悪役令嬢 VILLAGE②
「エレーナ!」
しまった! 黒い影に飛びかかられた私は己の迂闊さを呪った。
つい安堵して警戒を解いた瞬間、物陰にいたゾンビに気づくのが遅れた。
ヒールを履いていたことが災いし、私は『それ』の重量を受けて転倒した。
強打した後頭部の痛みを呻く間もなく、シャアアア!! という絶叫とともに、生臭い息が吹きかかる。
「この、やめなさいよッ……!」
私は全身の力を総動員して必死にゾンビを引き剥がしにかかったが、ゾンビの肘が私の首に周り、気道が押し潰された。
酸欠に脳が灼熱する。
身体に力が入らない、ヤバい! 喰われる……!
「エレーナから離れろ!」
その時だった。コンラッドが怒声とともに、ゾンビの顔に向かって強烈なキックを見舞った。
バキッ! という音は間違いなくゾンビの首がへし折れた音だった。
ゾンビは蹴り飛ばされた勢いで地面に転がった。
「エレーナ! 大丈夫かい!?」
ジークハルトに抱き起こされながら、私は盛大に咳き込んだ。
「え、えぇ、なんとか……」と答えた私は、ズリ、ズリ……という足音が四方から迫って来るのを聞いて、はっと暗がりに視線を移した。
ゾンビだ。あっちにも……こっちにも!
数十人のゾンビが唸り声を上げてこちらに殺到してくるのを見て、私は頭が真っ白になった。
「おいおい……! いくらなんでも数が多いぞ……!」
ジークハルトが血相変えて言い、素早く宝剣を抜き放った。
この自信家で俺様の彼には珍しい、滅多になく焦った表情だ。
四方から押し寄せるゾンビの群れに、私たちはじりじりと追い詰められていた。
背中合わせになりながら、視線だけで目配せする。
「ヤバいぜ、教会前の広場に繋がる路地は狭いんだよ……!」
リオンの言葉に、コンラッドが低く言った。
「へっ、そんなの……一点突破して教会に滑り込むしかねぇだろう」
「簡単に言ってくれるなぁ……首ってのはそう連続して落とせるもんじゃないんだよ」
「王太子が泣き言言うな、やるしかねぇならやるしかねぇだろうが……!」
どうしよう、どうする……!?
胃の腑を冷やす絶望と恐怖に私がめまいがした瞬間、「皆さん、聞いてください!」とアンリエッタが囁いた。
「私が一か八か怪物たちに回復魔法を掛けます。彼らが怯んだ隙に、リオンとエレーナ様は教会に走ってください!」
その言葉に、コンラッドとジークハルトが顔を見合わせ、頷いた。
とりあえず作戦は決まった。
どくどくと気分が悪くなるような勢いで心臓が鳴り、神経が焼ききれそうな緊張が全身を支配する。
「皆さん、行きますよ……! いち、にの……さん!!」
瞬間、アンリエッタが両手を突き出し、そこから白い光が迸った。
途端にゾンビたちが奇妙な悲鳴を上げて痙攣し、全身から煙を立ち上らせた。
よし――効いた!
「走って!!」
私の一喝とともに、まずはコンラッドとジークハルトがゾンビたちに襲いかかった。
コンラッドは気合とともに二人を殴り倒し、ジークハルトがあっという間に三人の首を飛ばした。
うおおおおお!! という雄叫びとともに、二人は猛然と突撃する。
アンリエッタも小柄な身体で兎のように立ち回りながら、次々とゾンビたちに回復魔法をかけてゆく。
まるで濃硫酸を浴びせかけられたかのように痙攣したゾンビを二人ほどヒールの底で蹴り倒しつつ、私も後へ続いた。
囲みを破り、追いすがってくるゾンビたちを蹴散らしながら、私たちは広場に出た。
目指す教会はすぐそこだった。
ゾンビを蹴散らす三人が切り開いた道を通り、私とリオンは教会の入口を目指した。
「うわっ……!」
と、その時だった。リオンの悲鳴が聞こえ、私ははっと振り返った。
リオンがゾンビに襲われている。
よく見ると襲っているのは豪華なドレスに着飾ったゾンビだ。あの金髪には見覚えがある――。
それは私たちが学院から逃げ出すときにすれ違った、あの腕を噛まれた令嬢のゾンビだった。
「この野郎……離せよ! くそっ! やめろよ!」
リオンは必死の形相でめちゃくちゃに顔を蹴りつけ、ゾンビを引き剥がそうとする。
だが逆にリオンの革靴を両手で掴んだゾンビは、革靴ごとつま先に容赦なく齧りついた。
「うぎゃあっ! 痛ぇよ化け物め! 離せってんだよ!!」
ヤバい――! 私は周囲に視線を走らせるが、コンラッドもジークハルトも、アンリエッタも、それぞれ目の前のことに対処するだけで精一杯のようだ。
なにか武器はないか、どこかに……!
広場を探すと、めくれ上がった正方形の石畳が目に入った。
私はそれに飛びつくと、マニキュアを塗った爪に注意しながら持ち上げた。
重い。文字通り箸より重いものは持ったことがないだろうエレーナの細腕にはあまりにも重すぎた。
両手の力を総動員し、どうにかそれを支え持った私は、わけのわからない悲鳴と共に石畳をゾンビの頭に振り下ろした。
グワシャ! という嫌な感触とともに、令嬢ゾンビの身体が痙攣した。
リオンの靴を握っていた手から力が抜け、地面に倒れたゾンビに対して、私はもう一度石畳を振り下ろした。
ペキッ、という卵の殻を砕くような音が発し、今度こそ令嬢ゾンビの頭が潰れた。
「やった!」
思わず握り拳を突き上げてガッツポーズを決める私を、リオンが汗まみれの顔で見上げ、へ、とバカにしたような声を上げた。
「貴族のお嬢様が喜ぶようなことじゃないだろうが」
「なっ……!」
このクソガキ、助けてやったのに……!
私は怒りに震えたが、四方からよたよたとやってくるゾンビを見れば抑えなければならない怒りだった。
私は無言でリオンの胸ぐらを掴んで立たせた。
そのまま、半ば四つん這いの状態で広場を這い、やっと教会のドアに縋り付いた。
ドンドン! と拳でドアを叩きながら、私は叫んだ。
「開けて! ここを開けて!」
ややあってから、教会から聞いたことのない男の声が聞こえた。
「冗談言うな! 化け物共が入ってくる! 他を当たれ!」
「いいから開けなさい! 私たちは人間よ! 怪物じゃないわ!」
「――無理だ、中には女子供も避難してるんだ、すまない、開けることは出来ないんだ!」
お願い! と私は両手でドアを叩く。
強く握りしめた手の爪が割れる痛みも無視して、私は教会のドアに拳を叩きつけ続けた。
お願い、お願いだからここを開けて。
私たちを助けて、お願いだからここを開けて!
教会には神様がいるんでしょう、一度でいいから私の努力を認めてよ――!
「――君、今ドアを開ける! 中へ入って!」
その時だった。
中から、聞いたことのある声が聞こえた。
慌てて私がドアの前から飛び退いた瞬間、ガチャ、と鍵が開く音が聞こえ、その人物と真正面から目が合った。
「君は――?」
深い緑色の髪に、聖職者であることを示す純白の法衣。
圧倒的な知性が結晶したような、丸眼鏡の奥の翡翠の瞳。
大魔法師であることを示す金の耳飾り。
そして数々のプレイヤーを虜にした――低くて美しい声。
《琥珀のエルミタージュ》四人目の攻略キャラクター――。
ユージーン・クラウス神父が、私の目の前に現れたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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