あんさんぶるS.T.A.R.S.②
この三日間、私は心からわかった事がある。
ひとつは、人は根性だけでは体力不足は補えないということ。
もうひとつは、コンラッド・アルブレヒト・ラントイェーガーという男は基本的に、訓練には容赦がない男であるという点だ。
「おらおら何やってる! まだたった二日だぞ! 頭から水ブッかけられたいか!」
「お、お願い、ちょっと休ませて……も、もう腕が……!」
「何言ってるんだ! ここが戦場だったらお前はもう今日だけで10回は死んでるぞ! ハムみたいにゾンビに喰われて死にたいかモヤシ女!」
コンラッドは怒鳴ってはいるが怒ってはいない。
軍隊とは、彼が生きてきた世界とはそれが当たり前であるのだろう。
そしてそれが私の方から願ったことであることも。
コンラッドの罵声が基本的に私のことを思ってのことであることもわかる。
それはわかる。
わかるのだが――。
ただただ――物事には限度というものがあるのも、わかってほしいのだ。
「もう腕が限界よ……うぇ、うっ、腕が千切れて飛んでいきそう……」
「千切れたら俺が責任持ってくっつけてやる! ほら立て! 俺が一度でもそのデカ尻で地面にキスしろと命じたか!」
そしてなおかつ、コンラッドの罵声は下品で辛辣だ。
軍隊とはたとえ世界が違ってもおしなべてこういうものらしい。
もはや筋肉痛というレベルを通り越して激痛を訴える二の腕と手首。
心臓は「慣れないことはやめとけ」というように胸板を内側から叩き、肺はヒィヒィと情けない命乞いをやめない。
全身は頭の天辺からつま先まで汗だくで、悪役令嬢エレーナとしての威厳も美しさもあったものではなかった。
地面に崩折れ、地面にへばりついた私を見て、完全に鬼軍曹になったコンラッドはこめかみに青筋を立てて怒鳴った。
「まだたったの2000とちょっとだぞ! 目標は1万回だ! そうすればお前は1万体のゾンビを殺せる公爵令嬢になれる! そうなったら俺が泣いて喜んでやる!」
「私をスーパーサイヤ人にする気!? 三國無双の10倍じゃない! 一万人もゾンビがいたら逃げる、逃げるから……!」
「有り難くも俺が逃げられない状況下を想定してやってるんだ! ほら口を動かすな! 俺は腕を動かせと命じてるんだ! その丸太を俺の頭蓋骨だと思って叩き込んでみろ、モヤシ女!」
その一言に、私はかなり本気で斧を丸太に叩きつけた。
この三日間の訓練で、斧を叩きつける丸太は既に四本目になっている。
だが、どこからどう調達してきたものか、城の中庭には二階の窓に届きそうな高さで丸太が積んである。
アレを全部ウッドチップにするまでこの責め苦が続くというのか……。
私は三日前、不用意に「軍隊格闘を教えて」などと言った自分を絞め殺してやりたかった。
「よーし、3000回まで行ったらお前に十分の休憩をくれてやる! ただし3000回前にへばったら腕立て伏せ50回を追加だ! 喜べ、どっちがいいかお前に選ばせてやる!」
――ひでぇ。
私は喘ぐように呼吸をしながら斧を振り下ろした。
ボコッ、という間の抜けた音がして、丸太に跳ね返された斧頭が私の額に直撃した。
「あいだぁ」
私は情けない声を上げて地面に尻餅をついた。
もうやだ、なんでこんなことに……。
軽く泣きそうになった私は、次にハッとコンラッドを振り返った。
「え……今のはノーカンよね……?」
「納棺だと!? 俺がいつお前に葬儀屋になれと言った! 次にへばったら腕立て伏せ50回とは言ったがな! ほら地面に伏せろ!」
「い、いやああああああ! もうやめてぇ! 私死んじゃう! ちょっと休憩を! お願い、どうかお慈悲を……!」
「安心しろ! ババアになって死んでからたっぷり休め! ほらとっとと地面にうつ伏せになれ! ほらいくぞ、い~ち……!」
「あはは、随分気合が入ってるなぁ」
間延びした声に、私とコンラッドは声のした方を見た。
「本格的にやってるねぇ。けれど、さすがに女の子にはもっと優しくしないといけないよ、コンラッド君」
「く、クラウス司祭……!」
私は胸の前で手を組んだ。
このタイミングで現れた彼はまさに神の使徒であった。
クラウス司祭の窘める言葉に、さすがのコンラッドもそう簡単に抗弁は出来ない様子だった。
「く、クラウス司祭……俺は別にエレーナを虐めてるわけじゃ!」
「わかってるとも。これは虐めてるんじゃなくてシゴいてるというんだ。見方によってはなお悪い」
「ぬ……だけど!」
「まぁまぁ。――ところでエレーナ君。君を2時間ほど借りたいんだけどいいかい?」
コンラッドの言葉を上品にいなしながら、クラウス司祭は途轍もなくいい声で言った。
「はい!」と秒で即答した私に、クラウス司祭は「決まりだね」とコンラッドを見た。
クラウス司祭は微笑を浮かべ、まるで老人が子供を嗜めるように言った。
「彼女にはどうやらこの事態について少なくない知識もあるようだからね。彼女は忙しい身なんだ。君だけ独占はズルいよ」
その一言に、コンラッドはちょっとムッとした表情を浮かべた。
えっ何? 今のコンラッドの表情とクラウス司祭の言葉。
私までポカンとしていると、委細構わずクラウス司祭が手を差し伸べてきた。
「さぁエレーナ君。シャワーを浴びたら一緒に図書館へ来てくれ」
でもとりあえず、この地獄のブートキャンプからは抜け出せそうだった。
はい! と言い声で返事をした私は、クラウス司祭の手を取って立ち上がった。
◆
「あ、ありがとうクラウス司祭! 私を助けてくれたんですね!」
「いやいや単純にそうとも言えない。本当に君の意見を聞きたいことがあったんだよ」
シャワーを浴びて随分サッパリした私は、筋肉痛でバラバラになりそうな身体を庇いながらヒョコヒョコと歩いていた。
前をゆくクラウス司祭はまるでコマ撮り人形のような歩き方の私に歩調を合わせてくれている。
こういう気遣いが出来るのがクラウス司祭の素敵なところである。
「何しろ君はゾンビに詳しいようだからね。一度王都で意見を聞きたいと思っていたのさ」
「そんな……詳しいなんて買いかぶり過ぎですわ。ただちょっとだけ知識があるだけで」
「あはは、それこそ謙遜というものだよ。君がいなかったら僕たちはナルフィで全員餓死していたところだ」
いやぁそれほどでもありませんわ、と私は身体をくねらせた。
正直、クラウス司祭程の美丈夫に買いかぶられるのは悪い気分ではない。
いやもっと遠慮なく買いかぶってくれとさえ思いながら、私はガチョウのようにヒョコヒョコと廊下を歩いた。
三分以上歩いた。
五分程は歩いた。
十分は歩いてる気がする。
もう十五分以上は――。
おかしい。
この薔薇の花柄の花瓶はさっきから6回ぐらい見ている。
そしてここの廊下の角を3回は曲がっている
「あの、クラウス司祭」
「なんだい?」
「図書館に行くんですよね?」
「そうだが」
「ここ、さっきも通りましたわ」
「そのようだね」
「そうなんですが――」
「何が言いたい」
「もしかして――迷ってません?」
「あぁ」
金の耳飾りをシャラリと鳴らして。
クラウス司祭は微笑みと共に振り返った。
「迷っているね」
私はその微笑みにわけもなく胸を衝かれた気がした。
これは一体どういう意味の笑顔なんだろう。
その表情には焦っている様子も困っている様子もない。
普通もう少しそれらしい表情をするべきだと思うのだが。
「く、クラウス司祭――」
「どうにもおかしいなぁ、こっちだと思ったんだけどなぁ」
「あ、あの」
「おかしいなぁ。王城の図書館は移動式なのかなぁ」
「あの、誰かに道を訊きません?」
「おお、それはいい意見だね。そうしようかな」
途中、私たちは廊下ですれ違ったメイドの女性を捕まえて道を聞いた。
メイドは妙な顔をし、図書館はこことは別棟ですが、と言い放った。
クラウス司祭は丁寧に礼をし、その棟に向かって歩き始めた。
「まさか別棟だったとはなぁ」
「本当ですわね」
「なんだかなぁ」
「本当ですわね」
適当な相槌を打ちながら、私はクラウス司祭の後頭部をずっと見ていた。
ユージーン・クラウス二十五歳。
忘れていたがこの人は魔術と医学の天才なのだ。
天才であるが故に常人とは違う常識の下で生きている。
要するに――ちょっと不思議ちゃんでもあるのだった。
「おかしいなぁ。中庭に出た時は左に曲がったんだから今度は右に曲がるものだとばかり思っていたんだがなぁ」
クラウス司祭がぼやいた。
いやその理屈はおかしい。
私も律儀に頭の中でツッコミを入れた。
ファンの間では「ゲームイチの問題児」「不思議ちゃん」「アホカワイイ」などと持て囃されていたその天然ぶりは、こうしてサシで経験するとなかなかのインパクトがあった。
この人、よくこれで生きてこられたな……と感心する私を尻目に、クラウス司祭は実にスマートに渡り廊下を歩き、図書館の扉の前に立った。
「ここが王家の図書館だ。王国中の知識がここに集積されている。ここに入れるのはなかなかない経験だぞ」
そう言ってクラウス司祭は図書館の扉を開け放った。
一瞬、声も出せずに私は驚いた。
ドーム型の天井と、重厚に黒光りする本棚の数々。
巨大なモザイク模様の集積に見える、敷き詰められた本の背表紙のカラフルさ。
吹き抜けがあるためか閉塞感は感じず、むしろ広大な草原を前にしたような開放感がある。
幾何学模様を描く天窓からは、私たちを知識の海へ誘うかのように柔らかな光が差し込んでいた。
「凄い……」
これが《王家の知識》――。
ほう、と私がため息をつくと、クラウス司祭が笑った。
「驚いただろう? 偉大な知識は人を立ち竦ませるものだからね」
自慢するように言って、クラウス司祭は大股で図書館に入った。
螺旋階段を登り、二階の一室に入った私は、ドアを開けて仰天した。
「ここが私の使っている臨時の研究室だ。今、奴らについての文献を漁っているところだ。」
本、本、本、本――。
足の踏み場もないほど雑然と積み上げられた本が、まるで古代遺跡のように複雑な山脈を形成している。
「これを全て読まれたんですか――?」
「まさか。宮殿の専門家たちにも協力を仰いで、とりあえず関係ありそうな資料を一時的に抜粋しただけだよ。――申し訳ないが椅子はひとつしかない。そこに座ってくれ」
そう言ってクラウス司祭は私を椅子へといざなった。
私がそこに座ると、クラウス司祭はテーブルに寄り掛かるようにして腰を落ち着ける。
「さぁ、楽しい楽しい講義の時間だ」
イケない個人レッスンが始まりそうな口調で、クラウス司祭が柔和に笑った。
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