第44話:トリオの友情とGカップの合掌礼
「そこまでよ! 二人とも、進級早々、神聖な学校の廊下で一体何やってるの!」
凛としてフロア全体に響き渡った大川輝澄の声は、まるで暴走する二頭の猛犬の首輪を、背後から力ずくで同時に引き絞ったかのような絶対的な制圧力を伴っていた。
「き、輝澄さん……! これは、その……格闘の訓練というか……」
それまでウルフカットを逆立てて殺気を放っていた真一が、大好きな彼女の前に引きずり出された瞬間、まるで借りてきた猫か主人に叱られた子犬のような情けない顔になって瞬時に口ごもる。
「べ、別に喧嘩とかじゃないです。な?ルーカス!」
「オー……シンイチ。これはその……ジャパニーズ・ハイスクールにおける、熱い『友情のスキンシップ』を確認しあっていたのですよ。ねえ?」
「そうそう! 友情! いわゆる男子高校生特有の『じゃれ合い』ってやつですよ、輝澄さん!」
必死に顔を真っ赤にしておバカな言い訳を並べ立てる真一とルーカス。
それらを腰に手を当てて見つめる輝澄は、お気に入りの緋色のリボンを小さく揺らし、一瞬だけ呆れたように深い溜息をついた。
「……ふーん。それならまあ、いいけど。何度も言うけど、学校の敷地内で暗器を抜くのは絶対に禁止。わかった?」
「「……はい、すいませんでした……」」
あの夜の廃工場の修羅場を自らの三日月蹴りで生き抜いた輝澄の放つオーラには、荒事を正面から一瞬で完全に端圧させる、真の「強者としての余裕」が確かに備わっていた。
そんな彼らの奇妙な緊張感の漂う廊下に、もう一つの、小さくも決して無視できない強烈な「肉体的存在感」が、合気道のステップのように音もなく飛び込んできた。
「さっすが、私の大好きな大川輝澄先輩! 荒れ狂う男子二人の暴力を一瞬で制圧するその御姿はまさしく慈愛の極致。……これぞ正に『力愛不二』の体現ですね!」
少し高い位置で元気よく結ばれたサイドポニーを揺らしながら、満面の笑みでそう叫んだのは、この春、誠修館高校へと新しく入学してきた1年生の少女――平坂恋だった。
彼女が口にした『力愛不二』という言葉は、彼女が修める正林寺拳法における、最も重要な教えの根幹をなす術理である。
「力のない愛は無力であり、愛のない力は暴力である」。
つまりは力と愛とは二つの別々の物ではなく、二つが揃ってこそ一つの価値のあるものであるという思想である。
レンが輝澄に対して狂信的なまでの憧れを抱いて後ろをくっついているのは、その強さの根底に、慈愛の精神をハッキリと感じ取ったからに他ならなかった。
「貴方は……新入生の子?」
輝澄が不思議そうに大きな瞳を向ける。
そこには、152cmという極めて小柄な体躯の少女が、一点の曇りもないクリスタルのような純粋な笑顔で直立不動で立っていた。
「はい! 一年生の平坂恋です!」
トン、と両足を隙なく揃える「結手」の姿勢から、自らの両の掌を顔の前で美しく正確に合わせ、しかし相手から1ミリも視線を逸らさず、顎を引いて隙を一切見せない完璧な角度の「合掌礼」をその場に美しく決めてみせた。
この正林寺拳法における「頭を絶対に下げない挨拶」は、この拳法がルールのある競技ではなく、常に最悪の襲撃を想定した「護身の技術」であることを象徴する伝統の所作だ。
一般的な社会のお辞儀は頭を深く下げて視線を外すが、これは一寸先が死線となる実戦武術においては、顔面や後頭部を攻撃してくださいと言っているような致命的な隙を晒す自殺行為となる。
正林寺拳法の合掌礼は、敵の目を正視し、常に相手の四肢の起こりを察知できる状態で挨拶を行う。
また、顔の前で完璧に合わされた両掌のポジションは、そのまま敵の不意の攻撃に対する防御や、こちらからの最短距離の突きへと一瞬で移行できる予備動作となっており、文字通り「挨拶をしたその瞬間に不意打ちの攻撃を受けても100%対応できる」攻防一体の恐るべき護身の構えそのものなのである。
だが。
その、武術家としてあまりにも姿勢が良すぎたことが、思春期の男子生徒の前では最大の仇となった。
152cmという小さな身体を反らすようにして美しく凛と胸を張ってしまったため、彼女が生まれ持ってしまったトップ89という、Gカップの「圧倒的な山脈」が、白い制服ブラウスの布地を内側から限界まで押し上げ、ボタンがパチンとはち切れんばかりの凄絶な破壊力をもって前方に主張した。
背後の至近距離でそれを見ていた和雄の目が、文字通り皿のように真ん丸になり、全神経がそのブラウスの一点へと磁石のように釘付けになった。
「大川輝澄先輩……、私はどうしても、憧れの先輩の空手と、さっそく手合わせしてみたいんですが……。今日の放課後、お時間は空いてますでしょうか?」
「え、あ、うん、自主練の予定だから全然いいけど……」
「ありがとうございます! レン、本当に今からすっごく楽しみにしてます!」
恋は子犬のように嬉そうに輝澄の引き締まった腕を両手でしっかりと抱き取ると、そのまま二人でサイドポニーと緋色のリボンを揺らしながら、廊下の向こうの武道棟へと消えていった。
残されたのは、激しい嵐が去った後のような2年生の静寂と、完全に放心状態の男子三人組の残響だけだった。
「……真一。大きいって……正義だよな……」
和雄が、魂をすべてGカップに吸い取られたかのような、それでいて興奮を隠せない男の本音の声でポツリと呟く。
「その通りだカズオ。大きいこそジャスティス」
金髪の留学生ルーカスも、先ほどまで真一と裏投げを打ち合っていた猛烈な闘志をどこへやら、男の性として深々と頷いた。
「はあ!? お前ら脳みそに何が詰まってんだ! デカけりゃいいってもんじゃねえだろ! 我らが輝澄さんはな、全体の骨格のバランスが完璧に整った、世界で最高にベストな美しさをもったDカップバストなんだよ! ……って、俺もまだ一回も生で見たことないけどさ……。っていうかルーカス、お前まさか、今の言葉は遠回しに輝澄さんのボリュームに喧嘩を売ってんのか!?」
「No, No、シンイチ! それは格闘家としての完全なる誤解ねー。ミーの本当の好みのタイプは、自分よりも肉体的な身長の大きな女性だよ。あの新入生のコは……確かにベリー・キュートだが、ミーの恋愛レーダーからは完全に対象外だよ」
ルーカスの身長は、1997年当時の日本の高校生としては規格外の188cmもある。
(……そんな自分よりデカい190センチ近い女、この六王子の学校のどこに存在すんだよ?)
真一は内心でその規格外のスケールに毒づきながらも、大好きな輝澄が狙われる心配が消えたことに、どこかホッとした安堵の表情を浮かべていた。
和雄はブラウスを突き破る「巨乳」。
ルーカスは「自分より高い身長の女性」。
そして真一は、どこまでも「大川輝澄一択」。
男子高校生3人が、それぞれの譲れない「己の美学」を完全に確認し合ったその瞬間、それまで廊下で火花を散らしていた武術家としての激しい敵対心は、男子特有のバカバカしくも強固な「2年生トリオ」の友情の絆へと、一瞬にして綺麗に塗り替えられていった。




