粥 うま
食事とは、こんなにも人の神経の緊張を緩和してくれるものなのか。
私は真剣に驚いていた。
ほぼ丸一日ぶりに食べた食事。小さく切り分けられた固いパン一切れと、ほとんど湯の味しかしない粥だけの夕食。
分量的には到底満足できるものではなかったが、とりあえずは温かく、人間の味がした。
それは空腹を満たすというよりも傷口に薬を塗る感覚がした。
ほとんど噛むことも味わうこともなく食事を口に詰め込み、食べ終わると、急に今日一日の疲れがどっと肩にのしかかってきた。
ほう、と、小麦の風味が香るため息をついて、私たち四人は教会の壁に背を預けたまま、しばらく無言を貫いた。
「……これからどうしましょう」
ぽつりと言った私に、ジークハルトが言った。
「王都を目指す、そうだろ? この国であそこより安全な場所はないんだ。全員助かるよ」
「司祭を置いて、俺たちだけでか?」
コンラッドが言った。
そう、私たちはここに来たことで却って袋のネズミになってしまった。
司祭を置いて行くにしても、救助を待つと決めている司祭と、彼が集めた避難民は連れていけない。
私たちだけでゾンビたちの囲みを破って出ていかねばならないのだ。
「だって……行きたくないって言うんだから仕方がないじゃないか。この国では法に反しない限り個人の意思は尊重されるべきだ」
「お前なぁ」
「よしてくれ、議論してもお互い疲れるだけさ。……エレーナはどう思う?」
私は酷く重い口を開いた。
「とりあえず、私は殿下の言うことに賛成しますわ」
ジークハルトが頷いた。
「私たちがナルフィ村の窮状を伝えれば王都から救助隊は来るはず。ここから王都までは歩いて丸一日の距離、私たちが無事に王都にたどり着ければ……」
「本当にそう思ってんのか?」
鋭く言葉を遮ったのはリオンだった。
え……? と私が言葉を飲み込むと、教会の石床に両足を投げ出したままのリオンが、右隣の私を睨めつけた。
心の底を見透かして嘲笑う目だった。
「お嬢様よ、アンタは心の底ではわかってんじゃねぇのか? 俺たちが頑張れば王都から迎えが来るだなんて、本気で信じてるのかよ?」
「……何よ、あなた随分喧嘩腰ね」
歳下相手に大人気ないとわかっていても、今まで散々意地悪な態度を取られていたむかつきもあって、ついついカチンと来た。
「あなたね、さっきから黙って訊いてれば、随分な態度ですわね。私はともかく、アンリエッタの献身にも酷いこと言って否定して……さっきから我慢してたけど、正直に言って聞くに耐えないわ。あなた何様のつもりなのかしら?」
「何様のつもりなのかしら、か……。へっ、いい加減そのウソンコお嬢様言葉はやめてくれ。聞く度に鳥肌が出るっての」
フフン、と、リオンは鼻を鳴らし、私は口を閉じた。
おい、今コイツなんて言った? ウソンコお嬢様言葉だと?
「こんな辺鄙な村まで奴らに襲われてんだ、王都が無事なわけない。王都は今頃はとっくに奴らのせいで大混乱だ。救援なんて来るかよ」
考えていたこと――否、はっきりとした形にすらなっていなかった懸念。
その図星を当てられて、私の心臓がぎゅっと収縮した。
だがその一言には、私よりもジークハルトが鋭く反応した。
「ほほう、言うじゃないか――リオン、とか言ったかな? 今の言葉はとても面白い。僕にもご意見を聞かせてくれないか?」
「王子様、よく考えてくれ。ここはリストランテ学院から王都までの街道にある唯一の町だぜ。わかってるよな?」
おそらく口を閉じさせるつもりだっただろうジークハルトの威圧の言葉にも、リオンは臆することなく反論した。
「あの学院に来るのは地方の田舎領主のバカ息子たちだけじゃねぇ、大半が王都に屋敷構えてる貴族たちなんだ。だから地理的に王都に近い場所に学院がある、そうだろう? パニックになった貴族のおぼっちゃまたちが、ママのおっぱいを吸いにどこへ帰るか……そんなもん、考えるまでもなく一箇所しかねぇだろ」
「だからと言って――! そう簡単に王都が機能不全に陥るなんて考えられない! 王都は大陸一の要塞だ! その考えは僕への、今このときも王国を護っているすべての人間への侮辱だ。取り消してもらいたいな!」
「取り消してもいいけど意味はないぜ。明日には王都に行くんだろ? 見るもの見て腰が抜けちまうだろうさ。その高貴な腰がスッポリとよ」
「貴様――!」
「よせ! ふたりともいい加減にしないか!!」
コンラッドが太い怒声で遮らなければ、今ここで流血沙汰になっていただろう。
それほどにジークハルトは、見たことも訊いたこともない声と表情でいきり立っていた。
コンラッドにかなり本気の力で服の袖を捕まれ、ぐ……! と言葉を飲み込んだジークハルトは、怒りを通り越して憎しみの籠もった目でリオンを見下ろした。
リオンはというと、白々しい希望的観測論には飽き飽きした、というように、首を巡らして明後日の方向を向いてしまった。
「ケッ、悪かったよ。俺がいるとあんたたちは心安く休めねぇらしい。俺はどっか別の部屋を用意して寝ることにするさ」
しばらくして、リオンは吐き捨てるように言って立ち上がった。
そのまま、誰とも視線を合わせないままに教会の別室に消えた。
――なんだこいつ。この非攻略対象キャラのくせに随分と掻き回してくれるな。
去ってゆくリオンの後頭部を見ながら、私は苛立ちを通り越して感心すらしていた。
今のような、思わずプレイヤーですら画面の向こうで身がすくむような言葉と態度を、コンラッドはともかく、あのジークハルトから引き出すなんて……。
何度目かの疑問であるが、コイツ、本当に非攻略対象キャラのなのだろうか?
感心している私をよそに――憤懣やるかたないのはジークハルトだった。
あっちをうろうろ、こっちをうろうろと歩き回った末に、ジークハルトはやおら一人分の食事が乗ったお盆を取り上げた。
「え? 殿下……?」
「これはアンリエッタの分だ。彼女に食事を届けてくる」
これ以上は何も言わないぞ、という怒りのオーラを全身に漂わせながら、ジークハルトはちょうど別室から出てきたアンリエッタにツカツカと歩み寄ってゆく。
「……子供か」
「……子供ね」
呆れたようなコンラッドの言葉に、私もついオウム返しに答えてしまっていた。
無論、それはついついリオンに対して言葉を荒げた自分たちへの自嘲も含まれていた。
もはや何を言う気力もなく、私は目だけ動かしてジークハルトの背中を追った。
ジークハルトは患者の治療を終え、額の汗を拭うアンリエッタの背後に立った。
突然背後に立ったジークハルトに、アンリエッタは大層驚いている。
ジークハルトはよほどの表情をしているらしく、アンリエッタの顔が怯えている。
……おっ、何か言葉を交わした。途端にアンリエッタの表情が和らいだ。
さすがはジークハルト、あんなになっても女を説得する手練手管は忘れていないらしい。
すべての女を魅了する、さすがは作中一の遊び人だ。私は嫌いだけど。
アンリエッタは壁に背を預けて床に座り込み、パンを齧り出した。
なんとなくその隣に座ったジークハルトが口を開くと、アンリエッタは臆面もなくころころと、天使の微笑みで笑う――。
なんだか、遠目に見ていてもいい雰囲気だった。
あぁ、世界がこんなになっても、悪役令嬢の見ていない隙を狙って――いや実際は見ているのだが――《琥珀のエルミタージュ》は進行してゆくのだ。
俗世間から離れた神仙のような気分でそれを見ていた私の脳裏に、ふと、邪な思いつきが浮かんだ。
――そうだ、このまま彼がアンリエッタを好きになっちゃえばいいのでは?
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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