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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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104/233

第104話 クール系ではなかったという説

 机の上に、湯呑みが五つ並んでいた。


 部屋にいるのは六人である。


 俺は数え直した。社長、知らない人、犬飼さん、有本さん、宣伝の人、俺。六人いて、湯呑みは五つだった。


 有本さんは自分のぶんを持っていない。持たないで、ポットを両手で抱えて、壁際に立っていた。


   ◇


 会議室1は、二十人入る部屋だった。


 その部屋で、六人が机の同じ側に固まっていた。


 俺はいちばん端に座った。端の席は、他の五人から一つぶん離れている。離れているのは、椅子を一つ抜いてあるからだった。


 抜いた椅子は、壁のほうに寄せてある。


 机は一つしか出していない。二十人ぶんの椅子のうち、六つだけが机のまわりにあって、残りは壁に沿ってきれいに並べてあった。全員が机の同じ側にいるので、誰かが喋るたびに、五つの顔がまとめて同じ方向を向く。


 窓のブラインドは半分だけ下ろしてあった。下ろしてある側から、細い光が机の上に何本も落ちていて、その線が湯呑みの縁のところで一度切れて、机の向こう側でまた続いていた。


   ◇


 有本さんが最初に喋った。


「朝から、電話が六本です」

「少ないな」

「昨日が十二本で、そのうち九本に折り返しました。今日はその返事が来る日なので、こちらから数えるほうが多いです」


 社長はうなずいて、湯呑みの蓋を取った。


   ◇


 知らない人が立ち上がった。


「九条です。マネジメント部の部長をしています」


 俺は頭を下げた。下げたときに、机の下で自分の膝が机の裏に当たった。当たった音が思ったより大きくて、五人のうち三人が、そちらを見た。


「高町くんとは、入社のときに一度、この階の廊下ですれ違っています。覚えていないと思いますが、こちらは覚えています。あのとき、君は帰る方向を間違えて、非常階段のほうへ歩いていきました」


 九条さんは五十歳くらいで、上着のボタンを二つとも留めていた。座るときに、下の一つだけ外した。


   ◇


 九条さんは、机の上に紙を三枚並べた。


 三枚とも、こちらからは裏側になっている。


「今日は結論を出すために集まったのではありません。何が起きているかを、全員が同じ形で見る場です」


 社長が湯呑みを持ち上げた。持ち上げて、そのまま置いた。


「長い」

「はい」

「短く言え」

「一切笑わない人だと思われていたのが、そうでもないと思われはじめました」


 社長は湯呑みをもう一度持ち上げて、今度は飲んだ。


   ◇


 九条さんは紙を一枚だけ表に返した。


「うちに来ている話の中身が、放送の前と後で変わりました。前まで来ていたのは、無口な役、無表情の役、それから、喋らないことに意味がある役です。いま来ているのは、体を張るもの、旅、食べるもの、それから、番組の中で他人と十日ほど一緒に暮らすやつです」

「暮らすのか」

「暮らします」

「暮らして、何になる」

「暮らすところを撮ると、その人の普段が出ます。普段が出る人は、いま、業界に足りていません」


 社長は蓋を裏返して、湯呑みの横に置いた。


「本数は」

「放送の前は月に二件でした。先週の木曜から今日までで九件です。うち六件が、鴻上くんとの二人での話です」

「二人での話は、向こうの事務所と揃えるんだろう」

「揃えます。先方も、今日やっているはずです」


   ◇


 俺のポケットで、携帯が震えた。


 一度で止まった。すぐに二度目が来た。三度目も来た。


 社長が顎で入口のほうを示した。


「出ろ」


 俺は廊下へ出た。ドアは、押しても開かない。引いて出た。


   ◇


「高町。お前んとこ、今日、会議やろ」

「今やってる」

「今?」

「今だ」

「切るわ」

「切るな」


 電話の向こうで、椅子の動く音がした。いま出てきた部屋のと、同じ種類の音だった。


「俺も呼ばれてん。呼ばれて、十分で廊下に出された。当人がおったら喋りにくいんやて」

「俺は中にいる」

「なんでおるねん」

「呼ばれた」

「そっちの部長は、出せって言わへんの」

「知らん」


 向こうの廊下で、誰かがケイを呼んだ。呼んだのは「鴻上さん」だった。


「あ、戻れるわ。ほな」

「戻るのか」

「戻る。俺、ここで待っとくの、いちばんしんどいねん」


 電話は切れた。


   ◇


 俺は携帯をポケットに戻して、部屋へ戻った。


 五人が、こっちを見た。俺は何も言わないで、端の椅子に座り直した。


 九条さんが紙の端をそろえた。そろえたときに、三枚の角がぴったり重なった。


「鴻上くんは、いま廊下にいるそうです」

「なぜわかる」

「先方の担当から、五分前に来ています」


 九条さんは携帯を伏せて、次の紙へ移った。


   ◇


 犬飼さんが、そこで初めて口を開いた。


「それは、こっちで選べるのか」

「選べません」


 犬飼さんは腕を組んだ。組んだまま、机の上のどこも見なかった。


   ◇


 九条さんが指を組んだ。


「イメージには値段が付いています」

「そうだろうな」

「契約書に書いてあるのは去年の紹介文です。撮影は来月で、撮られるのは来月の高町です」

「破れるのか」

「破れません。次の交渉で、向こうが新しいほうを出してきます。新しいほうに、うちはまだ値段が無いです」


 社長は組んでいた指のほうを見た。九条さんの指である。


 九条さんの左手の甲に、ボールペンのインクが一本ついていた。組んだときに、その線が上に来た。


   ◇


「クール系というのは、なんですか」


 俺が言った。


 六人のうち五人が、こっちを見た。


「番組表や、記事の頭に付く分け方です。うちが作るものではなくて、よそが作ります。合わせておくと、こちらの説明が要らなくなります」


 九条さんはこちらを見ないで答えた。答えてから、一枚目を裏に返した。


「いま、その分け方が外れました。先週の水曜の夜、二時間で外れました」


   ◇


 わからん。


   ◇


 宣伝の人が手帳のページを二枚めくって、そこに挟んであった紙を出した。


「他社の紹介の文を、三つ持ってきました。うちのと同じ枠で使われているものです。一つ目が〈静かな怪物〉、二つ目が〈平熱の天才〉、三つ目が〈笑わない王子〉です」

「三つとも、うちのではないな」

「うちのではないです。ただ、三つとも、去年うちが出した紹介文の言い換えです。言い換えられて戻ってくるまでに、半年かかっています」

「今度は」

「今度は、たぶん、三日です」


 九条さんが宣伝の人のほうを向いた。


「三日というのは、何を根拠に」

「根拠は無いです。ただ、放送の日のうちに、もう二つ見ました」


   ◇


 左の足首から下が痺れていた。


 痺れているほうを浮かせて、体重を右へ移した。移したときに、椅子の脚が床を擦った。


 音は短かった。短かったが、部屋には他に音が無かった。


 九条さんが言葉を切った。社長がこちらを見た。宣伝の人がペンを止めた。犬飼さんだけが、見なかった。


 俺は動くのをやめた。


 部屋は、そのまま四秒くらい止まっていた。止まってから、九条さんが紙のところへ戻った。戻るときに、二枚目ではなく一枚目から並べ直した。


   ◇


 俺は机の上を見た。


 犬飼さんの湯呑みだけ、蓋が動いていない。


   ◇


 時計を見た。


 入ってから四十分が経っていた。壁の時計は、秒針が十一のところで毎回わずかに引っかかって、そのあと二つぶん一気に進む。四十分のあいだに、俺はそれを何度か見ていた。


 母さんが台所を離れるのは十九時前後で、それより早く帰れば、鍋がまだ火の上にある。


 いま出れば、間に合う。


 出る理由は無い。


 理由が無いので、俺は座っていた。


   ◇


「一件、報告があります」


 九条さんが三枚目を表に返した。


「来月のドラマ、二件のうち一件が無くなりました」


 犬飼さんが、組んでいた腕をほどいた。


「先方は、なんと言った」

「笑わない役に見えなくなった、と言っています。それだけです」

「それだけか」

「先方は丁寧でした。丁寧に、それだけを言われました」


 犬飼さんは、ボールペンの尻で机を一度だけ叩いた。


 叩いてから、そのボールペンを机に置いた。置いてから、手を膝の上へ下ろした。下ろした先で、指が一度だけ握られて、すぐほどけた。


   ◇


「もう一件のほうは」

「まだ来ています」

「向こうは、先週のを見たのか」

「見ています。見たうえで、まだ来ています」


 九条さんは三枚目を、他の二枚の上に重ねた。


「だから、今日決めることに意味があります。二件のうち一件が消えて、一件が残っている。この形は、来週には残っていません」


   ◇


 社長が湯呑みを置いた。


 置いた音が、机の板を通って俺のところまで来た。


「九条。分け方が外れたら、どうする」

「二つあります。分け方に本人を戻すか、分け方を捨てるかです」

「戻すというのは」

「出す仕事を選びます。芝居と音楽を先に出して、体を張るものを減らします。半年で戻ります」

「捨てたら」

「しばらく、誰も紹介できません。紹介できない期間は、こちらから何も出せません」


 社長は腕を組んだ。組んで、天井を見た。


   ◇


「宣伝は、どっちだ」

「戻すほうが安全です。ただ、安全なだけです」


 宣伝の人は、そこで手帳を裏返して机に置いた。置いた手帳の背が、まだ新しくて、折り目が付いていない。


 社長は宣伝の人を三秒見た。


「九条は」

「わたしは決められません。決めるための材料が、先週の水曜からしか無いです」

「材料が揃うのはいつだ」

「二週間です。二週間あれば、数字の形で出せます」

「二週間で、この話は終わってるぞ」

「終わっているかもしれません。それでも、わたしの持ち場では二週間かかります」


   ◇


「犬飼は」


 犬飼さんは、すぐには答えなかった。


 答えないで、自分の湯呑みを一度見た。見て、手を出さなかった。


「今は答えません」

「なぜだ」

「ここで答えると、そのまま決まるからです」

「決めるための会議だぞ」

「決めるための材料を並べる会議だと、部長が最初に言いました」


 九条さんが犬飼さんのほうを見た。見て、机の上の紙を一枚ぶんだけずらした。


 社長は椅子の背に体重をかけた。かけたところで、椅子が一度鳴った。


「犬飼。去年、局から一度に話が来たとき、何と言った」

「順番を決めます、と言いました」

「今日は」

「今日も同じです。あのときは断る順番でした。今日は、出す順番です」


 犬飼さんは、そこで湯呑みに手を伸ばした。伸ばして、蓋に指をかけて、取らなかった。


   ◇


 部屋が静かになった。


 静かになると、ブラインドの隙間から入る音が聞こえるようになった。下の通りで、車が二台続けて曲がっていった。四階なので、エンジンの音より、タイヤの音のほうがよく届く。


 有本さんがポットを持ち直した。持ち直したときに、中で湯の動く音がした。


 有本さんは壁際に立ったままで、四十分のあいだ、一度も壁に寄りかからなかった。ポットの取っ手を持つ手を、途中で二回だけ入れ替えた。


 九条さんは紙を三枚とも裏に返した。


 宣伝の人は手帳を開いたまま、書く手を止めていた。止めたまま、ペンの尻で自分の顎を二回押した。


   ◇


 九条さんが、こちらへ体を向けた。


「高町くん。君は、どう出たいですか」


   ◇


「わかりません」


   ◇


 九条さんはうなずいた。


 うなずいてから、社長のほうを向いた。


「本人はこうです。これは、今日の材料になりません」

「なるだろう」

「なりません。わからないという答えを材料にすると、来週、同じことをもう一度聞くことになります。同じ質問を二度する会議は、三度目もやります」


 社長は組んでいた腕をほどいた。


   ◇


 九条さんが、机の上に手を平らに置いた。


「では、今日は決めないことにします。決めないと決めたことを、議事録に残します」

「残すのか」

「残します。残しておかないと、来週、誰かが決めたつもりで動きます」


 宣伝の人が手帳を閉じた。


 有本さんがポットを机に置いた。


   ◇


 社長が立ち上がった。


 立ち上がって、入口のほうへ二歩だけ歩いて、そこで止まった。


「犬飼。決めるのは、担当だ」


 社長はそのまま出ていった。


 ドアが閉まったあと、九条さんが自分の湯呑みを飲み干した。


   ◇


 俺も立った。


 立ったら、机の上の湯呑みが目に入った。五つのうち、四つは減っている。


 一つだけ、蓋も取っていない。


 俺はそのままにした。


 有本さんが、俺の湯呑みを見て、それから自分の持っているポットを見た。見て、注ぎ足すかどうかを一瞬考えた顔をして、やめた。


   ◇


 俺は会議室のドアを押した。


 開かなかった。


 ドアには〈引〉と書いてある。二十人入る部屋のドアで、他の部屋のより一枚ぶん広い。広いぶん、字も大きい。


 俺は引いた。


   ◇


 廊下に出たところで、後ろでドアが閉まった。


 閉まる直前に、中の音が少しだけ聞こえた。話し声ではなかった。椅子を机の下へ戻す音だった。


 戻したのが誰かは、見なかった。


   ◇


 有本さんが追いかけてきた。


「高町さん、金曜に事務所へ来てください」

「はい」

「犬飼から、そう伝えるようにと言われました。時間は、あとで送ります」


 有本さんは、そのまま会議室1へ戻っていった。


 戻る前に、俺の顔を一度だけ見た。見て、何も言わなかった。手にはまだポットの蓋を持っていて、蓋だけを持って廊下まで出てきたことに、たぶん、気づいていなかった。


   ◇


 エレベーターの前に窓がある。


 網戸が開いていて、外の風が入っていた。カーテンが動いている中で、一枚だけ動いていなかった。


 その一枚の裾に、赤いものが立っていた。


   ◇


「終わったの」

(終わった)

「何が決まったの」

(何も決まらなかった)

「一時間半かけて?」

(一時間半かけてだ)


 人形はカーテンの裾から出てきて、窓の桟に立った。桟の幅は、台座より少し広い。


「昔はね、こういう部屋に呼ばれるのは、決まったあとだったのよ。呼ばれて、聞かされて、はいと言って帰るの」

(今日は決まらなかった)

「決まらないところに座らされるほうが、あんたには向いてるわ」

(なぜだ)

「決まったことを聞くのは、五分で終わるでしょう。あんた、五分で帰ったら、途中で腹が減るじゃないの」


 それは、そうである。


   ◇


「あんた、あの人たちの顔、見てた?」

(見てた)

「誰がいちばん困ってたの」

(犬飼さんだ)

「なんでわかるの」

(湯呑みに手をつけてない)


 人形は窓の桟を三歩だけ歩いた。歩いた先で、こっちへ体ごと向き直った。


「そういうところは、見てるのね」

(腹が減った)

「台無しよ」


 風がもう一度入って、カーテンが三枚とも膨らんだ。膨らんだのは三枚で、人形の立っている一枚は、桟のところで押さえられて動かなかった。


   ◇


 エレベーターの表示が四階で止まった。


 乗る前に、廊下の突き当たりを見た。会議室1のドアが一度開いて、また閉まった。開いていたのは、人が一人出てこられるだけの時間より短かった。


 開いたときも、閉まったときも、中からは誰も出てこなかった。

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