第6話:極限空手 最強の襲来①
翌朝。私立誠修館高校の正門前は、朝から異様な熱気に包まれていた。
新入生勧誘の時期とはいえ、その熱源の中心は、明らかに登校してきた一人の生徒――如月志馬に向けられていた。
「おい、来たぞ! 如月志馬だ!」
志馬が校門をくぐった瞬間、待ち構えていた運動部の主将たちが一斉に地面を蹴って押し寄せた。柔道部、ボクシング部、そして空手部。
彼らは、志馬が空手部の3年生を物理的に粉砕(これをやったのは輝澄だが)し、あの「壊し屋」早乙女零緒をも後退させたという噂を聞きつけ、自部の全国大会への看板として、あるいは打倒すべき標的として、志馬の肉体を求めていた。
「如月! 柔道部ならお前のその天性の腰の強さを活かせるぞ!」
「寝言を言うな。あの一撃の軌道はボクシングでこそ君の実力を活かせる!」
「……やめてくれ。俺は、部活なんてハナから興味ないんだ」
志馬は痛む右手をブレザーのポケットの奥深くにかくし、冷や汗を流しながら後退りした。ヒビの入った骨。
もしここで熱血な主将たちに無理やり腕でも掴まれれば、その場で激痛のあまり悲鳴を上げて醜態を晒してしまう。
その時、騒がしい人だかりを割るようにして、一人の男が静かに歩み寄ってきた。早乙女零緒だ。
彼もまた、その圧倒的な強さ故に上級生たちの熱心な勧誘に付きまとわれていた。しかし、零緒は自身を取り囲むむさくるしい先輩たちを一瞥し、冷酷に言い放った。
「五月蝿い……俺より強い奴がいる部活なら、入ってやってもいいがな」
その傲慢極まる一言で、現場の空気が一瞬で凍りついた。「壊し屋」として恐れられる零緒を現役の主将が屈服させれば、その部活の名声は不動のものになる。色めき立つ各部の代表者たち。
だが、そのギラついた流れの中で、矛先は自然と「その零緒を退けたとされる」志馬へと向く。
「……なるほど、なら、格技連合の『助っ人戦』で白黒つけようじゃないか」
人だかりを割って入ってきたのは、空手部の主将だった。だが、彼の後ろには、高校生の次元を完全に超越した、圧倒的な漆黒の威圧感を放つ小柄な男が立っていた。
「……紹介しよう。我が空手部が特別コーチとして招聘した、極限空手全日本王者――川住尊氏だ」
その名が響いた瞬間、周囲の喧騒が嘘のようにサーッと引いていった。
そこに立っていたのは、小柄ながらも、太古の岩山を思わせる不動の風格を纏った男。
近々開催される全世界選手権の優勝候補筆頭と目され、実戦性を極めた「極限空手」において、現役最強と謳われる本物の怪物だ。
川住の構えは、いわゆる顔面殴打なしの一般的なフルコンタクト空手のそれとは一線を画していた。
顔面への突きや金的、肘打ちなどのあらゆる裏実戦の攻撃を想定し、無駄な力を1ミリも入れずに正中線をわずかに隠す、完全に合理化された「静」の立ち姿。
それでいて、いつでもムエタイのような破壊的な膝蹴りや肘打ちへと移行できるのではないかという、極めて攻撃的な「動」への切り替えが、その足捌きから容易に見て取れた。
「如月くん、と言ったか……君の突き、一度受けてみたいものだね」
川住の静かな、しかしすべてを見透かすような深淵の瞳が、志馬が隠している「右手の負傷」をピンポイントで正確に射抜いた。
……
流石に校庭で一般生徒の前で殴り合うわけにもいかず、一行は場所を、あの明治期から続く木造の『旧武道棟』の板の間へと移した。志馬は、全日本王者である川住尊と1対1で向かい合うことになった。
志馬自身も全く意識できていないが、ここで尻尾を振って逃げ出すことができないあたり、彼の中にも天魔理心流の闘士としての誇りと、呪われた血脈が脈々と受け継がれている証拠であったかもしれない。
ギャラリーには、息を呑んで見守る各部の主将たち、そして壁際で微動だにせず腕を組み、冷徹に事の推移を見守る早乙女零緒の姿がある。
「……っ」
志馬は右拳の激痛を必死に顔に出さぬよう堪え、左手を大きく前に出す構えを取らざるを得なかった。
対する川住は、呼吸をしているのかさえ怪しいほど微動だにしない。
ただ、彼の肉体から放たれる圧倒的な「本物の武」の圧力が、志馬の生存本能を激しく揺さぶり、冷や汗を止めさせない。
「こい」
川住の、短い促し。志馬は腹をくくり、左の牽制の前蹴りを放った。
だが、川住は半歩の最小限の転換でそれを捌くと、志馬の軸足の太腿へ、金属バットをフルスイングしたかのような、素早く重い下段回し蹴り(ローキック)を叩き込んだ。
バシィィィン!!
「が……っ!」
肉の密度が違う。太ももに激痛が走り、志馬の膝がガクリと折れかける。
(なんだこの重さは……。昨日までの不良先輩たちとは、違いすぎる……!)
「悪くないスピードの蹴りだ……だが、君の本質はそこではないだろう」
川住がさらに一歩、音もなく間合いを詰める。
それは志馬にとって、巨大な高層ビルが自分の方へ倒れかかってくるような、圧倒的な絶望感だった。
川住の下突き(ボディーブロー)が志馬の腹筋を襲う。そもそもこの時の志馬は体を鍛えているわけでもない。肉体だけを見ればただの平均的な男子と大差なかった。
猛烈な痛みと呼吸困難とで、ガードが下がったところに、川住の左の上段回し蹴りが綺麗な軌道を描いて志馬の後頭部に襲い掛かった。辛うじて腕を上げてその蹴りを受けると、志馬の右手に入ったヒビに衝撃が走る。
志馬はガードごと大きく吹き飛ばれ、転がりながら、何とか起き上がった。
顔面への突きが禁止の極限空手では、下突き(ボディ)と下段、中段への回し蹴りで仕留められば良し。そうでなくとも、それで相手の足を止め、ガードを下げ、上段への蹴りで仕留めるというやり方が一般的だ。
いま志馬はまさしく、その術中に嵌まっていた。
このままでは一方的にやられる。完全に追い詰められた志馬は、脳の奥底が熱くなるのを感じながら、反射的に、負傷している右拳をふたたびあの「螺旋」の軌道へと絞り込もうとした。




