第34話:スポーツ格闘技の逆襲
街はずれにある、巨大な錆びついた廃工場の前に、誠修館高校の精鋭たちが静かに集結していた。
生徒会室に集まっていた志馬や輝澄、零緒たちの横には、顔を包帯や絆創膏で固めた、柔道部、ボクシング部、レスリング部の主将たちの姿もあった。
彼らの瞳に宿っているのは、昼間に受けた卑劣な蹂躙への、武人としての猛烈な執念と怒りの焔だ。
「……作戦開始まで、あと30秒」
水島奨は、腕時計の秒針をじっと見つめながらかつてない冷静さで指示を飛ばしていた。
これまでただの「格闘技オタク」として馬鹿にされてきた彼の脳内知識が、いま、この戦場における「軍師」の絶対的な戦術策として、完全に結実しようとしていた。
「佐藤先輩、高橋さん、中村さん。……準備はいいですね?」
奨は、手にしたホームセンターのポリ袋を開けながら、3人の主将たちを眼鏡の奥の目で見据えた。
「あなたたちの昼間の敗北は、決して肉体や実力の差なんかじゃない。敵がルールという安全装置を外したからです。格闘スポーツは脆弱ではない。今度は、僕たちが科学的アプローチによって、その奪われた『前提条件』を強制的に復元する番です。近代格闘スポーツの、真の強さというやつを、あの外道どもに見せつけてやりましょう」
奨の手には、数分前に近隣のホームセンター等で急遽買い揃えてきた、安価だが明確な機能性を持つ「対策装備」が握られていた。
「よし……突入!」
奨の鋭い号令とともに、3人の主将たちが一斉に爆発的な肉体の出力を解放し、工場の強固なシャッターへと体当たりを食らわせた。
バリキィン!! という激しい金属の爆音とともにシャッターがねじ切れ、誠修館の怒涛の反撃が幕を開けた。
「な、何だァ!? 誠修館のクソガキどもが、なんでここを―――」
工場内の薄暗い照明の下、たむろしていた不良たちが色めき立つ。
しかし、主将たちは昼間の意趣返しとばかりに、自分たちを騙し討ちにしたあの顔ぶれを網羅すると、一切の躊躇なく一直線に肉体を突き進めていった。
まず真っ先に動いたのは、柔道部主将の3年生・佐藤だ。
不良がせせら笑いながら、再び懐からあの危険な『消石灰(ライン粉)』を、至近距離から佐藤の顔面に向けて大量にぶちまけた。
空気中に白い粉末の煙が爆発的に広がる。
しかし、佐藤の直進は1ミリも止まらなかった。
「消石灰だろ? そんな卑怯な手は、二度と喰らわん!」
佐藤の顔面には、奨が手渡した工業用のラバー製「防塵ゴーグル」が隙なく装着されていた。
消石灰は、そのシリコンの防壁に阻まれ、佐藤の視界を奪うことはできない。
「ひ、ひぃっ! 効いてねえ!?」
動揺して木刀を振り下ろそうとする不良のジャージの袖と襟を、佐藤の強靭な指先がガッチリと捕らえた。
柔道家が最も得意とする「組んだ」状態の完成だ。
佐藤は、相手が抵抗して後ろに重心を引くそのわずかなベクトル(力加減)を完璧に予測し、自らの骨盤を相手の懐へと深く、鋭く滑り込ませた。
「畳の上でなければ柔道の投げ技は……殺人技だ!」
放たれたのは、凄まじい巻き込みの『大外刈り』だ。
自らの体重移動の全質量を、相手の軸足の裏へと乗せて完全に刈り取る。
遠心力と重力加速度が100%乗った大外刈り。
不良の身体は中空で一回転し、脳天からコンクリートへ叩きつけられた。
ドガァァァン!!!
「ぶふっ……!?」
受身すら取れず、背骨と後頭部をコンクリートに強烈に粉砕された不良は、一撃で内臓の空気をすべて吐き出し、白目を剥いてその場に沈んだ。
畳であれば衝撃を緩和してくれるが、路上において、柔道の投げ技は一撃で人間を即死・再起不能に陥れる「最も冷徹な破壊術」へと変貌する。
………………………………………………
続いて動いたのは、レスリング部主将の2年生・高橋だ。
鋼のような大胸筋の塊である彼は、昼間レスラーの密着を嘲笑った、放電するスタンガンを持った男へと一直線に突進した。
「懲りずにまた自分からタックルに突っ込んできやがった! 死ねや!」
男が凶悪な笑みを浮かべ、バチバチと青い火花を散らす数万ボルトのスタンガンを、高橋の剥き出しの首筋へと押し当てようと突き出す。
しかし、高橋は避けない。
それどころか、自らその放電する男の腕を、強固な両手でガッチリと正面からクラッチした。
「なっ……!? なんで!?」
男が驚愕の声を上げる。
高橋の両手には、奨から手渡された、高圧電流を100%遮断する特殊絶縁ゴム製の「工業用作業グローブ」がはめられていたのだ。
「スタンガンが効かない……だと!? そんな馬鹿な!」
狼狽する男のクラッチを外させず、高橋は一瞬にして低空の高速両足タックルで男の股ぐらの最深部へと潜り込んだ。
相手の骨盤を持ち上げ、自らの強靭なインナーマッスルのブリッジ力を利かせて中空へと抱え上げる。
そのまま完璧な弧(放物線)を描く、バックドロップの体勢へ。
「レスラーに、この絶対的な密着を許したことを、あの世で後悔しろ!」
電流の魔法を完全に無効化された男の身体は、高橋の鋼の筋肉の爆発的な出力によって、頭部からコンクリートの床へと強烈に叩きつけられた。
「が、はっ……あ……」
衝撃が男の頸椎と背骨を直撃し、声も出せずにその場に崩れ落ちて悶絶する。
マットのない路上において、レスラーの抱え上げによる反り投げは、相手の頸椎を物理的にへし折る「即死技」に他ならなかった。
………………………………………………
ボクシング部主将の中村もまた、己の拳をバンテージの上からきつく締め直し、あの長い竹棒を持った連中の間合いへと滑るようにステップを踏んだ。
「へへっ、また足元を氷の上にしてやるよ! 滑って転べ!」
ボクシング部を昼間に襲った連中は、中村の前進を牽制しようと、またもや床一面に工業用の機械油を撒き散らした。
しかし、それは既に中村のフットワークを止める役には立たなかった。
中村はいま、ボクシングシューズではなく、厨房・食品工場などの水回り現場における主力、特殊パターン入りの耐油ラバーソールが特徴のゾナG3という長靴を履いていた。
ボクシングシューズが、完全にフラットなゴム底で、乾いたキャンバス(布)の上で最高のステップを踏むためのものであるのに対して、ゾナG3のラバーソールは油を逃がし、床に密着する構造だ。中村のステップは一切乱れない。
突起の隙間から油を外へ逃がしてコンクリート床に直接ゴムを密着させられる状態を作り出していた。
「ステップが不自由なく踏めれば、お前らのような大振りの素人など、ただの止まったサンドバッグだ」
棒が空を切る。
中村の放った、ジャブというにはあまりにも重すぎる光速の左リードが不良の鼻骨を粉砕し、返す刀の強烈な右ストレートが、棒を振り回す不良たちの顎の先端を正確に、解剖学的に撃ち抜いていく。
脳震盪を起こした不良たちは、自分が殴られたことすら認識できぬまま、次々と糸の切れた人形のように不様に転がっていった。
この数年後、ハイパーVソールなど、さらに機能的で軽量かつ耐滑性能を備えたシューズが開発・販売されるのだが、中村にとってみれば、機能性の劣る長靴の動きでも、十分に相手を翻弄することができた。それほどに、実力の差は歴然だった。
近代格闘技というものは、一定の「前提条件」のルールの安全装置の上に成立している。
柔道家やレスラー、ボクサーたちが昼間の襲撃時に無残に敗れたのは、彼らの技術や肉体が弱いからでは決してない。
消石灰や油、スタンガンといった「前提そのものを物理的に破壊するストリートの暴力」に対応する術を持っていなかったからだ。
水島奨は、安価な道具で、近代格闘技が100%機能するための「絶対的環境の強制復元」を行った。
前提さえ元のキャンバスへと書き換えて戻してしまえば、鍛え上げられてきたスポーツ格闘技の技術は、ストリートの付け焼き刃の暗器など容易に消し飛ばす、絶対的な護身の絶技として牙を剥くのだ。
「……おいおい、オタクの知恵、めちゃくちゃすごいな」
余分な力が完全に抜けた如月志馬が、主将たちの圧倒的なワンサイドゲームに心底感心したように垂れ目を緩めて呟く。
「違うわ如月くん。水島くんはただのオタクじゃない、私たちの『軍師』よ。さあ、この勢いのまま、奥へ進みましょう」
生徒会長・神谷千鶴の凛とした抜刀の号令とともに、誠修館の最強チームは、さらに暗い廃工場の深部、決戦の奈落へと足を進めていくのだった……。
格闘漫画に欠かせない解説役。解説役は運動が苦手というのも定番。
ということで、小太り眼鏡の水島奨です。
物語の語り手であるにも関わらず。誰も小太りな男のビジュアルに対して興味がないということで、後回しになってしまいましたが 笑
というのも、彼の活躍がこれまであまりなかったので。
相手のメタ戦術に対して、個の武だけでは対抗が難しくなり、ようやく軍師としての才が花開いた奨。これからはいろいろと活躍していく、志馬の相棒となります。
https://kakuyomu.jp/my/news/2912051605575884178




