第52話:輝澄さん親衛隊 結成
誠修館の昼休み。学食の喧騒から切り離されたかのような一角で、二つの険しい視線がバチバチと火花を散らしていた。
テーブルの中央には、購買で最後に残っていた焼きそばパンが一つ。油を吸った紙袋の端からソースの香りが立ちのぼり、それだけで周囲の空気が妙に張り詰める。
「真一先輩。これは私が先に確保しました。か弱い1年生からそれを奪い取ろうだなんて、輝澄先輩に恥ずかしくないんですか?」
レンは焼きそばパンを左手に抱え、左足を引いて右半身を前に出す一字構えで、真一を迎え撃つつもりだ。肩の線は細く、しかし前に置かれた右足の爪先だけが、獲物を守る番犬のように真一へ向いている。
「笑わせるな。最後の焼きそばパンは、強い者が手にするというのは、学食に伝わる太古からの習わしだ」
真一はよく分からない論理を展開しつつ、半歩下がり、骨法特有の右半身に構えた。右肩を極端に前へ出し、左肩を奥へ隠すその姿勢は、身体の幅を薄く見せ、防御力を高める。
だが同時に、そこから繰り出せる攻めは限られ、見慣れた者には軌道を読まれやすい。
真一が間合いを詰めようとするたび、レンの右足がピクリと反応した。膝がわずかに浮き、爪先が真一を迎撃する角度に変わる。
この一拳一足の間合いの内に少しでも踏み入れば即座に蹴られる。そう分かるからこそ、真一はなかなか距離を詰められない。
(……なるほど。蹴る気なら、蹴らせてやるよ)
真一はあえて一歩、レンの蹴りの届くところへ踏み込んだ。瞬間、レンの右足が弾ける。膝を起点とした鋭い前蹴りが真一の腹部を狙う。
だが、真一はそれを待っていた。右手を落とすように差し出し、蹴りの線を外へ受け流す。同時に腰を沈め、左掌をレンの顎へと真っ直ぐ突き出した。
「甘いです!」
レンは上受けで下から跳ね上げるように掌打の線を逸らした。
小柄な身体がわずかに反り、真一の左掌は空を切る。だがその一瞬、レンの意識は完全に掌打へ持っていかれていた。
真一の右手が、風のように伸びる。さっき蹴りを受け流したはずのその手が、戻り際に紙袋の端をつまみ、レンの腕の中から焼きそばパンだけを抜き取っていた。
「あっ!」
レンが声を上げた時には、真一はもう二歩分、間合いの外へ退いていた。右手には、無事に奪還した焼きそばパン。左掌をひらひらと振るその顔には、わずかな勝ち誇りが浮かんでいる。
「……まだまだだな、平坂。お前が俺に輝澄さんの魅力を語るなど、100年早いわ!」
真一は、早速勝ち取った焼きそばパンを一かじりして、さらに言葉を続けた。
「輝澄さんの本質は、あの真っ白な道着姿から溢れる『神聖不可侵な静謐さ』にあるんだ。お前のような女子にベタベタ触られるような、安っぽいアイドルじゃないんだよ!」
「ええっ!? 何言ってるんですか真一先輩!」
レンが負けじと、小さな身体をテーブルへ乗り出した。
その勢いで胸元のブラウスがパツパツに張り詰め、ボタンが今にも抗議の声を上げそうになる。
「輝澄先輩は、誰にでも優しく接する太陽のような人ですよ。そして、いざ戦う時の、瞬間的に距離を詰めて攻撃を決めるキレのよさ。そのギャップがいいんです! 私は先輩の妹分として、その全てを一番近くで守るって決めてるんです!」
「妹分だと? 笑わせるな。俺は輝澄さんの写真を……いや、精神的な守護者として一年以上前から彼女を崇拝しているんだ。後から来た小娘に、隣の席は譲らん!」
隣でズルズルと醤油ラーメンを啜っていた神代和雄が、呆れたように口を挟む。
「……お前ら、方向性は違えど『輝澄さんLOVE』なのは一緒だろ。仲良くしろよ」
「「一緒にするな!」」
見事にハモった二人が互いに顔を見合わせ、フンと同時に鼻を鳴らす。
だが、その直後、二人の表情からコメディの色がサッと消え、重く鋭い武道家のものへと変わった。
「……だが、平坂。お前も感じているんだろ。あの如月志馬という男の不気味さを」
真一の低い言葉に、レンの肩がピクリと揺れる。
真一は志馬の実力をある程度は認めている。
あの薄暗い廃工場で見せた、人間の限界を超えた圧倒的な力と狂気、そして底知れない成長。
さらに最近、二人の距離感がますます近くなってきているのも肌で感じていた。
だが、彼は決して諦めてはいない。
輝澄を想うがゆえに今は一歩引いているが、隙あらば志馬を叩きのめし、その隣を奪い返そうと、骨法を修練しながら、虎視眈々と狙っているのだ。
「はい。志馬先輩が、輝澄先輩を大切に思っているのはわかります……。でも……」
レンは、正林寺拳法の過酷な鍛錬で引き締まった自らの拳をギュッと握りしめた。
「志馬先輩の奥底に眠っている、あの『禍々しい何か』……。あれに、輝澄先輩という眩しい太陽が汚されてしまうんじゃないかって……本能的に危惧しちゃうんです。二人の仲が良くなるのを見ていると、胸の奥がザワザワして……」
正林寺拳法という、力と愛を調和させる「力愛不二」の技術を学ぶレンにとって、志馬から微かに漏れ出す「天魔」の血塗られた殺気は、生理的な恐怖の対象でもあった。
「ふん、同感だ。如月志馬は、光の中にいるべき人間じゃない。いつかアイツが輝澄さんを傷つけるようなことがあれば、俺がこの手で引導を渡してやる」
志馬への激しい対抗心に燃える真一と、輝澄を暗い闇から遠ざけたいと願うレン。動機も言葉もまるで違う二人だったが、同じ相手を警戒しているという一点だけは、不思議なほど噛み合っていた。
「輝澄を守る」という想いは志馬も同様だが、この二人はどこか志馬の根底にある「魔」に関して、共通した強い拒絶感をもっていた。
「いいだろう、平坂。たしかにお前は見所がある。今日からお前を『輝澄さん・親衛隊』の暫定メンバーとして認めてやる」
「ありがとうございます、真一リーダー! 私たちの手で、先輩を悪い影から守り抜きましょう!」
二人はガッシリと固い握手を交わしたが、その目は志馬という巨大な壁を射抜くかのように、冷たく冴え渡っていた。




