逃亡不可能の空間
俺が悲鳴の聞こえた場所に到着したころには、既に人だかりができていた。人数は俺を含めて7人。1人は俺たちを案内してくれた受付の女性。1人は別館の正門にいた警備員のようだ。そして他4人は客だろう。
現場は俺たちの部屋006号室からから005号室を挟んだ004号室の部屋のリビングであった。
「ちょっと、すいません」
俺は玄館を通り、口を覆う野次馬たちを押しのける。警備員の男、優雅な服に身を包んだ婦人、このホテルに見合わない雑な服を着た青年、随分と動揺した様子の男、スーツに身を包んだ紳士。そして先頭に立っている受付の女性の横に立つと、そこには俺の想像していた通りのものがあった。
人間の遺体である。いや、まだ死んでいると決まったわけではないが、まず間違いなく死んでいるだろう。年齢は40から50代ほどだろうか、白髪が少々目立つ長身の男だった。
「まじかよ」と俺は遺体を見て呟いた。
いや、そんな事より……。
そう思い、俺はすぐさまその場にかがみこんで、被害者の脈を確認する。
まったく、元の世界で医大生やってた頃はこんな事に俺の知識や経験を使うなんて考えもしなかったな。
脈はない。やはりもうすでに死んでいる。大変整ったスーツを身に纏っているが、中に着た白いシャツは喉元の刺し傷から流れ出る血で赤く染まっている。
すごい傷だな、喉元を一突きか……。
また体の末端は少し冷たくなっているものの体全体にはまだ熱があり、死後硬直もほとんどない。恐らく死亡したのはこの10分の内のことだろうと俺は推測した。
それにしてもシャーリーの奴は一体何してるんだ? こんな事件が起こった時は真っ先に現場に飛んでくるっていうのに。
噂をすれば影。俺が簡易的な検死を終え、立ち上がったすぐ後に、シャーリーもようやく姿を現した。
「おい、一体何して……」
俺の言葉を遮って、彼女は検死の報告を求めてきた。
仕方なくこの男性が死んで間もないこと、また死因は喉の刺し傷であろうことな、ど検死で得た情報をシャーリーに伝える。それが終わったのち、改めて俺は彼女に一体何をしていたのかを尋ねた。
「別館の庭の外壁を見回っていたのさ」
「何?」
「よく考えるんだ、ここは四方を壁に囲まれ、出入り口は本館との渡り廊下につながる正門しかない。そこには常に警備員がいて、まあ今はここにいるようだがそれは置いておいて、誰にも見られずに門を通るのは魔法を使わない限りは不可能だ」
一呼吸おいて、なおもシャーリーは話を続ける。
「壁も同じ、僕が見たところはしごなど、壁を上り下りするような道具は見当たらない。そして極めつけにこれで見ても魔法痕は見当たらなかった」
そう言うとシャーリーは俺にあるものを投げて渡してきた。丸形の凸レンズに黒い縁があり、その縁は手で持ちやすいように細長く持ち手が伸びている。一見、虫眼鏡のようであるが、そうではない。これはエーテルグラスだ。
エーテルグラスとは、魔法が使用された痕跡を調べる道具である。詳しく原理を説明するのは面倒なので、簡単に言うとこれを通して魔法が使われた空間を覗き込むと魔法を使った跡のようなものを確認することができるのだ。
彼女の言う通り、俺もエーテルグラスで周囲を確認するが、確かに魔法痕は見当たらない。だが、大事なのはシャーリーがこの事実から何を推察したかということだ。
「で、これで何が言いたいんだ?」
「分からないのかい? 僕が真っ先に被害者のもとに行かずに周囲を確認したのは、この別館が外と半隔絶的な空間となっているからだ。死因が刃物による刺殺ならなおさら別館の壁の外から実行したとは考えにくい」
彼女の言葉に俺は推理小説でよく聞くあのセリフが頭に浮かんだ。
「ま、まさか……」
「ああ、犯人はこの中にいる!」
シャーリーの宣言に、周りにいた人々は一斉に驚きの声を上げた。だが、ざわめく聴衆など気にも留めないように彼女は話をつづける。
「よって、君たち、決してここを出ることは許されない。受付くん、名前は?」
「え? あ、ああベルン・ルイーズですが……」
「よしルイーズ君、本館のフロントに連絡して警備員をよこさせるんだ。容疑者たちが決して逃げられないように!」
「は、はい!」
大きな声で返事をした彼女はすぐさま部屋を出て本館の方へと走っていった。
シャーリーは満足そうであるが、俺は彼女の行動に疑問を覚える。彼女は犯人はこの中にいる、と言ったのだ。ならばあのルイーズもその容疑者のうちの一人ではないのだろうか。
そう考えて俺はシャーリーに彼女を行かせてよかったのか、と問いかけた。するとシャーリーは不敵な笑みを浮かべて笑った。
「僕が容疑者を行かせると思うかい? 彼女はもうすでに僕の容疑者リストから外れているのだよ」
「何?」
「まず先ほどの悲鳴、間違いなくルイーズ君のものだ。悲鳴は女性の声だったがここには僕と彼女、それにそこにいるご婦人しかいない。僕が違うとなるとルイーズ君かご婦人のどちらかという事にあるが、ルイーズ君は遺体から一番近い所に立っていた。体勢を崩し、口を押えて震えていたことからもかなり動揺していたのだろう」
シャーリーはその後、言及した婦人に「でしょ?」と問いかけ、彼女も「ええ」とだけ言って自分が悲鳴を上げたのではないことを認めた。
「容疑者が限られるこの状況で第一発見者になるのはかなりリスキーだ。真っ先に疑われることになるからね。何より傷の位置だ。彼女の身長は被害者の腰辺り。喉に刃を突き立てることは可能かもしれないが、このように深く差し込むのは難しい。魔法を使えば可能だがここに魔法痕はないしね。よって彼女は犯人ではない」
シャーリーがそう言い終わると、周りの人々は感嘆の声を漏らした。しかしそんな中で1人の男が彼女に対して言葉を投げかけた。
「いや、ちょっと待てよ。あんたいきなり出てきて探偵気取ってるが一体何者だ? あんたが犯人の可能性もあるのにそんな奴の話なんか聞いてられるかよ」
「君の言う通り、探偵だよ。ロンドンから来た名探偵、シャーロック・ホームズさ」
シャーリーの答えにその男は尚も彼女に疑いの目を向ける。そして男は彼女のことを睨みつけながら探偵であることを証明して見せろ、と無茶な要求をしてきたのだ。
いや、無茶というのは間違いか。まあ少なくとも普通の探偵なら無茶な話だろう。だが彼女は名探偵である。
俺がそんなことを考えていると、シャーリーは突っかかってきた男の周りをぐるぐると回る。
「なんだ、お前……」
「小風」
シャーリーがそう唱えると、男が腰に付けていた小刀がふわりと浮き上がり、彼女の手のひらに収まる。男は「おい!」と言ってその刀を奪い取ろうとするがシャーリーは片手で男をいなしてその刀の鞘を抜く。
「ふーんセディック・ローゼンか。君、ギルドの冒険者だろ?」
自信たっぷりの様子でそう言い放つシャーリーに対して男はたじろいだ様子である。
「一体なぜ……」
「簡単なことさ。君がその首にぶら下げているプレート、冒険者ギルドの階級識別用のプレートだ。君はどうやらシルバープレートのようだね」
確かにローゼンの首からは銀色に輝くプレートがぶら下げられていた。
ローゼンは既に彼女を認めるようなそぶりを見せているがシャーリーはこれだけで止まるような奴ではない。自分のプライドが少しでも傷つけられたのならば全力でその対象を叩き潰す。そんな子供じみた負けず嫌いなのだ。
「主な戦闘方法は徒手格闘かな? その手の傷、剣や斧みたいな武器を使っていたらそんな裂傷はできないだろう」
「あ、ああ……。分かった、もう」
「いいやまだある。君がここに来た理由も当ててやろうか。君が私に突っかかってきた以前から君の顔には少し不満の毛色があった。それはワトソン君と君がフロントでぶつかった時からだ」
シャーリーの言葉で俺はようやく思い出す。このローゼンという男、俺がホテルに入ってきた時にぶつかった男だったのだ。
今の今まで気づかなかった自分の間抜け具合に俺は少々恥ずかしさを覚えつつも当事者ではなかった彼女がローゼンのことを覚えていたという観察眼の鋭さへの感嘆が勝っていた。
「あの時君はフロントの受付にこのホテルの招待券を見せていたね。君の性格からして自分で買ったものではない、貰い物だ。だがこんな高級ホテルの招待券を誰からもらう?」
「ギルドの依頼主か」
俺が不意にそう口にするとシャーリーは指を鳴らした。
「その通りだよワトソン君。だがただの報酬ではない。恐らくもともとは別のものだったんだ。金銭か、いや武器かな。素手での戦闘が主である君が使わないにもかかわらずこれだけ凝った短刀を持っているのは武器の収集が趣味だからだろう。そのためにある依頼を受け、希少な武器を報酬としていただくつもりだった。だが依頼主が突然、報酬の変更を申し出、結果不本意にもこんなホテルに泊まることになった、と言ったところだろうか」
シャーリーの推理にローゼンは「その通りだ」と驚きを通り越して恐怖したように言った。それと同時にルイーズが警備員たちを連れて戻ってくる。
「グッドタイミングだ。ルイーズ君、彼らを僕たちの部屋に連れて行ってくれ」




