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第41話:再襲来・心の一方

富田英次が完全に沈み、各運動部主将たちの怒涛の反撃によって武闘派組織「血染めの拳(ブラッディーフィスト)」が完全撃破された、まさにその時だった。


廃工場の空気が、ピキィンと凍りついた。

物理的な重圧が、場の全員の肺を一瞬で締め付ける。


「まったく情けないのぉ……。これだけの圧倒的な戦術手段を用い、非合法の武器を揃えておきながら、高校生の相手に一人残らず負けるとは……。本当に、ワシの血を引いておるのか?」


工場の2階へと続く、錆びついた鉄製のキャットウォークの暗闇。


その薄暗がりの影の中にぽつりと浮かび上がったのは、不気味な細いステッキを木床につき、底知れぬ憎悪を宿した濁った眼光を放つ老人――。


かつて金山道場を蹂躙した、念流裏座の当主にして、富田英次の実の祖父――富田英吉とみた えいきちだった。


「仕方ないのー。こんな雑魚でも、ワシにとっては可愛い孫の一人じゃ……少しだけ手助けをしてやるか……」


英吉が、口の中で呪文のような不気味な呟きを漏らすとともに、その華奢な老体から、凄まじいドス黒い殺気の残響を道場全体に一気に解放した。


――二階堂平法に伝わる禁忌の秘技――『しん一方いっぽう』――。


それは、強烈な自己の精神の変調から放たれる催眠暗示と殺気の波動によって、対峙した相手の中枢神経を瞬時に強制麻痺させ、金縛り状態に陥れる恐るべき裏社会の暗殺技術である。


「……っ!? 体が、動かない……!」


志馬、零緒、そして3年生の千鶴先輩までもが、まるで全身を鉄の太い鎖で完全に縛り付けられたかのように、指先一つすら自由に動かすことができなくなる。


(この、全身の細胞がすくみ上がるような最悪の感覚……あの、金山道場の夜の時と全く同じだ!)


姿はまだ暗闇で見えずとも、志馬と零緒には瞬時に理解できた。


あの夜、自分たちを圧倒的な金縛りで無力化した化物の老人が、今、キャットウォークの上から自分たちを見下ろしているのだと。


「くっくっく、悪いのぉ誠修館のガキども……。こんなバカな孫でも、ワシにとっては可愛いのじゃ……許せ」


英吉がニヤリと下劣に笑い、動けない志馬たちへ向けて一歩を踏み出した、まさにその瞬間だった。


彼のすぐ真後ろの暗闇の空間から、音も、空気の摩擦の気配すら一切させずに、一人の女性のシルエットが影のように突如として出現した。


「高校生の子どもたちの正当な闘いに、大人のプロの武術家がわざわざ首を突っ込むのは、親バカならぬ、ただの品のない『孫バカ』というものですよ、ご老人」


そこには、窓からの夕闇の光を背負い、最高級の黒のテーラードジャケットの襟元に金糸の鳳凰を羽ばたかせた、キリッとした大きな瞳の圧倒的な東洋の美女――鳳麗フォン・リーが立っていた。


彼女は、英吉の放つ「心の一方」の強烈な暗示の射程圏のど真ん中に直立していながら、その影響を1ミリも受けることなく、あくびでも出そうなほどに平然とそこに佇んでいた。


「な……おぬし……。ワシの暗示が、なぜその若い肉体に一切効かぬ? ……一体、何者だ?」


鳳麗はその老人の問いには一切言葉で答えず、重心移動の起こりを感じさせずに、鋭い右の横蹴りを放った。


ビシィッ!! という凄まじい風切り音。


英吉の鼻先わずか数ミリの空間でピタリと神速で止まった彼女の足先から、肉体を置き去りにした猛烈な衝撃の風圧が、老人の白髪を激しく後ろへと揺らした。


「ご老人。いま、その仕込み杖を抜いて、私を攻撃しようと脳内で思考しましたね。……無駄ですよ。これ以上彼らの日常に介入しようとするなら、私、ご老人とはいえ、次は一切の容赦はしませんよ?」


最高級の気品溢れる丁寧な言葉選びとは裏腹の、返答の選択肢次第では次のコンマ数秒後に首の骨を完全に刎ねられそうなほどの、圧倒的な「底知れぬ達人」の気配。


念流裏座のトップである英吉は、一瞬にして武術家としての本能で理解させられた。


目の前に微笑みながら立つこの21歳の謎の女は、自分とは最初から戦いの「次元が違いすぎる」のだと。


「……いや、やはり今日のところは、やめておくかのー……」


本物の化物を前にした英吉は、闘うことすら即座に諦めて完全な負けを認め、志馬たちにかけていた心の一方の暗示を解除すると、ボロボロの英次を引きずりながら、蜘蛛の子を散らすように足早に夜の街へと去っていった。


不意に全身の自由が戻り、大きく息を吐き出しながらも、勝利の喜びに沸く志馬や輝澄たち。


だが、神谷流剣術の継承者である千鶴先輩だけは、その鳳麗の後ろ姿を見つめ、千鶴先輩は、背筋が粟立つのを止められなかった。

あれは――自分が一度も届いたことのない“領域”の気配だ。


(葉月財団のあの女性が……助けてくれた?)


「今回は一つ、大きな貸しにしておくわよ、誠修館の可愛い雛鳥のみなさん……。また今度、本当の戦場で会えるのを楽しみにしてるわ」


誰も聞こえない小さな声で満足げにそう呟くと、鳳麗もまた、金糸の鳳凰を夜の帳の闇の中へと静かに消え去らせるのだった。


廃工場に残ったのは、冷たい風と、僕らの荒い呼吸だけだった。


………………………………………………


誠修館高校を激しく揺るがした、あの富田英次率いる暗器集団の嵐は、11月の本格的な冬の寒さの訪れとともに、静かに過ぎ去っていった。


事件後、廃工場で凄絶な負傷を負った各運動部の主将たちは、驚異的な回復力で次々と部活へと復帰し、彼らの間の結束は、以前のセクショナリズムを越えて遥かに強固なものとなっていた。


そして、人知れず誠修館最後の大仕事としての全面抗争を完璧にやり遂げた神谷千鶴先輩は、全校生徒の惜しみない感謝の拍手の中で、生徒会長の任期をすべて終えた。


………………………………………………


翌年の3月。


「――あとは、これからの誠修館の未来の秩序は、あなたたちに頼んだわよ。水島くん、如月くん、大川さん」


卒業式の日の放課後、千鶴先輩は、紺色のブレザーを誇らしげに揺らし、晴れやかな美しい表情で僕たち後輩にそう言葉を遺してくれた。


あの日、夜の廃工場でともに死線を潜り、背中を合わせ合った僕たちの間には、言葉にせずとも確かな、一生消えない『絆』が芽生えていた。


志馬と早乙女零緒の間には、相変わらず放課後の廊下でライバルとしての火花がバチバチと散り、本居真一は、相変わらず輝澄の姿を追って空手道場に顔を出している。


恋のライバル、武術のライバル。


それぞれの複雑な青春の感情の残響はありながらも、それでも僕らは、ともに笑い合う「本当の友」と呼ばれるかけがえのない存在になっていたんだ。


僕たちの、高校2年生という、眩しくて穏やかだったはずの季節が、静かに終わりを告げようとしていた。

序盤の悪役、富田英次と富田英吉。

30年前に書いた原作では、ただ暗器の怖さを演出するためのキャラで、1回限りの登場の予定でしたが、かなりのゲス野郎として再登場。志馬の怒りを読者にも共有してもらいたくて、輝澄にはちょっと可愛そうな展開になってしまいましたが、これがこの後の志馬と輝澄の成長に繋がります。


さて、この富田英次と英吉。暗器に特化したという設定はもともとあったものですが、そこにさらに肉付けして、念流の流れを汲む暗殺集団として念流裏座という設定になり、じゃあ、せっかくだからさらにその流れを汲む二階堂平法(兵法の誤字ではないです)の「心の一方」を出そうということになりました。


念流裏座というのはもちろんフィクションですが、「心の一方」は「るろうに剣心」にも登場しましたが、どこまでが信じられるかは別として、実際に松山主水という剣豪が用いた記録として残っている技です。


実は英吉は最初の設定では好々爺だったのですが、どうせなら敵として登場させようということで、孫と揃ってのゲス野郎になってしまいました。


念流に恨みがあるわけではございません。念流の不肖の門弟の1人が、こんな流派を作っていたかもというフィクションですので、どうかご容赦を。

もっとずっとずっと後に、もしかしたら多少いい役で再登場するかも?しれません。


そして、この辺りで、ちょうど第一部は折り返しになります。

つまり3年生編だけで、40話以上になります。


https://kakuyomu.jp/my/news/2912051605929485535

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