彼女の名は
本章は主人公が異世界へ転生してからしばらくたってからの事件を描いたものです。case0は『契約』が最後の話になりますが、それよりも先に事件が見たい人は先に読んでも大丈夫です!
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王暦1882年2月3日。相も変わらず魔法都市ロンドンは濃霧の景色である。しかしそれもまた風情があっていい。こんな日はコーヒーを飲みながら朝の執筆をするに限る。それこそ絶好の執筆日和と言っても過言ではないだろう。
俺がそんなことを思いながらコーヒーをすすっていると、隣の部屋からボン、という大きな爆発音が聞こえてくる。
まあ、隣の変人さえいなければの話だが。
「うひゃー、こりゃ参った! 粉塵爆発だ! ワトソン君、来たまえ。すごい光景が見られるよ!」
すごい光景など、お前と出会ってから飽きるほど見てきたさ、と口に出かかった言葉を何とかこらえて襟を正す。
深呼吸だ、深呼吸。怒ったって何の得もない。
二、三度息を整えてから、俺はゆっくりといすから立ち上がり、彼女の声のする部屋の扉を開ける。
「見たまえ! 粉塵爆発だよ! 小麦粉をパッと投げ放って火をつけたらドカンさ!」
小麦粉まみれの赤毛の少女が満面の笑みを浮かべながら俺の顔を見る。その表情には申し訳ないとか、後悔しているとか、そういった負の感情が一切ない。
「なんでそんなことをしてるんだ?」
純粋な疑問として俺が問いかけると彼女は笑顔から一変、真剣な表情をして答えた。
「粉塵爆発で人を殺せるかを確認していたんだ。小麦粉のような可燃性物質を自前で用意すれば、あとは魔法の火をちょいとつければ起爆可能。マッチ程度の火じゃ魔法痕もほとんど残らない」
指を鳴らしながら、得意げにそう言う彼女の目に光はない。俺はそんな彼女を見て、つくづくコイツがその知識を探偵として使っていることに安堵した。
「ったく、ハドソンさんに追い出されるぞ?」
「そうなったら、謝罪の手紙でも書くさ」
肩をすくめながらそう言う彼女の発言に俺はあることを思い出す。家の玄関口に1通の手紙が差し込まれていたのだ。
俺はすぐにポケットを探り、その手紙を彼女に差し出す。
「そういえば、玄関にこの手紙があったんだ、お前宛の」
俺がそう言って手紙を渡すと彼女はガバッと起き上がり、乱暴に俺の手から手紙を取った。封を破った彼女は手紙を見つめながら「ふむふむ……」とつぶやき、ぐるぐるとその場を歩き回っている。
「なんて書いてあったんだ?」
俺の問いかけに彼女は答えない。彼女は何かに集中しているときには決して周りの話を聞かないのである。
そう思ってあきらめた俺は、素直に彼女がその手紙を読み終えるのを待った。
「なるほどね」
「で、なんて書いてあった?」
「要約するとだね、前回の事件では誠に遺憾ながら僕の推理が役に立った。そこで褒美として高級ホテルの宿泊券をプレゼントしてやる。せいぜい休め。レストレード警部より、だね」
「レストレードさんは相変わらずお前が嫌いみたいだな」
少しからかうようにそう言うと彼女は鼻を鳴らしながらこう言った。
「まあ、王都警護隊の部隊長として僕のような探偵に大きい顔されるのが気に食わないんだろう? まあ、僕は彼のことなどこれっぽちも気にしていないが」
相変わらずの毒舌だ。もう少し愛嬌があれば人気になるだろうに。顔は美人だし。
そんなことを考えながら彼女の顔を見る。
「で、どうするんだ? それ?」
「せっかくだし使わせてもらうよ。ほら、どうやら君の分もあるみたいだしね」
そう言うと彼女はひらりと二枚の宿泊券を手紙から出した。宿泊券にはアスコットにある高級ホテル”スペルズカントリー”の文字が示されている。
「ちょうど依頼もなく暇だったところだし、早速行くとしようじゃないか」
「依頼がないのはいつもの事……」
と俺が言いかけると彼女は実験室の窓を大きく開け放ち、バッとそこから飛び出した。
「おい、ここアパートの三階だぞ!」
俺は慌ててその窓から身を乗り出す。恐る恐る下を覗き込むと、ふわりと宙に浮く彼女の姿があった。ただそれだけではない、緑色のエーテルが風のようにうねり、彼女の身を包んでいる。
風乗、風属性の初級魔法である。風を操り身体を宙に浮かせる魔法で、基本的には高い所へ移動する際の跳躍補助や今回のような高所からの落下の際の衝撃緩和が主な用途である。
が、彼女は違う。本の虫ならぬ魔法の虫たる彼女は1つ1つの魔法を可能な限り分析する。魔法を知れば知るほど魔法もそれに応えて強く作用する。
そうすることで今俺の前で繰り広げているような空中サーカスが可能になるというわけだ。
「相変わらずバケモンだな。どうやったらそんな自在に空を飛べんだ?」
俺の問いかけに彼女は呆れたような顔を浮かべる。これぐらい当然だ、逆になんでこんなことができないのかという声が聞こえてくるようだ。
そんな彼女の姿に少し苛立ちつつも、その優雅な姿からまるでおとぎの妖精を見ているような錯覚に陥る。いや、失礼、妖精というよりは悪魔だ。
くだらないことを考えて苦笑した後、俺はしっかりと玄関から階下へと下って行った。
一階に住むハドソン夫人に軽く会釈をして外に出ると、足を鳴らして俺を待っている彼女の姿があった。
「遅いよ、ワトソン君」
「お前が飛び降りるのが悪い」
いがみ合いながらも、俺たちは馬車の停留所へと向かった。
◇◇◇
今日もロンドンは活気に満ちている。街中には魔道具の販売店が立ち並び、公園では旅芸人が魔法を使って小さなサーカスを開いている。街道を行き交う人々は人間だけでなくエルフやドワーフ、それに獣人たちが入り乱れ、この世界が異世界であるという事をまざまざと認識させるようであった。
ロンドンの街並みを眺めているうちに俺たちは馬車の停留所に到着した。
アスコットはロンドンから30キロほど西に位置している。そのため俺は街外への馬車が並んでいる方へと歩を進め、掲げられている料金表を眺めた。
「うーん、どれも高いな……。最低でも10000シリングで別途、距離代って感じか」
「当たり前だろう? 街壁も魔法障壁もない外は危険な魔獣が多いんだ。防御魔法を施した馬車だって危険なんだから高くて当然さ」
彼女は深い溜息を吐いたのちにこう続けた。
「はーあ、ワトソン君が僕みたいにエアライドを使えればすぐに行けるのになあ」
こいつ、マジで腹立つ。何が腹立つって、嫌味っぽく言ってるんじゃなくて純粋に口からこぼれた本音として言ってんのが余計に……。
「あ、そういえば馬車代は君持ちだからね。僕は飛んでいけるのにわ・ざ・わ・ざ君に合わせてやるんだからさ」
彼女にそう言われた俺は仕方なくポケットに入っていた財布の中身を確認する。
20000シリングとちょっと、か……。いや、ギリいけるな。
俺はそう思って近くに止まっていた馬車の運転手に声をかけた。
「すいません、アスコットの方まで行きたいんですけど、大丈夫ですか?」
「ええ、もちろん。2名様ですね、どうぞこちらへ」
運転手がそう言うと馬車の扉が自動で開く。そして乗りやすいよう、金属製の階段がガシャガシャと音を立てながらくみ上げられていく。
すげえ、これも魔法か。ったく本当に魔法ってやつは便利だな。
俺が乗り込み、続いて彼女も俺の隣に座った。内装は整っており、ラグジュアリーな風情を出すために窓枠などには金メッキが施されている。
「ああ、すいません。一応誓約書にサインだけお願いします」
そう言うと運転手は運転席から2枚の誓約書を手渡してきた。
誓約書の内容は、運転手の過失による事故を除き、この馬車の運行中に起こった一切のけがや損害の責任を自身で負うというものである。
彼女の話から危険な道中であることは理解している。それゆえのこの誓約書なのだろう。
俺はすぐさま自身の名前を書き、運転手へと返す。そして彼女も俺と同様にして誓約書を手渡した。
「ありがとうございます。ジョン・ワトソン様と……、シャーリー? ああ、すいません、名前はフルネームでいただく決まりでして」
「ああ、そうなのかい? 悪いね、じゃあ君が書き直しといてくれ」
「え? まあいいですけれど、お名前は?」
運転手の問いかけに彼女は身を乗り出してこう答えた。
「シャーロック・ホームズ。いずれ歴史に名を残す、名探偵の名だ」




