝で受けた。


 窓から光が入って、教室の中が急に明るくなった。


   ◇


 美咲が教室の入口で、当番表を壁から剥がしていた。


 剥がして、四つに折って、鞄に入れた。


「明日は」

「あなたは来ないでしょう」

「来ない」

「じゃあ、明日のことは言わない」


 美咲は先に出ていった。


 北校舎の階段の下のパイプ椅子は、畳んで壁に立てかけてあった。俺は使わなかった。


   ◇


 校門を出たのは、四時二十分だった。


 駅までの道に、他校の制服が三つ歩いていた。三つとも、俺とは反対のほうへ行った。


 桜坂駅の階段は、二十七段ある。


 上から九段目が欠けている。雨の日は滑るが、今日は降っていない。


 十二段目で、膝が抜けた。


 抜けたので、手すりを掴んだ。掴んだまま、そこに座った。段の縁が、太腿の裏に当たった。


   ◇


 上から人が下りてきて、俺の横を通った。


 通るときに、一度だけ足が止まった。止まって、また動いた。


 俺は手すりに肘を乗せて、階段の下の自販機を見ていた。ここの三列目は緑茶だ。


 改札のほうから、切符を通す音が続けて鳴っていた。土曜の夕方は、鳴り方が長い。


   ◇


 立てるようになってから、残りの十五段を上がった。


 上がりきったところで、改札の音が二回鳴った。


   ◇


 家には裏口から入った。


 勝手口の前に、母さんのサンダルが片方だけ裏返っている。俺はそれを直さないで、中へ入った。


 台所の時計は、四時五十分だった。


 茶の間で、父さんと母さんがテレビの前に座っていた。


 ちゃぶ台に座布団が四枚並んでいる。二枚は使われていない。


 テレビは点いているが、音が小さい。父さんはリモコンを持っていた。


「おかえり」

「ただいま」

「今日、学校だったのよね」

「文化祭だ」


 母さんはこっちを見なかった。見ないで、テレビの画面のほうを向いたままだった。


「灯真、座る?」

「あとで」


 畳の上に、洗濯物が畳まれずに山になっていた。座布団の二枚は、その山の下に半分入っている。


 俺は柱に背中をつけて立っていた。


   ◇


 妹は台所にいた。


 冷蔵庫を開けて、閉めて、また開けた。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「ごはん、もうできる」

「早いな」

「お母さんが今日は早いって」


 妹は冷蔵庫の扉に貼ってある紙を見た。見て、指で一度押さえて、離した。


   ◇


 五時十分に、飯が出た。


 俺は二膳食った。三膳目を取りに行ったところで、炊飯器が空だった。


「もう無い」

「無いのか」

「兄ちゃんが二膳目のときに、わたし、先に取っといたから」

「取っといたのか」

「先に言っといたでしょ」

「言ってない」

「昨日言った」


 昨日は聞いていない。


   ◇


 台所の壁の時計が、五時三十一分を指していた。


 妹は自分の茶碗を持ったまま、時計を一度見た。


 見て、それから、部屋の隅に置いてあった鞄からノートを出した。定規を当てて、線を一本引いて、その横に数字を書いた。


 書いてから、ノートを閉じた。


 俺は三膳目のことを考えていた。


   ◇


 階段を上がりきる前に、部屋の明かりがついていた。


 ドアを開けたら、机の上の電気だけが点いている。人形は机の端に立って、こっちを見ていた。


「あんた、今日、何人の前で歌ったの」

「知らん」

「数えなかったの」

「数えてない」


 俺はドアを閉めた。


「昔はね、こういう日の夜になると、楽屋にみんなで集まって、その日に入った人の数を数えたのよ。数えて、書いて、次の日にまた数えるの」

「面倒だな」

「面倒よ。でも数えないと、次の町でいくら取れるかが決まらないの」

「取るのか」

「取らないと帰れないわ」


 人形は台座の上で足を組み替えた。


 組み替えて、机の端まで歩いて、そこで止まった。


「今日、あんたの前に出た人たちはね、来年もあそこに立つのよ」

「そうか」

「あんたは立たない」

「卒業するからな」

「そうよ。だから今日のは、一回きりなの」


   ◇


 俺は床に座って、壁に背中をつけた。


 膝は、もう普通だった。


「あんた、明日は」

「仕事だ」

「文化祭は」

「明日もある。俺が出るのは今日までだ」


 人形は少し離れたところで足を止めた。止めて、別のことを言った。


「クッキー、食べたの」

「六枚のうち一枚は熊沢が食った」

「残りは」

「知らん」


   ◇


 下から、妹の声がした。


 二階まで届く声で、風呂の順番の話をしている。父さんが返事をして、母さんが別のことを言った。


 俺は立ち上がって、ドアを開けた。


 開けたところで、妹が階段の下から俺を見上げていた。手に、二つ折りにした紙を持っている。


「兄ちゃん、これ、見ないでよ」

「見てない」

「今、見た」

「見てない」

「進路のやつだから」


 妹は紙を二つ折りのまま、両手で持っていた。持ったまま、上がってこなかった。

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