第54話:荒波と龍鷹の因縁
「みんなも薄々気づいているかもしれないけど、この誠修館学園には、かなりの武道・武術の達人が集まっている。しかもルールに守られた競技格闘技ではなく、実戦向きの能力の高い者が……ね」
千鶴の言葉に、道場がシンと静まり返る。
「如月君たち4期生は中でも豊作と言えるわ。私の世代の3期生は自分で言うのも気が引けるけど、私が突出していた。しかし、2期生には目立った達人はいなかった……そう思ったんじゃない?」
言われてみれば、確かにそうだった。
志馬たちが1年生の時の3年生が2期生となるが、校内で目立った強さを持つ3年生の噂など一度も聞いたことがなかった。
逆に5期生には真一と留学生のルーカスが、6期生には目の前のレンがいる。
2期生だけ、一人も達人がいないというのは明らかな違和感があった。
「実は……いたのよ。私以上に、圧倒的に突出した規格外の存在が……。荒波冴門……彼はあまりに素行が悪く、ある事件を起こして退学となったけどね」
「へえー、そんなヤバい奴がいたのか。それで、そいつはどんな格闘スタイルだったんだ?」
真一が顎をさすり、不敵に興味をそそられたように目を細めた。
「よく分からないのよ。軍隊式の冷徹な技術で、躊躇なく目や金的などの急所攻撃をするヤバいやつ……という話は聞いたことはあるけどね」
続けて、千鶴が重い口調で口にしたのは、街に流れ込む不穏な噂だった。
かつて誠修館から追放されたその荒波冴門が、現在、関東一円を支配する巨大な暴走族組織『関東灼嵐連合』と手を組み、不穏な動きを見せているというのだ。
「特に、如月君……あなたは人一倍、注意したほうがいいわ」
千鶴の真っ直すぎな視線に、志馬が垂れ目を少しだけ険しくして眉をひそめる。
「以前、生徒会室で天魔理心流の力はあまり使わないほうがいいと言ったわね……。あの時にはあえて話題にしなかったけれど……」
千鶴は一度言葉を区切り、息を吸い込んだ。
「素行があまりにひどく暴れていた荒波を、当時の1期生の筆頭が粛清をしたの。1期生にはかなりの武術の達人たちがいたけれど、その中でも筆頭を務めた彼の実力は凄かった。その、筆頭の名は……」
「如月龍鷹、か……」
志馬が、何年も呼んでいなかった兄の名を低く口に出した。
兄がかつて誠修館学園に通っていたのは知っていた。
しかし、自分の胸の奥に眠るあの6年前のトラウマもあり、それを人前で口にしたことは一度もなかった。
「……荒波って奴、兄貴を死ぬほど恨んでるんですね。兄貴って……千鶴さんから見て、どんな感じの人だったんですか?」
千鶴は遠い目をして、数年前の息詰まるような記憶の糸を辿った。
「そうね……。如月先輩は、普段はとても優しくて、私たち後輩にとっては非の打ち所がない理想的な先輩だったわ」
一度言葉を切ると、彼女の綺麗な瞳に、当時の戦慄が微かに宿った。
「でも同時に……闘う姿は、言葉を失うほどの修羅のような恐ろしさがあった。荒波が粛清されたあの時、私は偶然その現場を見たの。龍鷹先輩が見せた『天魔』の身体能力解放は、今の如月君とは別次元の、完成されたものだった」
千鶴は胸元を小さく押さえる。
「そして、その直後、彼は謎の失踪を遂げた……。あの脳内麻薬による身体への過負荷は、あまり無暗に使うものじゃない……そう強く感じたから、2年前のあの校舎裏で、如月君に冷たく警告をしたのよ。悪く思わないでね」
龍鷹の失踪の真の原因は、おそらく荒波とも、脳内麻薬による過負荷とも関係がない。
志馬自身のあの幼き日の暴走の件が、たまたま時期的に被ったからだろう。
それはここにいる誰にも、輝澄以外に言うつもりはなかったし、輝澄もその意図を汲んで黙って深く頷いてくれた。
「……修羅、か」
志馬は左手で右手首を掴むいつもの癖を出しながら、自らの拳をギュッと握りしめた。
「荒波は、その如月先輩の強烈な牙を直接身体に浴びた男。復讐心だけで今まで生きてきたような剥き出しの人よ。当時の私ですら、正直に言って正面からは闘いたくなかった相手……。如月君、そして大川さんも。十分に気を付けてね」
千鶴の残した冷徹な警告は、それまでの平和だった学園生活の足元に、パリリと冷たい亀裂を入れた。
その静寂を破るように、道場の入り口に一人の男が影を落として立っていた。
柳生心眼流、早乙女零緒。
これまで志馬とは、時に競い合い、時に廃工場で共闘し、ある種の友情に近い「馴れ合い」を許してきた最大のライバルだ。
だが、今日の彼の鋭い身体から放たれる空気は、これまでのそれとは一線を画すほどに冷たく尖っていた。
「如月……少し、外へ出ろ」
その低く容赦のない冷徹な声に、志馬は本能的に何かを感じとったのか、無言で応じ、道着のまま零緒の後を着いていった。
辿り着いた場所は、夕暮れ時の長い影が伸びる、志馬と零緒が初めて出会い、 そして初めて拳を交えたあの校舎裏だった。
オレンジ色の夕闇が迫る中、零緒は志馬と対峙すると、静かに言い放った。
「ここで、お前に敗れたあの日から。俺はお前を、天魔理心流を、絶対に超えるというただ一つの目標を掲げ、血を吐くような修行に明け暮れた」
零緒は、一切の虚飾を排し、身を低く沈めて両手で数字の8の字を描くように無限の軌跡を描く、柳生心眼流特有の『天地陰陽の構え』を深く取った。




