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見られている間だけ天才 ~無表情なだけの俺が、いつのまにか国民的俳優にされていた~  作者: 灰路


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103/226

第103話 崩れたら、上がった

 通されたのは会議室2で、そのあと二時間、誰も来なかった。


 六人しか入らない部屋である。机が一つと、椅子が六つ。壁には何も貼っていない。窓は無い。


 俺は入口から二つ目の椅子に座って、待った。


 九時十分に入って、十一時十分になった。


 黒板に字が入っていた。〈10/9(木) 高町 公欠〉。今朝、教室に入る前に、もう入っていた。書いたのは、たぶん、定規を持っているほうだ。


   ◇


 二時間のうちに、俺は椅子を三回替えた。


 入口から二つ目、机の角、それから壁側のいちばん奥。奥のやつは座面が低かった。低いぶん、腰が楽だった。


 鞄の中には、朝に妹が押しつけてきたパンが二つ入っている。俺は鞄を開けて、閉じた。


 十時になった。十一時になった。


   ◇


 部屋にはポットが置いてあった。


 紙コップが伏せて重ねてあって、その横に、緑茶のティーバッグの箱がある。中を数えたら、二つしか残っていなかった。


 俺は一つ使った。


 残りは一つになった。


   ◇


 部屋の中には、昨日まで無かったものが一つあった。


 電話機である。


 机の端に置いてあって、線が壁の下のほうへ伸びている。線は新しい。


 電話機は、二時間で一度も鳴らなかった。俺は受話器を一度持ち上げて、音がすることだけ確かめて、戻した。


   ◇


 十一時十五分に、ドアが開いた。


 入ってきたのは有本さんで、両手に紙の束を持っていて、脇にタブレットを挟んでいた。


「高町さん、お待たせしました」

「はい」

「その紙、昨日の夜からのぶんです」

「はい」

「二十一行あります」


 有本さんは紙の束を机に置いた。置いたら、上の五枚が横にずれた。


「有本さん、その紙は何ですか」

「わたしが受けた電話の、相手と時刻です」

「中身は」

「わたしは中身を書きません」

「なぜですか」

「中身を書くと、書いた人の考えが混ざります。わたしは、相手と時刻だけを書きます。そうすると、あとで誰が読んでも同じものになります」


 有本さんは束の上から二枚目を指で押さえて、まっすぐに直した。


   ◇


 有本さんは椅子に座らなかった。


 立ったまま、タブレットを開いて、指を二回動かした。


「今日、この部屋に何人か来ます。順番は決まっていません」

「はい」

「決まっていないので、わたしがドアの前で並べます」

「並べるんですか」

「三人が同時にこの部屋へ入ると、六人の椅子が埋まります。埋まると、高町さんが出られなくなります」


 有本さんは椅子の一つを机の下へ押し込んだ。押し込んで、入口までの幅を目で測った。


「あと、飲み物は自分で入れてください。わたしが入れて持ってくると、その時間ぶん、電話が溜まります」


 有本さんは出ていった。


 出ていく前に、電話機のコードを一度手で押さえて、机の脚に掛かっていないことを確かめた。


   ◇


 最初に来たのは、宣伝の人だった。


 二十代の女の人で、俺は名前を三回聞いたが、三回とも聞いた直後に別の話が始まった。


 その人は俺の向かいに座って、紙を一枚こっちへ滑らせた。


「高町さん、これ、うちで集めたものです」

「はい」

「番組の感想を、書き出してあります。全部は無理なので、多かったものだけです」


 紙には、短い文が三十行くらい並んでいた。


 俺は上から順に読んだ。


   ◇


 読んだ。


 〈二個食べた〉と書いてある。


 〈道を間違えた〉と書いてある。


 〈口が開いていた〉と書いてある。


 〈山の上のところで、家族が全員黙った〉と書いてある。


 〈父が、テレビの前で正座した〉と書いてある。


 〈明日、学校でみんな握り飯を二個持ってくる〉と書いてある。


 三十行のうち、俺の名前が入っているのは四行しかなかった。あとは、書いた人の家の話だった。


   ◇


 俺は紙を机に戻した。


「どうですか」

「読みました」

「感想は」

「二個食べました」


 宣伝の人は口を開けて、閉じた。


「……はい。二個でした」


   ◇


 その人は紙をもう一枚出した。


「うちの会社に、昨日の夜から問い合わせが来てるんですけど」

「はい」

「内容が、去年と全然ちがうんです。去年は、あの子は誰ですか、でした」

「今年は」

「あの子は、あんな人だったんですか、です」


 その人は自分で言って、自分で首を傾げた。


「わたし、この仕事を六年やってますけど、崩れて上がったのは初めてです。普通は、崩れたら下がるんです」


   ◇


 わからん。


   ◇


 その人は、そのあとで手帳を開いた。


「一つだけ、困ってることがあります」

「はい」

「うちが去年から使ってる紹介の文が、使えなくなりました」

「文」

「〈一切笑わない〉です。それを頭に置いて、そのあとに仕事を並べる形でした。昨日から、それを置くと、下の仕事が全部おかしく見えます」


 その人は手帳を閉じた。閉じて、また開いた。


「わたし、今朝、その一行を消して、二時間、次の一行が出てこないです」


   ◇


 その人は椅子の背を二回叩いた。


「高町さん、宣伝から一つ、いま出させてください」

「はい」

「今の高町さんを、そのまま出すか、元に戻すかです」

「元」

「一切笑わない人、です。九月まで、その形で仕事が来ていました」

「はい」

「ご本人としては、どっちがいいですか」


 俺は答えなかった。


 答えなかったのは、どっちも同じだからだ。歩いたのも、二つ食べたのも、道を間違えたのも、全部やった。


「……あの、聞き方が悪かったです。すみません」


 その人は紙をまとめて鞄に入れた。入れてから、ドアのところで一度止まった。


「わたし、戻すほうがいいとは言ってないです。出さないと決めるのは怖いので、言っておきます」


 その人は出ていった。


   ◇


 十二時に、有本さんが弁当を持ってきた。


 持ってきて、机に置いて、そのまま出ていった。


 俺は弁当の蓋を持ち上げた。持ち上げたところで、電話機が初めて鳴った。


 鳴って、四回で切れた。誰も取らなかった。俺は取らなかった。


 二分あとに、もう一度鳴った。


 今度は、七回鳴っても止まらなかった。


   ◇


 俺は箸を置いて、受話器を取った。


「はい」

「あ、東都テレビの桑島です。えっと、そちら、どちら様でしょうか」

「高町です」

「高町さん」

「高町です」


 受話器の向こうで、椅子の動く音がした。


「……いや、失礼しました。番号を一つ間違えました。犬飼さんの内線を押したつもりでした」

「はい」

「せっかくなので、一つだけ言っていいですか」

「はい」

「昨日のあれ、うちの局の編成の人間が、今朝、会議で二回、握り飯の話をしました。会議は編成の会議です。握り飯の会議ではないです」


 電話が切れた。


   ◇


 俺は受話器を戻した。戻すときに、コードが机の角に引っかかって、置いた受話器が一度浮いた。


   ◇


 午後、最初に入ってきたのは社長だった。


 ドアを開けて、上半身だけ入れて、部屋を見回した。


「高町。飯は食ったか」

「食いました」

「そうか」


 社長はドアを閉めて、行った。


 三秒でもう一度開いた。


「昨日のは、見た」

「はい」

「口が開いていた」


 今度は閉まったままだった。


   ◇


 十三時半に、溝口さんが来た。


 局の外なのに、今日も首にヘッドホンを提げている。座る前に、椅子を机からいったん離して、座ってから自分で元へ戻した。


「高町くん、僕、うちの局の番組じゃないほうの人間なんですけど、今日、朝から三本、電話が来ました」

「はい」

「三本とも、別々の会社です。三本とも、同じことを聞かれました」

「何をですか」

「あれ、仕込んでますよね、って」


 溝口さんは椅子を斜めにして、背もたれの角に肘を掛けた。


「仕込んでないですって答えたんですけど、三回目で、僕も自信が無くなってきました」

「仕込んでないです」

「ですよねえ」


   ◇


 溝口さんは、そのあとで机の上の紙を一枚だけ見た。


 見て、指で〈山の上のところで、家族が全員黙った〉のところを押さえた。


「高町くん。この行だけ、他のと種類が違います」

「違いますか」

「他のは、高町くんが何をしたかの話です。この行は、見てる側が何をしたかの話です」

「わかりません」

「僕もです。僕は、こういうのが出てきた番組を、二本しか知らないです」


 溝口さんは立ち上がった。


「僕は今日、これを言いに来ただけです。呼ばれてもいないのに来ました」

「二本というのは、どの番組ですか」

「言いません」

「なぜですか」

「一本は十年前で、もう一本は二十年前です。どっちも、そのあと三年で終わってます。だから言いません」


 溝口さんはヘッドホンを首から外して、手に持った。持ったまま、ドアの前まで行った。


「高町くん。今日は、たぶん、いろんな人がここに来ます。全員、違うことを言います」

「はい」

「全員、自分の持ち場の話をしてるだけです。それだけ覚えといてください」


 溝口さんは出ていった。ヘッドホンは、首に戻さないまま行った。


 ドアが閉まってから、廊下の向こうで溝口さんが誰かと喋る声が聞こえた。中身はわからない。声の高さだけが、部屋の中で喋っていたときより上がっていた。


   ◇


 十四時に、犬飼さんが入ってきた。


 入ってきて、ドアを閉めて、俺の斜め向かいに座った。座って、机の上の紙の束を一度も見なかった。


「高町」

「はい」

「昨日、何時に寝た」

「十一時です」

「そうか」


   ◇


 犬飼さんは、しばらく黙っていた。


 黙ったまま、電話機のほうを見た。


「東都の桑島から、朝に電話が来た」

「はい」

「あの人は、三十年あの局にいる。三十年いる人間が、朝の八時に俺の携帯へかけてきて、最初に言ったのが、わからん、だった」


 犬飼さんは、そこで一度言葉を切った。


「わからんが、次を作りたい、と言っていた」


   ◇


「なんて答えたんですか」

「俺が、か」

「はい」

「順番を決めさせてくださいと言った。三十年いる人間に、二年の人間が言うことじゃない」

「怒られましたか」

「そうしろと言われた」


   ◇


 俺は聞いていた。


 犬飼さんは机の上で指を一度だけ鳴らした。


「高町。昨日のあれで、何かやったか」

「歩きました」

「それだけか」

「握り飯を二つ食べました」

「知っている」


 犬飼さんは背中を椅子へ預けた。預けて、電話機のほうへ目をやった。線を留めている灰色のテープが、床の縁で一枚だけ浮いている。浮いた下に、埃が細く溜まっていた。


「俺は、二年やってる。二年やって、今日はじめて、自分の担当が跳ねた理由を人に説明できない」


 犬飼さんは電話機から目を戻した。


「跳ねた理由がわかっていれば、次に同じ形を出せる。出せるなら、値段の交渉ができる。わからないなら、こっちは何も言えない。相手の言い値になる」

「はい」

「今朝から、俺は六件断った。断った理由は、順番を決めるためだ。だが、順番を決めるにも、何が売り物かを言えないと決まらない」


 犬飼さんは机の上で手を組んだ。組んで、親指だけを二回動かした。


   ◇


 俺は机の木目のところに目を置いていた。


 置いたまま、鞄の中のパンのことを考えた。二つとも、まだ入っている。


 犬飼さんが顔を上げた。


「高町」

「はい」

「今、何を考えていた」

「パンです」

「そうか」


 犬飼さんは組んでいた手をほどいた。ほどいて、一度だけ短く息を出した。


「それでいい」


   ◇


 ――人の置いていった紙が増えていく机の向こうで、朝から一度も立っていない留守番。


   ◇


 俺は椅子に座っていた。


 犬飼さんは電話機のほうを見たままだった。見たまま、指をもう一度鳴らした。今度は音が出なかった。


「犬飼さん」

「なんだ」

「説明は、要るんですか」

「要る」

「なぜですか」

「説明ができない商品は、次の値段が付かないからだ」


 値段の話らしい。


   ◇


 犬飼さんが、机の上の束の横に、紙をもう一枚置いた。


 俺の側から見て、裏になっている。


「宣伝から回ってきた」

「はい」

「そのまま出すか、元へ戻すか。その二つが書いてある」

「戻すというのは」

「九月までの形だ。芝居と音楽を先に出して、バラエティを減らす」

「それは、誰が決めるんですか」

「宣伝じゃない」

「犬飼さんですか」

「俺でもない」


 犬飼さんは紙を裏返したまま、束の下へ入れた。入れたので、いちばん上の一枚が少しずれた。犬飼さんはそれを指で押して、角をそろえた。


「部長だ」


   ◇


 十六時に、部屋の外が急に騒がしくなった。


 ドアの向こうで、有本さんが誰かに何か言っている。言っているというより、順番を数えている。


 三人ぶんの声がした。一人は電話をしながら喋っていて、その人だけ声が二重になっていた。二重になっているほうが、廊下の壁に当たって長く残る。


 ドアは開かなかった。


   ◇


 電話機が、また鳴った。


 犬飼さんが取った。取って、三言だけ喋って、置いた。


「誰からですか」

「知らん」

「知らん人が、かけてくるんですか」

「今日はかけてくる」


   ◇


 犬飼さんが立ち上がった。


 立ち上がって、俺の前まで来た。


 来て、俺の襟を直した。


 制服の襟が片方だけ内側へ折れていた。犬飼さんはそれを二本の指で外へ出して、それから、肩のところを一度だけ払った。


 払った手が、そのまま止まった。


「高町。今日、この部屋で何時間いた」

「七時間くらいです」

「何をしていた」

「座ってました」

「そうか」


 犬飼さんは手を下ろした。


「明日は学校へ行け」

「行きます」

「明後日も行け」

「土曜です」

「じゃあ寝ろ」


   ◇


 俺は鞄を持った。


 持ったら、中でパンの袋が鳴った。まだあった。


 犬飼さんはドアを開けて、先に廊下へ出た。廊下には人が四人立っていて、四人とも、犬飼さんが出てきた瞬間に一歩前へ出た。


 犬飼さんは片手を上げて、その四人を止めた。


 止めてから、廊下の先を向いたまま言った。


   ◇


「火曜、会議室1だ」

「何の会議ですか」

「君を、どう出すかを決める」

「決めるのは誰ですか」

「それを決める会議だ」

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