あんさんぶるS.T.A.R.S.①
二日後。
私は広い王城内の中庭に立ち、真紅のスカーフで長い黒髪をまとめ上げた。
なるべく動きやすく、汚れてもいい服装、叶うことならなるべく戦闘力の高そうな服を調達してほしい――。
昨日、私からそう依頼された宮殿の服飾係の女性は、その言葉を聞いて実に珍妙な表情を浮かべたのだった。
思えば私の注文もめちゃくちゃな内容だった。
この乙女ゲーム《琥珀のエルミタージュ》の世界では、貴族女性は戦うどころか働くことすら稀だ。
動きやすい、という一点で候補を絞るにしても、候補はあまりにも少なかった。
実際、この服装を選ぶのに半日もかかってしまったし、服飾係の女性にはだいぶ迷惑をかけてしまった。
だが、そこはやはり服飾のプロフェッショナルだった。
ああでもないこうでもない、と時間をかけて、彼女はそれらしいものをどうにか調達してくれた。
まず最初に、今までエレーナのお供であったフリフリスカートはやめた。
学院では裾を踏んづけて転んだ瞬間にゾンビに襲われた令嬢もいたのだ。
むしろ今までよくぞあんなスカートのまま戦っていたものだと感心しつつ、血と泥で汚れた漆黒のドレスは敢えなく廃棄処分となり、新たにスカート部に深くスリットの入った、シンプルなワンピースのドレスを彼女は選んでくれた。
ゾンビの延髄を蹴り潰した実績のあるハイヒールは継続採用し、如何にもミリタリーな雰囲気を醸し出すローヒールの編み上げブーツにしてみる。
ヒールが低く分厚くなった分、走るのにも、人の頭を蹴飛ばすのにも蹴り潰すのにも支障はなさそうだ。
ちなみに余談だが。
城の服飾係が選んでくれたアイテムは、何故かやっぱり黒と赤で統一されていた。
やっぱり――私はエレーナである限り、この配色からは逃れられない運命らしい。
「さ、コンラッド。準備できたわよ」
私が言うと、少し距離を置いて立ったコンラッドが不安そうに言った。
「お前さ――本気で軍隊格闘を学ぶつもりか?」
「ええ、私は本気の本気よ」
私は決然と言った。
それでもまだ迷っている風のコンラッドに、私は言った。
「貴方ならわかるでしょう? みんな自分にできることをしようとしてるのに、足手まといはイヤなの」
そう、昨日さっぱり眠れなかった私が徹夜で考えたこと。
それは、とにかくゾンビに対する戦闘力を底上げする、ということだった。
私はアンリエッタのように白魔法は使えない。
ジークハルトのように剣聖の加護があるわけでもない。
クラウス司祭のように知識もない。
リオンのように美味しい食事もきっと作れない。
だからこれからするのだ――努力を。
彼らと同じ目線で戦い続けるために。
もはやこの国の命運、いや、この世界の命運は風前の灯のはずだ。
足手まといにならないよう、私に少しでも出来ることがあるならそうするしかない。
それは公爵令嬢のものでも、転生者のものでもない。
もっと基本的な――人間として当然すべき努力のはずだった。
「それはわかるけどなぁ――」
コンラッドはまだ煮え切らない態度だ。
「気を悪くしないで聞いてくれよ、エレーナ。軍隊格闘ってのは基本的な動きが出来るまででも相当キツいぞ。当然怪我もするぜ。ましてやお前は基礎体力づくりからなんだ。わかってるよな?」
ぐっ、と私はその言葉に胃の腑が重くなるのを感じた。
確かに、前世ダンゴムシであった高柳千鶴の頃から、かけっこでは常にドンケツが指定席だった私である。
まして貴族令嬢に転生してからは、かけっこどころかハシより重いものを持ったことすら稀なぐらいだ。
基礎体力、という言葉に関しては不足どころか全くお話にならないレベルであろう。
「俺だって、ここまで来るのに無傷ってわけでもなかったんだぜ。ほら、この通り顔に傷がつくことだってある。わかるだろ?」
そう言ってコンラッドは髪を右手でかき上げ、左眉の上辺りについた傷を示してみせた。
あまりにもバレバレな嘘を、私は半笑いで否定した。
「それは嘘。その傷は貴方が五歳の時につけた傷よ。木登りの最中に落ちて――そうでしょう?」
そう言った途端、コンラッドはぎょっと目を見開いた。
あ――これはいけない。ついついファンブックに書かれていた情報を口走ってしまった。
「おっ、お前って時々、変なこと言うよな……この傷のことをなんで知ってるんだ?」
「え? あ、いや、別に! そうじゃないかなって思っただけよ!」
「ほ、本当なのか、それ? お前もしかして俺の記憶を覗いたりする力があったりして……」
まぁ――ぶっちゃけ覗いてるどころか、何度も繰り返し見ている。
コンラッドは慌てて、バカなことを言ったというように首を振ったが、実はその指摘は大当たりなのであった。
とにかく、と仕切り直して、私は懇願するように言った。
「お願いよ、コンラッド。私はみんなの足手まといになりたくないの。だから少しでもゾンビたちとの戦いで役に立つ技術を身につけたいの。それは貴方にしか頼めない。言ったでしょう?」
そう言うと、コンラッドは赤い瞳で私を見つめた。
まるで私の発言が真意であるかを見定めるように。
ややあって、コンラッドは呆れたように微笑した。
「まぁ――お前はどうせ止めたって聞かないだろうからな。今までの経験的に、な」
私が頷くと、コンラッドはすっと両手を前に突き出した。
ファイティングポーズ――である。
唯一ボクシングスタイルと違うことは、その両手が拳ではなく、平手のままだったことだ。
シュッ、という、鋭い吐息とともに、コンラッドはシャドーボクシングを始めた。
見事なコンビネーションで拳を繰り出し、相手の拳を避け、間合いを詰めたり離したり。
唸りを上げる逞しい両腕には、太い筋が浮かんでは消える。
足元からは絶えず芝生を踏む音が聞こえ続ける。
腹筋を締めるために瞬発的に吐き出される鋭い息と、芝生のキュッキュッという音。
それはまるでビートボックスのように調和していく。
三十秒ほど拳を繰り出し続けて、コンラッドが拳を下ろした。
かなりの運動量だったのに全く息が切れていない。
「尊い……」
思わず知らず、声が出た。
推しが眩しい。眩しすぎた。
出来ることなら飛びついてコンラッドの頭にガリガリ齧りつきたかった。
ちくしょうお前はなんでそんなカッコイイんだ。
一体何を喰ったらそんなふうにイケメン丸出しになれるんだ。
はわわわ……と感動している私を眺めて、コンラッドは言った。
「もう集中力切れてそうだな」
「えっ――? あ、いや、そんな事はありませんわ! これはただ……!」
「俺は真剣さのないやつにはなにも教えられない」
下手なごまかしを見透かす声で、コンラッドが鋭く私を睨んだ。
思わず息を呑むほどに、その目は鋭く、そして言葉の奥底には確かな怒りがあった。
びくっ、と肩を震わせた私に、コンラッドは諭すように言った。
「これは命のやり取りのための技術だ。それを学ぶ責任を考えて真剣になれ」
「は、はい、すみません……」
シュン、と肩を落として反省の弁を述べた私に、まぁいい、とコンラッドが言った。
「格闘の基本は、間合いの取り方だ」
「ま……間合い?」
顔を上げた私が鸚鵡返しに訊くと、コンラッドは「そうだ」と肯定した。
「本来的な意味なら単なる距離のことだが、その意味は複雑だ。攻撃を喰らわないように間合いを離す、相手を仕留めるために間合いを詰める、槍や長剣なら間合いを詰められたらその時点でゲームオーバー……そういったものが間合いの持つ意味だ。だがそれはもっともっと深い意味がある。お前は何だと思う?」
挑みかかるようにコンラッドが訊いてきた。
私がしばらく無言でいると、コンラッドが低い声で言った。
「間合いを保て、というのは要するに――自分の領域内に誰も入れるな、ってことだ」
コンラッドの赤い瞳が妖しく揺らめいた気がした。
私の大好きな色。
手懐けることなど不可能な、コンラッドという猛獣が発する殺気の色だった。
「右手を伸ばして、ぐるりと一回転してみろ」
私は言われた通り、右手をまっすぐに前に突き出し、その場で一回転した。
「身体で覚えろよ。それがお前という人間の支配できる領域だ。相手がここに飛び込んで来たら一巻の終わり、お前は死ぬ」
死――。
脅すための言葉ではないだろう。
真実、この間合を失った瞬間に人は呆気なく死ぬ。
それは既に私も確かめていることだ。
「逆に相手を仕留めようと思ったら、この支配できる範囲を飛び出して相手の支配領域に踏み込んでいかなきゃならない。相手を領域に入らせず、なおかつ相手の領域に飛び込む、その一瞬の駆け引き――これが間合いを保つという技術だ」
普通に乙女ゲームをプレイしていたのでは絶対に聞くことのない事。
それはコンラッドの軍人としての哲学そのものであるように聞こえた。
「その間合いを保つにはどうすればいいかだが――」
コンラッドはそこで、一本の丸太を地面に転がした。
人間の胴回りぐらいある、太い丸太の切れ端だ。
コンラッドは足で丸太を蹴転がすと、次に私の右手に握られた斧を見た。
「その斧、何回振れる?」
「えっ?」
私の右手には、ナルフィの教会から持ってきた斧が握られている。
この斧で5体も倒しただろうか。
私はこの斧をこれから武器にすることに決めていたのだった。
コンラッドは静かに言った。
「コイツに向かって振り下ろし続けてみろ。上から下へ、思いっきりな」
そう言われて、私は手を目線の高さまで上げて、そして振り下ろした。
ドスッ、という湿った音とともに、丸太に斧の刃が食い込んだ。
私は苦労して刃を丸太から引き抜くと、再び斧を振り下ろした。
ドスッ、ドスッ……と、言われるまま私は斧を振り続けた。
三分と経っていないのに、早くも額に汗が滲み始めた。
鉄の斧頭の重量と丸太に喰い込む衝撃で、手首が痛くなり始めた。
息も切れてきて、十回も振り下ろさないうちに、私は左手で額の汗を拭った。
「これが何?」
私が訊くと、コンラッドは低い声で言った。
「振り下ろせたのは9回。つまり今目の前にゾンビが10体いたら、お前は死んでたってことだぜ」
私は少なからずその言葉に動揺した。
コンラッドは微笑を浮かべたが、目は一切笑っていない。
その表情のまま、コンラッドは静かに言った。
「俺がお前に教えることは、『絶対に斧を下ろすな』、これだけだ」
「斧を――下ろすな?」
「あぁ、軍隊格闘どころか、すべての兵士の基本だ。応用の格闘術や打撃の型、そんなもんは実はどうでもいいんだ」
コンラッドは不敵な笑みを浮かべて私を見た。
「無茶でもいい。斧を振り回してるお前の領域には誰も近寄れないし、振り回してるうちはお前は生き続けることができる。お前がやるべきは単純明快、この斧を振り回し続けられる体力と気力、そしてなによりも、絶対に生存を諦めない闘争本能を身にをつけることだ」
闘争本能――。
その言葉に、私の中の何かがもぞりと蠢いた気がした。
今の今まで意識したことなどなかった、生物としての自分。
全力で相手を叩きのめしたいという本能。
生き残りたいと思い続けるための執着と、それを可能にする体力。
それが私の身につけるべき「技術」の全てだった。
「なるほど、闘争本能ね――」
感心しながら私が言うと、コンラッドが一応というように言った。
「やめるなら今だぜ、公爵令嬢様」
「何言ってるのよ。本能――私、そういうの結構好きよ?」
私は、エレーナの顔で笑った。
その表情は挑戦的で――とても様になっていたに違いない。
「よし、休んでも、泣いても、反吐ついてもいい。斧を振り回せ。丸太はいくらでもあるぞ!」
まるで新兵に命令する鬼軍曹のようにコンラッドは宣言した。
私は汗をもう一度拭い、思い切り斧を丸太に振り下ろした。
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サブタイトル変えました。
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