門前にて
ロンドンを出て既に2時間ほどが経っただろうか。あたりには最早街の影はなく、地平線まで青々しい平原が広がっている。
最初に異世界へ来たときは街の中と外の景色の違いに面食らったものだが、今ではもう慣れた。
この世界には人間以外の様々な生物が存在している。エルフやオークなどファンタジーではおなじみ人間のように言葉を操る知的生命体から、果ては生き物をすべてくらい尽くさんとする邪悪なる魔獣まで。
そのような生き物たちから身を守るために人間やエルフたちは魔獣の出ない地域でひっそりと生活をしたり、ロンドンのように高い壁を張り巡らせ、魔法障壁で街を守っているのだ。
なぜ俺が今こんな話をするのかって? それは隣に座っている名探偵様の魔法雑学を聞くのが面倒だからだ。
「……であるから、風属性と火属性の魔法は相乗関係に置かれ……」
ロンドンを出てから、全く途切れることなくこの話は続いている。シャーリーは相手がどう思っているかなんて関係ない、自分の都合を全力で押し付けてくる。そういう奴だ。
俺がため息を吐いていると運転手が俺たちに声をかけてきた。
「もうそろそろつきますよ」
さすがのシャーリーも運転手の言葉に話をやめて「やっとか」と不満げな声を漏らした。俺の方こそコイツにそう言ってやりたい。
彼女はすぐさま馬車の窓ガラスを開けて前方の景色を見やる。
「おお、見たまえワトソン君! 思いのほか栄えていそうだよ」
シャーリーに言われて、俺も自身の座っている側の窓ガラスを開けてアスコットの街の方を見た。確かに、さすがにロンドン程とはいかないものの多くの建物が立ち並び、街の中央には大きな城も見える。
街の大きさは400ヘクタールほどであろうか。街の規模としては中程度の部類に入るだろう。
「しかし、どうしてレストレードさんは慰安の宿にこのアスコットのホテルを選んだんだろうな?」
俺がそう問いかけると、シャーリーは二本の指を立てて俺の目の前に突き出す。
「考えられる理由は2つ。まず第一にロンドンの高級ホテルを2人分用意するほどの金銭的余裕はレストレード君および王都警護隊にはない。国家の税金で賄われている組織だ、僕みたいな私立探偵にそんな金は払えないよ」
「なるほど。じゃあ2つ目は?」
「単純に彼が僕を嫌っているから」
ひょうひょうとした態度で彼女はそう口にした。
「まあ、割合でいったら前者が7割、後者が3割ってとこかな」
割合まで答えるとは。正確なところは正直言って分からないが、彼女の言葉とその表情から、その推理が正しいのだろうなと感じさせる何かがある。普段感じていることながらも、推理をする彼女の凛々しさを見て改めてそう感じた。
俺たちが話をしている間に馬車は既に街の正門前までたどり着いていた。門の両脇には槍を持った警備兵が並んでおり、運転手と俺たちの身分を確認するためにこちらへと歩いてくる。その時だった。
「GYAAAR!!」
地鳴りのするような鳴き声が俺たちの耳を貫く。シャーリーは耳を抑えながらもすぐに扉を開けて外に出ていた。俺も少し遅れて彼女の後を追い外に出て、鳴き声の聞こえた空を見上げる。
「ありゃ、なんだ?」
「見ればわかるだろう。ワイバーンさ」
赤いうろこに身を包み、大きな翼で風を切っている。まるでどこぞの飛竜のような姿だった。
「ルージュワイバーン。火属性の亜竜種だ。幸いそこまで大きい個体じゃない、まだ子供だ」
「幸い? 俺にはちっともそう見えないね!」
冷静なシャーリーに対して俺はかなりビビっている。異世界へ転生してきてからこれまでいくつかの危険な生物に出会ってきたが、さすがにドラゴンは初めてだ。いや正確にはワイバーンだがそんなことはどうでもいい。大事なのは今目の前にバカでかい竜がいるってことだ。ビビらない方が無理だろ。
「しかし、なんでこんな平原に。ドラゴンはもちろんワイバーンで平原に住む種などいないはずだが」
シャーリーがぶつぶつとつぶやいていると警備兵の一人が門の方からこちらに向かって手を振る姿が視界に映る。
「おーい! 早くこっちに来るんだ! 食われてしまうぞ!」
全くその通りです!
俺はそう思ってシャーリーの腕をガッとつかんで門の方へ連れて行こうとする。だが、彼女はそんな俺の手を振り払ってその場に静止し続けようとした。
「おい! 何やってんだ! 早くしないと死ぬぞ!?」
俺の言葉に彼女は全く動じない。どころか、ワイバーンの方をじっくりと眺めて笑ってすらいる。
「まあまあ、落ち着きたまえよ。そう恐れることはないさ。相手の観察をすれば、自ずと力量や対処法、自分が倒せるかどうかが分かる」
「はあ!? じゃあ、おまえはあれを倒せるってのか?」
「勿論」
そう言うと彼女はすたすたとワイバーンめがけて歩き始める。それに呼応するようにワイバーンも彼女めがけて上空から一直線に飛びかかってきた。
「だめだ! 殺される!」
そう叫んだ刹那、ワイバーンはシャーリーのいるところに突撃した。
舞い上がる砂煙。やつの鋭い鉤爪は間違いなく彼女を切り裂いたであろう。
嘘だろ、こんなあっけない別れ方あるかよ……。
「土魔法・土塊、それに光魔法・光描。この二つを組み合わせれば単なる土の柱を僕に見せることも可能だ」
「なんだ、シャーリーの声が聞こえる。くそっ、幻聴なんて聞こえるとは俺は思った以上にあいつのことが好きだったらしい」
「幻聴じゃない、天国になんて行ってないぞ、まあ君の上にはいるが」
その言葉で俺は上を見た。そこにはふわふわと浮かんでいるシャーリーの姿がある。
「おい、さっきの俺の悲しみを返せ」
「悲しみ? いやあ、笑わせてもらったよ?」
こいつ、あとで俺が殺してやる。
土埃が晴れ、またもワイバーンが姿を現した。俺がシャーリーだと思っていた泥の人形は粉々に砕かれ地面に散らばっている。
「さあ、空中遊戯と行こうか!」
そう言うとシャーリーは空に向かってさらに飛び上がる。ワイバーンもそれを追って大きな翼で羽ばたいた。
シャーリーは余裕そうだが、本当に大丈夫か? 確かにワイバーンの攻撃は結果的に当たらなかったが、それは初めからあれがシャーリーじゃなかったからだ。あの速度、いかに空を自在に飛べるシャーリーでも……。
俺がそう考えていると空から「ボウ」と火の吹くような音が聞こえた。そしてその音は“のような”、ではなくまさにワイバーンが火を噴く音だったのである。
「おい、火を吐いてんぞ! さすがにやばいだろ!」
大声で叫ぶと、シャーリーは笑顔で手を振り「大丈夫!」と言った。
「今君の考えていたことを当ててやろう! 僕じゃワイバーンの攻撃を避けられないと思っていたんだろう!?」
「その通りだ! エスパーかお前は!?」
「そういう時のためのいい対処法を教えてあげよう! 避けない、だ!」
彼女の言葉と同時に、ワイバーンは大きく口を開け、火を放ちながらシャーリーの方へと突撃を開始した。彼女はその攻撃に対し一切避けるそぶりを見せない。
そして結局そのまま彼女はワイバーンにかみつかれてしまった。
「氷魔法・覆氷」
そうつぶやいた彼女の体は既に氷で覆われていた。そしてその氷はかみついたワイバーンの口にも広がり始めている。
「ワイバーンはこう見えて顎の力が弱い。だから初撃は足の鉤爪で獲物を穿つ。そしてそれが効かなかった場合はそれぞれのワイバーンが持つブレスを使ってくるのさ」
氷から脱出したシャーリーは意気揚々と解説を始めた。
「こいつはルージュ。つまり炎のブレス。数ある属性の中でも指折りの厄介さではあるが、大きな弱点が存在する。それが体温の低下にめっぽう弱いことだ」
氷がワイバーンの体を3割ほど覆った頃だろうか。目に見えてワイバーンの羽ばたきの力が無くなってきていた。
「体内で炎を作り出すために常にルージュは高温を維持しなければならない。故に少しでも体温が低下するとこうやって体が動かなくなるのさ」
シャーリーがそう語り終わったころ、すでにワイバーンの体は半分以上が氷におおわれていた。そして、ついには羽ばたくことすらできなくなり、そのまま地面に墜落する。
砂埃が舞う中、熱魔法で氷を溶かし、衣服を濡らしたシャーリーがこちらに向かって歩いて来る。
「これで一丁あがり、というわけさ」
自信たっぷりの笑顔で俺の前に立つシャーリー。それを見ていた門番と馬車の運転手たちは彼女に惜しみない拍手と歓声を送っていた。
対する彼女は手を挙げてその賛辞に答えつつ地に伏したワイバーンの方へと近づいて行った。
「このワイバーン別に死んでいるわけじゃないからちゃんと拘束しておくんだよ!」
そう警備員たちに告げると、彼らは首をぶんぶんと縦に振り、門を開けっ放しのままどこかへと行ってしまった。おそらく、上司か誰かに判断を仰ぎに行ったのだろう。
そんな様子を眺めつつ俺もシャーリーの方へと近づき、動かなくなったワイバーンを見る。
「それにしてもやはり不思議だ。どうしてこんなところに……」
と、首筋を撫でていたシャーリーの手がピタッと止まる。そのまま彼女は、ワイバーンを覆う氷の奥に見えるかすれた魔法陣をじっと見つめていた。




